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イタさん

出丸・本丸周辺は遺構がよく整備されている (2023/10/27 訪問)

 千葉県のHPに、慶長16年(1611)徳川家康の命で土井利勝が、鹿島城を6年掛け改修し近世佐倉城を完成させる。老中などの要職に就いた大名が多く城主となる。幕末期の老中・堀田正睦(ほったまさよし)もその1人。明治になり政府に接収され、明治6年、兵舎建設のため諸門、建物が払い下げられ取り壊された。引き続き兵舎・軍の病院などが置かれた。昭和39年に城址公園となり、昭和54年病院が城外に移転後、58年に歴史博物館が設置され、周辺も建設に伴う整備として、椎木門北側の馬出しなどが復元された、と記されている。
 本丸と出丸周辺はよく遺構が残り、大手門跡の土塁・堀も一部復元整備されている。角馬出側は佐倉連隊の兵舎等、その後博物館などの建設で遺構は少ない。本丸・一の門、二の丸・二の門、他の空堀の内部は樹木が多く画像では分かりづらい。広大な城址公園のため隅々まで回れず、武家屋敷なども訪問ができなかった。

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カズサン

平田城は愛宕山公園展望台 (2023/10/04 訪問)

 チョット消化不良の荒隈城を終えて、出雲未踏の城探訪3城目、平田城の在る雲州平田愛宕山公園を目指す、宍道湖北の湖岸道路を西進、途中登城した満願寺城前を通り、湖岸道路の景観ドライブを楽しむ、雲州平田は商業、水運が開けた町として昔より伝わっている。

 駐車場:愛宕山公園西側の駐車場、2段あり、初段の入口利用(35°26'25"N 132°40'01"E)台数は十分余裕あり
 参考資料:古城盛衰記さん、余湖図コレクションさん、グーグルマップに依る。

 駐車場から愛宕山公園ミニ動物園を褶曲した道を上へと登り広場、遊戯、忠霊塔、消防神社階段へ、階段下の遊歩道に添って登城、皆に側に東屋、西側に登って行くと東屋、小さな平坦地、ジグザクの登城路を南方向から登り頂上展望台、そこには東屋と平田城の案内板、縄張りも付図、展望台からの眺めは南東に遠くに宍道湖、雲州平田の町が広がってる。
 北の降りると、主郭の切岸、堀切?も確認できる、降り切ると平地に消防神社が鎮座、珍しい神社です。
 神社略縁起によると戦国の世毛利・尼子の戦いの後、愛宕権現(秋葉神社)火災鎮護防火守護の堂宇が建てられていた、昭和9年幾久しく荒廃にさらされていた堂宇を憂いた平田地元民特に消防組が役場、警察署の後援を得て消防組員募金活動を経てこの消防神社を再建した昭和11年とありました。

 ミニ動物園、公園広場には人出もありますが、頂上の主郭城郭へは人影無し、城跡独占状態、遊歩道は草が刈られて特に問題無し、脚力体力に自信の無い私には丁度いい登城でした。
 

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カズサン

消化不良の初登城 (2023/10/04 訪問)

 チョイ寄り松江城を終えて、出雲未踏の城探訪2城目、荒隈城の在る天倫寺を目指す、車を駐めた城山西駐車場からは南西に2,3km程です。
 駐車場:天倫寺北奥の参拝者、墓参者駐車場に一時停車。
 参考資料:城郭放浪記さん、古城盛衰記さん、余湖図コレクションさん、グーグルマップに依る。

 荒隈城東端の城跡は天倫寺境内辺り、天倫寺の参道、境内を見渡すが入り込めそうにない、北の駐車場から北に添った道、団地方向に続いてる道をゆっくり眺めて、ソーラー発電所への導入路へ、フェンス扉が設置されて進入不可、戻り駐車場から墓地方向を眺める、進入を考えるが私有地墓地、寺の私有地などで憚られて断念し眺めるだけ。
 城郭放浪記さんの掲載写真には天倫寺参道階段横に洗合城跡(荒隈城)の案内板が有りましたが、当日は見つける事が出来ませんでした。

 荒隈城は毛利元就が尼子氏攻略の拠点城として築城、尼子十旗の白鹿城と月山富田城の連携を断つために、宍道湖に突出たこの地を選び、水運、兵站の拠点とした模様、尼子が降りその役目を終えて廃城。
 また掘尾公が関ケ原後月山富田城に入る領国経営上、宍道湖畔方向へ新城の築城を検討した際、宍道湖に突出た荒隈城跡再取立てを検討したみたいですが、石高に比して城域が広大との子・忠氏の意見を入れて、現在の亀田山松江城を築城した。
 グーグルマップの航空写真を見れば北からの山稜が南の宍道湖に突出ている、その当時は東西の地は入江と湿田の様で絶好の城郭建設地だった様です。(城郭放浪記さん古城盛衰記さんグーグルマップを参考にしました)

