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侍ホリタン

幻の国宝「桜御門」を訪ねて (2022/11/05 訪問)

高松城の桜御門は国宝指定に内定された翌年に空襲で焼け落ちてしまいましたが、77年ぶりの令和4年7月に復元されました。2階内部の公開は令和5年の3月31日まで土日祝限定で行われています。月見櫓は改修工事中でした。

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鎌倉たっちさん

二本松城 (2022/11/04 訪問)

菊人形祭り開催中の二本松城へ。箕輪門は菊で飾られてました。以前から見たいと思っていた本丸下南面大石垣で、穴太積みの石垣は写真で左手の石垣だと理解しました。右手側も斜面が金網で保護した割石で覆われてますが、これも石垣の遺構なのでしょうか?ご存知の方は教えてください。丹羽氏以前の時代の遺構も多いので、それを見つつ本丸まで徒歩で登るのは結構体力使います。二本松駅からアクセスする場合、距離は短いですがタクシー利用がおすすめです。城へたどりつくために久保丁坂を越えますが、これも駅からは結構な登りです。

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小城小次郎

稀有な家柄なのではなかろうか (2022/06/04 訪問)

佐世氏は近江源氏佐々木秀義の子・義清を祖とする出雲佐々木氏の末裔。ぎりぎりまで尼子に属しながら毛利にも重用され、かつ毛利が関ヶ原で領土縮小となる中でも佐世の本領を失わなかったという稀有な家柄でもあるようだ。

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城下町 (2022/11/05 訪問)

 水とたわむれ、風に吹かれてそぞろ歩く郡上八幡の城下町です。水はきれいですね。辻の突き当りには防御のために寺が配置され城下町の風情を残しています。時間があるときにゆっくり散策してみたいものです。今回は時間の都合もあり食事はできなかったのですが、郡上の鮎は全国各地の鮎の味わいを競う「清流めぐり利き鮎会」でグランプリを獲得した、日本一の鮎ということです。
山内一豊の妻千代は郡上八幡城主遠藤盛数の娘という説があります。城山公園には山内夫妻の像がありました。

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奥美濃屈指の紅葉の城 (2022/11/05 訪問)

 日本最古の木造模擬天守として有名な郡上八幡城ですが、司馬遼太郎が「街道をゆく」の中で粉雪が舞う冬の日に訪れて「悲しくなるほどに美しかった」と書いています。模擬天守は好きではありませんが、今では景観とマッチして、それなりの味を出しています。また奥美濃屈指の紅葉の名城ともいわれ、この日も多くの観光客の姿がありました。ただ1~2週間後の方が紅葉はきれいだろうと思います。野面積の石垣は見事で、個人的には天守閣より好きな景観です。
山頂駐車場は堀切であったとのことですが、そこから天守閣と反対方向へ行くと搦手となり、「からめての戦い」の案内板があります。堀切、石垣が一部残っていました。
岸劔神社下にニの郭の案内板がありますが、江戸時代は城山公園付近が本丸であったとのことです。


 長良川鉄道郡上八幡駅から徒歩でも30分くらいで登城口まで行けると思いますが、この日はコミュニティバス「まめバス」で城下町プラザまで行き、そこから山頂駐車場まで無料のシャトルバスを利用しました。帰りは徒歩で郡上八幡駅まで帰ってきました。以前は城下町プラザから徒歩で天守閣へ行ったのですが、15分くらいで行けたと記憶しています。

 2022年11月21日から2023年3月下旬まで11月26日、27日を除いて郡上八幡城耐震補強工事のため城の周囲は立入禁止となるようです。登城を予定されている方はHPを確認してください。

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イシテル

畿内を治めた天下人「三好長慶」の山城 (2022/10/16 訪問)

