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tanaq

綺麗に整備されてました (2022/12/04 訪問)

大手門から本丸まで石畳で歩きやすく、小規模ながらよく整備されていました

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キンヤ

巨大な堀で防御されたスケールが大きな城 (2022/11/20 訪問)

上杉謙信が三度も攻めた城として有名です。
戦国時代には越中守護代の神保氏が長く治めてましたが、その後、一向一揆、上杉氏、佐々氏、前田氏と城主が交代し、それぞれが修築したようです。

7年ぶりに行き、雨の中でしたが何とか巡れました。
前回は一通り巡って亀山城まで行きましたが、今回は2時間で巡る必要があり、広大な縄張りであるため主要部のみとなりました。

規模の大きい堀切・空堀が多数あり、堀好きには堪りませんでした。
特に、F郭手前の両サイドの長大な堀切・竪堀、二ノ丸と安室屋敷の間の大きく鋭い堀切、安室屋敷と三ノ丸の間の巨大な空堀は圧巻でした。
前回は薮だった安室屋敷北側とL郭の堀、三ノ丸南東側の堀などを見る事ができ良かったです。 

その他、土塁、広い曲輪、切岸、櫓台も見応えがあり、スケールが大きく素晴らしい城でした。

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いんげん丸虫

加地氏 築城 (2022/11/20 訪問)

標高165mの「要害山」にあります。
麓にある藤戸神社に看板があり、1台位なら駐車可
能です。
見晴らしの良い主郭から3方に尾根があり、それぞ
れ堀切、曲輪等の遺構が見られます。土橋が明瞭で
1番の見どころかもしれません。
段曲輪も多くあり、ルートを外れて探索すると竪堀
状のダレ等遺構らしきものがありますね。
藪漕ぎはなく、看板も要所にあるので迷うことはあ
りません。

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シェル

現存の櫓門が残る茨城のお城 (2022/12/03 訪問)

JR常磐線土浦駅西口から徒歩15分程度で到着
霞門(工事中)→旧前川口門(移築)→太鼓門→本丸→東櫓→西櫓の順に見学。
現存の太鼓門をはじめ、本丸には多くの建築物や土塁、水堀が残っており、見応えがあります。
霞門付近と土浦市立博物館では、工事が行われていました。
そのため、東櫓内部は無料で公開されていました。

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カズサン

氏家小学校北東隅に土塁が残って居ます (2022/11/14 訪問)

 勝山城跡の北に城びと登録で未踏の城が在りましたので上野、武蔵未踏の城廻りの翌日出掛けて初登城しました。

 駐車場は余湖図コレクションさんグーグルマップを確認して、さくら市役所の駐車場を利用。トイレも使用させて頂きました。
 
 さくら市役所駐車場から北西100~200m程で氏家小学校東門に着きます、東門を覗くと御前城への案内指示板が有りますが、ここは小学校、関係者以外の無断立入禁止の看板、北側にある校舎へ北から回り込んで、土塁跡も眺めて、児童に職員室を尋ねていると丁度校長先生が来られて、城探訪の許可を得る「よく来られていましよ、上に遺構の様なものが?」との校長先生の言。

 遺構は氏家小学校の北東隅に土塁が残っている、北東角を中心に西側と南側に少し伸びた土塁が付き断面を表してる、南側に丸石垣と校内池庭園が内側に造れれいる、案内解説板が西側の土塁内側に建っている。
 校長先生の話で土塁上に遺構?と言われ、土塁上は樹木伐採されて草も刈られて居ましたので登ってみました、確かに遺構?がコンクリの台座の様な基礎?何か石碑か像が建っていたのか?良く分かりません、高さは5m程の様です。
 
 御前城の規模は南北100間180m、東西80間144mの単郭平城、周囲に土塁で囲み、南に大手門と張り出し、土塁外側には水堀があった。
 歴史的には鎌倉初期に氏家公頼の築城、戦国時代に成ると、崖の上、山頂に築かれる様になり氏家でも勝山城が鬼怒川の崖を利用して築かれた。
 大正12年(1923年)氏家小学校の新築移転により城郭の大部分は破壊されたが北東部角にわずかに土塁が残る。矢板市の御前原城、那珂川町の神田城などとともに栃木県の代表的な中世平城であった。(以上の規模、歴史は案内解説板による)

