竹ヶ鼻城跡、羽島市歴史民俗資料館を終えて北西に約1.4km程の所に在る、秀吉の小牧長久手戦、竹ヶ鼻城水攻めの本陣跡/見張場と言われてる太閤山砦を訪ねる。
住所:岐阜県羽島市福寿町間島2丁目91(城郭放浪記の指示ポイント)
参考資料:城郭放浪記さん、グーグルマップに依る。
駐車場:無し、道幅で通行量の少ないグーグルマップ太閤山砦跡史跡マークの前に一時路駐(35°20'03"N 136°41'37"E h=0m)
グーグルマップの史跡マーク「太閤山砦跡」には案内板「間島太閤山跡」と石碑「史蹟 間島太閤山跡」が並んで立っている。
そこより北に進み八幡神社の鳥居を潜り参道が北へ小山には一段上がって拝殿、更に一段上がって本殿と八幡神社が鎮座してる、参拝して周囲を見学確認、拝殿西側に黒御影石の石碑、表には間島太閤山と刻まれて裏面には史蹟の由来が刻まれる。
歴史は案内板によると、天正12年(1584年)5月、秀吉の小牧長久手戦時、竹ヶ鼻城水攻めで本陣/見張場跡で幅は40m四方、高さ6m程あったが現在は取り壊され畑に成っている。
太閤の一夜堤は確認して居ませんが、羽島市歴史民俗資料館HPの竹ヶ鼻城のページによると、太閤山砦(間島太閤山)から西へ半円を描いて、松山、本郷、各村を廻って南は江吉良で逆川堤に接続する、長さ約2.6kmの長堤、高さ6~7間(10.8~12.6m)、幅は14~15間(25.2~27m)で竹ヶ鼻城を囲んでいた。
城主の不破源六は信雄、家康の救援使者を送るも援軍が現れず天正12年6月10日秀吉の申し出を受諾し無血開城と成り、城主不破源六は伊勢長島の信雄の城へ撤退した。
丁度時期的には稲穂が黄金色に実り、稲刈りの時期でした。
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