ながやまじょう

永山城

大分県日田市

別名 : 丸山城、月隈城、(日田陣屋)
旧国名 : 豊後

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HKISD

永山城跡散策 (2024/01/02 訪問)

しっかりとした石垣が残っていました。
整備もキチンとされており登りやすかったです。
登った後の日田の街並みを見下ろしたのは最高でした。
近くに豆田の城下町も散策出来素晴らしかったです。

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ryu

永山城探訪 (2022/09/24 訪問)

釈迦岳登山の帰路、訪城。本丸の石垣は熊本地震で被災後、復元されたらしい。

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昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)7日目(最終日):永山城 (2022/06/11 訪問)

玖珠城からの転戦です。豆田北駐車場(33.332661、130.937016)に駐車し、月隈神社参道入口(33.331504、130.935822)に廻り登城しました。

1601年(慶長6年)小川光氏によって築かれました。 関ヶ原合戦後、光氏が入封し古城を改修して丸山城と改め居城としました。
1616年(元和2年)美濃国大垣より石川忠総が60,000石で入封すると永山城と改称しました。
しかし、1633年(寛永10年)に下総国佐倉に転封となり、豊前国中津藩小笠原長次と豊後国杵築藩小笠原忠俊に分割して預けられ、1639年(寛永16年)再び天領となりました。
1682年(天和2年)播磨国姫路から(越前家)松平直矩が70,000石で入封、このとき山上は破棄され麓に館を築きましたが、完成を待たず出羽国山形に移封となります。
その後は、再び天領となり小川氏が代官となりました。

現在は月隈公園となっています。
麓に三の丸の石垣と横堀(水堀)があり模擬土塀が築かれていますが、写真を撮るのを失念しました。わざわざ月隈神社参道入口に廻ったのに悔しいです。
古代の横穴を見ながら登ると二の丸に着き、本丸の櫓台が見えてきます。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=秋月城に向かいます。

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カズサン

三の丸石垣、水堀が素晴らしい (2016/10/27 訪問)

 平成28年の山城サミット竹田大会後九州城廻り八女市猫尾城を終えて九州道、大分道経由で日田ICアウト、日田市には天領日田の町家と北側に永山城(別称月隈城)南側に日隈城が在り全て初探訪。

 車は月隈公園麓の東側無料駐車場に停めて初登城、駐車場から三の丸石垣城塁その上には模擬白い土塀とテンションが上がります、南に回って水堀と石垣、白い土塀、出枡形虎口を通っていざ二の丸本丸へはやりますが先の熊本地震の被災で石垣崩落危険と修復工事などで入城禁止、石垣部も青シートを被り遠目でも見えず、がっかりですが致し方無い。
 永山陣屋跡(天領日田陣屋跡)を横目で眺めて花月川を渡って日田の町並みを散策探訪よく保存整備し現生活に活用され観光客も多く活気ある市街地です、寅さんでも日田の町が作品に取り込まれてました良い白壁土蔵造りの家並みが素晴らしい。

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城郭情報

分類・構造 梯郭式平山城
天守構造 不明
築城主 小川光氏
築城年 慶長6年(1601)
主な改修者 石川忠総
主な城主 小川氏、石川氏、小笠原氏、松平氏
廃城年 寛永16年(1639)
遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)
指定文化財 県史跡(永山城跡)
再建造物 土塀、説明板
住所 大分県日田市丸山2
問い合わせ先 日田市土木建築部都市整備課公園緑地係
問い合わせ先電話番号 0973-22-8217