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しんちゃん

秀吉の三木城攻めの際に三木城の後詰の役目を果たした城 (2023/12/30 訪問)

高砂城は高砂神社の境内周辺に築かれていたようです。こちらは新城と呼ばれ、池田輝政が姫路城主になった際に中村主殿助が入ったとされています。本多忠政の時の元和年間(1615~24)に一国一城令が出され石垣は破却され、当浦にあった牛頭天皇が移され、今の高砂神社になったとされています。
戦国期には梶原景行が城主を務め三木城の別所氏に従い羽柴秀吉の三木城攻めの際には、その後詰めの役を果たしており東は明石にまで及ぶ制海権を有していたようです。

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くり

新田金山城 (2024/03/24 訪問)

武田、上杉も落とせなかった難攻不落の城🏯

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ぴーかる

久留米城 (2024/02/10 訪問)

【続百名城68城目】
<駐車場他>城跡本丸内に駐車場あり。
<交通手段>車

<見所>本丸石垣
<感想>1泊2日久留米・佐賀の旅2城目。続日本100名城が始まる前の2012年以来、2回目の訪問。当時は城郭の知識も少なく、本丸石垣と本丸内部を巡っただけだったのですが、今回改めて調べても本丸・本丸内の櫓台石垣遺構くらいしか遺構が残っていないようで、本丸石垣の周囲と内部を一巡りしました。12年前はちょっと寂れた感じではありましたが、本丸石垣南側にへばりついた草も綺麗に取られて見やすく(写真添付)なっていました。前回確認しなかった本丸の北側曲輪壁は石垣を失ってしまっていたのか、元々土塁だったのか土壁でしたね。これにて福岡県の百・続百名城制覇。

<満足度>★☆☆

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しんちゃん

三徳山三佛寺投入堂 日本一危険な国宝 (2019/05/03 訪問)

三佛寺は鳥取県東伯郡三朝町にある天台宗の寺院で奥の院である投入堂は国宝に指定されています。また三徳山は国の史跡および名勝に指定されています。入山時に靴のチェックがあり、登山用の靴を履いていないと入山は出来ないようです。トレッキングシューズなどでも大丈夫だとは思いますが岩場や鎖場などが多いので足元の備えは必要です。
懸造の文殊堂を経て投入堂に至りますが、周囲は切り立った崖になっていて近くまで寄って下から見上げるまでしか出来ません。正直どうやって建てたのかわかりません。日本遺産の初期の案件として「六根清浄と六感治癒の地〜日本一危ない国宝鑑賞と世界屈指のラドン泉〜 」(そのまんま)として登録されています。なんかTV番組のタイトルのようですね。

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カズサン

美濃南部城廻り伏屋城は秀吉の築城 (2024/03/16 訪問)

 昨年10月の西美濃未踏の城廻り時間切れと成って取り残した美濃南部の城跡を今回の伊木山城メイン登城に合わせて長森城の次に登城しました。駐車場は心配で近くのJAぎふおんさい広場はぐりの駐車場を目指して進行。

 駐車場:JAぎふおんさい広場はぐり(岐阜県羽島郡岐南町三宅9丁目50)
 参考資料:古城盛衰記さんグーグルマップ

 長森城(切通陣屋)から南に1~2km程です、近くのJAさんの駐車場を利用させて頂き、南の中非通りと用水を渡り、用水の通りを西に約100m程の所に伏屋城跡が竹藪に覆われた一画に残って居ます、西の通りに解説板が設置、解説板の裏から少し入り土塁を確認、取り敢えず一画を一巡、住宅街によく残してくれたものです。

 案内板によると、信長の美濃攻めに秀吉に命じて築かせたと伝えれれると、ここも木曽川・川並衆の助けを借りて墨俣城の様に短期間で永禄年間(1558年~1559年)に築きここも「一夜城」とも呼ばれてると。
 天正12年(1584年)小牧長久手の戦いで秀吉は最北端の砦としてこの伏屋城を伏屋市兵衛に守らせたと有ります。

 探訪を終えて、JAぎふおんさい広場はぐりに戻り昼も過ぎ、山菜おこわ弁当とお茶を購入し車で昼食としました。
 
 

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赤い城

私有地で入れず (2024/03/04 訪問)

国道192号線沿いに登城口があります。
すぐに分岐がありますが、高速に沿って登ると大きな石碑が立つ曲輪がありました。
おそらく二の丸跡かと。
肝心の部分は松山道建設によって消滅しています。

ここから少し戻り、高速をくぐり高速の逆サイドを登ります。
かなりの急坂、石段ですが山城2本の後で太ももパンパンに。
ちょっと堪えました。鈍ったのか?

