真岡城は宇都宮氏と縁戚関係のある芳賀氏(清原氏)の居城で築城時期については諸説あるようです。慶長2年(1597)宇都宮氏が豊臣秀吉によって改易され真岡城もその時に廃城になったようです。現状は真岡小学校になっていて本丸跡はグラウンド、二の丸跡には校舎が建っているようです。
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2024/01/10 19:52
2024/01/10 19:33
現代人(おいら)には二宮尊徳スピリッツが足りていないかも。報徳・献身・節約・忠節‥ (2019/11/03 訪問)
桜町陣屋は元禄12年(1699)に大久保家の分家で旗本の宇津家が桜町三ヶ村を治めるために設けた陣屋で国の史跡に指定されています。二宮尊徳さんが文政6年(1823)に小田原藩主大久保忠真の命で赴任し26年(36年とも)過ごしたとされています。
陣屋建物が現存し、周囲には土塁や壕が残り虎口は折れ曲がって侵入者の直進を阻んでいます。陣屋の東側には二宮尊徳氏に関わる遺構や建造物が残ります。北から桜町二宮神社・二宮尊徳資料館そして二宮尊徳本人とゆかりあるの人物たちの墓地がある蓮城院が有りました。
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2024/01/10 10:50
2024初登城と初詣(2/2)-飯田丸五階櫓とくまモン (2024/01/08 訪問)
2024初登城と初詣(熊本城)の続きです。
次に、熊本市民に勇気を与えてくれた奇跡の一本足、飯田丸五階櫓を訪れてきました。あれからもうすぐ8年目を迎えます。その奇跡の石垣は、ほぼ元通りにまで復旧していました(写真①)。約1年前は、まだクレーンで石垣を積む作業が行われていましたが、今は終了しクレーンや足場も撤去され、石垣は元通りに修復を終えたようです。しかし、石垣の石の隙間に何やら謎の鉄の杭のような物が埋め込まれていました。補強のためでしょうか? 近くで見る事ができないので何か解らずに気になりました(拡大写真②) 写真を倒壊直後から1年前と現在まで(写真④→③→①)の順に見て頂くと今までの復旧の過程が解ると思います。復旧作業は順調なようです。次はいよいよ上の五階櫓部分の復元工事ですね。どうやって復元するのか、楽しみに見て行きたいと思います。
帰りに、またくまモンに会うために「くまモンスクエア」に寄ってきました。出勤時間に遅れて着いたら、すでに場内は満員大盛況!(写真⑤~⑨)。相変わらず元気なやつです。私もつられて「今年もがんばるモン!」と、またものまねをしながら帰りました(やっぱり似てないかな🤔?)。
【余談】くまモンの動くLINEスタンプ(写真⑩)が、今なら期間限定無料でGETできますよ! 詳しくは「ラブくまプロジェクト」で検索して下さい😊。
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2024/01/10 08:10
陣跡めぐり(伝多賀貞能陣~伝滝川一益陣) (2023/11/04 訪問)
小谷城の正面に立ち塞がるように聳える虎御前山に織田信長が築いた陣城で、小谷城攻めの本陣として機能しました。
小谷城の展望台から虎御前山城のあまりの近さに驚いて以来、いつか行ってみたいと思っていましたが、ようやく果たすことができました。中腹まで車で行けるようですが、全ての陣跡をめぐるつもりなので、南麓の虎御前山公園の駐車場から歩いて登城開始です。
矢合神社の参道に入ったところに虎御前山の案内板が立てられています。北端の伝柴田勝家陣まではなかなか距離がありそうです。境内の手前で参道から右手にそれると多賀貞能陣地跡の石碑と説明碑が立てられています。矢合神社の境内一帯が陣跡のようですが、改変されていて遺構は見当たりません。矢合神社の裏手から倒壊した案内表示に従って山道を登った先には前方後円墳があり、後円部の上に蜂屋頼隆陣地跡の石碑と説明板が立てられています。蜂屋頼隆陣の北麓には展望台があり、北に小谷城を望み東側の眺望が開けています。ここから見られる田んぼアートは今年が最後だったようです。展望台の先の石段を上って行くと整備された広場に丹羽長秀陣地跡の石碑と説明板が立てられていました。伝丹羽長秀陣からいったん下って伝滝川一益陣へと続く坂道沿いには、33基の古墳からなる信長馬場古墳群が連なっています。いくつかの円墳が見られる伝滝川一益陣には石碑と説明板が立てられていますが、南側は電波塔の敷地として大きく改変されています。