兵庫県を出て大阪府大東市から四条畷市に連なる飯盛城を登城。
野崎観音から登城口から登り、野外活動センターを経由して飯盛城郭へ入り千畳敷、飯盛山頂(城址)、御体塚跡を経て四条畷神社へ降りる尾根道の標準ルートを歩きました。
途中で大坂城築城の残念石や幾つかの石垣、堀切などの遺構を堪能しながらの山城巡りは流石の続100名城。
四条畷神社へ降りる前の展望場では大阪市内や六甲山まで見渡せる眺望です。

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イシテル

西播磨の山城「尼子山城」 (2022/09/26 訪問)

西播磨山城11のひとつ「尼子山城」
兵庫県赤穂市の千種川沿いにある標高259mの尼子山に築城された山城跡。
尼子晴久が播磨侵攻した際に尼子氏の城となった。毛利と尼子の戦においては毛利がこの尼子山城の苦戦、老婆に抜け道を教えられ、尼子群を背後から不意打ちし、城攻めを成功させたと伝えられている。
山頂の主郭跡に尼子神社があり、その周りに帯曲輪が見られます。帯曲輪を少し下りた所に湧泉池があり、水場となっています。
主郭からは瀬戸内海から淡路島や四国まで見渡せる眺望となっています。
「尼子の大岩」と言われている巨石には圧倒されます。
遺構は多く見られず、登城の途中に縄場の難所もありますが、ここからの絶景は最高です。

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todo94

県内の城めぐり2022㉟ (2022/10/30 訪問)

県境を越えての移動禁止という理不尽な職場の足枷が外されましたが、前日に献血の予約を入れてあったのでこの日も県内の城めぐり。2021年に搦め手からの登城口を見つけたものの雨に濡れた草が生い茂っていて登城を断念した城です。登城口近くは登城路をチカラシバが塞いでいましたが、その先は歩きやすい登城路が伸びています。迷いそうになるスポットに道標が立っているのは非常に良心的だと思います。のろし山にはピクミンブルームのハロウィンきのこがあったので壊しておきました。石の祠が目印です。くっきりとした堀切の先の主郭はそれなりの広さに削平された郭になっていました。主郭の先には帯郭が数段連なっています。

次に向かった稲倉城は主郭にたどり着くことに失敗してしまったので、この城が2022年10月唯一の攻城となってしまいました。

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イシテル

西播磨の山城「鎌倉・南北朝・室町の時代を繋いだ戦国の山城」 (2022/10/10 訪問)

西播磨山城11のひとつ「感状山城」。
感状山の麓にあるキャンプ場「羅漢の里」の駐車場で車を置いて、羅漢石仏へ行く途中にある登城口から入ります。
道は整備が行き届き、登りやすいハイキングコースとなっています。
登ると直ぐに「物見岩」へ到着し、この辺りからが城域となります。
進んで行くと曲輪群に入り、広く数多い曲輪から上に登る組階段があり、そこから階郭式となる主郭へと上がります。
山頂の主郭は総石垣造りとなっており、そこから周辺の山々連なる絶景が見られます。
主郭を過ぎると段下郭群に戻る山道となります。
鎌倉時代に創築され、南北朝時代に入ると新田義貞の侵攻に対しここに立て籠もって防戦したことから足利尊氏から「感状」を与えられ、「感状山城」と呼ばれるようになったとか伝えられる鎌倉・南北朝・室町の時代を繋いだ歴史のある戦国山城。
その造りも連郭式・階郭式と壮大で珍しく、一見の価値がある播磨の山城のひとつです。

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イシテル

西播磨の山城「黒田官兵衛ゆかりの山城」 (2022/10/10 訪問)