山頂部には石碑と説明板が立ちますがその先は私有地で入れません。
トラロープが張ってありました。

以前は入れたようですが仕方ありませんね。
ロマンを感じるのみで退却しました。

馬路城主の大西元武が長宗我部氏に追われてここに築いた城、遺構も少し残るようです。

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朝田 辰兵衛

長期運休中の,新潟~高崎 高速バスに復活メドが立たないので…🚌 (2024/02/23 訪問)

冬期間,上越新幹線はガーラ湯沢駅行きの便が増便されるため,上毛高原駅のインターバルによるストレスが解消されます。よって,このタイミングで,小川城に行っておこうと思いました。上毛高原駅に下車するのは初めてで,ワクワクしました。
小川城に関しては,本丸の南側斜面の崩落がとても気になりました。大地震がきたらグシャリです…。

バスに関しては,慢性的な運転手不足。長期運休中の,新潟~高崎 高速バスに復活メドが立たないばかりか,運転手の労働環境改善の取り組みが全国的にスタートし,土日祝の運行が大幅に減ります。新潟市内は最終便の繰り上げ程度で済みましたが,長野市内は善光寺口のバスターミナルで日曜日に1本も運行しなくなったと報じられていました。GW後半のスケジュール組み直しだ…<泣>。西東京バスと神奈中バスは大丈夫だろうか…?

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にのまる

見どころたくさん!! (2024/03/09 訪問)

偕楽園から水戸城へ移動し本丸方面に向かっていると“ぷぁ~ん♪”と警笛が聞こえてきました。
来たー!!!
慌ててカメラを構えます。
待機時間ゼロで空堀跡の水郡線をキャッチできるなんて何という僥倖。しっかりと目に焼きつけました。

水郡線を見送り、柵町坂下門を潜って現存薬医門のある本丸跡の水戸一高へ向かいます。今どきノーチェックで学校の敷地内へ入らせていただけるなんて、本当にありがたいです。

杉山門から見晴らし台へも行き、続いて二の丸角櫓へ。
角櫓は二度目になりますが往復700mの歩行者用通路が全く苦にならないすてきな世界です。ビデオがとてもよくて、見入ってしまいます。

二の丸展示館ではボランティアガイドさんのお話を伺いました。地元の方ならではの情報や視点を教えていただけるのはとても楽しいです。ジオラマもとてもすてきでした。真横から見る角櫓のかっこよさよ!

続いては大手門。
風格を増してきました。
それにしても大きいです!

弘道館は“4日間限定!正門開放中”ということで、正門から入るという貴重な体験をさせていただけました。館内にはたくさんの見どころや展示がありますがいちばん好きなのは慶喜公筆の『雲高気静』です。
また、偕楽園だけかと思っていたらこちらにもたくさんの梅が咲いていてとてもきれいでした。

北側の土塁や通路跡を見て最後に三の丸の土塁へ。惚れ惚れするかっこよさです。

ここで水戸城散策はおしまいです。
たくさんの見どころがあって何度行っても楽しいです。
今回は偕楽園の梅まつりに合わせて行けたのがなによりでした。
帰りは18きっぷにグリーン車をおまけしてゆったりぐっすり……の電車旅でした。

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シェル

本丸・舎人門編 ~さすがは結城秀康の居城〜 (2024/02/25 訪問)

