さびじょう

佐味城

奈良県御所市

別名 : 幸田城
旧国名 : 大和

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主郭南虎口の堀と土橋
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ぴーかる

やっとたどり着いた (2024/03/09 訪問)

【佐味城】
<駐車場他>駐車場はなし。高鴨神社参拝者駐車場に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>横堀・土塁・曲輪
<感想>朝6:30に上記高鴨神社に到着し、持参の朝食をいただく。高鴨神社に参拝し佐味城に向かう。神社から登城口までは徒歩12分程なので安心して駐車できて置けます。城郭の歴史や構造は先達の方々が記述しておられるので割愛し、状況の補足説明しておきます。
 墓碑のある所からが遺構(麓の曲輪)で柵を開けて登り始めた左手に堀跡があります。登り始めてすぐに、しんちゃんさんの記述にあった礫石が沢山落ちています。この礫石、ここに櫓台があったのか、上から徐々に落ちてきて溜まったものなのかは分からないが、石積みの石と思われます。(理由は後述)左手に登山道と並行して竪堀が落ちてきています。登山道はかつての大手道だったと思います。木に白いナイロン紐が巻かれているので沿って進めば途中倒木がありますが大手虎口にすぐにたどり着けます。
 城の外郭をはしる横堀ですが、大手虎口のある東辺は切岸が高く、掘った・削った土を外側に盛って土塁としています。南辺は掘り込みが深い。西辺は山側にあたりますが、堆積かもですが相当浅くなっています。
 主郭にも横堀があり、東面と南面の横堀が深い。東に1か所、南に2か所虎口があり土橋で渡してあります。主郭内部に南北に長い、横幅のあまりない、暗渠のような堀のような凹みがあります。その手前が特に平地になっているので建物跡かもしれません。
 前述の礫石について。前述の場所と、大手道土橋状の土塁と、城跡の南東部の曲輪群の曲輪と曲輪の間の堀状通路の低地に多く溜まっています。特に堀状通路の低地に溜まっている礫石(写真添付)は表面観察でこれほど溜まっているのが見られるので近年に石垣から崩落して溜まったものと思います。土の中に相当石が埋もれていると思います。どこかに少しでも石垣が残っていれば裏付けがとれると探しましたが、これまた全然残っていないのが謎とロマン、想像力を搔き立てられます。
 城の成り立ちについて、とある煩悩の登城目録さんの記述にあった寺院・城郭寺院に関連がある事、実際見て私もそう思いました。理由は①大手虎口から主郭まで一直線の大手道がある。②大手虎口・主郭虎口に枡形等の防御設備が見られない平虎口であること。③主郭に虎口が3か所以上もあること。④一概に全てだとは言えないが、直線の道の両脇にひな壇状に曲輪群が並んでいる構造、滋賀県の弥高寺跡の構造にも似ている。

 見ごたえのある、満足度の高い城跡を見逃していました。私のマイベスト奈良の順位は椿尾上城の同率2位に位置付け修正しておき、全部で11城になります。

<満足度>◆◆◆

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私も行って参りました (2024/04/20 訪問)

佐味城の少し北の櫛羅陣屋まで訪問してましたが、「佐味城は、入口が分かりにくい、藪が酷い」との情報に、行くのをためらっておりました。2月半ばからの短期間の城びと猛者たちの活躍を踏まえ、私も行って参りました。感謝、感謝です。
道の曲がり具合、池の配置から、登り口の当たりがつきました。投稿にあるログハウス様の建物、墓石様の石碑をすぐに発見。向かいのフェンスの四ヶ所の針金止めも認知。フェンスのすぐ内側の密集アオキは道幅になぎ倒されてました。道には真新しいクローラー(キャタピラー)跡も。城域まで道はしっかりありました。佐味城の特異な遺構を見つつ、主郭まで到達。北は、小川が侵食した崖。西は尾根を断ち切る堀切+土橋。東は、急斜面と切岸。緩斜面の南側は、どう処理しているのか見に行くと、土木量が大きな、横堀+土塁+横堀。良いなあ。
城は、金剛山の中腹とまではいかないですが、御所市、五條市からかなり高い所にあります。御所と五條を繋ぐ狭い平野を見下ろす位置でもあります。山岳寺院でも街道を押さえる城でも有用かと思います。

