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チェブ

DTE48の弟グループ、YGI21。 (2024/05/04 訪問)

細い道を鋭角に曲がり、ゆるゆる登った所に『平沢地区公民館』があります。
「平沢城」の本丸跡です。
1段高くなっている所に石碑があります。
「勝岡城」。
また、間違えたかと思いました。

説明板があり、「平沢城」は年代や誰が築城したのかは不明なんだそうです。
江戸時代に入ると、伊達家の家臣 高野氏の居館になりました。説明板には「平沢要害」。
「平沢要害」は伊達四十八館の1つです。
一国一城令があり、お城、21の要害、残りを所、在所と分類。
世が世なら お城だったのでしょうが『要害』グループに所属です。
公民館の1段下には広いグラウンドがあります。郭にも見えてきます。

最近『ナガミヒナゲシ』という名の可愛らしい花を駆除しました。東京都のいろんな自治体で駆除を推奨しています。
このお花、外来種で他の植物の育成を阻害し、触るとカブれます。
そして「平沢城」にも咲いてました。

かつて街道監視をしていた場所は、在来種で彩ってもらいたい「平沢城」攻めでした。

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小城小次郎

絶望的に楽しい堀切底の横断ルート (2023/11/23 訪問)

毛利氏と古くから姻戚関係にあったことが知られる三田氏のお城で尾根を断ち切る長大な多重堀と石段・高石垣を伴う主郭周辺の技巧が見どころ。主郭部に向かうには堀切底を横断するしかないがこれがなかなか絶望的に楽しい(笑)。

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カズサン

大光寺コミュニティセンターに案内板と碑が有ります (2024/05/20 訪問)

 田舎館城を終えて南に約5km程の大光寺城跡を目指し初登城しました。

 駐車場:大光寺コミュニティセンター内の駐車場
 参考資料:余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。

 大光寺コミュニティセンターの入口に案内板が設置されて、入口の東道沿いに石碑「大光寺城阯」が立っている、南側の道は堀跡のようで東へ下がっており、コミュニティセンター辺りが本郭だった様子、遺構的なものはなさそうです。
 案内板によると弘前城の北門(亀甲門)は大光寺城の追手門を移築した事が記載されています。

 

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カズサン

役場は城郭風建物近くに残存土塁 (2024/05/20 訪問)

 浪岡城を終えて南下し城郭風建物で有名な田舎舘村役場を目指す、途中の道中では岩木山の頂上は雲で隠れていますが裾野稜線の存在感が目に迫って来ます。

 駐車場:田舎舘村役場駐車場を利用。
 参考資料:余湖図コレクション城郭放浪記さんグーグルマップに依る。

 役場の城郭建物を撮影して、役場から東へ100~200m程の所に余湖図コレクションによると本郭北土塁アヤコが残存していますので訪ねる、(グーグルマップには史跡マークで田舎館城跡と記載されています。)  民家の北東に残存土塁と案内解説板、「田舎館城址・サイカチ大樹」の標柱、サイカチ大樹が佇み、田舎館城400年祭記念碑と裏に田舎舘城主千徳政武と妻於市の墓碑が立っています、土塁に立つと周りが堀で囲まれ堀底水田まで結構の高低差が有り本郭北側の実感がわきます。又城郭風建物が良く観えて現在田起こし中、水張中で田圃に張った水に城郭風建物役場が写って絵に成ります。

 案内解説板に依りますと、城主は千徳氏、三戸南部宗家の直臣で五代政武まで続き、天正13年(1585年)津軽統一を目指す津軽為信に攻められ壮絶な籠城戦で300余名の討ち死にて滅亡した。
 傍にはサイカチ大樹が討死300余名の埋葬した時の埋葬樹としてたたずんでいる。

 以前から城郭風の建物で有名な田舎館村役場を訪ねたいと思っておりましたので今回の企画に入れて思いを叶う事が出来ました。
 又ここは田圃アートで有名な所でTVニュースなどで時期に成ると取り上げられています。
 

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todo94

福井の城めぐり⑤ (2024/05/11 訪問)

この日は敦賀のホテルに泊をとったので、若狭の城めぐりの締めは疋壇城としました。廃校跡が駐車場として利用できます。しかしこちら側からはネットが張られていて主郭に入ることができません。なかなかの規模を持つ空堀の外を回り込んで北側から主郭にとりついてみました。

