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奈良井城 (2023/11/09 訪問)

中山道34番目の宿場町奈良井宿にあります。城びとには未登録の城館跡です。南は崖、西は沢になっていて、東と北に堀を作り防御を固めた城館です。堀が明瞭に残っています。
 奈良井治部少輔義高の館と伝わっています。諸説ありますが、奈良井義高は木曽氏の支族の洗馬の三村氏の子で、幼いころに人質として木曽義在のもとへと送られ、木曽源五郎と名乗ったとされています。成人して奈良井宿に館を構えて奈良井治部少輔を名乗りました。塩尻峠の戦いでは小笠原長時、木曽義康と共に戦い先鋒を務めています。小笠原長時は奈良井義高を気に入り、娘を嫁がせました。その後、武田氏、徳川氏など時代に翻弄され最終的には木曽義昌に切られたと伝わっています。

奈良井宿
 鳥居峠近くに位置する宿場町ですが、江戸時代には木曽の宿場町の中では最も賑わっていて奈良井千軒といわれるほど栄えていたようです。今でも宿場町の風情を残しています。
散策中、古民家カフェ「松屋茶房」さんに立ち寄りコーヒー(トラジャ)とリンゴタルトをいただきました。

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詠狸庵

月の出と天守 (2023/11/01 訪問)

雪月花という美的概念はお城にも実によく合います。松本城はことのほか月がよく似合うと思っています。信州の澄んだ空気、天守の色合い、広いお堀への鏡映等が月に適しているような気がします。標高が高い分ちょっとだけお月様に近いから・・・なんてことはないでしょうが、ついそうも思いたくなります。
月夜の撮影をしたくて、これまで何度松本城へ足を運んだことか。
この日は月齢17、満月を過ぎていましたが、風もほとんどなく堀への鏡映が良好でした。また今の時期は月の出の位置がかなり北に寄ることが多いので、早い時間帯では天守の南西側からの構図に収まりやすいです。
アプリで月や太陽の出入位置や時刻が簡単にわかる便利なご時世でよく利用していますが、たまたま使わない時に図らずも偶然良い所に月が出て感動することもあります。むしろそんな時に良い写真が撮れたりすることがあります。
また露出やISO値を変えながら数百枚撮っても、なかなか良い出来栄えにはなりませんね。

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トク

78【関ケ原の26人】 (24) 島津義弘 (高城・温泉・勝負めし) (2023/11/05 訪問)

(24人目)島津義弘の続き⑨です。
高城にやってきました。高城へは2度目の訪問です。

JR日豊本線「高鍋駅」から木城温泉館行のバスに乗り30分、終点「木城温泉館湯らら」で下車すると目の前の小高い山が高城です。徒歩10分程の軽い登りで本丸に着きます。バスは1日4本くらいしかありませんので御注意を!(写真⑦)。

現在の本丸には物見櫓を模した時計台があります。ここからは高城川の合戦場から遠く根白坂まで一望できます(写真①②③)。畝状竪堀もよく残っており、前回来た時は草木がかなり生えていましたが、今回はよく刈られていてじっくり観察できました(写真④)。麓にはちょうど満開のコスモスが咲いていてとてもきれいでした。温泉館をはさんで反対側すぐ横には豊臣秀長が本陣を敷いたという山もありました(写真⑤⑥)。

ここでは過去大きな戦が2度ありました。2度とも島津家臣の山田有信がわずか1500程の兵で守るこの高城を救援しに来た(総大将)島津義久が自ら率いる島津本隊と戦って雌雄を決するといった内容です(2度とも守りきった有信は木城町のヒーローのようです🤔写真⑧)。

1度目の相手は大友軍でした。なぜ島津は大友に勝つ事ができたのか? この詳細は前回訪問時の私の投稿をよければ御覧下さい(上の「高城」をクリックして検索して下さい)。

