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城下町散歩 (2024/01/07 訪問)

 岩村では古い街並みを観ることができます。NHK朝の連続テレビ小説「半分、青い。」のロケ地ともなりました。
 以前から私が興味を持っている佐藤一斎は岩村藩家老の次男で、門下生には、佐久間象山、山田方谷、渡辺崋山などがおり、著書である「言志四録」は幕末の西郷隆盛などに大きな影響を与えたと言われています。彼の残した言葉が街の中に貼られていていました。
 ここはカステーラが有名な街です。長崎から離れているこの地に、なぜカステーラなのか疑問に思っていました。長崎県に医学を学びに行った岩村藩の医師が医学とともにカステーラの製法を持ち帰り、この地で作られるようになったといわれています。今回は松浦軒本舗さんのカステーラをお土産に購入しました。

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城内散策 (2024/01/07 訪問)

 六段壁などが有名な城ですが、他にも興味深い場所があります。現在みられる石垣造りの近代城郭は慶長6年(1601年)に入部した松平家乗が整備したとされていますが、南曲輪には戦国時代の遺構である堀切などが残っています。二の丸は入れないと思っていましたが、本丸埋門の正面より入ることができました。整備されていませんが、弁天池や食い違い虎口を観ることができます。弁天池は石垣造りの島がありますが、庭園でもあったのでしょうか。二の丸の下には火薬庫跡もあります。
 狸と遭遇しました。人を見ても逃げることなくうずくまっていました。帰るときにはいなくなっていました。

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松平家乗 (2024/01/07 訪問)

 2年ぶりの岩村城です。織田氏と武田氏の激戦地であり、織田信長がその武田氏の滅亡を知った場所でもあります。六段壁の石垣などが多く残っていて見ごたえがあります。わかりにく所にも石垣があり楽しく散策できます。中学生の頃からよく来ていました。最初の頃、六段壁は防御のために六段になっているかと思っていましたが、補強のために六段になっていることを知りがっかりしたことを覚えています。昔から気になっていた六段壁の前にあったポールは今回なくなっていましたね。
 何度来ても飽きない城址です。

明知鉄道岩村駅から徒歩にて登城しました。

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BUGTI

甲賀武士上野氏の居城 (2024/01/06 訪問)

今年の城攻めは甲賀の城から。主郭部は方形土塁に囲まれていて、この地方特有の形式となっているが、主郭の北側には広い空間がある。屋敷跡と考えられているようだが、これだけ広くて池も存在するので、確かに居住することができたと思われる。近くの油日城も攻めた後、油日神社にお参りして城攻め初日を終えました。

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いんげん丸虫

中野山城 長野県生坂村 (2023/12/02 訪問)

標高697mの山城です。
この地を制していた丸山筑前守政友の城郭です。
土塁を伴った主郭の北に2重堀切、東西の尾根
にも土橋状地形など遺構が残りますが薄くなって
ますね。
北の麓から小さな鉄橋を渡り、10分位直登し
ます。
林道に駐車可能です。

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野間中城 (2024/01/06 訪問)

ぴーかるさんが一番槍を付けた野間城に登城し、返す刀で、野間川を挟んで北側の野間中城にも登城して参りました。
野間城、野間中城とも説明板や道標はありません。ぴーかるさんの的確な登城ルート説明のおかげで、迷うことなく、野間城及び麓の館跡を訪れることができました。Ⅰ郭背後の二重堀切、大きいですね。東側に多くの郭が連なり、結構規模が大きかったです。
Google mapを見ると、すぐ近くに、野間中城の表示があり、他サイトの記事を参考に登城しました。野間中城は、尾根先端にあり、その麓の集会所のような建物の背後から登り始めましたが、いきなりの腰高さの笹叢。今の季節なので、薄い道痕をたどって北面のⅡ郭にたどり着くことができました。城域は、Ⅰ〜Ⅲ郭からなり、杉が植林されて下草がなく、遺構がよくわかりました。野間城よりは規模が小さく、野間城の支城かと。
Ⅰ郭の南側は、高い切岸や竪堀、そして鞍部を経て、ピークがありますが、人の手は入ってなさそうです。このピークから麓までは、杉の植林地で下草もなく、春〜夏は、こちらから直登するのがよいかも。
野間城、野間中城は、狭い盆地の南端にあり、北端には、能勢氏の丸山城が見えました。

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ヒロケン

特別史跡名古屋城の天守閣 (2024/01/06 訪問)

