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石垣マニア絶賛の丹波の山城 (2023/11/23 訪問)

初投稿です。拙い文章になるかとは思いますが、読んでいただけますと幸いです。

記念すべき最初の投稿は、私の地元兵庫県丹波市から岩尾城跡になります。
小学4,5年生くらいの頃に父と2人で訪れて以来、約15年ぶり2回目の登城です。
当時と比べて山頂付近がきれいに整備されており、見映えがかなり良好な印象を受けました。
記憶が曖昧ゆえ、登り切ってまず最初に「こんなに石垣残ってたっけ?」と感じてしまいました。

井戸跡を通過して少し歩いたところで視線を上にやると、一気に石垣が見えてきます。
ここら辺りで、石垣マニアの血が騒ぎ始めます。
城内に残る石垣は、積石に加工を施さない野面積で築造技術としては最古のものであり、その未熟さがうかがえます。
当日は天気もすこぶる良く、絶景でした。

登城路は全部で3つあるらしいのですが、2つ確認済です。
山登りに慣れていない方、初登城の方は初級コースをおすすめします。
初級コースは和田小学校の裏手にあり、校内を通る必要があります。
そのため、登城前後に学校に一報を入れてくださいとのことです(休日・祝日はこの限りでない)。
もうひとつが上級コースです。
実は2回目の登城前日に挑戦したのですが、4分の3まで登ったところで断念しました。
道なき道を只管に進まないといけないので、特に帰路は戻れるか不安になりますし、往復で4kmほどあるそうです。

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todo94

クリークの城① (2024/07/13 訪問)

蒲池城から柳川をスルーして赴いたのが塩塚城。佐賀平野の城で数多くみられるクリークが、筑後の地であるこの城の付近にも巡っていました。

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カズサン

二重円形堀が発掘された山田城 (2024/06/23 訪問)

 叔父の一周忌法要を済まさせた後に滋賀県近江未踏の城探訪、朝から雨の悪天候でした宿も予約しており1泊2日の最初を草津市の丸い堀の山田城を初登城。

 駐車場:草津市立武道館前6台ほど、隣接山田まちづくりセンター駐車場80~90台可能。私は隣のこども園入口門扉横路駐(日曜日)
 参考資料:城びと、グーグルマップに依る。

 当日は日曜日、武道館は空手の大会で盛況、武道館門横に山田城跡解説板掲示、武道館に入るとエントランス正面にまた別の山田城跡解説板、館内の解説板には円形堀の跡を武道館床に白の点線で明示してると、しかし空手の大会で床にマットが武道場とトレーニング場とも曳いてあり見る事は出来ませんでした。

 平成12年武道館建設に先立って発掘調査をしたところ、円形に巡る堀跡2条発見、出土遺物により内側の堀が13世紀、外側の堀が14~15世紀にかけてのものである事が判明、全国的にも稀有な遺構で大切な史跡です。(案内解説板の抜粋)

 琵琶湖の干拓の前には西に500~600m程に山田湊跡が水路と結ばれて居り、琵琶湖水運で物資の出入れで物流交易が盛んな事だったのでしょう。
  

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しんちゃん

六田館 (2024/02/18 訪問)

続百名城の北畠氏館(北畠神社)から東に150~200mほど行ったところにある「六田館」は北畠一族の居館跡とされており、水田の中にある微高地に東御所跡の立札が立っています。周囲をめぐる水田も堀跡のような雰囲気を漂わせています。
情報は「城郭放浪記」さんを参考にさせていただいています。古城盛衰記さんは最近、見づらくなってしまいましたが、城郭放浪記さんは健在なので城郭めぐりのバイブルに重宝させていただいています。地形図が併記されているのでわかり易いんですよ。感謝・感謝です。

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しんちゃん

居館跡 (2024/02/18 訪問)

柏原城の北西側にある居館跡の写真も投稿させていただきます。居館と主郭との間や居館の周囲にも堀切などの遺構が良く残っています。規模は大きくは無いのですが、少数で織田の大軍相手に持ちこたえたと言われる城址としての矜持は感じます。しかし、この城1600人も籠ることが出来るんですね。ぎゅうぎゅう詰めになる気もするけど。

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零汰

メナチャシ (2024/05/09 訪問)

