金ヶ崎城の死地を逃れて越前で勢力を整えた新田義貞が足利方の斯波高経とここで激戦を繰り広げ、ここから藤島城の督戦に赴いた義貞は弓矢に囲まれ落命した。つまり小黒丸城は義貞が最後に攻めたお城ということになるようだ。
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2024/04/12 21:44
2023/12/13 22:28
2023/09/26 20:25
小黒丸城 (2023/08/19 訪問)
【小黒丸城】
<駐車場他>駐車場はなし。城跡碑横に停車しました。
<交通手段>車
<感想>越前ちょこ城巡りの旅3城目。小黒丸城の築城は南北朝時代の1337年、北朝方の越前国の守護斯波高経が南朝方の新田義貞との戦いに敗れ越前国府から落ち延び、新たな拠点としたのが黒丸城(北西約6㎞先に大黒丸城があり合わせて黒丸城とされるが文献では大小の区別はない)とされます。藤島の戦いで新田義貞が戦死したのちも義貞の弟の脇屋義助が黒丸城の攻略を続けて1339年に斯波高経を加賀国に一時撤退させます。しかしその後奪還され1341年頃には斯波高経は越前全土を掌握します。
城跡地は北に九頭竜川、西に日野川、南に足羽川に囲まれて南東側は当時は深田だったようで平城ながら堅固な立地だったようです。現在地表面には遺構はのこされておらず、城跡碑が残るのみです。
<満足度>◆◇◇
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2022/09/06 06:23
2022夏の青春18キップ14日目:小黒丸城 (2022/08/02 訪問)
鷹巣城からの転戦です。石碑横空スペース(36.103707、136.189809)に路駐しました。
築城年代は定かではないようですが、1337年(建武4年・延元2年)頃に北朝方の足利高経(斯波高経)によって築かれたと云われています。
大黒丸城の出城といわれ、足羽七城(小黒丸城、勝虎城、藤島城、波羅蜜城、安居城、江守城、北庄城)の一つとされるようです。
1338年(建武5年・延元3年)藤島の戦いでは、北朝方に寝返った平泉寺衆徒の籠る藤島城の援軍に向かってこの城から発した軍勢が南朝方の大将新田義貞と遭遇し、燈明寺畷で義貞を討っています。
しかし、翌年義貞の弟脇屋義助が再び挙兵して黒丸城を攻めると、足利高経は黒丸城を捨てて加賀へ逃れました。
小黒丸城の石碑が建てられているだけです。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=安居城に向かいます。
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分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 斯波高経 |
築城年 | 南北朝時代 |
主な城主 | 斯波氏 |
遺構 | 消滅 |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 福井県福井市黒丸町(地図は石碑の場所を示す) |