たかむろやまじょう

高室山城

滋賀県犬上郡

別名 : 腰越の城
旧国名 : 近江

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中腹
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しんちゃん

ヤング光秀がトレーニングしていたかもしれない。 (2023/12/02 訪問)

高室山城は標高422mの高室山の山頂に築かれており遺構らしきものはほぼ残っていません。浅い堀切がかろうじて残っている程度で山頂の二つの郭も決して広くなく、城というよりは砦です。尾根は整備されていますがなかなか急でしっかりした登山用の靴やストックが有った方が無難でしょう。ハイキングコースになっているようで比較的多くの人が訪れています。
麓には十二相神社や十兵衛屋敷跡があり、若いころの明智光秀が居住していたことを示唆しています。ひょっとしたら高室山の坂道で足腰を鍛えていたのかもしれません。とりたてて特徴のない城跡ですが、明智光秀ゆかりと思うと不思議な魅力が出てくるものです。

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イオ

十兵衛屋敷と詰の城? (2022/04/09 訪問)

高室山の中腹に築かれた城で、鞍掛峠を越えて伊勢や美濃に通じる街道を見下ろす位置にあり、築城時期や築城者等は不明ながら、南西麓に十兵衛屋敷と呼ばれる明智光秀出自の伝承地があることから、十兵衛屋敷の詰の城とも考えられます。

十二相神社・十兵衛屋敷の無料駐車場に車を駐めて、まずは山麓の十兵衛屋敷に向かいます。模擬冠木門をくぐると光秀と見津五人衆らのイラストボードが立ち並び、十兵衛屋敷跡の標柱、説明板、さらに十兵衛茶屋には光秀多賀出身説の資料が多数展示されていました。光秀が近江出身というとトンデモ説のように思えますが、江戸前期に彦根藩井伊氏に献上された「淡海温故録」の記述と地元に伝わる口伝に基づく説であり、曰く、美濃の土岐成頼を離反した明智十左衛門が六角高頼を頼ってこの地に住むようになり、その二、三代後に生まれたのが光秀とのことで、少しかじってみましたが意外にそれっぽいところのある説でした。

続いては、高室山城を目指して十二相神社から登城開始。高室山へのハイキングコースとして整備されてはいるものの、なかなかの急坂を登ること20分弱で出郭に到着。出郭は手前と奥に浅くなった堀切が見られるくらいの小さな曲輪ですが、ネット情報の多くがここを高室山城(の主郭)としていましたので、ぴーかるさんの投稿がなければ、ここで満足して引き返していたと思います(十兵衛茶屋の展示資料でも山城A(高室山城)の手前のこの地を出郭としています)。

出郭から少し下り、あとはひらたすらに登り続けて出郭から20分弱で主郭南端の石垣に到着。や、やっと着いた…。石垣の東側に回り込んでみると石垣の内側は窪みになっていて、麓から登ってきた敵を狙い撃つ武者隠しのようにも思えます。主郭には虎口っぽく並んだ巨岩や櫓台状の岩場など岩がごろごろとしており、主郭の奥は土橋状の細尾根で、ハイキングコースはその先へと続いていますが、主郭はここまでのようなので(たぶん)、ここで探索終了としました。

麒麟がくる紀行の一環として十兵衛屋敷の下調べをする中で高室山城の存在を知り、詰の城(かもしれない)なら一応行っておこうかと思いつつも、手持ちの書籍に高室山城の詳しい記述はなく、ネットでもあまり情報が得られなかったため長らく保留になっていましたが、ぴーかるさんの投稿を参照させてもらってようやく訪れることができました。ありがとうございました。ただ、十兵衛屋敷と主郭の比高は330mを超え、この前に訪れた佐和山城が消化不良気味だったとはいえ、山城3城目に訪れるには少々ハードで、翌日、翌々日と久しぶりに筋肉痛に悩まされました…。
 

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ぴーかる

高室山城 (2022/03/12 訪問)

【高室山城】
<駐車場他>佐目自然公園駐車場<35.205985, 136.340579>無料15台程度/駐車場(十二相神社・十兵衛屋敷跡)あり。
<交通手段>車

<見所>石垣・土塁
<注意>私の投稿時点の個人サイトの方々の高室山城の案内は全部南端の出曲輪辺りを主郭としていて間違っています。Googleマップで「高室山城」と打込むと石垣の載った正しい写真と位置(城びとポイントも正しい)が出ますので位置情報と照合しながら攻めましょう。

<感想>城びと初投稿いただきます。高室山城は築城年・築城者は定かではなく、麓の十二相神社前に十兵衛屋敷跡という場所があり、城びとの情報では明智氏?としている。
 高室山はハイキングコースになっており私が来城した時間には多くのハイカー達がちょうど下山していました。高室山登山口の矢印板の所から登ります。そこそこの急な尾根をまっすぐ15分程登ると最初のピークが見えます。削平地に出て中心辺りに浅い堀切があります。個人サイトの方々はここを主郭としているようですが小さすぎるのでここは離れた南端にある出曲輪のようなものかと思われます。
 出曲輪と思われる所から一旦下ってさらに先に進みます。出曲輪から20分程登ると巨石が多くなり山肌が拳大程の石で覆われた所(添付写真)に来ますのでもう少しです。つづら折れに少し登ると石垣が見え到着します。
 城跡は南北の細尾根を削平地にして両サイドは急な谷になっています。曲輪は大きく2つに分けて北の曲輪は岩場で出来ていて狭いです。下段の主郭とは巨石の岩で仕切っています。南側の石垣のある広めの削平地が主郭のようで南端の石垣は曲輪壁ではなく虎口か櫓台の石垣のように感じました。城跡の最北に岩場のピークがあり、ここは鬱蒼としており、そこから北は急に下がって谷の土橋になっていました。どうやらここまでが城跡のように見えたのでここから先の高室山頂の方には行きませんでした。城跡手前の拳大の石群は急に現れてくるので防御の為の石積壁か投石用の集めた石積みが崩れたものかもしれないと感じました。

<満足度>◆◆◇

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 明智氏?
築城年 室町時代
主な城主 明智氏?
遺構 曲輪、堀切、竪堀
住所 滋賀県犬上郡多賀町高室山
問い合わせ先 多賀町立文化財センター
問い合わせ先電話番号 0749-48-0348