菩提山城に行ったついでに関ヶ原古戦場記念館にも寄って来ました。小和田教授がネットで推薦していた本を購入するのが目的の一つです。私にはちょっと物足りないですが、いろいろと面白い情報も載っています。
私は、いずれ小早川秀秋に対する評価が変わるのでは‥?と思っています。日本には江戸時代から続く、若者を侮る「悪い文化」がありますが、秀秋のことは豊臣秀吉も徳川家康も警戒していたと思います。何といっても高台院(ねねさん)の血のつながった実の甥ですからね。
ねねさんを慕う強力な武将は何人かいて、彼らを仮に木下派(高台院派)と呼称すれば、秀秋は木下派のプリンスになるわけです。秀頼が秀吉と血が繋がっていないとしたら、秀秋は将来秀頼に対する脅威になる可能性もあったと思います。
関ヶ原合戦の前でも秀明、福島正則、加藤清正ら木下派の武将たちは十分侮れない勢力であったけど、合戦後は合わせて150万石ほどの強大な勢力になりました。彼らと豊臣恩顧の武将らの仲の良さを考えれば、その中心となる可能性のある秀秋は徳川幕府に対して脅威と感じられた可能性があります。私は秀秋の死に不穏なものを感じています。
関ヶ原の合戦に関する研究では、私は白峰氏の研究が抜きんでていると思います。小和田教授も間接的にではありますが、大谷吉継の陣の背後に宇喜田秀家の陣が有ったことは認めています(地方紙研究411)。実際に曲輪や四条の堀切もありましたね。
木下派の武将たちとの関係性から秀秋が最初から東軍側で有ったことは想定でき、西軍の実質的大将である宇喜田秀家の陣の眼前に陣を張った秀秋の豪胆さは、これまでの評価を覆すのに値するのではないでしょうか。
+ 続きを読む