特別史跡名古屋城の天守閣には現在は入ることが出来ません。現在の天守閣は、名古屋のシンボルとして鉄筋コンクリート造りで再建されたものですが、再建から半世紀が経ち設備の老朽化や耐震性の確保など様々な問題が発生しており、現在は、その様な問題を克服した、天守の木造復元が進められております。今回は、色々な角度からの天守をご紹介させていただきます。

今回、帰省していた娘達が金沢に帰ったのを機に名古屋城に行ってきました。娘達が住む金沢も震度5強という強い揺れに見舞わられ、旦那の実家に連絡したところ、オーブンレンジが落下したとか、食器棚の皿が割れたとかの被害があったそうです。
娘と旦那も自分の家が心配であったに違いないですが、私に気を使って予定通りの日程で帰っていきました。

最後になりますが、能登半島地震でお亡くなりになられた方のご冥福と、被災された方のお見舞いを心からお祈り申し上げます。

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赤い城

天神山城 徳島県三好市 (2024/01/02 訪問)

八石城から一旦坂道を降り、今度は井内谷川沿いに登って行きます。
民家がなくなったさらに奥の天神神社を目指します。
神社の鳥居前の墓地の前が広くなっていて車を置きます。
鳥居をくぐり長い石段を登っていくと土橋と堀切、両側に竪堀となり落ちています。
段になった曲輪を経て主郭へ、天神神社が鎮座しています。
本殿は少し高い位置にありますがこれは土塁でしょうか?
さらに南に進んでみると尾根状の曲輪が続いていました。
堀切も施され、西側は崖、東側には道がついていますが犬走り?
神社を建てた際の通路かもしれませんが。
詳細は不詳の城、近くまで来ても訪れようと思う人は少なそうですね。
そもそも近くまで来ないかな?

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イオ

造山城(岡山市北区新庄下) (2023/10/15 訪問)

造山城(つくりやまじょう・城びと未登録)は、羽柴秀吉の中国攻めに対して毛利方が設けた陣城で、全国第4位の規模を誇る巨大前方後円墳・造山古墳を改修して築かれています。

造山古墳ビジターセンターの駐車場に車を駐めると駐車場から古墳が見渡せますが、端から端まではカメラに収まりきらない巨大さです。古墳に向かう前に、まずはビジターセンターで情報収集。ビジターセンターには吉備や造山古墳についての展示のほか、陣城としての説明パネルもありました。そして、ビジターセンターでもらった造山古墳ガイドマップを片手に登城開始。

案内表示に従ってまずは前方部へ。前方部には荒神社が鎮座し、裏手に阿蘇ピンク石製の石棺蓋が置かれています。前方部は陣城としてあまり改修されていないようですが、高さがあり斜面も切り立っていてそのままでも陣城に活用できそうです。前方部の北側には削平地が広がり、その先の後円部南西下には三段の腰曲輪と切岸が設けられています。

腰曲輪の脇の遊歩道から後円部へ。後円部の南西辺~南東辺~東辺にかけては土塁で囲まれ、南西下に加えて南東下にも腰曲輪を設けています。腰曲輪の脇には竪堀が落ち込んでいますが、草に覆われて何となく感じられる程度でした。ガイドマップによれば後円部の北部と南西部にも竪堀があるようですが、藪に沈んでいて全くわかりません。後円部からは北東に備中高松城を望み、造山古墳が陣城とされた理由が実感できました。

…と、これでニッポン城めぐりのイベントを完全制覇。10月とはいえまだまだ暑く、草木も生い茂っているため平城以外はポチのみに留めましたが、和歌山からの日帰りではこれが精一杯というところ。鬼ノ城にも行けませんでしたし、岡山城の再訪も含めて、またいずれ。
 

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スティクラ

飢え殺しで有名な鳥取城へ (2024/01/06 訪問)

鳥取駅から徒歩で20分くらいで入り口付近にある吉川経家像に到着。
鳥取駅からは大通りを県庁方面に進めばいいので、わかりやすかった。
城の正面口にあたる大手登城路は、2020年代後半の完成を目指して復元工事中。
北の御門跡から入り二ノ丸、三ノ丸を見学後に山上ノ丸に行くため久松山に。
二ノ丸付近から石段を登り続けると30分ほどで本丸跡に到着。5合目に休憩場があるが、平坦な道がなくキツい登りが続くため、軽い山登りの装備が必要。
本丸跡を見学した後に太閤ヶ平に行こうといたが、雨が降ってきたため断念。
通常の石垣も素晴らしいが、球体のような珍しい石垣もあるので、見る価値は十分あり。
帰りに鳥取県立博物館を見学して終了。