 それにしてもグーグルマップの航空写真は素晴らしいものです、地形がよく読み取れます。史跡マーク辺りはソーラーパネルで埋め尽くされている。
 
 

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シャンシャン

月のおもてなし in 松江城 (2023/10/28 訪問)

松江城の夜間特別イベントに参戦!
夜のお城も趣があっていい雰囲気。ライトアップされた天守閣もかっこいい。
天守閣最上階からの夜景も絶景!
普段公開されていない野原櫓と乾櫓にも入ることができて良かった。
近場にある萬翠荘と道後温泉も路面電車で行けるので、合わせて訪れたい。

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todo94

クイズの答え② (2018/08/19 訪問)

>にのまるさん
お祝いクイズ、ありがとうございます。鉄分濃いめの私に忖度いただいたような出題で恐縮です。標準軌と狭軌が並走しているスポットはそうはありませんものね。仙山線と山形新幹線(奥羽本線)ということで、山形城と回答させていただきます。前回山形城に赴いたのはコロナ前、3度目のスタンプラリーを進めていた2018年8月でした。もう、5年も経ってしまっています。

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にのまる

おめでとうございます🎊

todo94さん、阿波コンプリートおめでとうございます。 
城びと界隈、今年は四国がアツイですね!
私も今年は2度上陸しました。

早速ですが、お祝いクイズです。
朝田辰兵衛さんのクイズが「駅」だったので、四国ではないですが「線路」いきます('◇')ゞ
先月行ってきて、ちょうど投稿しようと思っていたのですが、100名城です。

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イタさん

飯土井城(分城)・千葉県香取郡多古町 (2023/10/28 訪問)

 保存会の方々のHPを参考にさせて戴くと、築城年代など詳細は不明だが、現地には空堀・土塁などの遺構が残り、かつての姿を偲ぶことができます。「窪(多古町・久保)」に居館のあった千葉宗家・千葉胤貞が分城を築いたと伝わり、その後、城郭として改修され戦国期に使われたと思われます、とある。
 道路からは妙見社の参道で、途中で石段になり、上れば左奥に鳥居が見え出す。鳥居下正面は堀跡とも思える。低い石段を上がれば正面に社殿が建つ。鳥居の左右、社殿の右・裏には高い土塁が廻っている。社殿右奥の土塁が一段と高く、物見台跡と言われる。東側には虎口となり堀底に降りる(低いが)が、左右は浅いが堀跡が続く。東に行くと直ぐに畑地が広がる。こちらは東口と標識がある。北に行けば空堀・堀切などの案内があり、遺構としては特に神社裏下の堀切が目立つ。さらに北・東に道が続き、北口と案内のある所から先は畑地になっている。神社裏の堀底を西へ行くと、道は切り岸状の斜面上部を通り、参道石段下に出られる。

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しんちゃん

未知の城。だからこそ熱い。 (2023/10/22 訪問)

塩河城は可児氏の城とされ、村の城ではないか?とも考えられている謎の多い城です。
車は少し北の塩河公園に留めさせていただき、そこから歩いてゲート前の登城口から
入ります。入ると程なく鉄塔の建っている郭があります。そこから先、北尾根の先端
から中ほどまで竪堀や土塁を備えた郭らしき場所があります。そこから尾根を南に
進みます。尾根の高まりが、まるで天然の防塁のようです。この城は境目の城では
ないかと考えつつ山頂を目指します。標高228mの最高所に行く前にまずは北側の
高所を目指します。北の郭は手前に堀切を備え、北側に段々の腰郭らしき物を備えて
いるようです。次は南を目指しますが、途中に不自然な高まりがあります。いかにも
固そうな‥要撃の為の場所かと思いましたが、これは門の跡かもしれません。その
先には石畳が続き、その先に南の郭があります。石積みらしきものも見られ、ここが
この城の主要部になるのかも知れません。門跡(?)や石畳や石積みなど、いつの
遺構か解りませんが戦国期の物であれば、この郭の主は、この城でも特別な人物だった
のではないかと思います。未知の城というものは何が出てくるかわからないので、
いろいろワクワクさせてくれますね。

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朝田 辰兵衛

todo94さん,瞬殺ありがとうございます!

