さびじょう

佐味城

奈良県御所市

別名 : 幸田城
旧国名 : 大和

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おもしろい縄張り (2024/03/07 訪問)

 金剛山の奈良盆地側に突き出た尾根に位置し、方形の曲輪が雛壇状に見られる特長的な縄張りをしている城址です。山岳寺院を城に改修したと思われますが、詳細はわかっていないようです。
 金網フェンスから入ると10分で城域に入ることができました。両側に空堀を認める虎口から入ると主郭まで一直線に続く道があり両側に雛壇状に広さの異なる方形の曲輪が多数展開しています。土塁や空堀を見ることができます。主郭の土塁はかなり高く見ごたえがありました。主郭を過ぎて尾根へ進んでいくと空堀があり、さらに進むと土橋があります。この土橋の両側は削られて竪堀となっているようです。ただ草木などで竪堀構造はよく確認できていません。主郭へ戻り周囲を散策すると横堀が北側を除いた周囲にありました。北側は崖になっています。空堀、土塁等を求めて東西南北を彷徨いながら見て回りました。
変わった縄張りですが「近畿の城郭Ⅰ」(戎光祥出版)には
① 武力を有する宗教勢力による築城
② 寺院を一時的に陣などにとして使用した
③ 廃寺跡の区画群を利用した築城
の3通りが想定できると書いてあります。
遺構も比較的残っていて異形の縄張りを堪能できます。

 以前から興味のあった城址で、藪が多いとの情報もあり行くなら寒い時期と思っていました。最近、このサイトで登城されている方がいることを知り触発され行って来ました。
鴨神デマンドタクシー停留所からアプローチしています。トタンのフェンスをまたいで進むと獣除けのフェンスがあり墓石のようなものの前からフェンスを開けて進むと主郭まで迷うことなく行くことができます。フェンスの開閉はしんちゃんさんの投稿が助けとなりました。墓石らしきものの前のフェンスから登城すると倒木はありましたが藪は思っていたより少なく、ストレスをあまり感じることはありませんでした。
 歴史的には不明な点が多い城址ですが、土塁や空堀が比較的良好に残っていて楽しく散策できる城址です。

 

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しんしんちゃん

まさかのオープンゲート (2024/02/24 訪問)

なんとなく足音が聞こえてきている気がするので、さらっと紹介させていただきます。ぴーかるさんの投稿では周囲はフェンスで囲まれているとのことでした。
それを確認してから帰る気満々でやって来ました。とりあえず某城郭サイトさんの地図で示している場所を訪れると‥開いてるじゃなーい!? 聞いてないよコレ‥とりあえず(周囲をキョロキョロして)いってみようかな‥ と思ったらひっどい藪、どうにも進めない。帰ろうか‥と思ったら藪の隙間から山の斜面が見えてしまいます。半分帰りたい気持ちがあるものの身に沁みついた習性で先に進めてしまう。藪はきついし坂は滑るし、楽して登りたい。ようやく城址に近づいてくると大きな空堀が見えてきます。その先は城というより小さな町、まるで居館のアパートのようでした。東から西へ大手が続き大手道はまっすぐ主郭に向っています。
大手の左右に複数の居館が三段に連なって主郭に続いています。まるで階層構造のようで安土城のように権威や身分を主張しているのでしょうか?この場合やはり上にいくほど偉いのかな?でも下の郭も土塁はしっかり付いているし防御そのものをおろそかにしているわけではないようです。大手道はあいかわらずまっすぐですが部分的に石が敷き詰めてあるようです。
三段構造の郭のさらに上段に主郭が存在し、上下2段の構造になっています。上段の周囲を土塁で囲み、城域の背後にも堀切を配しています。
主郭の虎口は南側にも存在し、その先はやはりまっすぐな通路が南に通じており、その周囲に郭がありました。
変わった遺構としては主郭の虎口に通じる東側と南側に巨大な堀切が有り、間を土塁で仕切ってあります。障子掘っぽくも見えますが小さな郭のようにも見えます。下人や守人が詰めていたのでしょうか?
謎が多い城ですが、面白い縄張りでもっと注目されても良いのではないかと思いました。

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イオ

登城口問題解決!

