さそうひよしじょう

佐生日吉城

滋賀県東近江市

別名 : 佐生城、佐野山城
旧国名 : 近江

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南西面の石垣
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イオ

見応えある石垣の出城 (2026/01/04 訪問)

繖山から北にのびる尾根の突端に位置し、織田信長の上洛に際して観音寺城の出城として築かれた城で、後藤但馬守が城主を務めました。

北向岩屋十一面観音の駐車場から登城開始。参道を車で尾根筋まで登ったのであとは尾根沿いに下るだけ…と思っていたら、下るだけは下るだけながら思ったより距離がありました。比高はわずか65mですし、山麓の登城口から歩いて登ったほうが早かったかもしれません。

駐車場から尾根沿いに東に進み、北側に藪化した堀が続くあたりを通り過ぎると石垣に行き当たります。佐生日吉城は主郭と東下段の曲輪からなり、主郭の南西面から南面にかけて約50mに及ぶ石垣が続いていますが、南西隅部を突出させて横矢掛りになっています。南面の土塁を眺めつつ進み、東下段の曲輪から主郭へ。喰い違い状になった東虎口から主郭に入ると、周囲は高さはないものの幅広い土塁で囲まれていて、奥には後藤但馬守城址の石碑が立てられていました。北尾根へと続く虎口の脇にも石垣が見られ、北尾根を進んだ先では両側に竪堀が落ちている…はずですが、藪に覆われていてよくわかりませんでした。そして主郭に戻って西虎口を出たところで佐生日吉城をひとめぐり。

ほぼ単郭の城ながら、南面に続く長大な石垣は大いに見応えがありました。六角氏の山城は出城に至るまで石垣が多用されていて嬉しくなってきますね。
 

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ふぉぉぉん

最初期の石垣に圧倒 (2026/01/11 訪問)

本来は行く予定ではなかったのですが、諸先輩方の口コミを見て手軽にいけそうだと思い急遽行くことにしました。Googleマップで佐生日吉城と調べると登城口が出てこないので、登城口として調べるといいと思います。10分程度かと思いきや結構遠くて疲れます。それなりに整備されていて明るいです。

歴史 六角氏重臣後藤氏によって築かれたといわれています。信長の近江侵攻に伴い観音寺城の備えとして増築されました。六角氏は、非常にはやく領内の城に石垣を用いたことで有名です。佐生城、観音寺城、小堤城山城、星が崎城、三雲城などです。これらを結ぶと、観音寺城から甲賀方面に繋がっていることがわかります。これは観音寺城が攻められたときに甲賀でゲリラ戦を行うためだと考えられています。

さて、私は初期の石垣は低い物が多いと勝手に思っていました。しかし、思ったよりデカい!私の身長を使ってみると5mくらいありそうです。築石部は、巨石をふんだんに使ったTHE野面積。下の方が土で覆われていて見られないのは少し残念。石垣の迫力がかっこよすぎて3周くらいしてしまった。桝形虎口の見せる石垣が特徴の三雲城よりも、実戦的に石垣が使われたのだろうと思いました。

満足度7/10

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)16日目:佐生日吉城 (2024/10/07 訪問)

佐生バス停から徒歩2~3分くらいで、共同墓地登城口(35.173872、136.178605)に着きました。

佐生城の築城年代は定かではないようですが、観音寺城の支城として六角氏の重臣である後藤氏が築いた城です。
後藤氏は藤原秀郷の子孫といわれ、平素は山麓の後藤館に居住しており、その詰城として築かれたようです。
後藤但馬守賢豊は進藤氏とともに「六角氏の両藤」と呼ばれ、六角義賢のもとで宿老として浅井攻めなどに活躍しました。
1563年(永禄6年)に義賢の子である義弼(義治)に謀殺されると「観音寺騒動」の発端となり、1568年(永禄11年)には織田信長によって観音寺城とともに落城させられました。

主郭部周辺に石垣が良好に保存されており、主郭には城主であった後藤但馬守城址の碑が建てられています。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=和田山城を目指す為、佐生バス停から近江鉄道湖国バスで河曲バス停に向かいました。

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小城小次郎

佐生城だったり日吉城だったり (2023/04/16 訪問)

佐生城だったり日吉城だったりするのはなんでかと思ったら佐生町と五個荘日吉町(と佐野町)に跨っていた。簡単に登れて郭が一つしかなくて石垣ががっつり堪能できる魅力満載のお手軽山城。石碑自体も既に年代物かも。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 後藤氏
築城年 室町時代
主な城主 後藤氏
遺構 曲輪、石垣、土塁
再建造物
住所 滋賀県東近江市五個荘日吉町、佐野町