千葉県のHPに、慶長16年(1611)徳川家康の命で土井利勝が、鹿島城を6年掛け改修し近世佐倉城を完成させる。老中などの要職に就いた大名が多く城主となる。幕末期の老中・堀田正睦(ほったまさよし)もその1人。明治になり政府に接収され、明治6年、兵舎建設のため諸門、建物が払い下げられ取り壊された。引き続き兵舎・軍の病院などが置かれた。昭和39年に城址公園となり、昭和54年病院が城外に移転後、58年に歴史博物館が設置され、周辺も建設に伴う整備として、椎木門北側の馬出しなどが復元された、と記されている。
本丸と出丸周辺はよく遺構が残り、大手門跡の土塁・堀も一部復元整備されている。角馬出側は佐倉連隊の兵舎等、その後博物館などの建設で遺構は少ない。本丸・一の門、二の丸・二の門、他の空堀の内部は樹木が多く画像では分かりづらい。広大な城址公園のため隅々まで回れず、武家屋敷なども訪問ができなかった。
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