ここまでは陣跡めぐりと言っても、櫓台や曲輪として活用されたと思しき古墳があるくらいでしたが、この先の伝堀秀政陣からは城郭遺構が見られるはずです(続く)。
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2024/01/10 07:15
2024/01/09 22:28
チェブさん,ご心配ありがとうございますm(__)m (2023/11/05 訪問)
石川県と新潟県ではタイムラグがあったのではと思います。また,通信レスポンスの遅延もあり,16:12の表示だと思います。ポチとほぼ同時に揺れました。ちょっとしてもう一度揺れました。これが激しく長かったです。縦にも横にも揺れてローリング状態でした。ローリングは,2004年の新潟県中越地震以来でした。その時の教訓として,「額は飾らない」と決めました。賞状類は,専用のクリアフォルダーにしまってあります。
ご心配おかけしました。
気になるのは,余震の震源地が佐渡にどんどん近づいてきていること。酒田沖の断層が刺激された場合,新潟市中心部は7~8mの津波がハザードマップで予想されております。
さて,平山季重居館ですが,裏手に墓所および平山城址公園があります。
「ここは山城?」
「平山城」
「・・・」
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2024/01/09 22:14
最北地にある本格的山城。そして‥ (2021/05/06 訪問)
尻八館は古代に蝦夷(アイヌとも)が築いたチャシを土台に正安年間(1299~1302)に安東孫次郎師季が築いたとされています。ため池から西方向に登城道が続いていて二の郭を経由して主郭にたどり着きます。城域かどうかは不明ですがその先にも扁平地があり周囲の眺望は素晴らしいものがあります。
詳細を書くと、まずはため池から案内板に従って登っていくと陣場を経て長い竪堀が見えてきます。この長い竪堀は登城道にそって二の丸まで続いていくので古の大手道だったのかもしれません。二の丸の先に堀切があってその先に本丸があるのですが、「とある煩悩の登城目録」さんの投稿にもあるとおり熊のフン様が置かれているのですね。しかも三個ですよ‥。たしか二の丸の入り口と本丸の手前、本丸から先に向かう途中にも鎮座しておられました。おかげでスリルあふれる訪問になりましたが、その割には本丸の奥手まで訪問しているんですね。アホですねえ‥本当に。今ではほぼほぼ動じなくなりましたが野生動物の機動力は人間の想像を絶するものがあるので、どんなに準備をしても万全というわけにはいかないと思います。
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2024/01/09 22:10
国道6号に分断されたお城 (2023/10/20 訪問)
JR常磐線(各駅停車)北小金駅から徒歩10分ほどで到着。
主郭部分は国道6号(水戸街道)で分断され、大幅に失われていますが、主郭の南側の部分は、根木内歴史公園内に残存しています。
国道6号の「根木内」の交差点から東に進むと歩行者用の公園の城址口があり、そこから入城。
車の場合は、上富士川にかかる根木内城址橋の手前に8台ほどの公園駐車場があります。トイレは駐車場の所にあります。
歩行者用の城址口を進むと、土橋があり、そのそばには根木内城の標柱があります。公園内に土橋、土塁、空堀などの遺構が残っており、説明板も充実しています。空堀も遊歩道になっており散策しやすいです。上富士川のそばは、湿地になっており、散策もできます。
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2024/01/09 21:18
東西に伸びる丘陵上に郭が連なる。 (2023/12/31 訪問)
己斐古城は厳島神社の神領衆である己斐氏によって築かれたとされ、己斐新城である平原城と区別するために己斐古城と呼ばれているようです。東西にのびた丘陵上に郭が複数配置されています。公園から道が続いているので登っていき、まずは西を目指します。西の郭の先に堀と土塁が残り攻め手を遮断しています。ここで引き返し東の郭を目指します。東の高地にある郭が主郭のようで裏手に登り口が有りました。頂部に何か建っていたようですが見事にブッた斬られています。城郭放浪記さんの記事によると展望台があったようですね。
