とくらじょう

徳倉城

岡山県岡山市

別名 : 徳蔵城、土倉城
旧国名 : 備前

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主郭虎口石垣
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ぴーかる

虎口高石垣に圧倒 (2024/04/13 訪問)

【徳倉城】
<駐車場他>駐車場はなし。県道61号線道路脇<34.778113, 133.899706>に停めました。
<交通手段>車

<見所>櫓台石垣・主要部石垣・連郭曲輪
<感想>日帰り今シーズン山城攻めラスト旅2城目。現地説明板によると、徳倉城の築城年代は不明だが、「太平記によれば1362年に高師秀徳倉城に退き」とあり、また御津町郷土歴史資料館で頂いた資料によると、備前の守護代金川城主の松田元隆の四男、元資が1476年には居城していたとあります。戦国時代は松田氏の一族宇垣氏の居城でした。1568年に主家の松田氏が宇喜多直家に滅ぼされると徳倉城も宇喜多氏の家臣の遠藤河内守秀清が入城します。宇喜多氏が備前を平定した後は遠藤氏も岡山城に移り、徳倉城には城番を置いていたようです。関ヶ原の合戦後岡山に小早川秀秋が入城すると城は廃城となりました。

 上記駐車ポイントが大手口になり空き地が小屋か民家跡のようですが、山の壁面に古い石垣が少し残っています。私も大手道から登り、そのまま大手道から下山したので搦手道は見ていません。大手道には出丸跡(藪化)、出丸長郭・堀切があり、中腹辺りに竈門跡のある舌状曲輪があります。斜面に堀切が1条あります。そこから段々の曲輪になっていて、櫓台らしき石積み跡、井戸跡を通り主要部の下の方に着きます。
 主要部は主郭と二郭が一帯となった南北に長い長方形の曲輪で、主要部北側に3段の舌状曲輪、西に1つ腰曲輪、南に2段の腰曲輪があります。各腰曲輪の下方は急斜面の谷になっていて堀切はありません。最大の見所である野面積みの高石垣は主要部の東側虎口にあたります。おそらく宇喜多氏家臣の遠藤秀清が入城後に主要部全体と所々に残る石積み遺構をこの時改修されたものと思います。主要部の曲輪壁石垣は東面に鉢巻き石垣に残っており、北側はかつて石垣があったであろう石が3つだけ残っていて、ほぼ全て崩落してしまったものと思います。西面は急斜面で石垣の痕跡は見当たらず、南面は多門櫓跡の石垣が良く残っていて、その下段に腰巻石垣のように一部石垣が残っています。
 主要部内部は北側半分が二の丸跡で南側半分が本丸跡の看板がありますが、中間に堀切もなく、一体となっているので明確な仕切りは無かったように感じます。中心に瓦片が大量に落ちています。主要部南端にくの字状の多聞櫓跡の石垣が良好に現存しています。郭内部からの高さは低いですが、南の郭壁と一体となっているので南下段から見ると圧巻の見応えです。
 おそらく織豊期であろう高石垣がよく今日まで美しく残されていて感動しました。お勧めの城跡です。

<満足度>◆◆◆

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ろっし

お城探訪 (2023/04/22 訪問)

他の方の書き込みにもあるように低い山ですが舐めてはいけません。

落ち葉の堆積がひどく足場はとても悪く、場所によってはかなり滑って落ちそうな場所もあります。

ですが登れば最高の石垣が待っています。

神社の横からも登れるとありましたが道はありません素直に大手道か搦手から登りましょう

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カズサン

出丸長郭先の急坂で撤退 (2022/10/23 訪問)

 備前の山城で徳倉城には頂上に高石垣の本丸郭備わってる事で名を馳せています、以前より城郭放浪記さんの写真館で認識し、近々は「とある煩悩の登城目録さん」「ヒロケンさん」の城びと登城投稿も有り、今回の備前、播磨未踏の城廻りに入れました。
 
 山城サミット恵那大会の中井さんの記念講演を拝聴後、高速を飛ばして岡山県吉備SAで車中泊、吉備SAはスマートICにも成って居り、SICを利用して北に約15~20km程地道、岡山空港のトンネルを潜り、県道61号線沿いに大手登城口、案内俯瞰図、路肩駐車エリアが有ります。
 路肩駐車エリア:(34°46'41"N 133°53’51”E)、2台は可?。 徳倉城跡案内図俯瞰図資料箱:駐車エリアから西に100m程、資料箱には登城道案内図、俯瞰図と御津の山城パンフレット有り、俯瞰図地図は役に立ちます。 大手登城口:駐車エリアから橋の手前を川沿いを東へ10m程の所に指示看板有り。

 大手登城口より指示看板に従って落ち葉で埋まってる様な細い道を登って行くが、倒木などが道を塞ぎ、潜ったり越えたり、沢の橋は傷み底を歩き、段々急に成り不安に成るが、出丸まで比高50m程と有り出丸の低い堀切へ、堀切から出丸跡へシダ類が茂り踏み込まず眺めるだけ、戻りもう少し行けそうなので、尾根筋を登って行くと出丸長郭跡細長い尾根郭、左右に矢竹の群生地を尾根道歩き、急峻な七曲の様な道、細く急で道幅も狭く、此処まで40分以上掛かって居り、足もがくがく不安に成り、本丸下の曲輪群下で断念し下城とした。
 本丸の石垣群は皆さんの投稿写真で脳裏に収め良しとした。登城口まで戻り、それでもと北側に移動し徳倉城の山容全体を眺める、出丸当たり出丸から平場の様な尾根筋、そこから立ち上がる山頂本丸が全体を眺めると良く分かります。

 丹波の黒井城は比高220m程で登城路の整備も良く登城出来ました、徳倉城は比高170m程ですので登城路の整備と途中の休憩ベンチ、場所を造って頂けたら大変ありがたい。私の体力、脚力では現状の徳倉城の登城は無理だったようです。
 
 案内箱には案内図以外に「御津の山城」パンフレットが有り御津地区の山城28城の紹介と特に三城、金川城、徳倉城、虎倉城が説明文と案内図付で紹介、宇喜多直家と金川城・徳倉城・虎倉城の関りの解説が記載されて居ました。
 案内パンフレットでは駐車場は案内板俯瞰図の有る所から西に約150m程の河内公民館(岡山市北区御津河内1717)前の広場を利用くださいと案内が有りました。
 

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higekam

宇喜多家の武威を誇示 (2021/03/16 訪問)

この地区に散在する国衆を臣従させるために作ったたといわれる本丸石垣。そうは言ってもと思いながら初めて目にした時は唖然とした。

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
築城主 松田親秀
築城年 文明年間(1469〜1487)
主な城主 松田氏、宇垣氏、遠藤氏(宇喜多氏家臣)
遺構 曲輪、石垣、堀切、井戸跡
指定文化財 県史跡(徳倉城跡)
再建造物 説明板
住所 岡山県岡山市北区御津河内
問い合わせ先 岡山県教育庁文化財課
問い合わせ先電話番号 086-226-7602