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まさお

川越城 富士見櫓跡・喜多院・東屋 (2024/05/31 訪問)

会社時代の元同僚と、川越東屋(喜多院と成田山に隣接)での昼食を取った後
喜多院(仙波東照宮・家光誕生の間・五百羅漢)を観覧し、南大手門跡を通り
補修工事が終了した川越城富士見櫓跡に行きました。
元同僚は川越市のボランティアガイドをやっているそうで、色々なおもしろい解説を
聞きながら散策する一日になりました。

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しんちゃん

柿田川公園 (2024/01/25 訪問)

泉頭城の主要部は現在は柿田川公園になっています。主要部は泉の館や駐車場になっていて、船着曲輪の周辺や貴船神社、湧水の見える展望台などを経て、橋を堀切で横切りながら駐車場に戻ってきます。堀切などの遺構は少ないですが雰囲気を感じ取ることは出来ます。
駐車場付近では湧水を汲める場所があり、そこで携行のペットボトルに水を補充しました。特に加熱しなくても体調に問題は有りませんでしたよ。

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しんちゃん

幻の鯖江城建設予定地 西山公園 (2016/08/14 訪問)

少し古い写真で申し訳ない。鯖江藩初代・間部詮言は無城格の大名でしたが、7代・間部詮勝は幕政で重きを成し大阪城代、京都所司代、老中を歴任します。老中就任中に築城の許可が出ますが、水野忠邦との対立が影響したのか実現には至っていません。
建設予定地は御達山(長泉寺山)と呼ばれる丘陵で現在は西山公園として整備されています。
国道417号線が県道229号線と交差する北側、別名つつじ通り(国道417)を堀代わりに東西に公園(曲輪)が配され間を鉄橋で行き来します。北西の展望所に天守が築かれる予定だったらしく、全体に城郭の雰囲気を残しています。公園東側には藤棚を備えた庭園が整備され、大名の城郭庭園に通じる趣と格式を備えています。陣屋跡は未訪問なので「いった」はおあずけにしておきますが、別名:鯖江城の由来はこの西山公園にあるのではないでしょうか。地元の方も残念だったらしく公民館に天守の模型があったりしますが(記憶)、ここに模擬天守が無いのは西山公園を市民のために解放した間部詮勝公に敬意を表してのことかもしれません。「嚮陽渓」とは詮勝公が安政3年(1856)に命名した名称ですが「日本の歴史公園100選」に選ばれる重要なファクターにもなっています。

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ごんぎつね

連続する曲輪と堀切 (2023/11/03 訪問)

登山口が厳重な感じで物々しい雰囲気。
熊でもいるのかとビクビクしながら、入山。

登山道の所々にイノシシが餌を探した跡があったので、
農作物への被害対策だったようです。。

約1時間ほど歩くと、「大堀切」が!
これはお見事!

その先の本丸に行くまではいくつもの曲輪群および虎口と思われる場所に
石垣がありました。
本丸のさらに奥にはくっきりと確認できる「堀切」が奥の奥まで
いくつもあるように見えました。
なかなかの勾配であったため、先に進むのは断念しましたが、
もっと奥に行けば畝状竪堀群があったようで見たかったです。



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しんちゃん

川島 (2012/12/11 訪問)

屋島の写真といっしょに川島城の写真も出てきました。阿波九城の一つで川島惟忠によって築かれたとされています。現在は川島公園として整備されていて二の丸跡に模擬天守が立っています。正直、このような天守があったかどうか不明なのですが、天守からの眺望は良く、案外周囲との景観ともマッチしているようです。地元の住民のデマンドに応じた結果だと思うので、あまり深く考えず素直に楽しませていただきました。

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しんちゃん

屋島 (2013/12/11 訪問)

屋島城は屋島に築かれた古代山城で、屋島は江戸時代までは独立した島だったようです。四国遍路84番札所の屋島寺は屋島城跡に築かれています。11年前、初めて屋島を訪問した際、山中を徘徊していた時に整備中の屋島城の石垣と遭遇し、写真をいくつか撮って、そそくさ退散しました。すでに整備も終了し、一般に公開されているので改めてじっくりと訪問したいと思います。

