おおみぞじょう

大溝城

滋賀県高島市

別名 : 高島城、(大溝陣屋)
旧国名 : 近江

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橋吉

大溝陣屋総門もお薦め (2026/10/02 訪問)

大溝城の築城は1578(天正6)年とも1581(天正9)年ともいわれています。
織田信長が、甥(弟・織田信行の長男)の織田(津田)信澄に作らせました。
城の縄張は明智光秀によるといわれています。
大溝城の築城により、信長の安土城のほか、明智光秀による坂本城、羽柴秀吉による長浜城とともに琵琶湖の四方に城を配置することで、近江の水運、琵琶湖の制海権を掌握しました。

本丸の石垣、天守台が残されています。
老人施設の脇の細い通路を進んで行きます。

三の丸、二の丸は高島市民病院の駐車場になっています。

大溝城は1585(天正13)年廃城となり、部材は水口岡山城へ移されました。

1619(元和5)年、伊勢上野より分部光信が入封し、大溝藩が立藩しました。
大溝城三の丸付近に陣屋を構え、織田信澄がつくった街割を元に城下町を整備しました。
陣屋前には武家屋敷を集め、その入り口に立てられたのが総門が残っています。

総門の隣に2台分駐車スペースがあります。
また、自転車やバイクは黒塀に沿ってとめることができます。

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つちのこ

大河ドラマのあの人 (2026/08/09 訪問)

今年の大河ドラマで、私の中で話題となった織田信澄さんが築城した城です。実は地元なんですが一度も訪れたことがなく今回初訪問。
織田家が交通の要衝である近江(琵琶湖)を支配するために築いた水城ネットワーク4城の一つです(他の3つは信長の安土城、羽柴秀吉の長浜城、明智光秀の坂本城)。
二ノ丸、三ノ丸は市民病院の駐車場となっており、遺構はなく、道端に「三ノ丸跡」と書かれた石碑があるくらいです。
本丸には、石垣が比較的綺麗に残っていました。天守台跡から北東に階段を下りると、内湖である乙女ヶ池がすぐそばに見え、水城の面影があります。

大溝城跡から徒歩10分弱で大溝陣屋総門があり、そこでは大溝城のパンフレットが設置してあったり、御城印、缶バッジなどグッズが購入できます。復元CG映像も見られますので、合わせて訪問するとより理解が深まると思います。

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昌官忠

(東海&関西)遠征6日目:大溝城 (2025/05/20 訪問)

打下城から自転車で5分くらいで、大溝城入口付近(35.293450、136.012477)に着きました。

1572年(元亀3年)織田信長が高島郡に進攻すると、1579年(天正7年)織田信澄(津田信澄)が高島郡を領し、明智光秀の縄張りで大溝城が築かれました。
1582年(天正10年)本能寺の変で信澄は明智光秀の娘を正室にしていたことから、大坂で殺害されてしまいます。
信澄の後には、丹羽長秀・加藤光泰・生駒親正・京極高次と目まぐるしく城主が替わりますが、京極高次が近江八幡へ転封となった後は無城主となったそうです。
1619年(元和5年)分部光信が伊勢国上野より20,000石で入封しましたが、元和の一国一城令の対象となり、三の丸を残して大溝城を破壊しました。
分部氏は三の丸に陣屋を構え、11代続き明治維新を迎えました。

天正前期と思われる野面積みの天守台が、崩れつつもしっかり残っています。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=大溝陣屋(城びと未登録 滋賀県高島市)に自転車で向かいました。

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織田信澄 (2025/04/29 訪問)

 久しぶりの大溝城です。近くまで来たので寄ってきました。高島郡を手に入れた織田信長が甥の織田信澄に命じて築城させた城で、縄張りは明智光秀が行ったようです。天守台が残っています。
 JR近江高島駅から徒歩約5分の駅近物件です。

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城郭情報

分類・構造 水城
築城主 織田信澄
築城年 天正6年(1578)
主な改修者 分部氏(陣屋)
主な城主 織田(津田)氏、丹羽氏、加藤氏、京極氏、分部氏(陣屋)
遺構 曲輪、石垣
指定文化財 国重要文化的景観(大溝の水辺景観)
再建造物 石碑、説明板
住所 滋賀県高島市勝野
問い合わせ先 高島観光協会
問い合わせ先電話番号 0740-22-6111