柳生宗矩により築かれた陣屋です。公園として整備されています。
近鉄奈良駅よりバスにより柳生バス停下車。バス停より徒歩10分くらいで行くことができます。
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2023/12/28 21:58
2023/12/28 21:50
日光山輪王寺 (2019/11/02 訪問)
日光山輪王寺は日光の社寺として世界遺産に登録されており国の史跡でもあります。本堂の三仏堂は重要文化財に指定されていて徳川家光を祀る大猷院霊廟(国宝)も輪王寺の境内にあります。
日光の社寺の入り口あたりに存在し南に大谷川、東に赤沢、西に田母沢川が流れています。立地条件的に見ると日光の社寺の配置は城郭そのものだと思いませんか?戦国期の社寺はすべからく城塞の構造をしていますが、江戸時代に築かれた東照宮も城塞の雰囲気を色濃く残します。その思いは大猷院までたどり着いた時にさらに強いものになりました。
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2023/12/28 21:50
2023/12/28 21:48
2023/12/28 21:38
2023/12/28 21:36
龍岡城 (2023/11/24 訪問)
【続百名城63城目】
<駐車場他>五稜郭であいの館に6台程度、龍岡城駐車場10台程度
<交通手段>車
<見所>堀・石垣・御台所
<感想>2泊3日松本・佐久・吾妻の山城攻めの旅2日目6城目。まず、五稜郭であいの館にてスタンプ押印、御城印を購入、資料館内部を見学してから登城しました。正面入り口手前から星形の東側の堀に沿って進みました。星形外周は1周出来ないようで南面の雨川で折り返し、次に星形の西側壁面を観察、北側の正面入り口から中へ入ります。内部の小学校は廃校になっていて元校庭内は自由に散策できます。内部も星形に沿って土塁があり初めてみる曲輪の輪郭形状が面白い。現存建造物である御台所も堂々と立派でした。最後に田口城跡(城びと未登録)内にある展望台に登り山上からの撮影をしました。この田口城跡が石垣遺構の残る大規模城郭でかなりの見応えがありましたのでこの投稿の次に別途投稿致します。
<満足度>★☆☆
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2023/12/28 21:23
2023/12/28 20:19
しっかり探訪! (2023/11/03 訪問)
久しぶりの投稿です。(サブ垢での)
中3の修学旅行以来、1年半ぶりに姫路城に行ってきました。やっぱり修学旅行の時は自由行動だったものの、友達とぼ都合に合わせるためになかなかゆっくり見ることはできなかったので、今回しっかりと見てきました。
竹田城、篠山城に行った後、昼食を済ませて行ったのですが、姫路城に着いたのは15時ごろでした。
駐車場を出るともう天守は見えていて、やっぱ姫路城は大きいなあと思いました。大手門を通って三の丸から姫路城天守を写真に撮りました。15時とは言っても三連休のせいか人がたくさんおりました。天守閣は30分待ちだったようなので、葵の門を通った後、西の丸へ足を運びました。
化粧櫓ではあまり人がいなかったのでゆっくり探訪できました。化粧櫓は結構長い多聞櫓でちゃんと現存です。化粧櫓から見る天守閣は最高ですよ。(写真⑤)結構天守が遠いところにあるように見えますが。
さて、次はいくつもの門を潜っていきます。 続く
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2023/12/28 20:03
閉館まであと少し (2023/12/21 訪問)
大河ドラマ「どうする家康」も終わり、大河ドラマ館も残りわずかになってきたので行って来ました‼️
これで4回目。年間パスポート分の元はとれたかな。
閉館後は、リニューアル工事を経て、再び三河武士の館家康館として再オープン。
今なら城内の花時計が、本多家仕様になってます。
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2023/12/28 19:46
市民が多く散策する城跡公園 (2023/12/27 訪問)
案内板に、新編武蔵風土記稿になどには、応永年間(1394-1428)の大江備中守師親の在城を記し、大江氏の後裔の長井氏の城郭とされていますが確証がありません。築城主体や年代の特定は困難ですが、他の中世城郭との比較から十五世紀後半以降に築城され、十六世紀代に廃城になったと推定されています・・・。と載っている。