シベチャリ川流域チャシの中では一番大きいサイズだと思います。
しっかりとした土塁も入っています。
濠にて2区画されていまして、確証はありませんが祭祀場所と区画しているのではと思われます。

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ぴーかる

溝口城 (2024/05/25 訪問)

【溝口城】
<駐車場他>駐車場はなし。横の豊山町商工会に駐車できそう。ファミリーマート豊山町中之町店に買い物して駐車しました。
<交通手段>車

<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第3弾3城目。溝口城の情報は少なくよく分かりません。城びとの城郭情報によると築城年1573年、築城者は溝口富之助となっています。築城年が戦国時代末で、溝口氏は稲沢市の溝口村(西溝口城)とここの豊場村を領有していたことから溝口秀勝の血縁の者の築城かもしれません。
 現地は公園になっていて、城跡碑は無く、戦没者の慰霊碑や土地改良碑があるだけです。

<満足度>◆◇◇

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chiroru

10年以上前ぶり (2024/07/15 訪問)

もう少し紫陽花の色が濃くて梅雨の晴れ間に登城した記憶がありました。
当時は日々の忙しさで疲れていて、高櫓の二階で涼風に当たりながら休憩したなぁと思い出しながら。

前回の登城ではおそらく素通りしていたであろう箇所も満遍なく見学。入場口でいただく案内紙の見取り図そのもの忠実に復元
してあり手入れも施されています。戦国時代の山城見学にはとても勉強になります。

見学後は、足助の町並で散策をおすすめします。
中でも和菓子屋「両口屋」さんで今の時期しか出ない「白パン」はとても懐かしい味で美味しいです。
(今もつくられていること願います!)

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イオ

熱田神宮となごやめし (2024/05/25 訪問)

地元のとある集まりの旅行で名古屋に行きました。観光もしますが食い倒れ旅的な面が強く、今年のお目当ては「なごやめし」。

名古屋入りして最初は熱田神宮から。私は熱田神宮にお参りするのは初めてで、草薙神剣が鎮座する古社だけに、まずは宝物館や草薙館で刀剣を観て…と思っていたら、同行者はまっすぐに本宮に向かって参拝を終えるや当然のように駐車場に戻って行き、滞在時間はまさかの25分…。何とか信長塀だけは見ましたが、宝物館や草薙館のみならず周辺の源頼朝出生地にも行きたいし、早々に再訪が決定しました。…かと思えば、その地の名物は見逃さないのが食い倒れ旅たる所以で、東門前のきよめ餅総本家でお土産にきよめ餅を購入。お店でもひとついただきましたが、こしあんを羽二重餅でくるんだ定番の風味ながら、なるほど名物になるのも頷ける上質な美味しさでした。

熱田神宮を後にして、昼食は炭焼うな富士でひつまぶし、午後からは犬山城と城下町観光&食べ歩き(別途投稿します)、夕食は一鳳にしきで名古屋コーチン(酒が入ったので写真撮り忘れ)、その後は錦で飲んで、締めは麺処 龍でカレーうどん。観光(城めぐり)としてはやや物足りないものの、なごやめしを存分に満喫した一日でした。

余談ながら翌日は伊勢神宮にお参り。もちろん参拝もしましたが、参拝後におかげ横丁で伊勢うどんと手こね寿司を食べ、赤福本店で一服。翌日もしっかり食い倒れ旅でした(笑)
 

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todo94

20年前の攻城 (2004/04/11 訪問)

計画段階では蒲池城から20年ぶりに柳川城を再攻略する予定でした。雨予報のため、やむなくスルーしましたが、本当は、御花や松島を模したという松濤園など、柳川を堪能するつもりだったので残念です。鰻のせいろ蒸しはかなり熱くて食べにくく味もよくわからなかったのでリピートするかどうかは微妙です。20年前は三柱神社も火災に遭う前でした。

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しんちゃん

伊賀土豪達の最後の籠城戦 (2024/02/18 訪問)

