日帰りと言いつつ、家を出たのは日が変わる前の夜の11時過ぎ。土曜の勤務を終え、早めに就寝して3時間の睡眠をとってから自宅を出ました。一気に城びと登録の城の中で山形県最北の城を目指しましたが、ガソリンがとても持ちそうになかったので鶴岡市内で給油。ということでこの日の最初の攻城は尾浦城となりました。いくつもの郭があって一通り巡ってみましたが、本丸三吉神社後背の土塁とその後ろの空堀が一番の見どころになるのかと思います。天気が良ければ鶴岡市の眺望も楽しめるでしょう。
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2024/11/02 07:59
日帰り羽越ドライブでの攻城① (2024/10/20 訪問)
日帰りと言いつつ、家を出たのは日が変わる前の夜の11時過ぎ。土曜の勤務を終え、早めに就寝して3時間の睡眠をとってから自宅を出ました。一気に城びと登録の城の中で山形県最北の城を目指しましたが、ガソリンがとても持ちそうになかったので鶴岡市内で給油。ということでこの日の最初の攻城は尾浦城となりました。いくつもの郭があって一通り巡ってみましたが、本丸三吉神社後背の土塁とその後ろの空堀が一番の見どころになるのかと思います。天気が良ければ鶴岡市の眺望も楽しめるでしょう。
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2023/12/17 11:54
桜の名所・大山公園として整備。 (2021/05/03 訪問)
尾浦城は標高50m(比高30m)の大平山・金剛山・鳥打山などが連なる丘陵上に築かれています。天文元年(1532)武藤氏によって築かれたとされ、大山公園として整備されています。主郭には三吉神社、二の丸には古峯神社、西の郭には東屋や石碑が立っています。お手軽なハイキングコースにもなっていて私は西郭から二の丸→本丸と散策しています。各郭に山の名前が付いていますが城下大系には大平山の先端部の丘陵と記されており、それほど苦労することはありません。
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2022/10/24 20:35
2020/10/14 19:35
森林浴。 (2020/09/21 訪問)
順番が飛びましたが、「鶴ヶ岡城」の後に「尾浦城」に行きました。
大宝寺氏(武藤氏)が、まさに「鶴ヶ岡城」から「尾浦城」に引っ越ししました。
当時は「鶴ヶ岡城」=「大宝寺城」です。
移動理由を調べてみると「大宝寺城」が焼失説。砂越氏の攻撃から逃れた説がありました。
砂越氏との戦で焼失がしっくりです。想像ですが、、、。
「大宝寺城」に比べ「尾浦城」は低いけど、山城。安心です。
その後、大宝寺氏は家臣が最上氏と内通し自害に追い込まれました。
秀吉さんの時代には上杉氏が治めました。
北の関ヶ原合戦と言われる慶長出羽合戦で、またまた最上氏のお城になりました。
この頃「大山城」と改名したそうです。
午前中の早い時間に行きました。
「尾浦城」、大山公園に駐車場があります。
その横に「尾浦の館」があり、大宝寺氏関連の資料館かと思ったら、大山祭の展示館なんだそうです。
この日は開いてませんでした。
写真③から歩いて登城しましたが、上まで車で行った方のサイトがあったので、入口が他にも あるようです。
遺構は、見ようによっては、、、です。
まだまだ、勉強不足です。
下りてきたら「最上川さくら回廊」の標柱がありました。将来、みんなを楽しませてくれる、小さな桜の木が並んでます。
んんっ?空堀っぽい。
またしても、予習してない事を後悔です。
大山公園は「森林浴の森100選」に選ばれているそうです。スタンプはありません(笑)
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分類・構造 | 山城 |
---|---|
築城主 | 武藤氏 |
築城年 | 天文年間(1532〜1555) |
主な城主 | 武藤氏 |
廃城年 | 元和8年(1622) |
遺構 | 曲輪、堀 |
再建造物 | 石碑 |
住所 | 山形県鶴岡市大山城山 |
問い合わせ先 | 鶴岡市観光連盟 |
問い合わせ先電話番号 | 0235-25-2111 |