おおみぞじょう

大溝城

滋賀県高島市

別名 : 高島城、(大溝陣屋)
旧国名 : 近江

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大溝陣屋跡の分部神社
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イオ

大溝陣屋 (2023/09/09 訪問)

大溝陣屋は、江戸初期に入封した分部光信が大溝城の三の丸跡に構えた陣屋で、城下町を整備し、明治まで分部氏が11代続きました。

三の丸跡に設けられた藩庁と藩主住居の御殿跡には、初代藩主・分部光信公を祀った分部神社が明治に創建されています。市街化により陣屋の遺構のほとんどが失われるも、武家屋敷地と町人地の境にあたる総門が現存しており、現在ではまち並み案内処として活用されている…ようですが、訪問時は工事中でフェンス越しに眺めるだけでした。残念。

総門の南西側は武家屋敷地跡で、JR湖西線の高架をくぐった先には笠井家の武家屋敷が現存している…にはいるんですが、いつ倒壊しても不思議はないような痛ましい状態でした。貴重な武家屋敷だけに行政の関与で何とか保全できないものでしょうか…。武家屋敷地の西端には藩校脩身堂跡の石碑があり、中央部の「殿さんの水」と呼ばれる古式水道の溜桝(タチアガリ)からは城下町の人々の生活用水となっていた水が現在もこんこんとあふれ出ていました。また、武家屋敷地の西門を出た先の山麓には分部家菩提寺の圓光禪寺があり、分部家の墓所が設けられているようです。

総門の北側には町人地が広がり、生活用水、防火用水として通りの中央に整備された町割り水路が遺っています。町人地は町割り水路以外に目立った遺構は見られませんが、旧町名の石碑はあちこちに建てられていて、ぶらぶら歩いただけでも長刀町、船入町、江戸屋町、蝋燭町、十四軒町の石碑に遭遇しました(まだまだあるようです)。

大溝城のついで程度のつもりでしたが、案外に見るところもあって楽しませていただきました。次の機会には打下城のついでに総門を見学したいと思っています。
 

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イオ

竹木の中の天守台 (2023/09/09 訪問)

(お恥ずかしいところをお見せしましたが、切り替えて平常運転で…)

青春18きっぷの利用期限が迫っていることもあり、この日は電車でニッポン城めぐりのイベント「元亀争乱」のスポットをめぐりました。まずは近江高島駅構内のQRコードを読み込んで打下城をポチ制覇。打下城にはいずれ登城するつもりですが、30度を超える暑さの中、山城に登る根性はありません。とはいえ、ポチだけで帰るのもつまらないので、イベントとは無関係ながら駅を出て大溝城へ。

大溝城は、織田信長が琵琶湖水運を掌握する城郭ネットワークを形成するために甥の織田信澄に築かせた城で、信澄の義父にあたる明智光秀の縄張と伝わります。本能寺の変で信長が討たれると、光秀に従って蜂起することを恐れた織田信孝らに攻められて信澄は大坂城千貫櫓で自刃。その後、丹羽長秀、加藤光泰、生駒親正、京極高次と次々に城主が替わった末に廃城となり、部材は水口岡山城に運ばれました。

駅から二の丸推定地の病院駐車場を抜けると本丸の天守台に至る…はずが、出口を間違えて乙女ヶ池畔の遊歩道に出てしまいました。大溝城は琵琶湖の内湖である洞海(乙女ヶ池)を堀として取り込んだ水城であり、遊歩道からの眺めには往時の雰囲気が感じられました。それにしても、遊歩道は手すりなどがずいぶん老朽化しているなぁ…と思っていたら、先日のしんちゃんさんの投稿で通行止めになっていることを知りびっくり。歩いている時に崩落しなくて良かった…。

湖畔の遊歩道から北西に進むと天守台が見えてきます。野面積みの石垣を見ていると神戸(織田)信孝の神戸城天守台が思い出されました。織田氏一門で天守台の特徴が似ているんでしょうか。天守台の南西部には大溝城跡の石碑と大溝城本丸跡の説明板が2つ建てられています。説明板脇の石段から天守台に上ると、社なり祠なりがあったんでしょうか石材や手水鉢が放置されていました。天守台の北側に下りて行くと、草木や竹が茂ってはいるものの、北西隅~北辺~北東隅~東辺にかけてもしっかり石垣が確認できました。

天守台を離れて介護施設脇の小道を北に進み、車道に出たところに大溝城三の丸跡の石碑があります。三の丸跡石碑の北西すぐ、近江高島駅口交差点前の広場には「織田・京極・浅井家にまつわる大溝城」のパネルが展示されていました。また、広場から北北西に徒歩5分の勝安寺の本堂は大溝城の書院が移築されたものと伝わります。

ほとんど天守台くらいしか見どころのない城ですが、その天守台は竹木に覆われつつもなかなか見応えがありました。続いては、大溝城の三の丸跡に設けられた大溝陣屋と城下町をめぐります。
 

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しんしんちゃん

天守台は小林さん状態。 (2023/12/03 訪問)

大溝城は織田信澄(信長の甥で同母弟の信行の長男)によって築かれたとされています。琵琶湖に面した水城でしたが本丸の天守台以外遺構は残っておらず二の丸と三の丸は病院の駐車場と老人ホームになっています。一応市の史跡なのですが天守台の荒れ具合がひどい。何本木が生えているかわからないほどです。せっかくの文化財が破壊されてしまうのは忍びないので、正しい方法で保全に努めていただきたい。
東側にはかつての堀代わりの内湖・乙女ケ池がありますが橋は破損がひどくて渡れません。派手さはありませんが、せっかくの歴史のある城址なので合わせて整備していただけると有り難いですね。古い方の案内板によると信長の甥・信行は明智光秀の娘を妻にしていたので織田信孝と丹羽長重が謀って大阪城二の丸千貫櫓を攻めたて自害に追い込んだそうです。ホンマかいな‥酷い話だなあ。
織田氏も源氏と同じく同族同士の争いで弱体化していったということですか。滅亡しなかっただけ良かったということですね。

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赤い城

彼岸花が石垣を彩る (2023/09/30 訪問)

近江高島駅から徒歩で5分。
病院の駐車場も1時間無料で利用できます。
病院の敷地が二の丸、三の丸のようです。
本丸中心部の天守台周辺には石垣が残っています。
登城時はちょうど彼岸花のシーズンで石垣を紅く彩っていました。
琵琶湖の入り江となっていた乙女ヶ池が自然の堀となっていました。
信長が光秀に縄張りを命じた城とされます。
安土城、長浜城、坂本城とのネットワークを形成する要所となっていました。
ビワイチもこの日のリアはこれがラスト、今度はゆっくりと回ってみたいです。

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城郭情報

分類・構造 水城
築城主 織田信澄
築城年 天正6年(1578)
主な改修者 分部氏(陣屋)
主な城主 織田(津田)氏、丹羽氏、加藤氏、京極氏、分部氏(陣屋)
遺構 曲輪、石垣
指定文化財 国重要文化的景観(大溝の水辺景観)
再建造物 石碑、説明板
住所 滋賀県高島市勝野
問い合わせ先 高島観光協会
問い合わせ先電話番号 0740-22-6111