この城が大晦日、2023年最後に訪問した城になりました。広島城に行った残りの時間で攻略して滑り込みセーフです。道の駅で車中泊し年越しです。紅白歌合戦をナビのTVで見るつもりだったのですが電波が届かずNGでした。
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2024/01/09 20:48
いろいろと謎の多い城。朝から雨が降ったりやんだりで‥ (2023/12/31 訪問)
勝山城は北西に川に面する丘陵にありました。結構急な坂を登って行った先にある寺の左手から取りつくのですが、南西の方向に御調八幡宮の大きな駐車場があるので、ここに車を停めさせてもらって歩いてくるのが無難だと思います。
グーグルマップに名前の出てこないお寺の左の御堂の脇から道が続いているのでそこを登っていくと堀切に至り、北側(左手)が主郭のようです。直登していくと上に扁平地が有りました。堀切の右手・南側にも幾段かの扁平地があったようです。
主郭周囲にもいくつか扁平地があったようですが正確には覚えていません。いろいろ調べても詳細のわからない謎の城です。
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2024/01/09 20:40
姫路城3 (2023/11/03 訪問)
天守閣の最上階に行くと四方を見渡せますが… 混んでてなかなか思ったようにみえないと思います。この時は16時過ぎで夕陽が天守閣を照らし始めていました。
特に西側の方を見るのがおすすめです。にの門などの多くの建物がバランスよく並んでいるのが見えますよ♪
天守閣からの眺めは3枚ほど載せていただきましたが、どこから撮ったか、何かも正直わかりません… すみません。
本丸の大きな広場からは大きな天守閣を真正面に見ることができます。
本丸終了後は備前門を通って旧番所を見ながら太鼓櫓を通って高石垣越しから天守閣を写真に撮りました。この高石垣は打ち込みはぎっぽいですが、どうなんでしょうか?
さて次で姫路城を絞めようと思います。続く
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2024/01/09 20:09
頭崎城をリタイアした後に訪問。山名氏の攻撃に三年耐えた城。 (2023/12/31 訪問)
御薗宇城は平賀氏の城の一つで弘安年間’(1278~1287)に築かれたとされています。応永10年(1403)山名満氏によって攻められ3年に渡る長期戦になり平賀弘章の子の共益・惟益・惟元が討死しますが国人衆の助けを受け山名氏を退けたとあります。
この日は雨がふったりやんだりで、直前に訪れた頭崎城は林道から分かれた城への急激な坂を車が登れずリタイアと散々だったのですが御園宇城はすんなり散策できました。案内板に沿って登っていくと石垣がありそこから左へ折れて主郭にたどり着きます。
主郭の周囲は切岸のような斜面に囲まれていて、それを登っていくと北の郭にたどり着きます。この郭二段になっていて東の方がすこし低くなっているようですね。
広島や山口の林道はなかなか荒れているものがあり3城ほどリタイアしています。まともに歩いていくとかなりの距離があるので時間や体力の都合で割愛したりしています。頭崎城はいずれまた訪問したいですね。北からの道は有れているので南側から訪れる予定です。
途中からは坂が急すぎて四駆の軽でないとキツそうですね。酷道ならぬ通行不可な林道・ムリン道ですわ。
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2024/01/09 19:34
小池城(おいけ)(大池城)長野県生坂村 (2023/12/02 訪問)
標高788mの山城です。
この地を制していた丸山氏の城跡です。
細長い尾根に曲輪が並び、2つの堀切
があります。
麓のいちょう公園付近に駐車可能です。
看板等は一切無いですが、登城道は
あります。
しかし、この山は10数年位前に
松くい虫か何かの被害にあったようで