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とばつびしゃもん

山城に大手石垣が残る城 (2023/05/04 訪問)

高槻城を攻城した後、高槻市立しろあと歴史館で続日本100名城スタンプポン。歴史館では高槻城と芥川山城の資料が展示されていました。
歴史館から車で約30分移動。摂津峡公園下の口駐車場(有料)に駐車し登城開始。
歴史館で入手したパンフレットの案内図を参考に25分ほど歩くと登城道分岐点へ。搦め手にあたる右手の道を選択し30分弱登ると主郭に到達。主郭からは高槻市内を一望。下りは登ってきた道を途中で右手に折れ、見どころのひとつ大手石垣へ。中央部分が崩れたのか?草で覆われているのか?石垣全体を見渡せないが、当時、城主の威光を見せつけたであろう山城の石垣は興味深い。
イノシシ除けの柵をくぐって登城道分岐点へもどり下城。

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しんちゃん

本城編 謎の石群が頂上部に存在。 (2023/01/02 訪問)

新春一ノ槍-2 青景城の投稿です。
青景城は本城と南城の二か所があるようなので、まずは本城から紹介したいと思います。城主は青景氏で藤原秀郷を祖としているようです。源平の合戦の際に青景秀通は源氏方に付き、父・秀清と叔父・秀盛は平氏方に付き、源氏の勝利後は秀清のみが許され、秀盛は軍規に従って誅殺されています。青景城ですが本城とてそれほど大きくもありません。南西が高所になっていて周囲に岩が露出していますが石垣とは異なるようです。磐座のような宗教的な意味合いがあるのか、防御のために天然の岩盤を利用しているのかは不明ですが、前城の周囲も岩盤が露出しています。正規の登城道以外は危険なので、本城を訪れる際には付近の住民の方に声をかけると良いと思います。
本城の正規の登城道は北西側にあって堀切を経て南側に登ると主郭に至るようです。私は車を駐車させていただいた上に親切に途中まで案内していただきました。親切心もあると思いますが、正規のルート以外は危険なので不慮の事故の予防もあったのかもしれません。

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しんちゃん

居館跡としてはなかなかの広さがある。 (2024/01/01 訪問)

新春一ノ槍-1 冷泉氏館の投稿です。
冷泉氏館は大内氏の家臣・冷泉判官隆豊の居館とされています。主郭の周囲に郭らしき扁平地が幾つか存在し土塁も一部残っています。主郭の中心に神社があり(シャッターで完全防備になっています)居館跡としてはなかなかの広さがありました。

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しんちゃん

看板は立派なのだが‥直登しかない。 (2023/12/31 訪問)

年末一ノ槍-3 永町山城の投稿です。
永町山城は金子氏によって鎌倉時代末期に築かれたとされています。貞治6年(1367)金子平内左衛門尉が安芸国守護・武田氏より温科村惣地頭職に任じられると金子氏は温科氏を名乗るようになったと現地案内板には出ています。
案内板は新しくて立派ですが登城道が有りません。比高はさほどでもありませんが周囲が急な切岸のようになっています。しかたがない、ここは得意のパワープレイで掴めるものを掴み、足場を探しながら強引にガシガシ登ります。名付けて「変態登り」!
ちなみに切岸を尻を使って滑る降りる「変態滑り」もセットで存在します。はたから見ると本当に変な人にしか見えないので、あまりやりたくはないのですが道がないから仕方が無いじゃん。頂上には扁平地が広がりますがこれといって遺構は無し。降り所を探していると堀切があるので下っていくと(変態滑りは最後の手段です)畑地の前に柵があって出られません。広島にいる間こんな状況が多々ありました。頼むからカープ以外にも興味を持ってくれ‥

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ゆい

初めての観音寺城 (2024/01/06 訪問)

今日もぼっちで登城。
昨日の三雲城に引き続き、観音寺城にやって来ました!