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小城小次郎

一文字に三ツ星 (2023/11/11 訪問)

都心部とは思えない本格山城だが公園内をさらっと眺めるだけでは凄いところをまるで見ないで終わるので隅々まで見て欲しい。大江氏一族の長井氏にまつわるとされ、城内の住吉神社には意味ありげな家紋が光っている。

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しんちゃん

柿田川公園 (2024/01/25 訪問)

泉頭城は現在は柿田川公園として整備されています。「駿河記」には「弘治年間築之、小田原北条の臣・多目周防守荒川清兵衛守衛たり」と記載があったとされ戸倉城・獅子浜城らと並んで北条氏の出城であったようです。
「余呉くんのお城のホームページ」さんの縄張りを参考にすると、駐車場のあたりが本丸。南の周遊路付近が船付曲輪。西の芝生公園(広場)が西曲輪で貴船神社は西曲輪の出丸の位地にあります。柿田川を天然の守りとし、湧水のあるあたりが出丸になるようです。
公園の東側にも曲輪が複数あったようですが、市街地になっているようです。

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ぴーかる

宇喜多直家飛躍の城 (2024/04/13 訪問)

【沼城】
<駐車場他>駐車場はなさそう。新幹線の高架下<34.707266,134.035401>に停めました。
<交通手段>車

<感想>日帰り今シーズン山城攻めラスト旅1城目。現地説明板によると亀山城(別名沼城)の築城は戦国時代に浦上宗景配下の中山信正(勝政)によって築城されました。1559年に宇喜多直家が浦上宗景よりこの城を賜り、1573年に岡山城に移るまでの14年間、宇喜多直家の壮年時代活躍の拠点となった城跡です。宇喜多秀家もこの城で生誕したそうです。1601年小早川秀秋が岡山城主となり廃城となったそうです。
 この城は丘城で登城口は城跡南側からの階段の真っすぐ登ればすぐ主郭跡に着きます。主郭の周囲を帯曲輪で取り巻いていて所々に腰曲輪があります。北西側の麓の民家の所が大きく掘りこんでいて、大手虎口のような感じも受けました。主郭は2段構造になっていて上下段それぞれ建物があったような感じを受けました。東方向に下って二の丸跡の削平地は現在はすべて畑になっています。西方向の平地にある西の丸跡には高土塁跡が見られます。

<満足度>◆◇◇

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しんちゃん

北条氏と今川氏の争奪戦。 (2024/01/25 訪問)

長久保城は築城時期については定かではありませんが、戦国期には執拗に駿河に侵攻してくる北条氏に対する、今川氏の防衛拠点だったようです。天文14年(1545)には北条氏の城となっており北条氏綱の弟・葛山三郎長綱(北条幻庵)が始めに入り、清水太郎左衛門尉康秀が城将の時に今川義元の攻撃を受けたようです。9月24日に武田・北条・今川の間で和睦が成立し、義元が駿河・富士二郡を支配下に置くことが決定し、今川氏の城番が入ったようです。
城山神社は周囲に対して小高くなっており平山城や丘城としての雰囲気を持っています。周囲に土塁が良好に残り、かつては八幡曲輪・南郭として機能していたようです。東のトイザらスあたりが、かつての本丸のようですが当然のように何の遺構も残っていません。

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ばばよ

5月末なら蚊に刺されない (2024/05/24 訪問)

訪問した日は30℃近く、本郭まで着いたときには汗びっしょりでした。
山に入ってからの距離はそれほど長くないですが、勾配がかなり急で足に応えました。
5月末なので虫が心配されましたが、蚊には刺されませんでした。
足元にカナヘビが多く、目の前に小さな虫が飛んで鬱陶しかったですが、クモの巣に悩まされることもありませんでした。
しかし少し草が多く、石垣の全貌を見るにはもう少し早い時期の方が良さそうです。
また、少し崩落の危険があるため金網が張られている場所もありました。
この城のページのトップにある石垣がどこか、見つけられませんでした。

しかしこんな山上に石垣を築くとは、当時はまだ常識ではなかった技術でしたし、さぞ大変でしたでしょう。

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「安心してください、ついてますよ!」

現在、商品化プロジェクト実施中の「日本100名城かるた」。
「いざかるた取りしてみても、取った札が正解かどうかわからない…」
当然の不安ですね、でも…

安心してください、ついてますよ!