JR今治駅,大正解です!
「なぜここに?」の解説は,3つ目の画像をご覧ください。
これから,伊予攻城の弾みになれれば幸いです。
個人的には,甘崎城の海割れが見てみたいので,ぜひ再チャレンジしてください。モンサンミッシェルの紹介画像のような感じで📷
私もいつかチャレンジしたいと思います。

それでは,にのまるさん,バトンタッチしますので,宜しくお願いします。

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イタさん

中城・千葉県香取郡多古町 (2023/10/28 訪問)

 保存会の方々のHPを参考にさせて戴くと、千田荘(多古)を領していた千葉氏宗家の千葉胤貞の築城との伝承が残るが、詳細は不明らしい。
 見学用駐車場があるように記憶していたが分からず。城跡の少し北にある「竹林山 妙光寺」さんの脇、道路の広くなった場所に駐める。入口の左の細い下る道は堀切のように見える。主郭下に南北に帯郭があり、案内が立っている。主郭虎口は低くなっているが土塁が残る。奥に広がる郭だが、保存会の方々が整備をされているが、奥は藪・蜘蛛の巣が多く断念する。北側下に東西に長い帯郭があり、下草は刈られている。後日分かったため、虎口下の帯郭南端から行けそうな主郭南下の郭の確認をしていない。

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いんげん丸虫

森ケ城 岐阜県高山市 (2023/10/29 訪問)

標高841mの山城です。市史跡。
主郭から3方の尾根に堀切、物見等が
あり、南尾根には大きな2重堀切が
あります。大手筋の北西尾根の下部
にも複雑な土塁地形があります。
街道脇に小さい標柱があり、そこか
ら獣避け柵を外して登城します。

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todo94

クイズの答え (2007/09/23 訪問)

>朝田辰兵衛さん
お祝いクイズありがとうございます。クイズの答えは今治駅ということで。初めてのスタンプラリーの時は四国バースデイきっぷで三日間で四国の100名城、一気にクリアしたのですが、その時は駅から今治城はずいぶん遠いなあと感じたものでした。ウォーキングに目覚めた今ではそんなに遠いと感じていません。

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朝田 辰兵衛

todo94さん,阿波コンプ,おめでとうございます!

todo94さん,阿波コンプリート,おめでとうございます!
四国にはたまに行ってますが,阿波の攻城は名城のみ。
阿波からは出題できるようなレベルではありません。

私からの「コンプおめでとうクイズ」は,とあるJRの駅前に設置されている「猿飛佐助像」。
猿飛佐助は信州にゆかりが深いですが,こんな地に像が建立されてます。
ちょっと離れたところに日本100名城がありますので,その城下ということで,お城のネーミングでもかまいません。
ズバリ瞬殺お願いします。
私の後は,にのまるさんへバトンタッチしますよ~!

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カズサン

掘尾吉晴公像と二の丸下の段(4/4) (2023/10/04 訪問)

 掘尾吉晴公像が大手門馬出の大手口に立てられています、松江城を築城指図してるような構えです良くできています。丁度お昼時大手門駐車場は朝の10時頃とは違い空いていました。
 二の丸下の段に在る観光案内所により資料ゲットし、隣のちどり茶屋で昼食「三段の割子ソバとシジミの味噌汁」を頂く事で出雲名物を頂く事に成ります、シジミの味噌汁が美味かった!。
 トイレを済まし二の丸下の段探訪、広場に成っており良く手入れがされて居る、当日も作業をされて居ました、下の段の天守台側石垣城塁が長くて見事、中ほどに出隅の横矢掛りは備わってる、堀側の石垣は内土塁の構造、北惣門橋から堀川遊覧舟の運航を眺め、新しく出来た松江歴史館を眺めて帰路、北の丸跡、護国神社、城山稲荷神社、稲荷橋を抜けて出城、北の内堀越し塩美縄手、角では小泉八雲の旧宅が目に入る。疲れた足で車を駐めた城山西駐車場へ、約2時間ほどの探訪散策でした、いつ来ても楽しい城探訪でした。
 

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カズサン

二の丸と大手門跡・馬出(3/4) (2023/10/04 訪問)

 本丸北ノ門から入り本丸内、国宝天守閣を十分眺めて二の丸上の段へ、二の丸は建物が復元されて居り、北より太鼓櫓、中櫓、二重南櫓と各建物間には白土塀が設けられて、東より内濠越しに見上げれば素晴らしい景観を見せてくれます。
 二の丸上段の東下に大手門南総門とも呼ばれて、南前に大きな馬出が構えてる。現在大手門跡には礎石が残っており南総門の復元を待っております、何時になるかなぁ~、計画はあるようで往時の資料、写真の発掘を急いでるようです。
 三の丸は現在島根県県庁が建っています。
 