 これしか残って無い、これだけでも残してくれたは探訪する方の心持と考え方ですが、私はこれだけでも良く残してくれたと考えます、樹木も伐採し、草刈りもして遺構を大切保存して呉れています、学校に許可を得て気持ちよく見学探訪出来ました。

 

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小城小次郎

ミニ動物園とミニ遊園地が今なお並存しているのはむしろ珍しいのでは。 (2022/05/07 訪問)

小諸城(懐古園)はミニ動物園とミニ遊園地を附設した昔ながらの景観が維持されている、今となってはむしろ珍しい城跡。深い谷に囲まれた独特の地形が動物園や遊園地との併存を可能にしているのかも、とふと思った。

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にのまる

後編 (2022/11/12 訪問)

城址碑のある主郭(城山山頂)で10分ほど休憩し、しとどの窟へ向かいました。コースマップでは45分となっています。山道ですが歩きやすく気持ちのいい散策路でした。ただ……長いです。
やっとのことで抜け出た椿台は県道椿ラインの展望所で、ライダーさんたちの休憩スポットにもなっていて、幻の路線バスの停留所もありました。(1/2のみ運行とか。カーブが相当怖そうです。)
椿台から短いトンネルを通った先がしとどの窟への入り口。そこから急坂を400m下りますが、ありがたいことにアスファルトで舗装されていました。くねくねと曲がりくねった坂道を下った先から少し階段を上がってようやく岩窟に到着です。
寂しいと思えばめちゃくちゃ寂しいところですが、真新しい解説板もあって、迎え入れてくれている安心感がありました。
この洞穴の上に大庭の追手が二人いたなとか、梶原景時はこのあたりから覗いていたなとか、大河ドラマの場面を思い出しながら暫しその世界に浸り思いを巡らせました。

これでこの日の探訪は終了。湯河原駅に戻るために再び土肥城を目指します(‘◇’)ゞ
2度目の山頂は午前中には見えなかった初島や大島まで見渡せてラッキーでした。
ピクニックグラウンドまで戻ったところから林道が二方向に分かれているのですが、ウォーキングマップに従い、登ってきた道ではなく西側の宮下林道の方に進みました。林道を下るだけだから楽だろうと思っていたのですが、景色があまり変わらないせいもあってか、林道始点のゲートもなかなか現れず、ものすごく遠く感じました。(写真⑩にそれぞれの距離が書いていなかったのですが、気になって後日山歩きをされる方のブログの写真を見ると西側の林道は湯河原まで5000mの標識があり、わりと遠回りだったことが判明しました。)
でもまぁ、無事に帰れたのでOKです!

ちなみにしとどの窟はこの湯河原のほかに真鶴にもあるそうです。(Googleマップでは土肥椙山巌窟が湯河原。)
真鶴の方はここまで労せずに行けそうなのでそちらも行ってみたいです。

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乾通り一般公開 (2022/12/03 訪問)

 秋の皇居乾通り一般公開に行ってきました。江戸城のいつもと違った場所が見られてよかったです。坂下門から入り乾門から出るコースです。土曜日ということもあり多くの方が楽しんでみえましたが、待ち時間はなくスムーズに散策できました。坂下門、乾門付近も写真を撮りましたが多くの人が写っていましたので添付しませんでした。

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豪徳寺 (2022/12/01 訪問)

 東急世田谷線「宮の坂駅」から徒歩5分くらいで世田谷城阯公園に行くことができます。土塁、空堀が残っています。最近では城域は招き猫で有名な豪徳寺全域を含むという見方が多いとのことです。

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六所神社&善性寺 (2022/12/01 訪問)

 六所神社と善性寺が推定地です。東急世田谷線「松原駅」より徒歩5分弱で六所神社に行くことができます。さらに5分くらい歩くと善性寺に行くことができます。遺構はないと思われます。

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烏山神社 (2022/12/01 訪問)

 烏山神社と世田谷文学館付近が推定地とされています。京王線「千歳烏山駅」より徒歩5分くらいで烏山神社に行くことができます。さらに5分歩いて世田谷文学館へ行きました。帰りは「芦花公園駅」を利用しました・