 福井駅前で宿泊し、早朝に登城。福井駅から本丸(福井県庁)までは徒歩5分。
 続日本100名城スタンプは日曜日の早朝7時に向かいましたが、時間外受付の係の方が対応してくださいました。(2024年2月現在は、山里口御門と説明板でのスタンプ押印済みの紙の設置は行われていないようです。)
 まずは本丸より北にある舎人門へ。舎人門周辺は福井城の外堀にあたる部分で、周辺には土塁や水堀も復元されていました。(訪問していた時は工事中だったようで、門には近づけませんでしたが、道路からは見学できました。)
 舎人門から福井城本丸の北側の入り口、北不明門跡まで徒歩5分ほどで到着。本丸跡は福井県庁が設置されていますが、高い石垣や広大な水堀が残っており、迫力が別格でした!!
瓦御門跡(本丸南側)の近くに結城秀康の騎馬像があります!!茨城出身の人間としては、「結城」の文字を見て、茨城と福井の歴史のつながりを感じ、とても感慨深かったです。…
結城秀康像に感動したあと、瓦御門から中央公園へ移動。中央公園には、山里堀跡や御座所跡、西三の丸の堀などがあります。(西三の丸の堀はライトアップが行われるので、夜の散策もおすすめです!!)
中央公園から山里口御門へ移動。山里口御門は桝形になっており、瓦だけでなく土塀にも笏谷石が貼られており、かなり頑強な構造になっていました。
山里口御門をくぐり天守跡へ。かなりの高さの天守台となっていて、迫力満点です!!ここに福井の地名の由来となった「福の井」もあります。

(訪問順序)
舎人門→北不明門跡→結城秀康騎馬像→瓦御門跡→御本城橋→山里堀跡(中央公園)→御廊下橋→山里口御門(7時から開館)→天守台(福の井)→県庁(スタンプ押印)→百間堀石垣(巽櫓跡の南西側)→百間堀説明板→百間堀石垣(駅前大通り)→日向門跡(柴田勝家像前)→三の丸南曲輪の石垣(柴田神社)

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しんちゃん

宮後八幡宮に案内板があります (2024/03/10 訪問)

宮後城は豊臣秀吉に仕えた蜂須賀小六の住んでいた蜂須賀屋敷のあった場所に存在したようです。宮後城と蜂須賀屋敷の関連はわかりませんが、天正12年の小牧・長久手の戦いについて書かれた古文書には豊臣方の砦として「宮後砦」なる物があったようです。
1999年の調査で河岸段丘を利用した城館であることが解りました。県道1号を挟んで北側にに蜂須賀家政公誕生之地の石碑と案内板が立っています。南には宮後城の案内板のある空き地があったのですが、最近訪れたらラーメン屋になっていて案内板は無くなっていました。なんとなく匂いがするので宮後八幡宮を訪れてみたら案内板が有りました。ボロボロだった案内板が新調されてここに立てられたようです。
神社の片隅に城址の一角から出てきたという干支の文字を刻んだ謎の石が展示してありました。まじないの一種でしょうか?

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しんちゃん

三河国 三日月堀特集 (2024/03/17 訪問)

三河の国の山城や平山城は小牧・長久手の合戦の後に羽柴方の駿府侵攻に備え改修を受けているようです。岩略寺城(東三河・豊川市)は東海道の抑えの城として長沢城とともに敵を挟撃する予定でいたようです。岩略寺城の三日月堀は良い状態で残っており、標識まであるのでわかりやすいです。岩略寺城には武者隠しというこの城独自の防御の仕掛けもあります。
野田城(東 / 奥三河・新城市)の三の丸周辺にも三日月堀が残っており、これも野田城の戦いの後に造られたようです。武田信玄がここで狙撃され、その傷がもとで亡くなったという伝承が残っていて、地味に有名な城です。
松平城山城(西三河・豊田市)は東海道を迂回してくる敵を松平城や大給城と共に挟撃する予定でいたようです。主郭北東にある堀切は堀切が伸びてきて先がカーブを描いているのですが、その周辺が三日月の形状をしています。大手側に付いている堀はS字状になっていて三日月掘が互い違いになっている状態です。片側の三日月堀は主郭の方を向いているんですね。

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ぴんぴん

和歌山城に行ってきました。 (2024/03/22 訪問)

初めての和歌山城訪問です。桜の開花には少し早かった様でまだ蕾みでした。

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POYO58

綺麗な青空と青い木曽川 (2014/03/15 訪問)