2度目の相手は豊臣軍でした。大友宗麟の要請により九州征伐で南下した豊臣秀長率いる8万の軍勢がこの高城を取り囲みます。そして島津軍本隊が南から来るであろう事を予測し、根白坂に秀長の命で宮部継潤らが陣を築き迎え撃つ準備をします。そして島津義久・義弘率いる本隊2万が予想どうり来襲! そして根白坂で島津軍は全軍をもって夜襲を決行するも陣を突破できず、無残にも致命的な大敗北を喫してしまいました。

なぜ島津は敗れたのか? これからはるか向こうに見える根白坂(写真③)の合戦場まで歩き、その理由を探ってみようと思います(ちょっと遠いなー🤔? けどがんばって歩いてきま~す)。


【余談】木城温泉館と勝負めし
根白坂までは写真で見た感じより実際はかなり遠く、登り坂も急勾配で、合戦場はさらに坂の向こう側なので、高城から合戦場までは片道2時間もかかり、探索時間も合わせたら合計結局5時間も歩いてしまいました。この日は11月なのに気温は28度と夏日、汗だらだらでタオルや服は汗でびっしょり、戻ると足はパンパンに腫れあがってもう痛くて痛くてしょうがない😩。そして次のバスまではまだ2時間もあり、見ると入浴料600円と書いてあったので、それまで温泉に入る事にしました。いや~ジャグジや広い露天風呂もあり、ここはとてもきれいで気持ちのいい温泉でした。おかげで疲れや痛みもとれました(極楽😊極楽!)。風呂から上がると急にお腹が空いたので中のお食事処へ。2度も落ちなかった城にあやかり、勝負めし「試験にカツ丼」なるものがあったので食べてみました(写真⑨)。うわ~😲これめちゃ美味しかったです(ビールもうまい、あー生き返った~)。店のおばちゃんが「がんばってね💛」とおまけの金の五角(合格)鉛筆をくれました(写真⑩)何にがんばればいいんだろう・・・🤔?。

ここは「高城と温泉と勝負めし」のセットがオススメです!
 

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イオ

とことん駿府城(城下町~静岡市歴史博物館) (2023/08/05 訪問)

室町期に今川氏の本拠となった今川館を前身として、織豊期に徳川家康が築いた城で、浜松城から駿府城に居城を移しました。家康が関東に移封されると中村一氏が入りましたが、関ケ原の戦いの後、中村氏の米子移封により内藤信成が城主となりました。将軍職を徳川秀忠に譲ると、家康は駿府城を隠居城として天下普請により現在見られる姿に大改修しています。その後、徳川頼宣や徳川忠長が城主となりましたが、忠長が改易されると幕末まで幕府直轄地として城代が置かれ、幕末に徳川家達が入るも、廃藩置県により廃城となりました。

安倍川扇状地の頂部に築かれた平城で、慶長期の大改修で本丸を中心に三重の水堀をめぐらせた輪郭式の縄張になっています。

駿府城近くの宿泊先の駐車場から車に積んできた折りたたみ自転車で登城開始。駿府城に行く前に遅めの昼食を…と街なかを自転車を走らせていると、伝馬町通り(旧東海道)沿いで駿府城の刻印入りの石垣石や幕末の西郷隆盛・山岡鉄舟の会見地の石碑に遭遇しました。下調べ不足といえばそれまでながら、思いがけずこういう史跡に出くわすあたりが歴史ある街だなぁ、と。昼食後、駿府ホリノテラスを西に進むと、城代橋南詰に「徳川家康公出陣キット」が設置されています。午前中に久能山東照宮博物館で見た金陀美具足がプラモデルキットに! さすがは「模型の世界首都 静岡」だぜ…。

城代橋を渡った先には、今年1月にグランドオープンした静岡市歴史博物館が建っています。歴史博物館の東側歩道沿いには駿府城代邸址の石碑と矢穴のある石垣石が設置され、その道向かいの城内中学校沿いの花壇には天守台発掘調査で見つかった石垣石が並べられていました。ニッポン城めぐりのイベントスポットになっていることもあり、まずは歴史博物館の見学から。

