畔田城は豊橋の豪族、畔田氏の城とされています。城びとの城ではありませんが、豊橋の城址では良く遺構を残している城です。平城に近いですが海に突き出した台地上に築かれた丘城(平山城)と言って良いと思います。畔田氏は寛正2年(1461)以前には豊橋市南部を支配し、戸田氏が勢力を伸ばす前の田原にも居住していたそうです。畔田氏は今川氏に従いますが、今川氏の衰退と共に、没落していったと考えられています。
城跡は住宅地の近くにありますが、遺構は良く残っており、北側から城址への道が続いています。四郭や三郭には土塁が残り、三郭と二郭の間には大きな堀があり土橋がかかっています。二郭と主郭の間にも堀があり、ここには橋が架かっています。主郭には案内板と祠があり、南側は木々に遮られて見通しは悪いですが波の音が良く聞こえます。おそらくその先は断崖絶壁で遠州灘が広がっているはずです。太平洋戦争時にも改修を受けているようで、おそらく塹壕や見張所の類としての扱いだったのではないかと考えます。主郭と二郭の間の堀は西は竪堀のように細く下にむかって続いているのですが、東側の堀底が不自然なほどに広いです。高射砲などを設置できるように二郭を削って堀底を広げてあるのかも知れません。
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