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神代植物公園水生植物園 (2022/12/01 訪問)

 狛江入道館跡(晃華学園)より徒歩15分くらいでしょうか。公園となっています。土塁と空堀が残っていました。平日でも深大寺付近にはそれなりに観光客がいましたが、城址は貸し切りでした。

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晃華学園 (2022/12/01 訪問)

 晃華学園となっています。学校の写真を撮るときは緊張しますね。正門には守衛さんがいたので、西門と隣の里の稲荷神社を撮って退散しました。

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島屋敷 (2022/12/01 訪問)

 京王線つつじヶ丘北口よりみたかシティバスに乗り新川団地中央下車。徒歩1分で島屋敷遺跡解説版に行くことができます。解説版は2カ所あり、さらに徒歩1分くらいの場所に中近世の島屋敷遺跡解説版がありました。

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侍ホリタン

「姫路城 Castle History 鏡花水月」を訪ねて (2022/12/03 訪問)

期間限定のライトアップイベントです。場所は三の丸広場、期間12月2日〜12月11日、21時まで、無料です。普段見る事のできない三の丸広場での姫路城の水鏡は美しかったです。

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零汰

九州発:佐賀・福岡:4日目最終・・・阿志岐(あしき)山城+葦城(あしき)城+天ケ城+古代山城

城跡を訪問するようになって城名やその土地名に当て字が多い事に気が付いた。鹿児島市に喜入町という地名がある、そこにある城びと登録の城は給黎城、読み方はどちらも「きいれ」だ。どこかの時代に喜入と当て字になったのだと考えている。熊本の水俣方面にある城びと登録の久多良木城、入口を確認しただけで訪問はしていない。行って気が付いた、入口の目印は百済寺だった、この周辺は百済木というらしい。「くだらき」が「くたらき」になってどこかで当て字になったのではと考えています。

初めて福岡県筑紫野市にある阿志岐山城の名前を見た時になんて珍しい呼び名だと感じた。

最終は阿志岐山城周囲にある城跡を訪問した。歩行距離は5.5km、累計高低差は493m、時間は3時間10分です、行かれる方は参考にしてください。マップ左に位置する円満寺の正面西側より林道が始まっています。私は第1水門を見た後に、マップ下の標高259m地点にある葦城城から宮地岳神社~宮地岳山頂(古代城)と進みました。ここから北に電力会社の管理道路を下がって行き第3水門を目指しましたがこのルートでは行けません、途中から山裾を通り辿り着きました。阿志岐山城のみの訪問でしたら。第1水門から第2・3と林道を通り途中山に入る方が早く、往復で1時間程度で廻れます。

行く前に軽く古代山城と葦城城を調べましたが出てきませんでした。阿志岐山城は発見されて四半世紀経っていない城、想像するに古代山城と共に昔から伝承の類が残っていたのだと思いますが、お互いの関連性は分かりませんし、今後も分からないと思います。古代山城は主郭と思える場所もあり、土塁らしき、浅い空堀らしき場所も確認出来ました。(帰宅後城郭放浪記さんの写真と見比べた所同じ場所の写真が幾つか撮っていたのでその中の1枚を9枚目に添付しています。)歴史的裏付はないけれど確かに存在していたようです。

葦城城は呼び名は(あしき)。阿志岐山城と同じです。きっとどちらかが当て字なのでしょう。こちらは帰って福岡県中近世城館報告書にを見ても出てきません。こちらも伝承の類の城跡か中世以前なのかもしれません。こちらにも曲輪・段曲輪が存在し、虎口らしい場所も確認出来ます。

調査報告書を見ていたらルート内にもう一つ有りました。マップの中で第1水門から南下し分岐する近く、電力会社の鉄塔の建っていた場所に「天ケ城」がありました。こちらは歴史的裏付もしっかりとしていて縄張図もあります。実は他にももう一つ葦城城と天ケ城の阿飯田に浅い堀切で区切られた曲輪と石列に囲まれた場所もありました。それっぽいのですがちょっとわかりません。

こちらの住所は現在、筑紫野市阿志岐と言い、以前は葦城村だったそうです。

参考:困った時の城郭放浪記さん、福岡県中近世城館跡調査報告書

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赤い城

築土八幡神社 (2022/11/20 訪問)