佐々木六角氏の居城の観音寺城。
こちらも三雲城同様、山城です。

今回初登城だったので、1番難易度が低いであろう観音正寺経由で登城しました。

繖公園ソフトボール場の方へ信号を左折。
少し進むと、急勾配のアスファルトの坂が現れます。
狭く、待避所があるところ以外は対向不可です💦
途中、警笛鳴らせの看板が出てくるのでぜひ鳴らしてください。
私は鳴らしながら通行していましたが対向車に突っ込まれそうになりました。
その後直ぐに料金所が見えます。
車(軽自動車含む)は600円。

駐車場も広くないので運転が得意ではない人は軽自動車で行くのがおすすめです。
私は特に問題なく駐車出来ました。
16:30には駐車場のゲートが閉まるのでそこは注意。

駐車場の隅に大きな石碑があり【観音正寺】と書いていました。

そこから砂利道を上がっていき、途中で【佐々木城】と書いた看板と明らかに林道に入っていく道が現れたので登っていきました。

山城あるあるですが階段は急で、平面の同じ距離を歩くより数倍キツイです。

進んでいくと徐々に汗ばんできました。

途中、イノシシのフンを見つけてしまい怖かったです。
近くにいたらどうしよう、と少しパニックになりました。
GPSで位置を確認しながら登っていきましたが、イマイチ城跡の石碑が発見できなく諦めて帰ろうかと思った時に石碑と看板を見つけました。

山登り初心者で女1人、安全面を考えてあまり奥には進まないようにはしているのですが、帰り道少し迷ってしまい、慌てて電話で観音正寺に助けを求める始末。
ご迷惑おかけしてしまいました、、、

基本的には電波は届きますが、一部圏外になる場所もありました。

観音正寺の方に目印などを伝え帰り道を教えていただき、無事下山。
そのまま観音正寺に行きました。
観音正寺の入山料は500円との事ですが、絶対に払わないといけないわけではないようです。
受付にも誰もいなく、どこで支払うのか分からなかったです。

1番奥の本堂で御城印や御朱印を販売されていました。
日付も書いていただきました。
100名城スタンプは、入口からほど近い事務所の壁沿いにありました。

今日はあまり時間がなかったので、通っただけですが、なかなかに見応えありそうな雰囲気だったので、次回はお寺もしっかり見たいなと思いました。

無事に帰って来れて良かった、、

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しんちゃん

二郭に向かう道はなかなか恐い。 (2023/12/31 訪問)

年末一ノ槍-2 八木城の投稿です。
八木城は太田川の北側にあり、高瀬大橋を渡った先の東側の丘陵上に築かれています。東西の二峯の上に郭があり、東側が主郭で西の祠がある郭が二郭のようです。周辺に駐車場は無く車は置いて来るしかありません。また二郭に向かう道は車では通行出来ません。
二郭に向かう尾根の北側はコンクリートでがっちりと補強されていて落ちたら大変なことになります。ガードレールがありますが、高所恐怖症の人にはかなりキツそうですね。
城主は香川氏で承久の乱の功績で八木村の地頭として移ってきたそうです。香川氏は戦国期には武田氏に従っていましたが武田氏が内部分裂で滅ぶと毛利氏→吉川元春と仕え後に岩国に移っていったそうです。ちなみに二郭にある祠には香川氏の祖・鎌倉権五郎景政を祀ってあるそうです。

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HKISD

朝日山城散策 (2024/01/02 訪問)

ここは鳥栖駅の駐車場からだとかなり登山ですね。
車で山頂まで行って散策しましたが展望台はしっかりしており
鳥栖全体が見渡せました。

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森長俊 (2024/01/06 訪問)

 森長俊が築いた陣屋です。物見櫓が今に残る陣屋唯一の建造物とのことで、中御門、長屋等を含めて復元整備されています。三日月駅へ行く途中に移築された表門や武家屋敷群を観ることができます。

 JR姫新線三日月駅から陣屋まで徒歩約15分でした。

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しんちゃん

恵下山・山手遺跡群 (2023/12/31 訪問)

年末一ノ槍-1 恵下山城の投稿です。
恵下山城は北は太田川、南は三篠川に挟まれた丘陵上に築かれています。恵下山・山手遺跡群に位置づけられていて弥生時代から人が暮らしていたようです。推定の城主は金子氏ではないかされていますが詳細は不明です。
構造は東西の丘陵上の二股に分かれ北尾根でつながっています。西側が本城で東側の郭は出丸とされ、いつの時代のものかは不明ですが出丸の周囲には石積みが残っています。本丸の南側に二の丸が隣接し北側の堀切を隔てて郭が配されているようです。本丸と北郭からは周囲を良く眺望できます。

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佐用兵庫介範家 (2024/01/06 訪問)

 赤松氏の重要拠点のひとつとなっていた城ですが、戦国時代黒田官兵衛、竹中半兵衛らによって攻め落とされたと伝わっています。土塁上に福原霊社が建てられています。

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