静岡市歴史博物館の1階では、建設時の発掘調査で発見された戦国時代末期の道と石垣が露出展示されています。階段が設けられていて、道の高さまで下りて往時と同じ視点で見学できるのが嬉しいところ。道の両側の石垣の上には土塀が続いていたと考えられ、広大な武家屋敷だったようです。2階は徳川家康の一生を軸に駿府の町や今川氏について紹介した基本展示室。大御所政治のことは承知していましたが、当時の駿府は江戸と並ぶ政治の中心地だっただけでなく、李氏朝鮮、オランダ、スペイン、ポルトガル、イギリスなど国際的にも日本の「首都」だったんだなぁ、と。新しい博物館だけに映像やタッチパネルを駆使した展示も多く、ジュリアおたあのことはここの展示で初めて知りました。3階の基本展示室では、東海道と駿府城下町の繁栄、明治以降の静岡市について紹介されています。その隣の企画展示室で開催されていた「東海の名刹 臨済寺 ~義元、家康ゆかりの禅寺~」も見学しました。臨済寺も訪れるつもりだったので、その予習も兼ねて。また3階の展望ラウンジからは駿府城の巽櫓と東御門を見渡すことができました。

さて、歴史博物館を出ると、いよいよ駿府城公園に向かいます(続く)。
 

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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー71城目 (2023/10/29 訪問)

2回目の続100名城スタンプラリー、四国はすでに終わっていますので、帰路につきつつ、洲本城をターゲットとしました。今回は駐車場に乗り付け麓から登城することはしなかったので良かったのですが、本丸の西側の石垣の修復工事が行われていますので通行止めの箇所があります。登り石垣を狙う際には注意が必要かと思います。なんちゃって模擬天守で過小評価してきましたが、石垣、縄張り、登り石垣、本丸からの眺望と素晴らしいポイントがたくさんある城で、続100名城に選ばれるのも当然と今では思っています。今回も西の丸の残念石からの本丸の眺望を楽しんでまいりました。

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詠狸庵

紅葉の松本城と菊花展 (2023/11/02 訪問)

今回は食べ歩きと温泉が主目的での旅行。でも松本城は絶対に欠かせません。
異常な高温続きで御多分に洩れず松本城でも紅葉の色は例年より冴えません。それでも流石に信州。東京や西南日本の例年に比べてもずっと鮮やかというべきでしょう。この日は北アルプス槍ヶ岳も見え、まずまずの好天でした。
太鼓門の袖塀は耐震工事中で一部ブルーシートがかかっていました。しかしそのお陰で桝形内部では壁土を取り去って木舞が露出した部分があり、その仕様が見られたのはなかなかに貴重な機会でした。
また画像ではほとんど見えませんが、大正時代に埋め立てられた南西外堀の建物がついに全て撤去され更地になって、百年ぶりに三の丸西南部から天守を眺めることができるようになりました。堀の復元が楽しみです。
二の丸御殿跡では弓道試合、同じく二の丸の旧市立博物館前では菊花展が開催されていて、美しい力作を楽しめました。菊をはじめ伝統園芸も大切な日本の文化です。むかし同展は本丸で行われていたのですが、昨今の観光客激増では無理なのでしょうね。昔のお城祭りが懐かしいです。

ちなみに、今回の食べ歩きでは

⚪︎「キッチン南海」(首都圏以外で唯一の店)
  ビーフカレー

⚪︎市内あちらこちらの湧水(もちろん無料)

⚪︎「松風庵」(和菓子の老舗開運堂直営の喫茶店)
  和菓子「初霜」と抹茶。お土産に「これはうまい(焼き饅頭、亡き母の好物)」

⚪︎居酒屋「しんざん」
  吟醸の地酒いろいろ、馬刺し3種盛り、信州サーモン刺身、松本一本ネギの塩焼き、同じく酢味噌和え、蜂の子、イナゴの佃煮、わかさぎの佃煮、野沢菜新漬け、その他色々

