【埴原城】
<駐車場他>蓮華寺前に駐車場あり。
<交通手段>車
<見所>曲輪群・石垣・堀切・畝状竪堀群・武者走り
<感想>2泊3日松本・佐久・吾妻の山城攻めの旅初日1城目。現地説明板によると、埴原城の築城年・廃城年は定かではありませんが信濃国守護である小笠原氏の家臣埴原氏によって築城されたとされます。1550年に武田晴信の進攻によって落城しましたが武田氏滅亡後に小笠原貞慶が奪還し改修した可能性が高い、現在残る遺構はこの時のもののようです。
登城口は蓮華寺の北<36.188000, 138.009114>にあり屋敷跡が残ります。獣柵のゲートを開けて入って登ると主郭から西に伸びる尾根曲輪の真ん中辺の堀切に出ます。私は行きませんでしたが、登城口の屋敷跡を左手の山道に入っていくと西に伸びる尾根曲輪の先端から登れるようです。
城跡は主郭を中心に東側以外の5方向の伸びる尾根上に曲輪群を配し、1つの尾根曲輪群に5~8条の堀切で遮断しています。城跡全体では大小合わせて数十条の堀切があるでしょう。主郭の西南方向に2郭・3郭・構という曲輪が連なっています。主郭の東側に大堀切があり大堀切の東側は山の上方になりますが、かなり見応えのある扇状の畝状竪堀群があります。竪堀群の中に1条、堀底状通路という大切通しがあり圧巻です。
主郭は2局構造になっていて中心に堀切・土塁で仕切っています。東側の主郭は東面の大堀切のための大土塁がありアーチ構造、西側は平坦で南面と西面に見事な石垣が残っています。主郭の南側は2郭3郭から伸びた斜面に並行して武者走りが2・3本通っています。
主郭南の武者走り・登城路の更に南下段、構という曲輪の東下段の削平地にも石垣遺構が見られます。現地にある縄張り図に曲輪になっていないので見落としがちかもしれません。ここもかなり見応えあります。
多くの堀切渡りでかなり体力を消耗しますが、それを忘れる程の見事な見応えある大城郭の城跡、夢中で散策して3時間かかりました。「日本100名城、続日本100名城に負けない名城 第19・20回小笠原氏城跡」に含まれるようですが、この埴原城跡の詳細な記事は無い、私的には埴原城跡は単独個別で百・続百名城に負けていない城跡でお勧めです。
<満足度>◆◆◆
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