すね。
ほとんどの木が根元から朽ちてます。
無数の倒木を越えて登らねばならず、
崩壊している箇所もあるので、山歩き
に慣れてない方はお薦めできません。
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2024/01/09 19:00
名胡桃城 (2023/11/25 訪問)
【続百名城65城目】
<駐車場他>名胡桃城址駐車場無料数十台分あり
<交通手段>車
<見所>大空堀・堀切・土塁
<感想>2泊3日松本・佐久・吾妻の山城攻めの旅3日目12城目。上記駐車場は般若郭跡になっていて曲輪内をぐるりし案内所にてスタンプ押印・御城印を購入、少し資料が置いてあるので見学してから登城しました。順路は南北を大空堀で阻まれているので3郭・正面馬出し跡から奥へ奥へ行くしかないので馬出し跡⇒3郭跡⇒2郭跡⇒本郭⇒ささ郭の順で進みました。各曲輪間を仕切る堀切・曲輪土塁は見応えがあります。二の丸櫓台・2郭北虎口跡には腰巻石垣がわずかに残されています。
北東側に流れる利根川段丘上の断崖沿い縁に築かれた城で西側からは僅かに低地、北東側からは断崖上に築かれた山城になっています。南北に仕切る大空堀もダイナミックで小諸城と同じ、構造上は小諸城とそっくりでミニ小諸城と言ってもいいのに小諸城は平山城、名胡桃城は山城分類されていて何だか分類上変に思いましたが見応えはありました。
<満足度>★★☆
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2024/01/09 18:33
幕末期の広島藩の隠し城 (2023/12/31 訪問)
八条原城は南に関川が流れ周囲を山に囲まれた、三つ掛山の山麓に築かれています。幕末の動乱期に広島藩が高間多衛を軍事奉行に任命して築かせた城で、藩士の子弟を以て組織した八旗隊の修練の場所という名目になりますが実情は有事に備えた広島藩の隠し城のようです。
かつては周囲を石垣で囲まれていて東南側に本門を設け兵営舎・炊事場・風呂場・道場などが建て並んでいたようですが今は何も残っていないようです。現状神社の境内になっており東側と北側に土塁が残り、本丸は周囲より微高地にあり、西側の一帯がさらに微妙に高所になっています。かつては城内に米蔵が有り、志和盆地八千石の年貢米が入れられていたそうです。
案内板には軍事奉行は高間多須衛とあり内容は城郭大系と若干異なります。内村越・小原峠・御堂原・榎山峠・湯坂峠・関川口の六か所の関門を設け軍監・木原秀三郎率いる神機隊留守隊が守備し志和盆地を要塞化できるようにしていたようなので、その際には八千石の年貢米が重要な籠城のための兵糧になったと思われます。
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2024/01/09 16:34
東武ワールドスクウェア 日本の城郭編 (2019/11/02 訪問)
栃木県日光市にある東武ワールドスクウェアは日本や世界の遺跡や歴史的(現在含む)が1/25スケールの精密なミニチュアで再現されています。姫路城、二条城、熊本城および首里城の守礼門が展示されていました。21年4月に首里城が公開されています。
私も首里城のミニチュアを見にもう一回行きたいのですが、首里城だけを見に行くのもアレなので、どうせなら彦根城や松山城など国宝天守や現存天守の城も再現してもらえたらと思います。名古屋城も再現してもらえるとうれしいです。正直いつまでたっても木造復興の工事が始まらないので半分諦めています。首里城じゃないですがせめて大スケールの模型で往来の姿を楽しめたらと思います。
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2024/01/09 16:13
東武ワールドスクウェア 世界の城郭編 (2019/11/02 訪問)
栃木県日光市にある東武ワールドスクウェアには世界の遺跡や歴史的(現代含む)建造物が1/25のビッグスケールで再現されています。ミニチュアといってもかなりの大きさで写真で見ると本物?と見間違えそうなほどの精巧さです。
