かつやまじょう

勝山城

広島県三原市


旧国名 : 安芸

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堀切
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しんしんちゃん

いろいろと謎の多い城。朝から雨が降ったりやんだりで‥ (2023/12/31 訪問)

勝山城は北西に川に面する丘陵にありました。結構急な坂を登って行った先にある寺の左手から取りつくのですが、南西の方向に御調八幡宮の大きな駐車場があるので、ここに車を停めさせてもらって歩いてくるのが無難だと思います。
グーグルマップに名前の出てこないお寺の左の御堂の脇から道が続いているのでそこを登っていくと堀切に至り、北側(左手)が主郭のようです。直登していくと上に扁平地が有りました。堀切の右手・南側にも幾段かの扁平地があったようです。
主郭周囲にもいくつか扁平地があったようですが正確には覚えていません。いろいろ調べても詳細のわからない謎の城です。

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todo94

三原市内 (2022/11/03 訪問)

三原城から北上した山間地に所在します。城を示す表示を見つけることは出来ませんでしたが、恐らく此処で間違いないのかなと思います。

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まっつん

お寺っぽくないお寺のお堂の裏から! (2019/01/19 訪問)

三原市八幡町にある御調八幡宮のすぐ近くの丘に築かれた城跡で、ぱっと見、「お寺には見えないお寺」広福寺の小さなお堂の裏から登っていけます。車はすぐ近くにあるJA三原八幡出張所(現在は移転したらしい)の駐車場に駐車させていただき、城跡まで500m弱の距離がありますが、そこまで歩いて行きました。
広福寺のお堂の所から2〜3分歩くと堀切があり、その北側の斜面を数メートルよじ登ると主郭、さらにその北側下方にL字型をした曲輪がありました。
この城を築いた渋川氏は、室町幕府将軍足利氏の一門です。渋川義行は室町幕府から九州探題に任じられましたが、九州の南朝の勢力があまりに強く、九州に一歩も踏み入ることができないまま5年後に九州探題の職を解任されてしまいます(ちなみに、後任の九州探題は今川了俊)。
その渋川義行が、九州に上陸できず、所領の備後国御調郡別宮に居を構えたのがこの城のはじまりということのようです。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 渋川氏
築城年 鎌倉時代
主な城主 渋川氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
住所 広島県三原市八幡町宮内