片倉沢・奥の沢など、北・東・南は崖で湧水が多いらしく、池(沼)などが多い。公園入口の住吉沼は昔の沼の名残らしい。城址公園には三ヶ所の広場があり、小さな郭の休憩広場、堀を挟んで南に二の丸広場、二の丸の東に本丸広場がある。二の丸広場の西に堀を挟んで、大半は畑になるが郭が見られる。本丸と二の丸間の堀には橋が架けられている。堀は大分埋まっており、丈の長い枯れ草が風景の邪魔をしている。本丸東隅に他より高い土塁がある。縄張図に「物見・のろし」と記載があるので、櫓のような物が建っていたのだろうか。本丸の北には住吉神社の建つ腰郭がある。
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2023/12/28 19:30
私有地のため見学は制限されます (2023/12/27 訪問)
「NPO滝山城跡群・自然と文化を守る会」さんの文面には、武蔵守護代の大石氏の築城とされ、勢力拡大に伴い手狭な高月城から滝山城へ拠点を移したと伝えられている、とある。
城跡入口の反対に閉鎖したホテルと稲荷神社がある。ホテルの裏にも堀など記載があるが、確認出来ない。入口からすぐに作業小屋?があり、左右に堀跡を思わせる凹みがある。記載の縄張図を参考にすると、小屋手前には土塁跡、後ろ奥には平坦な場所が見られ、小屋後ろ辺りは虎口とある。ただ奥へは赤字で関係者以外・立入禁止とある。主郭までの道にも数カ所に私有地のため立入禁止案内が立つ。幾つかの段差などがあるらしいが、草木が多く、また立入は遠慮する。
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2023/12/28 18:54
甲府城石垣展示室を見に行きました!! (2023/12/23 訪問)
山梨県防災新館の地下で、石垣の展示があったので、見に行きました。
甲府城石垣展示室は、この建物を建てるときの発掘調査で出た石垣(甲府城の内堀)を
移設して、見えるようにした展示室です。
胴木という地盤が緩い甲府の石垣を補強する木が、
普段石垣の下にある胴木という地盤が緩いところに作る石垣を補強する木を見れたり、
調査の経緯や甲府城に関する映像も見れて面白いので、ぜひ行ってみてください!
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2023/12/28 17:51
遺構の保存・整備が素晴らしい (2023/12/27 訪問)
パンフレットに、大永元年(1521)に武蔵守護代の大石定重が築城し、後に大石氏の養子となった北条氏照が拡張、改修したとされてきました。しかし近年の研究により、北条氏照は由井領を支配していた大石綱周の養子になり、浄福寺城に居住し、その後、永禄10年(1567)までに滝山城を築城して移転したと考えられています、と載る。
前は夏の時季のため草が生い茂り、空堀・馬出などの形状が分かりづらかった。前回行かなかった山の神曲輪だが、今日は行けなかった。「ナラ枯れで立ち枯れた木から枝が落ちる危険が高まり、三の丸から山の神曲輪の遊歩道・三の丸・二の丸南をしばらくの間閉鎖します。」と標示されている。実際に二の丸では伐採作業中だった。見えなかった中の丸・本丸下の腰曲輪などが、草が刈られ整備された状態で眺められるが、そちらは進入禁止。本丸に架かる橋はもう少し下だったとあり、案内の城道を見ると、中の丸の腰郭を回り込み橋脚部にでるようなる。歩いてみたいがチェーンがあり、進入禁止。二の丸の大馬出の広さ、土塁、東尾根を仕切る空堀(画像制限で載せてない)などが改めて観られた。
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2023/12/28 17:21
犬甘城に行ってきました! (2023/12/24 訪問)
犬甘城(いぬかい)に行ってきました!
この城は、長野県松本市蟻ヶ崎の城山公園にある山城です。
《犬甘氏時代》
この城は、この辺りを領していた小笠原氏の家臣である
犬甘氏が居城としていた犬甘館の詰め城として使われた山城です。
信濃守護・小笠原氏の居城である、林城の支城で、守りの要として重要な城でした。
1548年、小笠原家当主小笠原長時が、武田軍との戦いである、塩尻峠の戦いで惨敗、
そのため、多くの家臣が離反し、長時は林城に退却したが、犬甘家当主犬甘大炊助は離反しませんでした。
しかし、1550年ついに武田によって林城を追われ、近くの支城も次々と武田に明け渡されていくなか、
犬甘大炊助は最後の最後まで戦い続けましたが、1ヶ月後ついに落城してしまいました。
その後は使われず、廃城となってしまいました。
《戸田時代》
1550年以降廃城となり使われてこなかった犬甘城ですが、
1843年、時の松本藩主である、戸田光庸(みつつら)が、領民の公園として解放しました。
《その後》
明治時代になると、領民の公園として解放されていた、犬甘城は、松本初の公園となりました。
そして、今も公園として使われています。
【城情報】
・形式 ❙山城
・築城年 ❙南北朝時代よりも前
・廃城年 ❙1550年(1843年以降公園として解放)
・築城者 ❙?
