とくらじょう

徳倉城

岡山県岡山市

別名 : 徳蔵城、土倉城
旧国名 : 備前

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ろっし

お城探訪 (2023/04/22 訪問)

他の方の書き込みにもあるように低い山ですが舐めてはいけません。

落ち葉の堆積がひどく足場はとても悪く、場所によってはかなり滑って落ちそうな場所もあります。

ですが登れば最高の石垣が待っています。

神社の横からも登れるとありましたが道はありません素直に大手道か搦手から登りましょう

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カズサン

出丸長郭先の急坂で撤退 (2022/10/23 訪問)

 備前の山城で徳倉城には頂上に高石垣の本丸郭備わってる事で名を馳せています、以前より城郭放浪記さんの写真館で認識し、近々は「とある煩悩の登城目録さん」「ヒロケンさん」の城びと登城投稿も有り、今回の備前、播磨未踏の城廻りに入れました。
 
 山城サミット恵那大会の中井さんの記念講演を拝聴後、高速を飛ばして岡山県吉備SAで車中泊、吉備SAはスマートICにも成って居り、SICを利用して北に約15~20km程地道、岡山空港のトンネルを潜り、県道61号線沿いに大手登城口、案内俯瞰図、路肩駐車エリアが有ります。
 路肩駐車エリア:(34°46'41"N 133°53’51”E)、2台は可?。 徳倉城跡案内図俯瞰図資料箱:駐車エリアから西に100m程、資料箱には登城道案内図、俯瞰図と御津の山城パンフレット有り、俯瞰図地図は役に立ちます。 大手登城口:駐車エリアから橋の手前を川沿いを東へ10m程の所に指示看板有り。

 大手登城口より指示看板に従って落ち葉で埋まってる様な細い道を登って行くが、倒木などが道を塞ぎ、潜ったり越えたり、沢の橋は傷み底を歩き、段々急に成り不安に成るが、出丸まで比高50m程と有り出丸の低い堀切へ、堀切から出丸跡へシダ類が茂り踏み込まず眺めるだけ、戻りもう少し行けそうなので、尾根筋を登って行くと出丸長郭跡細長い尾根郭、左右に矢竹の群生地を尾根道歩き、急峻な七曲の様な道、細く急で道幅も狭く、此処まで40分以上掛かって居り、足もがくがく不安に成り、本丸下の曲輪群下で断念し下城とした。
 本丸の石垣群は皆さんの投稿写真で脳裏に収め良しとした。登城口まで戻り、それでもと北側に移動し徳倉城の山容全体を眺める、出丸当たり出丸から平場の様な尾根筋、そこから立ち上がる山頂本丸が全体を眺めると良く分かります。

 丹波の黒井城は比高220m程で登城路の整備も良く登城出来ました、徳倉城は比高170m程ですので登城路の整備と途中の休憩ベンチ、場所を造って頂けたら大変ありがたい。私の体力、脚力では現状の徳倉城の登城は無理だったようです。
 
 案内箱には案内図以外に「御津の山城」パンフレットが有り御津地区の山城28城の紹介と特に三城、金川城、徳倉城、虎倉城が説明文と案内図付で紹介、宇喜多直家と金川城・徳倉城・虎倉城の関りの解説が記載されて居ました。
 案内パンフレットでは駐車場は案内板俯瞰図の有る所から西に約150m程の河内公民館(岡山市北区御津河内1717)前の広場を利用くださいと案内が有りました。
 

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higekam

宇喜多家の武威を誇示 (2021/03/16 訪問)

この地区に散在する国衆を臣従させるために作ったたといわれる本丸石垣。そうは言ってもと思いながら初めて目にした時は唖然とした。

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ヒロケン

金川城の出城⁉ (2021/05/06 訪問)

徳倉城の築城時期は不明ですが、備前の守護代松田元隆の四男元資が1476年頃には居城していたといわれています。元隆のの子で元成の代に金川城が戦国大名の居城として整備された段階で、徳倉城も金川城の出城として整備され、松田氏の重臣宇垣氏が代々居城した。
しかし、1568年頃、宇喜多直家により松田氏が滅ぼされると直家の重心遠藤河内守が都倉城主になった。
1600年の関ヶ原の戦いで宇喜多氏が没落し、小早川秀秋が備前国主になったころに徳倉城は廃城になったとされています。

徳倉城は、遠藤山の山頂に築かれた連郭式山城で、曲輪、土塁、石垣、井戸、空堀等が残り、現在に伝えています。
駐車場はありませんが、大手道登城口と案内板がある道路脇に駐車スペースがあり、駐車することができます。トイレはありません。
大手道登城口から、約20分程で本丸に到達できます。

この城の最大の見所は、何と言っても本丸虎口の高石垣です(*^-^*)。結構、急峻な登山道を登ってきても、この石垣を見ると疲れも吹っ飛んでしまいます(*^-^*)。この城は建物を除く城郭遺構はほぼ完存していて、見所の多い城跡です。
ただ、残念なことに大手登城口から登城し、大手登城口に下山したため、搦め手道沿いの竪堀を見逃してしまい、再訪しようと考えています(;´д`)トホホ

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
築城主 松田親秀
築城年 文明年間(1469〜1487)
主な城主 松田氏、宇垣氏、遠藤氏(宇喜多氏家臣)
遺構 曲輪、石垣、堀切、井戸跡
指定文化財 県史跡(徳倉城跡)
再建造物 説明板
住所 岡山県岡山市北区御津河内
問い合わせ先 岡山県教育庁文化財課
問い合わせ先電話番号 086-226-7602