美濃金山城の後、可児市内の丸亀製麺で昼食を済ませ、名鉄に乗って犬山城へ行きました。名鉄犬山駅で降りてそこから歩いていきました。失礼ではありますが、金山城の時とは大違いで犬山駅周辺には人がたくさんおり、歩きにくい感じでした。途中城下町を通って行きました。城下町を訪れるのは2年ぶりで、2年前城下町にて飛騨牛のたこ焼きを買ったつもりが普通のたこ焼きを買ってしまったというドジなことをしてしまいました。ちなみに僕はタコが苦手なので尚更最悪でした。でも美味しかったです♪

そんな話はどうでもいいとして、城下町を歩いているとこの前イオさんが犬山城周辺の史跡探検の投稿をされていましたので、僕も注意しながら歩いていると、江戸時代の武家屋敷や大手門発掘調査地も確認できました。大手門の発掘調査見たかったです…。そうそうそういえば坂本城の石垣、せっかく見つかったのに立ち入りが今禁止されているそうです。人が集まりすぎるリスクもあると思いますが、なんとか調査結果をこれから先も見せて欲しいものです。

それもどうでもいいとして、混雑した城下町を歩き、とうとう入り口まで辿り着きました。とりあえず今まで通りに黒門跡、空堀、鉄砲櫓台、天守閣と順番に探訪して行きました。なんとも今日はいい青空でお出かけ日和だったんですが、犬山城で綺麗な桜がなんとまだ咲いていませんでした。3月15日ですよ!もう咲いてる気がしたんですけどねー。今年は桜が咲くのが遅いそうですね。また結構寒いしまだ。小学生の頃女の子の友達が、「今は地球温暖化が問題になってるけど、イギリスの専門家は氷河期が起こるって言ってるよ。」とかようわからんことを言ってるのを聞いたんですけど、確かに温暖化とは思えない感じの気温だし、むしろ寒くなってますよね〜。

そんなのはどうでもいいんですが、天守閣の屋上から見える景色は最高でした😀 なんとも木曽川の青と青空がマッチしてて癒されましたね。友達も声を出して眺めてました♪犬山城を築いた織田信康さん、または城主の成瀬さんも同じ景色を眺めていたのではないでしょうか?

その後は犬山橋へと向かいます。続く

評価★★★☆☆

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空と城と散歩

長浜城訪城 (2024/02/16 訪問)

長浜城に行って来ました。家族で行ったので近くの黒壁スクエアまで散歩して観光しました🚶
オムライスとガラスのお雛様が娘のお気に入り✨
風が強く御城印と一緒の写真が撮れませんでしたが、空も晴れて気持ち良かったです☀️
天守からの眺めが良かったです♪将軍さまもこれを眺めていたとは、感激🤩風寒かったけど☺️

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WEST

逆井城探訪 (2024/03/22 訪問)

逆井城を訪問しました。逆井城は戦国時代に築城された後北条氏のお城とのことです。
ここは逆井城跡公園として整備され、駐車場もあり、自動車でのアクセスには問題ありません。
公園内には、土塁や空堀の一部が現存し、また二層櫓、井楼矢倉、主殿などの建物も復元されています。そのため、当時の姿をイメージし易いと思います。なお二層櫓、主殿は内部を見学ができますよ。
建物群の中で主殿前の門は関宿城から移設されたものだそうです。関宿城の廃城後、紆余曲折があったと思いますが、良く残ったものです。

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WEST

小田城探訪 (2024/03/22 訪問)

小田城を訪問しました。小田城は鎌倉から戦国時代に活躍した小田氏の居城館とのことです。
隣接した小田城跡歴史ひろば案内所に駐車場があります。案内所内ではお城に関する展示やパンフレットが用意されていますので、寄ってみることをお勧めします。
見どころは、発掘調査を基に復元整備されたお堀、土塁です。これにより、当時の居城館の姿をイメージできると思います。
木橋で結ばれた東曲輪跡、南西馬出跡もよく整備されており、茨城のお城探訪のお薦めの一つかと思います。
お城散策後に龍勝寺に寄りました。このお寺の山門は小田城からの移設だそうです。案内所から徒歩5分程度で行くことができます。

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WEST

真壁城探訪 (2024/03/22 訪問)