「西播磨山城11」のひとつ「篠の丸城」
最上山公園の駐車場へ車を置いて山崎八幡神社でお参りをしてから神社脇の山道を上がると「いこいの広場」へ辿り着き、その上が
篠の丸城の登城口となります。「いこいの広場」近くにも駐車場があり、ここまで車で乗付けられます。
登城口から20分ほど登ると篠の丸城の主郭へ到着。
篠の丸城址は広大な主郭を中心に南北西川へ方形郭が連なり、虎口、堀切、畝状竪堀群、横堀など広大なエリアに多くの遺構あり、見どころ満載。方形郭が連なる郭群は、本城である長水城にも見られない珍しい山城。
秀吉の播磨攻めの後、黒田官兵衛が宍粟を治め、この篠の丸城へ入ったと言われる官兵衛ゆかりの城のひとつです。

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ニコ・ロビン

岩( ・᷄ㅂ・᷅ )村 (2017/09/15 訪問)

日本三大山城( ・᷄ㅂ・᷅ )岩村城
歴史資料館に車を置いて、復元された櫓を見て、
その後ひたすら登る
今となってはただの山道だけど、途中に現れる6段石垣は圧巻の一言
誰か落ちたのか?三角コーンは残念( ・᷄ㅂ・᷅ )、

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ニコ・ロビン

岐( ・᷄ㅂ・᷅ )阜 (2017/09/15 訪問)

稲葉山城( ・᷄ㅂ・᷅ )くー
金華山にそびえる岐阜城
言わずと知れた信長の城
当時の高低差を物語る石垣は健在。
昔はロープウェイなんてなくて、コレを登ったんだよなぁ
なんで城にリス村を作ったかは不明

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ニコ・ロビン

オ( ・᷄ㅂ・᷅ )ダニー (2017/08/10 訪問)

オダニーといえば浅井( ・᷄ㅂ・᷅ )
浅井といえば( ・᷄ㅂ・᷅ )お市
お市といえば( ・᷄ㅂ・᷅ )お江
と言うわけで、やってきました小谷城=͟͟͞͞(( ・᷄ㅂ・᷅ )
でもクタクタで、浅井三代の里で兜見て終わり
しかも武士やられとるし
次回は登ろう

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朝田 辰兵衛

ここが越後にならなかったのは… (2022/10/29 訪問)

ここが越後にならなかったのは,武田晴信軍の攻めに対し,飯森盛春の援軍要請に長尾景虎軍が間に合わず,ほぼ全員が討ち死にし落城したためかぁ…。当時,越後側から姫川渓谷を越え,平倉城に入るのは相当大変だったと思います。現在は5㎞超のトンネルでアクセスしており,雰囲気を感じれませんが…。
この周辺の信越国境は,越後国内を信濃国がえぐっている形になっています。えぐっている中心が平倉城。
標高:823m,比高:300m。黒倉集落を過ぎたところに登城口。平倉神社から下り,沢を渡ってから平倉山を目指します。山頂部は物見として利用されていたと思います。
雨男のハズが,珍しく晴れました。登城途中の標高:600m付近からの眺望は紅葉も見頃を迎えており,登城疲労も心地良いものとなりました。

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にのまる

「どうするMJ」フライング紀行 (2022/10/15 訪問)

籠城中の眺望クイズ以来気になっていた賤機山城からの臨済寺。
今回、賤機山城へは登りませんでしたが、10月15日の臨済寺特別公開に行ってきました。
1年に2日ということで厳粛な空気に包まれているんだろうなと想像していましたが、オープンでウェルカムな雰囲気の中、かなり自由に見学させていただけました。

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侍ホリタン

四国の続100名城を訪ねて(2日目) (2022/11/04 訪問)

駐車場は登城口にあります(風呂ヶ谷駐車場)。パンフレットは駐車場にある案内板隣のポストの中、スタンプは西第十曲輪の建物内にあります。御城印は松丸駅近くの「不器男記念館」内で販売されています。U字状の尾根を利用して幾つもの曲輪が階段状につながっている珍しい構造です。地元の小学生が作成した説明板が随所に設置されていて理解を深める助けになります。

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赤い城

程よい整備された良い城 (2022/10/09 訪問)

