大溝陣屋は、江戸初期に入封した分部光信が大溝城の三の丸跡に構えた陣屋で、城下町を整備し、明治まで分部氏が11代続きました。
三の丸跡に設けられた藩庁と藩主住居の御殿跡には、初代藩主・分部光信公を祀った分部神社が明治に創建されています。市街化により陣屋の遺構のほとんどが失われるも、武家屋敷地と町人地の境にあたる総門が現存しており、現在ではまち並み案内処として活用されている…ようですが、訪問時は工事中でフェンス越しに眺めるだけでした。残念。
総門の南西側は武家屋敷地跡で、JR湖西線の高架をくぐった先には笠井家の武家屋敷が現存している…にはいるんですが、いつ倒壊しても不思議はないような痛ましい状態でした。貴重な武家屋敷だけに行政の関与で何とか保全できないものでしょうか…。武家屋敷地の西端には藩校脩身堂跡の石碑があり、中央部の「殿さんの水」と呼ばれる古式水道の溜桝(タチアガリ)からは城下町の人々の生活用水となっていた水が現在もこんこんとあふれ出ていました。また、武家屋敷地の西門を出た先の山麓には分部家菩提寺の圓光禪寺があり、分部家の墓所が設けられているようです。
総門の北側には町人地が広がり、生活用水、防火用水として通りの中央に整備された町割り水路が遺っています。町人地は町割り水路以外に目立った遺構は見られませんが、旧町名の石碑はあちこちに建てられていて、ぶらぶら歩いただけでも長刀町、船入町、江戸屋町、蝋燭町、十四軒町の石碑に遭遇しました(まだまだあるようです)。
大溝城のついで程度のつもりでしたが、案外に見るところもあって楽しませていただきました。次の機会には打下城のついでに総門を見学したいと思っています。
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