いしだつつみ

石田堤

埼玉県鴻巣市


旧国名 : 武蔵

投稿する
標柱と石碑
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

dougen

2025.3.15登城 (2025/03/15 訪問)

小田原征伐の際の忍城水攻めを行うため構築した石田堤が、鴻巣市から行田市にかけて流れる忍川沿いに残っています。
史跡の中心となる石田堤史跡公園や石田堤歴史の広場は元より、整備されていない箇所についても、土塁が残っていることに驚かされます。
石田堤を散策しつつ忍川沿いを歩いていくと途中に堤を決壊させた場所と伝わる堀切橋があったり、最終的には石田三成本陣だった丸墓山までたどり着くことができます。

+ 続きを読む

チェブ

城びと未登録のお城攻め「小谷城」。 (2026/02/21 訪問)

まずは、脱線注意報が出ておりますのでご注意下さい。

こちらは浅井三姉妹とも、お市の方とも関係のない「小谷城」。
『こや』と読みます。「忍城」の支城のようです。
成田氏の家臣、小宮氏が築いたようですが不明です。

「忍城」や「石田堤」から荒川方面へ。下流に向かった所に「小谷城」はあります。

*この日は「忍城」や「石田堤」にはお邪魔してません。近くの『道の駅 めぬま』で休憩中に近くのお城を探していてヒットしたのが「小谷城」でした。

『宝勝寺』辺りが「小谷城」のようです。
遺構や石碑はありません。
『宝勝寺』の由緒が刻まれた石碑の中に「小谷城」がありました。
荒川の堤防に「小谷城」の説明板があるようなので、向かいます。、、、見当たりません。
こんな所、と写真を写したら小さい車と私の影が。
子供の頃、影で遊んだなぁーとノスタルジック。

この日のラストが「小谷城」でした。
群馬県の、城びと未登録のお城攻めをした帰りに「小谷城」で締めくくりました。
前回投稿した『足利兄弟』を読み終わり、足利兄弟の地へ行こうとも思いましたが、足利兄弟と仲違いした新田 義貞さんの地、群馬県へ。
トクさん、橘兄弟の投稿ありがとうございました。とても面白く拝読させていただきました。
こちらの足利兄弟は、悲しい結果に終わります。これからもお互い、いろんな先人たちの足跡を辿りましょうね。

朝田 辰兵衛さん、北関東で始動予定と投稿があり、嬉しく思いました。原因不明では、何をどう気を付けるのか難しいですが、とにかく、嬉しいです。
で、北関東かー、じゃあ群馬県。と乗っかってみました。
*「小谷城」は埼玉県の鴻巣市小谷にあります。

浅井三姉妹が暮らした「小谷城」より無名ですが、攻め方はドラマチックだった「小谷城」攻めでした。

+ 続きを読む

todo94

元日の攻城⑦ 2024年元日のリベンジその2 (2025/01/01 訪問)

正代氏館からの転戦です。ここは、2024年初城詣の地なのですが、その時は上越新幹線高架の南側には脚を伸ばしていなかったので、今回再訪した次第です。南側の方がしっかりとした駐車場が完備されているし、土塁も立派だし、石田堤のメインはこちらなのではないかと感じました。標柱や説明板が北側に設置されているので、グーグルマップはこちら側にマーキングされているのだと思いますが、個人的には南側の方がおすすめです。この日の攻城はこれにて終了。帰路の途中でガソリンを給油しましたが、日本一ガソリンが高い長野県よりリッターあたり20円ほど安くてラッキーでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

石田堤 (2024/09/14 訪問)

【石田堤】
<駐車場他>石田堤見学者駐車場
<交通手段>車

<見所>土塁
<感想>1泊2日埼玉大阪化計画の旅4城目。石田堤は名の通り秀吉の小田原征伐の際に石田三成軍が成田氏長が籠城する忍城を水攻めするために築かれた堤防です。現地説明板によると石田堤史跡公園の東側に堀切橋があり、当時はこの辺りから堤防が決壊して水攻めが失敗したそうです。駐車場から史跡公園までが土塁上の道路が通っていて楽しめます。堀切橋を渡り、史跡公園は見張り場だったそうですが土塁はだいぶ薄くなっています。堤の南端に位置するようで、北側の忍城は見えませんが北方向にかけて緩やかに標高が上がっていくのが私の肉眼でも分かりましたので相当高い土塁を築かねばならなかったと思います。

<満足度>◆◆◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 防塁
天守構造 なし
築城主 石田三成
築城年 天正18年(1590)
主な城主 石田三成
遺構 土塁
指定文化財 県史跡(石田堤)、市史跡
再建造物 石碑、説明板
住所 埼玉県鴻巣市袋地内(石田堤史跡公園)/行田市堤根他
問い合わせ先 鴻巣市教育総務部生涯学習課文化財担当
問い合わせ先電話番号 048-541-1321