南北朝時代、北朝方の武将斯波高経が拠点とした城です。藤島の戦いでこの城を出た軍勢が新田義貞軍と遭遇し灯明寺畷にて義貞を討ち取ったと伝わっています。遺構はないと思われますが、石碑と説明板がありました。
えちぜん鉄道三国芦原線新田塚駅より徒歩で30分くらいかかりました。
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2024/05/30 21:45
2024/04/12 21:44
2023/12/13 22:28
2023/09/26 20:25
小黒丸城 (2023/08/19 訪問)
【小黒丸城】
<駐車場他>駐車場はなし。城跡碑横に停車しました。
<交通手段>車
<感想>越前ちょこ城巡りの旅3城目。小黒丸城の築城は南北朝時代の1337年、北朝方の越前国の守護斯波高経が南朝方の新田義貞との戦いに敗れ越前国府から落ち延び、新たな拠点としたのが黒丸城(北西約6㎞先に大黒丸城があり合わせて黒丸城とされるが文献では大小の区別はない)とされます。藤島の戦いで新田義貞が戦死したのちも義貞の弟の脇屋義助が黒丸城の攻略を続けて1339年に斯波高経を加賀国に一時撤退させます。しかしその後奪還され1341年頃には斯波高経は越前全土を掌握します。
城跡地は北に九頭竜川、西に日野川、南に足羽川に囲まれて南東側は当時は深田だったようで平城ながら堅固な立地だったようです。現在地表面には遺構はのこされておらず、城跡碑が残るのみです。
<満足度>◆◇◇
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分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 斯波高経 |
築城年 | 南北朝時代 |
主な城主 | 斯波氏 |
遺構 | 消滅 |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 福井県福井市黒丸町(地図は石碑の場所を示す) |