あごじょう

安居城

福井県福井市


旧国名 : 越前

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しんちゃん

足羽七城の一つ。 (2023/12/10 訪問)

安居城は南北朝時代の北朝方の城で足羽七城の一つとされています。あの新田義貞を討ち取ったとされる足利(斯波)高経の重臣・細川出羽守によって築かれたとされ比高20mほどの丘陵に築かれています。戦国期にも使用されていた割には扁平地以外にこれといった遺構は見当たりません。墓地の裏から続く登城道やため池に降っていく道が堀跡に見えなくもないですが詳細は不明です。
墓地の裏から登る道は容赦なく犬にほえられるので、ため池の脇から登って同じ場所に降りてくるほうが面倒が無いと思います。車は南東にある与須奈神社の前に停められるようです。

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朝田 辰兵衛

しりとり回顧。 (2022/10/08 訪問)

北陸新幹線の敦賀延伸により,JR北陸線は3セク化されて,料金が上がると言われております。だったら今のうちに…ということで,拠点性を敦賀に奪われてしまいそうな福井へやってきました。
安居城へは天気が良かったので,JR福井駅前の福井市観光案内所でレンタサイクルを利用して向かいました。路線バスは本数が少ないので片道徒歩になると思います。
しりとりでは,福井の安居(あご)城と富山の安居(やすい)城を,todo94さんが雨の中を攻城してくださいました。本当に感謝です。
なお,今回は富山の安居(やすい)城へは転戦しません。来年の楽しみにしようと思ってます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ14日目:安居城 (2022/08/02 訪問)

小黒丸城からの転戦です。消防機具置場横空スペース(36.073533、136.173015)に駐車しました。
後でわかりましたが駐車禁止場所ですので、池の手前を左に登った先の「かめやま広場」駐車場を利用してください。

築城年代は定かではないようですが、斯波高経の家臣細川出羽守によって築かれたと云われ、足羽七城(小黒丸城、勝虎城、藤島城、波羅蜜城、安居城、江守城、北庄城)の一つとされるようです。
朝倉氏の時代には朝倉経景が城主となり、景隆、景健と続きました。織田信長によって朝倉氏は滅ぼされたが朝倉景健は赦され安居氏を称しました。
しかし、1574年(天正2年)越前に一向一揆が起こるとそれに降り、翌1575年に織田氏によって一揆が鎮圧されると再び織田氏に降ったが、赦されず自刃して滅亡しました。
その後、1575年(天正3年)羽柴秀吉の家臣戸田武蔵守勝成が、10,000石で安居城主となりましたが、1600年(慶長5年)関ヶ原合戦で西軍に属して討死し滅亡しました。

頂上広場まで40分(帰路を考えると70分程度)の表示に、当初予定の20分を大幅にオーバすると思い、登り口で引き返しました。
あとで確認したら安居城跡は頂上広場のかなり手前であることがわかり、登城を断念したことを悔やみました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=三留城に向かいます。

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todo94

昨年のしりとり以来の再訪 (2021/06/05 訪問)

しりとり目的で昨年7月に雨中の攻城を敢行しましたが、デジカメを忘れるという大失態を演じてしまったためのリベンジです。ハードな山城でなかったのが不幸中の幸いでした。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 細川出羽守
築城年 南北朝時代
主な城主 細川氏(斯波氏家臣)、朝倉氏、戸田氏(豊臣氏家臣)、柴田勝定
廃城年 慶長5年(1600)頃
遺構 曲輪、土塁
再建造物 石碑、説明板
住所 福井県福井市金屋町