(26人目)井伊直政の続き④です。
家康が浜松時代に鷹狩りの休憩地として建てた中泉御殿を訪れました。
JR磐田駅から南に徒歩3分の所にあり、御殿の跡地は現在は公園とコンビニになっています(写真①)。また駅から北へ徒歩10分の所にある西願寺にある門は、御殿の裏門が移築されたものだと伝わっています(写真②③)。
浜松時代に家康は鷹狩りを大変好んでいました。磐田駅の南側一帯は現在は住宅地ですが(写真④)、当時ここは池や沼が多く、そのため鳥や動物が多く生息していたようで、家康はこの地を好み、数十回もここで鷹狩りを楽しんだと言われています。そしてその休憩地として中泉御殿を建て、ここを狩りの拠点としていたようです。
1575年、14才になった虎松(直政)は、鷹狩りの最中に目通りがかない、家康と出会ったと伝えられています。しかしその場所がどこだったのか調べましたが、明確な場所はわかりませんでした。ならば私は、この周辺で出会った確率がいちばん高いのではないかと思い訪れました(これはあくまで私の推測なので間違っていたらすいません)。
家康は井伊直親が自分と通じていたため今川氏真から殺された事を憶えていました。井伊家は正室の瀬名の母方の家でもあり、その血筋の直親の子が生きていた事に驚き、虎松を見た瞬間、「直親の実子であれば召し抱えぬわけにはいくまい」と語ったそうです。そして虎松は300石で家康の小姓として召し抱えられ、念願の井伊家再興を果たすことができたのでした。
私は磐田駅からこの鷹狩り地の一帯を眺めながら考えてみました(写真④)。家康には初めて見た虎松がどのように映ったのでしょうか? きっと何か感じるものがあったのではないでしょうか? そしてこれを何より一番喜んだのは、念願の井伊家再興を夢見ていた、叔母であり養母でもあった直虎である事は言うまでもありません。
次は、直政の出世の始まり(浜松城)を訪れます。
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