住宅地の間の細い道を登ると数台駐めれる駐車場があります。
獣避けの柵があり、これを開けて登ります。
脇にパンフレットと杖も置いてありました。
そんなには登りません。
まずは西側の堀切を目指しました。
まずまずの堀切がありました。
引き返し、主郭に向かいます。
途中、帯曲輪や土塁が残っています。
主郭は円形で南北に虎口がありました。
さらに東側の堀切は二重となり、縦土塁も残っています。
詳細は不明ですが戦国時代に武田氏か織田氏のどちらかによって築かれたとされています。
地元の方によって程よく(これが肝心)整備された城。是非訪れてほしい城です。

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カズサン

内濠に真鯛が飛跳ねてます (2022/10/23 訪問)

 77年振りの木造復元桜御門見学探訪し、艮櫓周り天守台周り月見櫓周りと見学探訪もしました、時間も有って初の内濠遊覧をと考えましたが、予約で後の時間まで埋まってる。
 内濠遊覧、鯛の餌付けをやってる所を内堀の周辺三の丸西側で眺めて居ましたが、餌付け鯛、ちぬ、赤い真鯛が群がって泳いでおり、飛跳ねてる真鯛も、内濠は瀬戸内海とつながって居り海の魚が多く泳いで居ました、海城、海に浮かぶ城と言われる所以でしょう。
 飛跳ねてる真鯛が印象に強く残ったので、高松城投稿5編目で此れで最終です、長らくお付き合い頂き有難うございました。
 高松城探訪ではJR快速マリンライナーを利用しました、児島駅ホームで別れのマリンライナーの先頭部写真も投稿します。
 

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カルビン

電車の時間との戦い (2022/10/23 訪問)

東武線はお城巡りするのには有りがたく、かなり遠方まで走っており助かってます。
そのかわり郊外に行く程に運行本数が少ないの痛いがところ・・・佐野線に至っては一時間1本間隔なので、現地での見学時間と徒歩時間を考えておかないと待ち時間が厳しい事になります。

今回訪問した植野城こと堀田佐野城は最寄り駅の田島駅から2kmちょいあり、一般の人なら片道30分の距離になります。

そんな植野城に1時間で行って見学して戻る工程を決行したのが失敗だったかなぁ・・・高松城で僥倖だったからテンション高くて決行したっていうのもあったんですが。。。

植野城は碑石と解説があるエリアと、道を挟んでとなりに城址公園のエリアがあります。
どちらも遺構は残っていない・・・おそらく城址公園も後世に整備されたものだと思われます。

ものの10分程度で見学を終えて田島駅へ戻る・・・発車時間まで@22分・・・
全盛期だったらなんてこと無い時間だったんですが、道中が国道50号線沿いで空気が悪いのに加えて調子はまだ完全にはほど遠い状態だったので。。。

ギリギリ電車には間に合いましたが、やはり判断力が落ちていたのか・・・
自販機で冷たい無糖のお茶を買おうと思ったのに、あろうことか暑いカレースープを買ってしまうという・・・上下のボタン間違えるなんてなんて日だ!


折角のラッキーデーが台無しになってしまったというオチ(笑)

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イシテル

西播磨の山城「尼子氏再起の夢城」 (2022/10/30 訪問)

「西播磨山城11」の投稿です。
上月城はご存じのように秀吉が播磨攻めの際に立てこもる赤松氏を攻略し落城。
落城後、再起を掛けて羽柴勢に味方していた尼子氏が入るが、毛利勢に囲まれ孤立した。
その援軍として羽柴勢が駆けつけるも離反した三木城攻めに向かったことから見捨てられ、落城。
尼子氏の再起の夢は露と消え去った。
歴史を感じる山城。麓にも尼子勝久の追悼碑など祀られています。
高さも手ごろで、整備されて歩き易い山城ですが曲輪や堀切も多く残る歴史のあるお勧めの山城。

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