真壁城を訪問しました。真壁城は戦国時代に築城された真壁氏のお城とのことです。
自動車での訪問で、駐車場は本丸跡にある市立真壁体育館の駐車場を利用しました。
駐車場(本丸跡)の城址説明看板の横のボックスにパンフレットがあります。
城内の一部ではまだ調査中の箇所もありましたが、良く整備され散策し易いお城かと思います。
城内の散策は本丸から、二の丸、中城、外曲輪の順に回りました。見どころは、お堀、土塁です。土塁は復元整備されたものもありますが、外曲輪の鹿島神社寄りの土塁は現存するものだそうです。
なお、お城の西側地区は城下町となっており古い町並みがあります。真壁城訪問の際には、是非寄ってみてください。

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todo94

建国記念の日の攻城③ (2024/02/11 訪問)

城郭放浪記さんの情報をもとに米津城攻略を目指したのですが、どうにも登城路が見いだせず、撤退のやむなきに至りました。ここで大きく時間をロスしてしまい、夕刻には松山市の大街道献血ルームに献血の予約を入れてあったので今回の愛媛の城めぐりは由並本尊城がトリとなりました。ふたみシーサイド公園から遠望できますが、かなり急峻な岩山であることが見て取れます。天一神社の左脇に本尊山への登山口表示がありますが、侍さんの投稿写真にある予讃線には踏切がありません。違法行為となってしまいますが、ここ以外には登山道がないので仕方ありません。列車の本数は少ないのですが、見通しが悪いので注意が必要です。伊江島のタッチューの規模を大きくした感じで眺望は抜群でした。山頂部の下に平坦な部分がありましたが、おそらく、郭なのだと思います。

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ぴーかる

基肄城 (2024/02/10 訪問)

【続百名城67城目】
<駐車場他>基肄城跡駐車場は現在整備工事中で進入禁止なので水門跡駐車場を利用するのがよいかと。<33.444293, 130.507239>の道路脇に停めました。
<交通手段>車

<見所>北帝門跡・水門跡・礎石群・石塁
<感想>1泊2日久留米・佐賀の旅1城目。工事中の駐車場から遊歩道があるのを知らずに、草スキー場の斜面を駆け上り基山山頂、基肄城跡まで登りました。基山山頂付近の遺構を見てから、時計回りに大礎石跡⇒北帝門跡⇒東北門跡⇒南水門 北に戻って、米倉礎石群⇒鐘楼跡⇒つつみ跡⇒土塁跡⇒丸尾礎石群と巡り山頂に戻り終了しました。
 印象に残ったのは、北帝門跡の崩れた石塁と、名称は無い(X2という札が木にかけてあります)が、北帝門跡から東北門に至る遊歩道の脇にあった礎石群には曲輪壁に石塁が残されていて見応えがありました。山中の所々に残る石塁があり、それを探す楽しさ、また礎石群の礎石のでかさには圧倒されます。古代の建築物の大きさを想像させます。
 古代山城の山の尾根上数キロを取り囲む縄張りを巡るのに超歩くのは覚悟していましたが、やっぱり4時間歩き通しは疲れました。しかし城跡散策の心地よい疲労感でした。

<満足度>★★★
<グルメ>登城前に「丸幸ラーメンセンター基山本店」にて腹ごしらえ。翌日、久留米ラーメンの有名店を食べたのですが、自分的にはこちらの方が豚骨が濃くて美味しかった。

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しんちゃん

危ないので主郭(詰城)には行かないで (2024/01/28 訪問)

戸吹城は滝山三城とも呼ばれ、滝山城の支城とも呼ばれますが詳細は不明です。加住丘陵の支脈の上に築かれていて、城址を構成する加住礫層は砂岩、チャート、硬砂岩などを主体とした非常に脆く崩れやすい地層です。
南の馬出部(郭)と周辺を走る横堀は確認できますが、そこから先はとても危なくて進めません。というか進んではダメですね。
正直、城びとの先人の皆さんの投稿が無ければ行っていたかもしれません。くわばら‥くわばら‥。文政6年(1826)に完成された「武蔵名勝図会」にも記載が有り「秋山へ接せしところは大抵崩れ落ちて、広狭知れず。ド人云いつのころ何人の住居ということを伝へざれども、古老の伝ふるに住居せし墟にあらず。築営半ばにも至らず、相応の地にあらざるゆえにや、その築営を止めしということを伝うと云」とのことです。江戸時代でさえこの状態なのですから、現在はさらに崩落が進み、とても渡れる状態ではありません。

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