・最後の城主 ❙犬甘大炊助
・廃城理由 ❙武田氏の侵攻により落城したため
・主な城主 ❙犬甘氏
・遺構 ❙ 土塁、空堀、曲輪
・主な建築物 ❙展望台
・説明看板、石碑 ❙説明看板のみ
・駐車場、トイレ ❙駐車場 有(広め)
・天守 ❙中世の山城のためない
・保存状態(自身判断)❙空堀や土塁が残っており、当時の様子が分かる
・城レベル ❙3(詳しくは新ろくべえのプロフィールへ)
・備考 ❙・5の郭?に展望台があり、松本城を始め、松本の町並みや山々がよく見える。
❙・駐車場があり、いきやすい。
❙・各地に歌人の石碑がある(松尾芭蕉も)
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2023/12/28 10:11
カズサンの令和5年心に残る番外10選
令和5年心に残る10選の続きです。
本年登城し先に10選として投稿させて頂きましたが、10選洩れの10の城跡と写真を番外として投稿させて頂きます。
この10城も甲乙付け難く、登城日、撮影日の早い順に並べました。
1・三瀬砦(R5/03/19)北畠氏晩期の城址群、大手虎口土塁。
2・松阪城(R5/03/20)本丸金の間櫓台と桜。
3・高天神城(R5/05/25)西曲輪群横堀北端部、大河ドラマに誘われて。
4・春日山城(R5/06/17)実城曲輪群と大竪堀遠望。
5・浜松城(R5/08/18)ついに実現した市役所屋上からの撮影、天守曲輪群。
6・高子岡城(R5/09/18)伊達氏発祥の城、登城口鳥居より。
7・鳥取城(R5/10/01)中の御門櫓門工事中、令和6年度の完成が待たれる。
8・松江城(R5/10/04)国宝天守閣漆黒無骨の天守が素晴らしい。
9・武田氏館(R5/11/12)甲斐源氏武田氏発祥の地、一度訪ねたかった城址。
10・明石城(R5/11/27)巽三重櫓と坤三重櫓の並んだ景観が素晴らしい。
本年登城し心に残った城址10選、番外10選合わせて20城、長々の投稿と成りましたが宜しくご拝読お願い致します。
尚、本年も投稿をご覧頂きありがとうございました。皆さま益々ご健勝にて良い年をお迎えください。
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2023/12/28 09:47
2023/12/28 09:41
2023/12/28 08:37
讃岐では珍しい馬出が残る (2023/12/16 訪問)
国道319号線沿いに案内板が立っています。
駐車場は無いので案内板を挟んだ反対側の広くなったところに車を停めます。
案内板のところの道路は民家への道、こちらを進むのではなく案内板脇から直登します。
急坂を少し登ると削平地に。
ここが馬出のようです。
土橋が架かり両側に竪堀が落ちます。
さらに少し登ると主郭へ、主郭には帯曲輪がついていますがちょっとわかりにくい。
さらに進んでみると深い堀切が。
この堀切にも土橋が架かっています。
この先は丸山山頂に向かいますが特に何も無いようです。
コンパクトな城ですがおそらく夏は藪、この時季がおすすめですが落ち葉で滑りやすいのでお気をつけください。
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2023/12/28 06:13
想像以上の奥行 (2023/11/24 訪問)
出石三城をクリアして豊岡市中心部に向かいます。雨が落ちてきてしまったので三開山城をスルーして鶴城へ。雨は小降りになっていたので鶴城攻略に踏み切りました。遠景は街中の小さな山城のように見えます。愛宕妙見堂あたりがピークのように感じられてしまうのですが、愛宕神社はそのずっと先でした。主郭はさらに奥。こんなに懐が深い城だとは思ってもいませんでした。ちょうど雨が上がってくれたのは幸運以外の何物でもありません。車でお越しの際は、麓の船町会館に3台ほどの駐車スペースがあります。
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2023/12/27 23:23
日光田茂沢御用邸記念公園 紀州徳川家江戸中屋敷遺構 (2019/11/01 訪問)
日光東照宮の向かいにある田茂沢御用邸は元は紀州徳川家江戸中屋敷として天保年間に赤坂に造築されたものです。明治5年に皇室に献上され赤坂離宮となり、明治6年に皇居西の丸御殿が火事に見舞われた際には仮の皇居になりました。
明治31年に田茂沢に移築され皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)の静養所となりました。現在公開されている御用邸は移築時やその後に増築された部分も多いのですが、三階建ての御座所が江戸時代の物になります。徳川御三家は三階建の建造物を特別に許されていたということです。
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