ささのくまじょう

楽々前城

兵庫県豊岡市

別名 : 佐田城
旧国名 : 但馬

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主郭
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ぴーかる

楽々前城 (2024/12/30 訪問)

【楽々前城】
<駐車場他>阿瀬川を渡る橋の手前<35.462801, 134.748229>の道路脇に駐車しました。橋を渡りもっと奥まで車行けます。
<交通手段>車

<見所>石垣・主郭石垣跡・切岸
<感想>縁起祈願、鶴亀楽々旅ラスト3城目。兵庫県の観光サイトによると、楽々前城は垣屋隆国が応永年間(1394~1427年)に築城し、その子、満成が跡を継いだといわれますが、史料には隆国も満成も確認できないようです。南北朝の争乱終結後の1363年以降に垣屋氏が楽前庄に入部しているので、それ以降の築城と思われます。垣屋氏は但馬の守護代のしての地歩を固めていきますが、15世紀の後期から垣屋続成の代になると、守護職の山名氏と対立するようになります。1511年に垣屋続成は山名氏と和睦して鶴ヶ城を築城して拠点を移します。1559年に生野銀山を攻略した織田信長軍が垣屋城(楽々前城のことのよう)を落城しています。
 私もこの城跡は行きたい城でメモしながらも「らくらくまえじょう」と読んでいました。「ささのくまじょう」読めぬ。なんか、あまり下調べせずに、ちゃちゃっと調べて行ったものですから、駐車ポイントもだいぶ手前だったし、現在位置を確認して城跡に近い場所から直登してしまい、だいぶ苦労して登り着きました。
 城跡は主郭を中心に東西南北の四方に腰曲輪を設けていて、主郭の一段下の腰曲輪からもう更に下の曲輪との切岸が高く整備されていないので城跡内部も散策するのに大変です。主郭は石垣で取り巻いていたようで、西側曲輪壁の下には転落石が沢山落ちています。西側の下段の曲輪群には多くの石垣遺構が見られます。畝状竪堀群があるそうですが後から知って完全に見落としてしまい、帰路は登ってきた斜面をずり落ちながら降りるのは怪我しそうだったので、南の尾根伝いにさまよって、ついに道をロストしてしまい、結局斜面をずり落ちてなんとか城跡東側をはしるアスファルト道に出てこれました。山は暗くなってきて、ライトを車に置いてきたので相当焦った。
 発掘調査されていないような感じの城跡で、生の迫力ある遺構と本格的山城でかなり見応えありました。登城路が苦労したので、楽々前というより「苦々疲城」でした。畝状竪堀の見落としが、だいぶ気になるのでいつか再訪します。走行距離333㎞無事走破。

<満足度>◆◆◆

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垣屋氏の城 (2023/12/14 訪問)

 但馬守護山名氏の守護代垣屋氏の城と伝わっています。北城と南城がありますが、曲輪の比較的明瞭に残っていて、木もあまりなく遺構は見やすい状況でした。畝状竪堀が見たくて登城しましたが、思ったより上の方にありました。迫力のある大きな畝と竪堀が残っていました。城域は思っていたより広く堀切、土橋、土塁や竪堀があり、主郭近くには石積みもあり楽しめる城址です。ただ畝状竪堀のある所だけはロープがありましたが、整備された登城路があるわけではなく案内板もありません。縄張り図とにらめっこしながらの散策となりました。遺構も比較的残っていていい城址だと思います。

 北側の墓地より登城しました。踏み跡がありましたが、概ね直登です。落ち葉が堆積していることに加え土が湿気を含んだ粘土質で、滑って歩きにくかったですね。足を滑らせながらもなんとか尾根に到達して登って行きました。尾根には道がある所もありますが、わかりにくい所もありました。楽々前には行けなかったですね。ただ尾根を只管登って行くだけなので迷うことはありません。主郭の南東部にある堀切へ降りて行くと、その下に誘導するようにピンクリボンが付いている木を見つけました。帰りは来た道を戻りたくないという気持ちもあり、こちらからも登城した人がいたと記憶していたのでピンクリボンを追って降りて行きました。道もなく倒木やぬかるんだ地面に難渋しながら下山すると、城の西側にある民家の近くに出てしまい帰りは遠回りとなってしまいました。素直に来た道を戻ればよかったと反省しています。
楽々前城を「ささのくまじょう」とは読めませんね。「らくらくまえじょう」と読んでいました。

江原駅より登城口近くまでバスで行く予定でしたが本数が少なく徒歩にて行きました。30分くらいかかりました。

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todo94

難読城名 (2023/11/23 訪問)

これで「ささのくま」と読むのですね。知らなければ読めませんよね。静修小学校側の尾根を攻め上りました。途中、笹が生い茂っている部分で若干の藪漕ぎ、その先の岩場を越えると山城遺構が次々と現れます。ただ、何の表示もなかったのは少し寂しい気分。帰路は今回の但馬城攻めで初めて迷ってしまいました。麓の道場城辺りに出たのかなと思います。常光寺から攻めるのが正解のようですね。

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但馬 山名氏を支える国人の城を巡る (2023/03/05 訪問)

但馬守護代にもなった恒屋氏の城です。
北に伸びる尾根先に東側の墓地から取りつきました。墓地裏の低いところから尾根上に郭が続きます。ピンクテープが、急斜面の尾根を直登するよう導きます。城郭放浪記さんの表現を借りると、主郭を中心に「南を除く三方に高い切岸の曲輪が無数に拡がっている」。下草がなく探索しやすいですが、主郭下の一段だけ、腰ほどの篠が密生していて夏場は要注意かも。大規模な畝状竪堀があるのですが、よくわからず⤵️

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 垣屋隆国
築城年 応永年間(1394〜1428)
主な城主 垣屋氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、竪堀
住所 兵庫県豊岡市日高町佐田字城山