かにえじょう

蟹江城

愛知県海部郡


旧国名 : 尾張

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)2日目:蟹江城 (2024/09/23 訪問)

近鉄蟹江駅より徒歩15分くらいで、蟹江城址公園石碑/説明板前(35.136442、136.790258)に着き、その後、本丸井戸跡前(35.136416、136.789899)に向かいました。

蟹江城は永享年間(1429年 - 1440年)に北条時任(ときとう)が城塞を築いたのがはじめと言われ、戦国時代には、本丸、二の丸、三の丸の三郭があり、大野、下市場、前田の三つの支城があったそうです。
蟹江城は滝川一益の居城として知られていおり、織田信長の北伊勢進攻、長島一向一揆鎮圧の拠点となりました。
「賤ヶ岳の戦い」では一益は羽柴秀吉に敗れたため、この城を追われます。
翌年の「小牧・長久手の戦い」における蟹江城合戦(蟹江合戦)では、秀吉方となった一益が蟹江城の奪還に成功しましたが、徳川家康・織田信雄の大軍に包囲され、篭城戦の末、半月後に落城しました。
さらに翌年の1585年(天正13年)に起きた天正地震により城は壊滅しています。

現在は住宅地に城址の石碑と本丸井戸跡が残るのみです。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=大野城には、ここから徒歩で向かいました。

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todo94

青春18きっぷ・猛暑下の城めぐり① (2024/07/27 訪問)

一番の目的は名古屋駅近くのイオンモールにあるフォレスト献血ルームでの献血でした。体温越えの猛暑ですので無理して城めぐりをすることもなかったのでしょうが、蟹江駅から徒歩にてアプローチしてしまいました。蟹江駅の改札前にA41枚のリーフレットがあり、ありがたく戴いてきました。あまりの高温に買ったばかりのミラーレス一眼レフの動作に異変が生じていましたが、無事に撮影出来ていてほっとしています。小城小次郎さんが「奇跡的に」と表現されている井戸、本当にその通りだと思います。車が通れないような細い道とはいえ、路上にでんと井戸が鎮座しているのですから。撤去されなかったのはまさに奇跡と思えます。公園の一角に建てられている「伝えよう!蟹江城址 子々孫々」の一句にも好感が持てました。

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しんちゃん

蟹江城合戦 (2024/03/10 訪問)

蟹江城合戦は天正12年(1584)の小牧・長久手の合戦に連なる豊臣方と徳川方の戦いです。織田信雄の重臣で蟹江城主・佐久間信栄(正勝)に留守を任された前田与十郎(長定)は豊臣方の武将・滝川一益に内応します。やがて蟹江城には大野城攻略に失敗した滝川一益も籠りますが、徳川家康・織田信雄の大軍に包囲されてしまいます。半月の籠城戦の末、与十郎は勝ち目が無いと見た一益によって和睦のために殺されたとも、徳川方の追っ手によって殺されたとも伝わり、いずれにしろ事の発端となった人物は粛清されてしまったようです。
合戦が長引けば清洲城の家康と豊臣秀吉の大軍が再度激突する可能性が有りましたが、事態に早急に対処できたことで、秀吉方の攻勢に待ったをかけることに成功し、家康公にとっては重要な合戦になったようです。
現在は住宅地の中に本丸井戸の跡が残り、城址碑が立っています。

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きよまさ

蟹江合戦 (2023/12/14 訪問)

蟹江城跡に行ってきました。
近くの蟹江町歴史民俗資料館では、小牧・長久手の戦いにおける蟹江合戦を取り上げた展覧会が開催されていた。12月17日まで。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 北条時任
築城年 永享年間(1429〜1441)
主な城主 北条氏、滝川氏、佐久間氏
廃城年 天正12年(1584)
遺構 井戸
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県海部郡蟹江町蟹江本町城
問い合わせ先 蟹江町歴史民俗資料館
問い合わせ先電話番号 0567-95-3812