さそうひよしじょう

佐生日吉城

滋賀県東近江市

別名 : 佐生城、佐野山城
旧国名 : 近江

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①東方向に続く石垣
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)16日目:佐生日吉城 (2024/10/07 訪問)

佐生バス停から徒歩2~3分くらいで、共同墓地登城口(35.173872、136.178605)に着きました。

佐生城の築城年代は定かではないようですが、観音寺城の支城として六角氏の重臣である後藤氏が築いた城です。
後藤氏は藤原秀郷の子孫といわれ、平素は山麓の後藤館に居住しており、その詰城として築かれたようです。
後藤但馬守賢豊は進藤氏とともに「六角氏の両藤」と呼ばれ、六角義賢のもとで宿老として浅井攻めなどに活躍しました。
1563年(永禄6年)に義賢の子である義弼(義治)に謀殺されると「観音寺騒動」の発端となり、1568年(永禄11年)には織田信長によって観音寺城とともに落城させられました。

主郭部周辺に石垣が良好に保存されており、主郭には城主であった後藤但馬守城址の碑が建てられています。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=和田山城を目指す為、佐生バス停から近江鉄道湖国バスで河曲バス停に向かいました。

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小城小次郎

佐生城だったり日吉城だったり (2023/04/16 訪問)

佐生城だったり日吉城だったりするのはなんでかと思ったら佐生町と五個荘日吉町(と佐野町)に跨っていた。簡単に登れて郭が一つしかなくて石垣ががっつり堪能できる魅力満載のお手軽山城。石碑自体も既に年代物かも。

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しんちゃん

ほぼ単郭だが見事な石垣が残る。 (2023/12/02 訪問)

佐生日吉城は瓜生川の南にある丘陵上に築かれています。東端の墓地の脇から登城道が続いていてなだらかな坂道をしばらく進むとやがて石垣を備えた主郭にたどり着きます。主郭以外には登城道の途中に会った扁平地ぐらいしか郭が見当たりませんが、主郭の南側から東西に幅広く高石垣が残っています。一部は風化していますが見事な石垣で特に南西部は算木積の石垣がしっかり残っています。
観音寺城の支城とされ、主郭には後藤但馬守城址の石碑が建っています。

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小荷駄

佐日吉城跡生 (2022/07/01 訪問)

近江鉄道五箇荘駅から城跡東側の登城口まで徒歩40分程でした。そこから10分程で城跡に着きました。特に南側から西側にかけての石垣が見応えが有りました。道も整備されていて歩きやすく有難いです。整備管理されている皆様ありがとうございます。尚東側登城口周辺にはトイレと駐車場は見当たりませんでした。 暑くてこの後の和田山城跡は断念して宮荘川の紫陽花を見に行きましたが暑すぎてなのか終わりなのかわかりませんが枯れはじめていました。金堂の街並みを散策して帰りました。和田山城跡には改めて行きたいです。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 後藤氏
築城年 室町時代
主な城主 後藤氏
遺構 曲輪、石垣、土塁
再建造物
住所 滋賀県東近江市五個荘日吉町、佐野町