先日、「しんしんちゃん」がやらかしてしまったので、「しんちゃん」が替りを務めさせていただきます。築城は永禄年間に滝野上野介貞清によって成されたとされ、第二次天正伊賀の乱(1581)では伊賀土豪が最後まで織田軍に抵抗した城として知られます。1600余人で三万を超える織田軍に対して勇敢に戦いましたが、最後には和議に応じて開城し、城主滝野吉政は帰農したとのことです。
城址は高善山の北西の丘陵地に築かれており、主郭を中心に周囲に二重の土塁、二重の堀が良く残っています。さらに北西には居館跡があり、東側の土塁と空堀が残っています。主郭には「お滝女郎化粧井戸」とアナグマの巣があります。ちょっと見ただけでは居るのかどうかわからないですね。そっとしておきましょう。

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三浦の晃ちゃん

天守台は、高校の敷地内 (2024/07/15 訪問)

三の丸は、芦城公園になっています。天守台は、小松高校の敷地内にあります。正門からは見えませんが、裏に回ると、確認できます。

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三浦の晃ちゃん

登城出来ない (2024/07/15 訪問)

近くの道の駅一向一揆の里で、スタンプと御城印を、ゲットできますが、令和4年豪雨と今年の地震の影響で登城はできません。

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三浦の晃ちゃん

本丸 (2024/07/13 訪問)

本丸は地震の影響で入れません。途中の駐車場までは車で上がれるようですが、私には道が分かりませんでした。

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赤い城

月見山こどもの森公園 (2024/07/06 訪問)

月見山への坂道を登ると登城口があり、駐車スペースもあります。
登城口の説明板には縄張り図もあるのが嬉しいですね。

まずは主郭へ。
あまり高くは無いですが土塁が残っています。
こどもの森ですがここでは遊べそうに無いような・・。

ここから北西に伸びる尾根を進んでみました。
途中堀切もあり、先端部の曲輪からは竪堀も落ちています。

駐車場まで引き返し、改めて縄張り図を見ると駐車場から下にも遺構がありそう。
とりあえず降りてみました。
多分ですが塹壕跡と竪堀も。
藪蚊の猛攻もあり、じっくりと見学することはできませんが優良物件であることには間違い無さそうです。
歩き回ればもっと遺構に出会えそう。

麓には古戦場の石碑も立っています。
冬に再訪かな?
それにしてもこどもの森っぽくはありません。
近くにアスレチック場もあるようですがそっちがメインかな?
行ってないので不明ですが。

近くにある道の駅やすにはルナピエナスイカがあるとのことで寄ってみました。
立体栽培のスイカでとても甘〜い。
たまたま在庫があったので持ち帰りで購入。
やっぱり美味し買ったです!
通常は予約の上配送手続きをするのだとか。
通販にも対応しているとのこと。
今シーズンはおそらく終了していると思うので興味ある方は来年かな?
おすすめです(写真撮る前に食べちゃいました)!

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零汰

ホイナシリチャシ (2024/05/09 訪問)

シベチャリ川流域チャシの中で一番南に位置するチャシです。
シベチャリチャシから体感1km程南の灯台脇から下って入って行きます。
そこには若い雑草がすくすく育っていました。
入る道に濠が1本、派生尾根にもう1本の濠が入っています。
肉眼では確認出来ました。
写真は分かりにくいですが想像力を駆使してご覧ください。

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ぴーかる

九之坪城 (2024/05/25 訪問)

【九之坪城】
<駐車場他>駐車場はなし。城跡碑の奥の健康ドーム駐車場前に少し停車し撮影しました。
<交通手段>車

<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第3弾2城目。現地説明板によると斯波氏の家臣であった梁田政綱は主家衰退後に織田信長に仕え戦功によりこの地を与えられました。九之坪城は当時「此壺城」といい当時の地侍の館であったのを改築したものと伝えられています。廃城の時期や経緯については明らかになっていません。
 現地は現在シルバーセンターになっていて遺構は残っていません。センター前に城跡碑があるので撮影しました。

<満足度>◆◇◇

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カズサン

彦根八景荒神山城 (2024/06/24 訪問)

 荒神山神社が荒神山城に当たるとの事、車で頂上まで行けると分かり、荒神山神社参拝し初登城。

 駐車場:荒神山神社参道前駐車場(35°13'59"N 136°11'50"E )10台は可能、50m車道を登り展望所に駐車も可能。
 参考資料:古城盛衰記さんグーグルマップに依る。