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おもしろい縄張り (2024/03/07 訪問)

 金剛山の奈良盆地側に突き出た尾根に位置し、方形の曲輪が雛壇状に見られる特長的な縄張りをしている城址です。山岳寺院を城に改修したと思われますが、詳細はわかっていないようです。
 金網フェンスから入ると10分で城域に入ることができました。両側に空堀を認める虎口から入ると主郭まで一直線に続く道があり両側に雛壇状に広さの異なる方形の曲輪が多数展開しています。土塁や空堀を見ることができます。主郭の土塁はかなり高く見ごたえがありました。主郭を過ぎて尾根へ進んでいくと空堀があり、さらに進むと土橋があります。この土橋の両側は削られて竪堀となっているようです。ただ草木などで竪堀構造はよく確認できていません。主郭へ戻り周囲を散策すると横堀が北側を除いた周囲にありました。北側は崖になっています。空堀、土塁等を求めて東西南北を彷徨いながら見て回りました。
変わった縄張りですが「近畿の城郭Ⅰ」(戎光祥出版)には
① 武力を有する宗教勢力による築城
② 寺院を一時的に陣などにとして使用した
③ 廃寺跡の区画群を利用した築城
の3通りが想定できると書いてあります。
遺構も比較的残っていて異形の縄張りを堪能できます。

 以前から興味のあった城址で、藪が多いとの情報もあり行くなら寒い時期と思っていました。最近、このサイトで登城されている方がいることを知り触発され行って来ました。
鴨神デマンドタクシー停留所からアプローチしています。トタンのフェンスをまたいで進むと獣除けのフェンスがあり墓石のようなものの前からフェンスを開けて進むと主郭まで迷うことなく行くことができます。フェンスの開閉はしんちゃんさんの投稿が助けとなりました。墓石らしきものの前のフェンスから登城すると倒木はありましたが藪は思っていたより少なく、ストレスをあまり感じることはありませんでした。
 歴史的には不明な点が多い城址ですが、土塁や空堀が比較的良好に残っていて楽しく散策できる城址です。

 

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しんちゃん

まさかのオープンゲート (2024/02/24 訪問)

なんとなく足音が聞こえてきている気がするので、さらっと紹介させていただきます。ぴーかるさんの投稿では周囲はフェンスで囲まれているとのことでした。
それを確認してから帰る気満々でやって来ました。とりあえず某城郭サイトさんの地図で示している場所を訪れると‥開いてるじゃなーい!? 聞いてないよコレ‥とりあえず(周囲をキョロキョロして)いってみようかな‥ と思ったらひっどい藪、どうにも進めない。帰ろうか‥と思ったら藪の隙間から山の斜面が見えてしまいます。半分帰りたい気持ちがあるものの身に沁みついた習性で先に進めてしまう。藪はきついし坂は滑るし、楽して登りたい。ようやく城址に近づいてくると大きな空堀が見えてきます。その先は城というより小さな町、まるで居館のアパートのようでした。東から西へ大手が続き大手道はまっすぐ主郭に向っています。
大手の左右に複数の居館が三段に連なって主郭に続いています。まるで階層構造のようで安土城のように権威や身分を主張しているのでしょうか?この場合やはり上にいくほど偉いのかな?でも下の郭も土塁はしっかり付いているし防御そのものをおろそかにしているわけではないようです。大手道はあいかわらずまっすぐですが部分的に石が敷き詰めてあるようです。
三段構造の郭のさらに上段に主郭が存在し、上下2段の構造になっています。上段の周囲を土塁で囲み、城域の背後にも堀切を配しています。
主郭の虎口は南側にも存在し、その先はやはりまっすぐな通路が南に通じており、その周囲に郭がありました。
変わった遺構としては主郭の虎口に通じる東側と南側に巨大な堀切が有り、間を土塁で仕切ってあります。障子掘っぽくも見えますが小さな郭のようにも見えます。下人や守人が詰めていたのでしょうか?
謎が多い城ですが、面白い縄張りでもっと注目されても良いのではないかと思いました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 不明
遺構 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、竪堀
住所 奈良県御所市鴨神字別所、字上ノ山城