 

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ぴんぴん

明石城に行って来ました。 (2023/10/29 訪問)

巽櫓と坤櫓、そして石垣の美しさに感動しました。

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イオ

北側からの天守群 (2023/10/28 訪問)

(続き)

旧国宝の天守は空襲で焼失し、現在見られる天守群は戦後にRC造で外観復元されたものながら、多くの写真や資料を基に忠実に復元されており、乾櫓や小天守の袋狭間(石落とし)を下から覗き込んだり、台所北東隅部の床が石垣からはみ出ているところを見上げたり(こんなところまで復元されているとは!)、天守曲輪北側の帯曲輪は立入禁止のため、普段は天守群の北側は遠景でしか見られませんが、この日は乾櫓から小天守にかけて直下からの眺めを存分に堪能させてもらいました。

また、天守曲輪の石垣には転用石が多く見られる…と言われてはいるものの、通常公開されているエリアからはあまり見付けられませんが、北側には宝篋印塔などあちこちに転用石が見られました。なぜ北側に集中しているのかはわからないそうですが、もともとは羽柴秀長の城であり大和郡山城と同時期の築城と考えると転用石が多いのも納得です。

天守曲輪北側の帯曲輪をひと通り見て回ると、天守下ノ段に出て水の手郭現地見学会は現地解散となりました。この日は他にも和歌山城周辺をぶらぶらしていますが、その辺はまたいずれ。

なお、この日の水の手郭現地見学会の様子は、和歌山城公式Instagramアカウント(https://www.instagram.com/wakayamajo_official/)で配信されていますので、興味のある方はどうぞ。
 

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赤い城

らんまん (2023/10/21 訪問)

らんまんでメジャーになった植物学者、牧野富太郎の出生地である佐川町。
牧野公園とその背後にかけてが城趾です。
佐川氏は長宗我部氏に攻められ降伏、その後は久武氏に与えられました。
観光駐車場に車を留めて牧野公園へ。
無料で楽しめる公園で春には桜の名所になっているようです。
少し登ったら竪堀があります。
さらに登ると大きな物見岩、ここから佐川町内と街道を見渡せます。
そこから少し登ると主郭方面への登城口が。
獣よけに門が閉められています。
「入城中」の紙を表示し、閂を外して入ります。
内側から閂をして登ることに。
これでは一組しか入れないような・・・。
少し心細さを感じながら登っていきました。
途中に曲輪が並び、堀切も見られます。
詰城には石垣が残っていました。
本丸にも堀切、結構良い感じです。
ここから南の曲輪方面に向かいました。
細い土橋状の尾根道を進むと曲輪の間に広く深い堀切。
ここも見どころです。
西側にも曲輪がありますがそこは断念、下山しました。
牧野公園近くにも観光スポットがあるのですが余裕があれば散策してみたかったです。

todo94さん、阿波コンプおめでとうございます!
四国初心者ですので御指南お願いします!

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todo94

阿波コンプリート (2023/10/28 訪問)

八ツ石城の初投稿、いただきました。祖谷の北方にあたり、ここにも急峻な谷、山腹にへばりついた集落が見られ、祖谷テイストに満ちた地でした。カーナビは井内郵便局か井内小学校に設定して井川スキー場腕山に向かう道を進むと八ツ石城への案内表示が現れます。離合困難な林道を延々と進むと駐車場とトイレが完備されていました。駐車場の目の前が主郭なので車があれば攻城は容易です。(駐車場までの運転には神経を使いますが。)南北朝期の山城で脇屋義助の子・義治による築城と伝わるとのこと。巨石が鎮座していて、田尾城よりははるかに眺望が開けています。山頂部には立派な城址碑までありました。

これで城びと登録の阿波の城コンプリートとなりました。正確には土佐泊城は南海病院のゲートまでしか行けておらず攻城したとは言い難いのですが、対岸からの遠望写真は納めましたのでお許しください。木津城もかなりあやしいものですが。

>朝田辰兵衛さんへ 四国コンプはまだまだ遠いです。来年は愛媛の攻城を進めたいとは思っていますが、果たして…。

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すけきよ堂

林道を使わずとも、太江口は楽に登れます。 (2023/10/30 訪問)

太江農業センターが登城用の駐車場として開放されています。
太江口の登城路は、さほど傾斜もなく快適に歩けますが、山の北側の為、泥濘んだ箇所もあるので注意しましょう。
主郭の西の郭群は、急な下り坂なので注意しましょう。但し見応え充分です。

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