(続き)
開場ほどなくして天守台発掘調査現場に入場。発掘調査現場では徳川家康が大御所として改修した慶長期天守台だけでなく、天正期に築かれた天守台のほか、今川期の薬研堀や中国製の磁器などが発掘されており、カラーコーンで各時期の遺構を色分けして表示されています(慶長期は緑、天正期は赤、今川期は黄)。
入場してまず発掘調査現場の広さに驚きましたが、慶長期天守台の巨大さは開いた口が塞がらないレベルで、一辺60m超と知識では知っていても、実際に目の当たりにすると両端が視界に収まりきらず、唖然とさせられました。さすがにこの天守台に直接天守が建っていたわけではなく、多聞櫓で囲んだ中に建てられていたようですが、いずれにせよ大御所の比類なき権勢を実感させられました。天守台を取り巻く本丸堀も深く幅広く、天守台北東部には天守台下御門跡の木橋の痕跡や枡形虎口も確認されています。天守台南部には小天守台が接続し、絵図によれば天守台に続く階段が設けられていたようです。
慶長期天守台の南東部では天正期天守台が重なり合うように確認されています。一辺30m超と慶長期の4分の1の規模ながら、普通に考えれば充分すぎるほどの大きさで、慶長期が規格外すぎるんですよね。慶長期の打込接に対して天正期の石垣は野面積みで積まれており、天守台付近で金箔瓦が多数出土しています。
発掘調査の成果は場内の発掘情報館きゃっしるで紹介されていて、写真や説明パネル、出土した金箔瓦などが展示されています。また、天守台跡を野外展示施設として整備・活用する計画が進められているようなので、完成したらぜひまた訪れたいものです。
…ということで、遠征2日目の予定を変更してまで訪れた天守台発掘調査現場でしたが、この世に二つとない規模の天守台が見られましたので、その甲斐は充分すぎるほどにありました。満足満足。
(最後にもう一回続く)
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