 山崎山城から西と近く、一の鳥居を潜って約3km程の狭いが舗装された道を登る、要所要所で軽くクラクションを鳴らして安全確認注意喚起。
 参道前駐車場に駐めて、緩やかな登り道を展望台へ、琵琶湖が見えて絶景です、そこは「彦根八景 うみ風渡る荒神山」として平成7年5月1日制定されています。
 荒神山神社に展望台側から入り参拝、拝殿、社殿、社務所と立派な造り、皆さんがよく投稿されてる参道石段と両脇の石垣を降りながら確認、東山麓から続く石畳参道はだいぶん苔むしています、駐車場への参道石段を下りて終了。
 城郭に関する案内解説板など無く、どこまでが城跡の遺構なのかは良く分かりません、荒神山神社由緒記は有り神社、奥山寺の歴史が記されて居り、城に関しては関ケ原後井伊直政が彦根に配されたとき、「荒神山に築城の計画があったという」の文が城に関する事のみ。

 荒神山神社の起源は今から2300年前、奥山寺は天平2年行基菩薩の創建、織田氏の時代には比叡山の焼き討ちと同じく奥山寺も焼き討ちにあっています。江戸期以降井伊家の崇敬を受ける。明治に成っれ神仏分離により奥山寺を廃し、新しく社殿を造営し荒神山神社と称す。(荒神山神社由緒記抜粋)
 

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AJ

2人の距離 (2017/07/04 訪問)

「老中の城」佐倉城(千葉県佐倉市)。代々9人もの老中が配置された特別な城ですが、幕府の要職ともなると、それぞれ一筋縄では行かない問題も抱えていたようで。

江戸を守る東の要。一方、西国から江戸が攻撃された際には将軍家が退避する地と定められていたといいます。三重の天守をはじめ、櫓や本丸御殿、8基もの大規模な櫓門が備わった重要拠点でしたが、残念ながら現在、建造物はほとんど残っていません。それでも、結構なサイズの城址をつぶさに歩き回ることで、この城がもつ意味合いが見えてきます。

前身は中世城郭。徳川家康の関東入国後、徐々に改修し完成は1617年ごろ。石垣を用いない土造りで、空堀は結構な深さ。北には印旛沼があり、湿地帯に掘られた水堀が本丸周辺を巡っています。ちなみに100名城スタンプは、復元された角馬出の空堀。渋い。

「出世城」というよりは、むしろすでに幕府の重鎮になった人物がその都度配されたという印象でしょうか。城内(二の丸入り口付近)にはそんな中のひとり、佐倉藩5代藩主・堀田正睦(1810-64)の銅像。藩内の蘭学を盛んにし、幕末期の老中首座として「開国に尽力」(佐倉市)した御仁。加えて、その近くにはアメリカ初代駐日総領事であるタウンゼント・ハリスの立ち姿、、。んー、どこか微妙な並び。

定説では不平等条約とされる日米修好通商条約。交渉で米側から圧をかけられまくった窓口が堀田一派だったはず。事実、調印後、最後まで朝廷の賛同を得られなかった失策により老中を罷免されます(*結果的に無勅許で踏み切ったのは大老・井伊直弼)。

もちろん、ハリスの存在が「開明派」の堀田を外交の舞台に引き上げたという点で2人の関係性は特別なのかもしれませんが、もし仮に今、堀田自身がこの距離での並びを見せられたら何と言ったか。興味は尽きないのであります。

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todo94

献血後の攻城 (2024/07/13 訪問)

予定通り、献血プラザ佐賀での成分献血を終え、ローソンにて軽い昼食を調達した後に赴きました。民家の前に立派な城址碑が建っていますが、樹木の葉の陰になっていました。夏場ということで平地の城をチョイスしたのですが、城址碑も冬枯れの季節の方が良いみたいですね。近くの崇久寺には蒲池氏墓碑がありました。城址碑の説明板は「崇久寺」なのですが、寺の説明板の字は「祟」になっていました。いくら何でも寺名に「たたり」という字を使ったりはしないと思いますが、いかがでしょう。

この後は、柳川の松濤園や柳川城を狙っていたのですが、再訪の地はパスして、初攻城の城へと急ぎます。

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