万里の長城なんてディアゴスティニの「週刊万里の長城をつくる」なんかでシリーズ化したら何十年もかかりそうなサイズです。日本の城を見て回るので精いっぱいでヨーロッパの城なんてなかなか行くことなんてないので、ノイシュヴァンシュタイン城行ってきたよ・なんちゃって みたいなノリを味わうのにはうってつけだと思います。中国で万里の長城でパシャパシャ写真を撮ってたら秘密警察に捕まって何をされるかわかりませんが、ここでならいくら写真をとっても大丈夫です。
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2024/01/09 15:55
東武ワールドスクウェア 栃木県日光市鬼怒川温泉 (2019/11/02 訪問)
東武ワールドスクウェアは栃木県日光市にある世界各国の遺跡や歴史的建造物、現在の代表的建造物等を1/25スケールのミニチュアサイズの模型で再現したミニチュアパークです。1/25というとタミヤなどのカーモデルなどとほぼ同等のサイズで、コアな話をすると昔にタカラがボトムズのプラモデルをリリースしていた時の大きい方のサイズになります。
世界各国の古代の遺跡を1/25で再現しているのでピラミッドなどかなりの大きさになります。東京スカイツリーなんて言うと26m以上になるわけですか‥。なかなかの広さでしばらく楽しませていただきました。一度は訪れる価値があると思います。二回目は気に入ったら是非にと思います。著作権関係が気になったので運営側に「城びとに載っけていいですか~」と聞いたら「いいですよ」と了承をいただいたので掲載させて戴きます。
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2024/01/09 13:17
「お城ファンが実際に訪れた日本のお城ランキングTOP300」で駿府城が1位を獲得しました!
「ニッポン城めぐり」が発表した「お城ファンが実際に訪れた日本のお城ランキングTOP300(2023年度版)」に駿府城がランクインしました。
「ニッポン城めぐり」とは日本全国のお城をめぐる無料のGPS(位置情報)スタンプラリーアプリです。GPSの情報を元に日本全国の城郭の訪問者数をランキング化したTOP300を発表しており、数ある城郭を押さえ駿府城が1位を獲得しました!
※「お城ファンが実際に訪れた日本のお城ランキングTOP300(2023年度版)」の詳細はこちら(https://ameblo.jp/cmeg/entry-12826870543.html)をご覧ください。
今年は、NHK大河ドラマ「どうする家康」の放送に合わせて多くの方々が、駿府城跡天守台発掘調査現場に訪れました。JR静岡駅から徒歩15分程とアクセスも良く、周辺には東御門・巽櫓、静岡市歴史博物館、どうする家康大河ドラマ館など家康ゆかりの施設が数多くあります。
駿府城跡天守台発掘調査現場は年末年始(12/29~1/3)を除き、年中無休で見学できます。ぜひ駿府城跡天守台発掘調査現場に訪れてみてください♪
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2024/01/09 10:40
2024初登城と初詣(1/2)-加藤神社 (2024/01/08 訪問)
私の今年の初登城は初詣を兼ねて熊本城を訪れました。
登城口でまず清正公に拝礼してから城内へ(写真①)。それから清正公を祀る加藤神社にお参りし初詣をしてきました(写真②)。
そして、その加藤神社から眺めた大天守と小天守です(写真③④)。このアングル私は好きです。
また同じく加藤神社から眺めた現在の宇土櫓です(写真⑤)。完全に素屋根に覆われて見えなくなっていました。約1年前と半年前に同じここから撮った写真と見比べて頂きたいと思います(写真⑦→⑥→⑤の順で見て下さい)。解体工事は順調に進んでいると思われます。でも素屋根の中は、いったいどうなっているのでしょうか?
熊本城内には三つの神社があります。加藤神社の他にも、熊本のお伊勢さんと言われている熊本大神宮(写真⑧)、また商売繁盛を願う熊本稲荷神社です(写真⑨)。いずれにもお参りして、三社詣を果たしてきました。そこに厄年などの今年の運勢が貼ってありました。皆さん要チェックですよ! あなたの今年は大丈夫ですか~?(写真⑩)😲
次も、2024初登城と初詣(2/2)熊本城です。
飯田丸五階櫓とくまモンに続きます。
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