⚪︎バー「醇」
  スコッチ、ジャパニーズウイスキー、ジンいろいろ

⚪︎〆にホテルの夜鳴きそば

翌日

⚪︎「小木曽製麺所」
  とろろぶっかけそば

⚪︎「翁堂喫茶部」
  コーヒーとレモンケーキ

⚪︎「あずみ堂」
  おやき各種、お土産に蕗味噌

キッチン南海と居酒屋しんざんは40年ぶりかな? 松本の飲み食い歩きはいつも本当に楽しいです。

このあと甲州で温泉と食と城の旅を楽しみました。それはまたの機会に。

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詠狸庵

春の勝沼氏館 (2023/04/11 訪問)

甲府盆地の東側、甲州市は質の良い温泉が多く、甲州の鎌倉と言われるように古刹、名刹も多く、またブドウや桃など果物の名産地であり、そしてワイナリーが多く、毎年何回も訪れます。勝沼氏館は今回初めてでした。
勝沼は甲府盆地の東口にあたる重要な地で、中世武田氏の家臣勝沼氏が支配していました。今に残る居館跡は15世紀には営まれ、16世紀に大きく改造、新たな廓の拡張が重ねられたようです。主郭部には礎石のある建物跡が23棟確認できるとのこと。江戸時代には廃絶し田畑となっていましたが、1973年に県立ワインセンターの建設候補地として調査が行われた際に館跡が発見され、その後の発掘調査で全貌が明らかになりました。
勝沼氏館の近くにはぶどうの寺として知られる古刹大善寺(本堂は国宝)があり、戊辰戦争の勝沼の戦いの場ともなっています。

※横に長い画像はパノラマ写真です。

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シャンシャン

中国大返しの舞台 (2023/11/05 訪問)

本能寺の変が起きて、秀吉の中国大返しの舞台となった城跡。
当時の遺構はほとんど残っておらず、周辺地域の憩いの公園になっている。
「水攻め」のノボリがいっぱい立っていた笑

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シャンシャン

集え!岡山城 (2023/11/05 訪問)

岡山城リニューアル1周年記念イベントに参戦!
岡山城は金烏城の別名が示す通り、烏のような漆黒の天守に多くの金鯱が映えてかっこいい。
月見櫓の特別公開や武将隊の演武、オシロボッツの御城印販売などイベント満載で楽しかった!

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シャンシャン

現存天守9城目! (2023/11/04 訪問)

天守閣と本丸御殿が両方現存する唯一の城。
追手門と天守閣が一つのショットで写真に写せるのも高知城が唯一。
築城当時から残る忍返しや石垣から大きく突き出した石樋など見どころいっぱい!

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シャンシャン

小さな山城跡 (2023/11/04 訪問)

坂本龍馬記念館のすぐ隣にある城跡。
遺構はほとんどなく天守跡には小さな神社が建っている。

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シャンシャン

夜の今治城 (2023/11/03 訪問)

ライトアップされた城が水堀に映ってとてもきれい。
夜のお城も独特の雰囲気があっていい感じ。

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よねちゃん

弘前城 (2019/10/31 訪問)

石垣修復のため、本来の場所では見られなかったけど思う。
表と裏の顔違う(笑)

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よねちゃん

根城 (2023/10/18 訪問)

行ったときには、門の修復工事中で見られなかったけどそれ以外のはのんびりゆったり見られました

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朝田 辰兵衛

城址碑の見落としに注意⚠ (2023/10/08 訪問)

実は,ここもJR福野駅から安居城に向かう途中で立ち寄りました。徳仁寺はかなり遠くからでも視認できるので安堵してしまいますが,城址碑の見落としには注意してください。

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にのまる

北門~西不明門 (2023/09/08 訪問)

初めて訪れた時にはまだ野球場があって、二度目の時はフェンスで囲われていてと、山形城(霞城公園)の北側は私にとって未知のゾーンでした。

艮から乾方向に外周を歩きます。初めて歩く場所はそれだけでとても楽しいです。
やがて見えてきた北門はそそり立つ石垣に威厳を感じました。さらに多聞櫓を載せた姿を想像すると怯んでしまいそうになります。
門の傍に色分けされた地図が貼ってあったので見てみると、魚釣りの可能区域についてでした。南門(山形駅に近い門)から東側の艮櫓あたりまでは禁止区域なので気づかなかったけれど、北側のちょうどここまで歩いてきたあたりは常時魚釣り可能区域のよう。入口付近の番所のようなお家は釣り人さん御用達のお店かな?
復元整備された東大手門がとても大きくて、とびぬけて立派なのだろうと思いこんでいたのですが、北門も想像以上のスケールでした。