絵札読み札の対照表!
しかも読み札のフリガナつき!

商品化プロジェクトも残り5日。
ご協力のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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カズサン

二度目のチョイ寄り岩木山見えず (2024/05/20 訪問)

 高屋敷館遺跡を終えて2、3km程南と近いので平成28年10月初登城以来8年振りで寄らなくてはと、するっと二度目の探訪を致しました。

 駐車場:浪岡城跡案内所駐車場を利用、月曜日休館日で案内所入館できずトイレも休館日使用できず。
 参考資料:グーグルマップに依る。

 案内所より探訪開始、前回も今回も案内所休館日に当たり案内資料など閲覧できずパンフレットも入手できずでした、猿楽館南下より東館に登り、東館より木橋、帯曲輪を通って北館東の虎口より北館を一巡、半柱の屋敷跡地表表示、板塀囲い屋敷跡表示、北館からは岩木山が見えるのですが、本日は朝は良かったのですが昼は雲に隠れて裾野だけが見えるだけ、残念!、帯曲輪を通て西館虎口と木橋、内館西虎口と木橋、北館西虎口を登って、浪岡城のメインの写真に成っている北館北木橋を眺めて来た道を戻る。
 
 前回は10月今回は5月で桜の時期では有りませんので桜の時期に晴天の岩木山を浪岡城で眺めたいものです。
 
 

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カズサン

平安時代環壕集落遺跡 (2024/05/20 訪問)

 縄文世界遺産三内丸山遺跡を終えて高屋敷館を初登城しました、高屋敷館は平成28年10月に浪岡城を訪ねた折り、浪岡ICより国道7号線バイパスを南下中に国道脇の遺跡標柱を見ながら通過した記憶の有る遺跡城跡です。

 駐車場:高屋敷館遺跡南に広い専用駐車場。トイレ無。
 参考資料:城郭放浪記さん余湖図コレクショングーグルマップに依る。

 駐車場から北へ、国指定史跡高屋敷館遺跡名の石柱と大看板柱が並んで立っている、進んでいくと復元整備された壕、土塁が南側に、西側より食違土塁が西虎口か?虎口前に高屋敷館遺跡の解説板、木橋の左右内側に壕が廻っている、土塁が外側、壕が内側に廻ってる構造です、木橋を渡り内部へ、西虎口内側北に木製の柵列が一部復元、内部は竪穴建物跡、工房跡などが多く地表平面表示されている。
 東側には大釈迦川が流れて外濠の役目、大釈迦川の河岸段丘に位置する構造で裏虎口、裏出入口が東側に有る。西は国道7号線バイパスで区切られている。
 解説板によると大きさは南北約500m、東西約90m、平安時代の環壕集落遺跡との事。平成13年に国指定史跡に認定。

 国道7号線浪岡バイパス工事前の発掘調査(平成6年~7年)で発見されてバイパスルートを西に振り遺跡の保存整備がされたようで大変ありがたい事です。
 浪岡城を優先しスルーして8年振りの登城となった次第です。
 

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todo94

若狭の城めぐり④ (2024/05/11 訪問)

新保山城からの転戦です。有料の赤礁崎オートキャンプ場の中にありますが、見学者用の無料駐車場が遠く離れた南方にありますので、遊歩道をたどってアクセスすれば問題なく見学することができます。大砲も設置されていてきれいな公園として整備されていますが、見ごたえのある土塁や1号台場の排水溝など、さすが国史跡に指定されるだけのことはあると感じさせられる台場でした。同じく国史跡に指定されている鋸崎台場は大飯原発の奥に所在しますのでアクセス不可能です。国史跡に指定されていますので、城びとの登録物件になっているのは当然かもしれませんが、福井県の登録物件コンプリートが不可能というのはかなり残念なことです。

ぴーかるさん 返信ありがとうございました。実は先週、鵞足炎を患ってしまい、階段上りの際に右膝に痛みが走ります。幸い今は山城オフシーズンなのですが、秋までに治るかどうか。原因はオーバーワークとのことなので日ごろの酷使を反省しています。

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