おうちじょう

越智城

奈良県高市郡

別名 : 越智居城、越智館
旧国名 : 大和

投稿する
道端に生えていたスイカ
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

しんちゃん

越智氏の城 (2024/11/10 訪問)

越智城は越智氏の城で、南北朝時代には南朝方として筒井氏と対立したとのことです。居館跡を囲いこむように城址が展開しているので、まずは尾根に取り付き東の郭を確認します。
そのまま北上していくと浅い堀があり、その先に古墳を利用したらしき郭が続きます。しばらく行くとフェンスが見えてくるのですが‥。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)8日目:越智城 (2024/09/29 訪問)

貝吹山城の登城口入口付近から徒歩15分くらいで、居館跡入口付近(34.464220、135.769534)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、越智氏によって築かれたと云われています。
越智氏の出自は詳らかではありませんが、南北朝時代には大和における南朝方の中心となり、北朝方の筒井氏と対立したようです。

越智城は南に向かって開口した谷間に築かれていました。
南へ向かって開口した谷間に居館を設け、南を除く三方を取り囲んだ尾根を要害としていたそうです。
また東側にある貝吹山城は詰城のようです。

居館があったとされる場所は畑などになっており、遺構なのか、よくわかりません。
雨が降りそうなので、駆け足で見学した為、攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=秋津城を目指す為、掖上駅から電車で下市口駅に向かいました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

越智氏本城 (2023/11/19 訪問)

【越智城】
<駐車場他>越智公民館に駐車できるようですが公民館の所は満車で南側の砂利の広場は公民館の駐車場なのかどうか分からなかったのでゴルフセンター近くの道路脇に駐車。
<交通手段>車

<見所>堀切
<感想>貝吹山城の主郭にある越智城の説明板によると、「蘇我川右岸の東西に細長い谷に向かって開口した小谷地形に築かれた平城です。小谷地形はコ字状の丘陵で囲郭され、南側に設けられた濠で区画されたものとわかります。谷地に設けられた平場は上中下段の3段に削平され居館が設けられていました。‥‥」とあります。この地の支配者越智氏は南北朝時代には大和国有数の豪族となっていますのでこの頃には越智城は本居館城として築城されていたと思われます。西に1㎞ほど行くと貝吹山城がありそこが詰城となっています。
 
 中心の居館跡は現在段々の農耕地になっているのみなので、すぐ見終わります。コ字状(正確には Π 状)の丘陵地を攻めます。登城口はΠの字の南東端<34.464234 135.769940>から山に入ると東の虎口跡がありますので分かります。東側のピークは木が伐採された削平地・鉄塔があります。堀切等の防御遺構はありません。奥に進んで北側には2個目の鉄塔の更に北側に古墳丘陵が、この2個目の鉄塔の横付近に獣柵の扉がありますので入ります。入って左斜め方向に進むとまた獣柵がありますので2回目の柵を左手にして100~150m程進むと堀切部分に柵の扉がありますので入ります。柵入って右手奥の竹林に北の大堀切があり見応えあります。左手に進むと Π 状の西側に進めます。西側には防御遺構が多くあり南北を堀切で仕切った削平地が主郭部分と思われます。主郭南の堀切から南西端の斜面に横堀を添わせて合間に曲輪が設けられているような遺構もありました。なかなか散策楽しめました。

<満足度>◆◆◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

古墳が連なる平山城 (2023/02/26 訪問)

越智谷に向かってのびる尾根の先端に位置し、大和四家に数えられる越智氏が南北朝期に居城として築いた城で、筒井氏との勢力争いの舞台となりましたが、織田信長に屈服した後は大和一国破城令により廃城となりました。

越智公民館の駐車場に駐めさせてもらって登城開始。水路沿いに東に進むと、馬蹄形の尾根の南向きに開けた谷間に南北三段のオヤシキと呼ばれる居館跡が広がっています。現状は畑になっていますが、瓦器や土師器、青磁、宋銭などが発見されているようです。

オヤシキ後背の尾根が城郭部分で、東尾根南麓の土塁の間を抜けて鉄塔管理用の道を登って行くと、東尾根には小さな古墳が連なっていて明瞭な城郭遺構はほとんど見られません。かろうじて北東端の東麓を見下ろす位置に古墳を土塁や櫓台に見立てたような曲輪があったくらいでしょうか。東尾根を北側に下りると西側に防獣柵の入口があり、ここが北東側の登城口です。

防獣柵の中に入って尾根北麓を西に進むと、北からのびる尾根を遮断する巨大な堀切に行き当たります。竹につかまりながら北尾根によじ登ると、東尾根と違って古墳は見当たらず、削平された小さな曲輪群が尾根上に続いていました。北尾根の北端も巨大な堀切で断ち切っていて、堀切の西側にはいくつかの広い曲輪がありましたが、防獣柵で進めないので南側の堀切まで引き返して、今度は西尾根へ。

堀切付近から直登すると防獣柵沿いに扉があり、扉を開けて西尾根に進みます。西尾根も小さな古墳が連なっていて、古墳と古墳の間が堀切っぽくも見えますが、西尾根の真ん中あたりには明瞭な堀切があり、オヤシキ側に竪堀となって続いています。堀切の先は古墳を改修した曲輪が続き、南西端には櫓台に見立てた墳丘の三方を横堀で囲んだ曲輪が設けられていました。その南下には二段の帯曲輪があり、西側に堀切(堀底道)となって続いています。

…と、これで越智城をひとめぐり。未整備な上に古墳がそのまま遺るなど城郭としてもあまり加工されていませんが、それでも堀切や竪堀は見応えがありました。ただ、ほぼ全域に防獣柵が張り巡らされているため、登城ルートは限定されますのでご注意を。くれぐれも、来た道を戻るのが面倒だからと竪堀を下ってオヤシキへ抜けようとするも、防獣柵に阻まれてまた竪堀を登る羽目になったりすることのないように。…そんなヤツは私だけかもしれませんが(笑)
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 越智氏
築城年 南北朝時代
主な城主 越智氏
遺構 曲輪、土塁、堀切
住所 奈良県高市郡高取町越智オヤシキ