昨日の今日で恐縮ですが、しんちゃんさんの投稿により登城口問題は解決しました。ありがとうございます。防獣柵のゲートを開閉する際に巻かれた針金を外すことは何度となくありましたが、柵自体の針金を外すというのは想定外でした。今にして思えば、ニッポン城めぐりの口コミに「フェンスを開けて入る」とあるのはそういう意味だったのかも。「フェンス(に設けられたゲート)を開けて入る」と勝手に脳内補完してしまっていました。ともあれ、地元の方の了承もあるのなら安心して墓石付近の柵を開閉して登城できますね。

※ ただ、県道からの入口の目印になっていた鴨神バス停はコミュニティバス路線の再編で廃止になったようで、公共交通機関利用では訪れにくい城ではありますが…。

…ということで、登城口問題も解決しましたし、藪化している箇所も多いもののそれ以上の見応えはありますので、登城しない手はありませんよ、ぴーかるさん(笑)

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イオ

一応登城はできたものの… (2024/02/18 訪問)

金剛山から東にのびる台地状の尾根に築かれた城で、戦国中期に木沢長政が築いた琵琶尾城に、また戦国後期に筒井氏方の城として畠山氏や根来衆の攻撃を受けた幸田城にも比定されますが、詳細は不明です。

かなり特異な縄張の城ということで以前から注目はしていたんですが、近場でもありいつでも行けるから、と後回しにしているうちに、ぴーかるさんの投稿で防獣柵により登城口が閉ざされていると知り、大ショック…。行けるうちに行っておかないからこんなことに…と後悔しても始まらないので、新たな冒険者(人柱?)として何とか登城できないか挑戦してみました。

まずは余湖くんのホームページで紹介されている登城ルートを確認しましたが、ログハウス風建物の手前の墓石(ぴーかるさん投稿の写真2)付近が登城口のはずながら防獣柵にゲートらしきものは見当たりません。そのまま北に進み続けても入れそうな箇所はなく、柵は県道側に折れて行き止まりになっていました。県道から入った舗装道まで戻って今度は西へ。民家を過ぎたところに山側に続く小道が分岐していたので行ってみると、突き当りの防獣柵が外れていました。ゲートが設けられているのでも柵が「開いて」いるのでもなく「外れて」いたので、入って良いものかためらわれましたが、登城可能かを確認に来たんだから入らないわけにもいかないだろう、ということで、ここ(34.40838200326417, 135.70242557708718)から登城開始です。

柵の内側に入ってもその先の道は無く、墓石のあたりまで柵沿いに進んで登城道を探すのが無難かとも思いましたが、柵の内側も結構な藪になっていたので、直登するほうが楽かも、と北側の斜面を登って行くと削平地らしき平場に出ました。余湖さんの鳥瞰図に描かれている東麓の削平地と思われますが、平場と言っても竹と灌木の凄まじい密林状態で、突破するのに相当の気力と時間を要することに…。これなら山麓を回ったほうがよほど楽でした。急がば回れですね。削平地を抜けると墓石のあたりから続いている登城道が山上へとのびていて、木々に印された目印のテープをたどりながら登って行くと東側の虎口に着きました。ここからが城内です。

佐味城は南北200m 東西380mの広大な城域を縦横に走る通路により碁盤の目状に区画した特異な縄張で、西から東に緩やかに下る緩斜面を削平して土塁囲みの方形区画を多数設けています。さらに東側の虎口から西側奥の主郭まで一直線に幅広い大手道がのびていて、これら城郭としては不自然な縄張は山岳寺院の名残と考えられるようです。緩斜面に築かれた城だけに急傾斜の北辺を除いては周囲に横堀と土塁がめぐらされており、特に南東部の横堀は深く幅広く折れも設けられていて大いに見応えがありました。

中央を東西に走る大手道は土橋状になって主郭に接続し、主郭の東麓と南麓には障子堀状に区画された横堀が広がっています。これまたなかなかの規模です。主郭は南辺と西辺、北西辺を土塁で囲み、北半分は藪化していて探索は困難ですが、南辺の土塁上を西に進むと搦手にあたる虎口があり、横堀の間を土橋が西尾根へと続いています。西尾根にも遺構があるようなので行ってみると、自然地形のピークの先に虎口が設けられ、その先は両側の切り立った土橋になっていました。

聞き及んでいたとおりの特異な縄張に加えて、横堀や土塁はかなりの規模でなかなか見応えがありました。ただ、私が訪れた時はたまたま防獣柵が外れていたために中に入ることができましたが、西尾根探索中にぬた場を見かけるなど、イノシシなりシカなりが生息しているのは間違いなく、何らかの理由で防獣柵が外れたとしても、そのままにしておくとは考えにくいので、ここから登城できます! とはとても言えない状況です。この日に歩き回った範囲では、他に登城できそうなところも見付けられませんでしたし…。なお、「近畿の名城を歩く」では金剛山キャンプ場近くの伏見峠から下って行くルート(たぶん西尾根の虎口に至る)が案内されていますが、防獣柵は無いとしても、大幅に遠回りになる上に西尾根の状況から考えてほとんど整備されていないと思われますので、おすすめはいたしかねます。じゃあどうすればいいんだ、となると答えに窮してしまいますが…。役に立たないレポートですがご参考までに。
 

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 不明
遺構 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、竪堀
住所 奈良県御所市鴨神字別所、字上ノ山城