さらに外周を進み、最初にすごく感動した西不明門に1時間半ぶりに戻ってきました。何度見てもかっこいいです。似たような写真を何枚も撮ってしまいますが、かっこいいのだから仕方ありません。

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しんちゃん

戦国期の石垣が残っていたら嬉しいのだが。 (2022/11/04 訪問)

高山城は高山市の中心部にある標高686mの天神山に築かれていました。秀吉配下で飛騨攻略に功績のあった越前大野城主金森長近によって改修され、その際にこの地も高山と改称されたそうです。石垣が本丸周辺や大手道周辺に見受けられますが、いつの時代の物かはよくわかりません。二の丸跡が駐車場や広場になっていて長近公の騎馬像があります。この長近公は全国的にはまだ知名度は低いですが、東濃や飛騨高山周辺の城を周っていると、良く名前が出てくる重要な人物のようです。二の丸から本丸を目指していくと中段屋形、東北曲輪、使者之間を経て本丸にたどり着きます。帰りは、もみの木平(南の出丸)を経由してから石の登城道を登って、もう一度本丸に寄ってから最初に来た道を戻りました。朝一の訪問ですが、ほぼ人に会っていません。クマが出没するとの看板がありますが、こんな街中の山にもクマが出るんでしょうか?ちなみにこの後訪問した高山陣屋は人でいっぱいでした。

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しんちゃん

高山城遺構 岐阜県高山市 (2023/11/04 訪問)

高山市は紅葉が始まっていて、完全には赤くなっていないのですが、その分様々な色合いを楽しむことが出来ます。高山城の周辺の寺社仏閣には門など多くの建造物が連なるように移築されていて、歩いて周遊することが可能です。高山市若達町にある雲龍寺には鐘楼門が移築されています。東の素玄寺の本堂は三の丸にあった評議場を移築したもので、さらに東となりにある法華寺の本堂は二の丸にあった建築物を移築したものです。素玄寺と法華寺の間にある坂をあがったところにある東山神明神社には月見殿が絵馬殿として移築されています。この神社の紅葉は黄色と橙色の中間色の山吹色をしていました。遺構を見ながら紅葉を楽しみことも出来て、有意義な時間を過ごすことが出来たと思っています。

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しんちゃん

尾崎城 高山市丹生川町方字城屋敷 (2023/11/04 訪問)

尾崎城は国道158号線の東側の標高720mも丘陵地に築かれた、天然の要害ともいえる城で日本城郭大系にも記載されています。現在は公園として整備されており本丸付近まで車で行くことが出来、駐車場もかつての本丸の一部のようです。戦国期の塩屋(谷)筑前守秋貞の居城とされ永禄7年(1564)武田方の山県昌景に攻められ落城したとされています。主郭と二郭を二重の堀切で分け、東を主郭、西が二郭とされています。公園化の際に復元された物かは解りませんが、遺構は二の郭に多く残されていて周囲に土塁と堀切がめぐり、畝状の空堀群が連なっています。ちなみに二の郭には軍資金や金の鶏が埋められているという伝説があったようで、昭和のはじめに大量の明銭が出土しているようです。公園化の工事の際に何か出土したかは謎です。

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しんちゃん

歴史的建造物が多数。米蔵が大きい。 (2023/11/04 訪問)

高山陣屋の前身は高山城主金森氏の下屋敷であり、かつては「向屋敷」と呼ばれていたそうです。天領になった際に代官所が置かれ、これが高山陣屋の始まりとされています。多くの建造物が残されており、見る者の目を楽しませてくれますが、最も古い建造物が高山城から移築されたという米蔵で今ではギャラリーとして多くの展示物が収納されています。三連休の初日でなかなか人が多く、門前では朝市もやっていました。高山はちょうど紅葉の見ごろになって来ていて、庭園の紅葉もなかなかキレイでしたよ。

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