天正15年(1587)徳川家康が伊奈忠次に命じ鷹狩用宿泊施設と作らせた中泉御殿が始まり。ここに隣接するように江戸初期に中泉陣屋が置かれたらしい。西に表門を構え外回りの延長が約571m。遠江三河にわたる天領の支配は幕末には7万6千石余りに及ぶ。49代の代官が就任した。
現在は御殿遺跡公園となり、案内板があるくらいで遺構は無い。そこには、かつてここに遠江国府があったことを記している。「御陣屋跡 軍兵稲荷道」の道標が残る。小さな家康らしい石像があった。
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2023/12/16 18:16
モニュメントとして駅南市街地の公園に
天正15年(1587)徳川家康が伊奈忠次に命じ鷹狩用宿泊施設と作らせた中泉御殿が始まり。ここに隣接するように江戸初期に中泉陣屋が置かれたらしい。西に表門を構え外回りの延長が約571m。遠江三河にわたる天領の支配は幕末には7万6千石余りに及ぶ。49代の代官が就任した。
現在は御殿遺跡公園となり、案内板があるくらいで遺構は無い。そこには、かつてここに遠江国府があったことを記している。「御陣屋跡 軍兵稲荷道」の道標が残る。小さな家康らしい石像があった。
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2023/04/02 00:18
御殿遺跡公園 (2023/02/24 訪問)
浜松から久野城に向かう途中、今行かないと“いつかまた”はないような気がしたので、途中下車して寄りました。
電車の都合により陣屋跡のみの訪問です。
奈良時代の遠江国府跡と近くに家康御殿跡という説明を読んで、東京の府中御殿(城びと未登録)を思い出しました。
府中御殿も家康(と秀忠と家光)の鷹狩り御殿で、武蔵国府跡の遺跡と重なり、国分寺から南の延長線上にあります。
些細なことでも何かがつながる瞬間というのはうれしいものです。
あと、イケメン猫ちゃんがいて思わず写真を撮ったのですが、飼い猫かもしれず、そうすると肖像権の問題が出てくるかもしれないのでここでのお披露目は自粛します。
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2022/03/03 06:41
2022/02/06 22:22
陣屋と御殿 (2022/02/06 訪問)
奈良時代より遠江国の国府置かれていた場所ですが、徳川家康がこの地を支配していた頃、鷹狩の際に使う施設として、または移動時の拠点として御殿を建てたと言われています。家康の関東移封後、この地を支配した堀尾吉晴により陣屋が御殿に隣接する場所に築かれています。江戸時代は直轄領となり代官所となりました。磐田駅南口に「御殿遺跡公園」として整備されていて陣屋の石碑と案内板もあります。
市内にはそれぞれの門が移築され残っています。全部回ったことがなかったので、今回行って来ました。
中泉御殿の移築門
表門 西光寺
裏門 西願寺(門扉が新しくなっていますね)
中泉陣屋の移築門
表門 市内の個人宅
裏門 中泉寺
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分類・構造 | 陣屋 |
---|---|
天守構造 | なし |
築城主 | 伊奈忠次 |
築城年 | 天正18年(1590) |
主な城主 | 伊奈氏 |
廃城年 | 慶応4年(1868) |
遺構 | 曲輪、移築門(磐田市新島312(個人宅)・西光寺・西願寺) |
再建造物 | 石碑(御陣屋跡 軍兵稲荷道)、説明板 |
住所 | 静岡県磐田市中泉字御殿 |