佐生バス停から徒歩2~3分くらいで、共同墓地登城口(35.173872、136.178605)に着きました。
佐生城の築城年代は定かではないようですが、観音寺城の支城として六角氏の重臣である後藤氏が築いた城です。
後藤氏は藤原秀郷の子孫といわれ、平素は山麓の後藤館に居住しており、その詰城として築かれたようです。
後藤但馬守賢豊は進藤氏とともに「六角氏の両藤」と呼ばれ、六角義賢のもとで宿老として浅井攻めなどに活躍しました。
1563年(永禄6年)に義賢の子である義弼(義治)に謀殺されると「観音寺騒動」の発端となり、1568年(永禄11年)には織田信長によって観音寺城とともに落城させられました。
主郭部周辺に石垣が良好に保存されており、主郭には城主であった後藤但馬守城址の碑が建てられています。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=和田山城を目指す為、佐生バス停から近江鉄道湖国バスで河曲バス停に向かいました。
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