東京メトロ東西線の飯田橋と神楽坂の間くらい、飯田橋のほうがやや近いでしょうか。
築土八幡神社が城跡推定地ですが遺構はありません。
神社は高台の上にあるのでそれっぽいです。
近所の方が通りすがりにお参りされている地域にも親しまれている神社のようです。
ちょうどイチョウが色付いていました。

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マル

吉岡城(宮城県) (2022/11/26 訪問)

仙台藩主伊達政宗公の三男宗清の居城
〒981-3621 宮城県黒川郡大和町吉岡館下
CVWJ+R4 大和町、宮城県
仙台藩主伊達政宗公の三男宗清の居城跡
黒川郡の領主となった宗清は、まず下草城に入り、のち元和元年(1615)より吉岡城の築城にかかり、翌2年(1616)に完成し養母飯坂の局とともに吉岡城に移り城下町を開府した。(飯坂盛衰記)
同時期に発布された一国一城令で城を名乗ることがはばかられたので吉岡宿(吉岡所)ともいう。
吉岡宿は、宿場町の経済的な窮状を、町人たちがお金を集め、藩に貸した利息で宿場町の経済を支えたことを映画化した『殿、利息でござる!』に、宮城県出身のプロスケーター羽生結弦が出演しているのでも有名。

現状、一の丸があったとされる場所は、福祉センターが建つひだまりの丘(館下公園)となっており、その南方の隅櫓があった地域が城内大堤公園となっていて隅櫓が復元されている。近くの保福寺本堂の玄関は、吉岡城から移築されたものとされている。同寺には、後に吉岡を拝領し、戊辰戦争において奥羽越列藩同盟軍を率いて西郷が率いた西軍と戦った但木土佐成行の公邸の門も移築保存されている。

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チェブ

おしゃれな街で穴城を想う。 (2022/11/27 訪問)

友達に会う為に都内へ。
【行った】をポチっとする為、JR山手線の恵比寿駅から「目黒氏館」に向かいました。
多分、ついで じゃなかったら、巡らなかったかもしれません。

鎌倉幕府御家人の目黒氏の居城です。
調べても情報が少なく、ポチっの為だと、歩きます。

恵比寿駅から緩く下りました。
左手を見ると上り坂。街道の向こうも上ってます。
おしゃれな お店や建物で、土地は覆われてますが、谷間を緩く下ってます。
驚いた事に、「目黒氏館」を示す『目黒学院中学高等学校』は、更に階段を降りた所にありました。
、、、地形、どうなってるんだ?

写真を写して、ふっと見ると ラガーマン。ラグビー部の練習なのか、走って行きました。
不審者と思われる前に退陣です。

お城攻めは、上って行く事が多いのですが、下って行った「目黒氏館」は穴城のような感じなのでしょうか?
目黒川方面から攻めたら印象が変わるかもしれません。
情報の少ない「目黒氏館」。
情報が無い分、想像力が豊かになりました。

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ばばよ

門に石垣に紅葉に (2022/11/13 訪問)

大手門と三の門が現存の建築物で、国の重要文化財に指定されています。
木の柱というんでしょうか、漆喰で隠していないので、無骨な印象を受けます。素敵です。
野面積みの石垣が大手門横や、二の丸(一部積み直しはあるよう)から本丸にかけて長々とみられ、迫力があります。
懐古園と表記されることが多いですが、多くの紅葉と深い谷から成っており、非常に趣深い景観で、単なる「城址公園」とするよりはこの名称が非常にマッチします。
大手門の内部は公開されており、現地のおとうさんが親切に解説してくださいました。
城下町よりも低いところに城があり「穴城」とも呼ばれるわけですが、「小諸は城下町じゃなく城上町だね」と教えてくださいました。なるほど!
ちょうど紅葉まつりの時期の日曜日でしたが、10時半ごろなら直近の駐車場に停めることができました。

黒門(一の門)を移築したものが正眼院にあるとのことですが、少し距離があるため寄れず。
またお城に復元移築していただけないものですかねぇ。
足柄門も光岳寺に移築されていますが、こちらは元あった場所がふつうの道路っぽいので、復元移築するのは現実的ではないのかも。

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