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しんちゃん

韮山反射炉・世界遺産 (2019/05/12 訪問)

韮山反射炉は静岡県伊豆の国市にある工業遺産です。1922年に国の史跡に登録され2015年に世界遺産(文化遺産)として正式に登録されました。天保11年(1840)韮山代官の江川英龍(ドラマでおなじみの太郎左衛門さんです)によって提案され嘉永6年(1853)建造が決定されました。基本的に大砲を自製するための設備の一つらしく連双2基4炉を備える反射炉で18ポンドカノン砲4基を始めさまざまな大砲を製作したようです。試作の域を出ていないかもしれませんが日本の工業と軍事体制の近代化の先駆けといって良いかもしれません。
個人的には戦国期の戦は残酷であれど殲滅とは一線引いたノスタルジックなものであったと思います。江戸末期から近代化を遂げ戦争は殲滅戦の様相を呈しどんどん凄惨になっていくのですがイスラエル・ガザ地区でのハマス殲滅戦に伴う惨状やロシアのウクライナ侵攻を見ていると人間はなかなか進化できないなと感じざるを得ません。

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イオ

陣跡めぐり(伝木下秀吉陣~伝柴田勝家陣) (2023/11/04 訪問)

(続き)

信長馬場から伝木下秀吉陣に至る登城道の両脇には竪土塁が続いています。円墳頂部の主郭には石碑と説明板が立てられていました。主郭の北麓は大曲輪と呼ばれ、北辺から西辺にかけて土塁がめぐっています。西辺の土塁の開口部が虎口で、虎口を出たところから竪堀が落ちていました。帯曲輪を北側に回り込むとかざし堀があり、帯曲輪東端に土塁、土塁の南端からは竪堀が主郭方向への侵入を阻んでいます。竪堀を下りて東側の曲輪に向かうと、ほぼ自然地形のままながら周囲は土塁で囲んでいました。

伝木下秀吉陣北端の堀切をこえて伝柴田勝家陣へ。虎御前山城の北端に位置する陣跡ですが、櫓台状の墳丘が見られるくらいで城郭遺構は見当たりませんでした。

…ということで、約3時間かけて虎御前山城の陣跡をひとめぐり。伝佐久間信盛陣に行けなかったのが心残りですが、伝堀秀政陣や伝織田信長陣、伝木下秀吉陣などは明瞭に遺構が遺っていて、期待以上に楽しませてもらいました。
 

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しんちゃん

八重姫入水伝説・真珠院 伊豆の国市 (2019/05/12 訪問)

鎌倉殿の十三人で源頼朝の最初の妻(内縁?)とされている八重姫の伝説が伊豆の国市の真珠院に残っています。八重姫のエピソードについては大河の方はかなり暴走気味ではありましたが真珠院に残されているエピソードは実に悲しい話です。
頼朝との間に生まれた息子・千鶴丸を父・祐親に殺され、頼朝も北条政子に奪われた八重姫は悲嘆のあまり寺の南の真珠ヶ渕に身を投げたとされています。八重姫に従っていた侍女6人は八重姫を葬った後、伊東に帰る途中に自害したとされています。
境内には八重姫を祀る御堂と、地元の人が供えた小さな梯子が納められています。元々は供養のための物でしたが、願掛けのお礼に供えるようになったということです。

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しんちゃん

蛭ヶ小島 願成就院 伊豆の国市 (2019/05/12 訪問)

蛭ヶ小島は平治の乱で敗れた源義朝の嫡子・源頼朝の配流の地とされています。かつては大小の中洲があったと考えられていて、永暦元年(1160)14歳でこの地に流された頼朝は治承4年(1180)34歳で挙兵しやがて武士の世の基礎を築きました。
願成就院(跡)は国の史跡に指定されていて文治5年(1189)北条時政によって創設されたとされています。境内には北条時政の墓があり国宝の仏像は拝観が可能になっています。

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しんちゃん

堀越御所  静岡県伊豆の国市四日町御所内 (2019/05/12 訪問)

堀越御所は将軍足利義政の弟・政知によって築かれたとされています。当初は鎌倉に行く予定だったのですが戦乱のため韮山の堀越の地に居館を築き「堀越公方」と呼ばれるようになったそうです。今では一面更地のようになっていますが建物や庭園跡などが発掘されているようです。足利御所も政知の子・茶々丸の時に伊勢新九郎によって滅ぼされてしまったそうです。
今では国の史跡として登録・管理されています。

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野間氏の城 (2024/01/11 訪問)

 妙見山に続く南嶽山から派生する城山にあり、北へ階段状の曲輪、尾根側(南西側)に堀切と竪堀を設けています。主郭背後の堀切は倒木があるものの迫力があります。その堀切の北側に複数の竪堀があり、もうひとつ堀切がありました。
北の麓には野間館跡があります。

 案内標識等が全くなく、登城口を見つけるのに少し彷徨いましたが、ネット情報等を参考に何とか主郭まで行くことができました。登城路を見つけてしまえば道はわかりにくくなっている所もありますが、迷うことはありません。

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しんちゃん

韮山城付属砦・天ヶ岳砦 (2019/05/12 訪問)

天ヶ岳砦は韮山城から尾根続きで行ける山の頂上部に築かれています。登城時は国土地理院の地形図をスマホにインストールしていなかったので、カンを頼りにひたすら尾根道を登りました。虎ロープでなければ登れない箇所もあり、急な痩せ尾根や崖などヒヤヒヤする箇所もありました。堀切や郭を確認しそれなりに収穫はあったとして引き返しましたが、この山は分岐した細尾根上に幾つもの堀切や小規模な郭が配されているようです。
ただこれらの遺構を全部見ようと思うとかなりの体力と時間が必要になりそうです。

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能勢氏の城 (2024/01/11 訪問)

 能勢氏の城で、登城路は整備されていて散策しやすい城址です。曲輪跡、堀切、竪堀、土塁が残っています。

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能勢頼次 (2024/01/11 訪問)

 能勢氏の陣屋跡です。本能寺の変では明智方に属して没落した能瀬氏ですが、関ケ原の戦いでは徳川家康方に属して戦後旗本として復活し、この地に陣屋を構えたと伝わっています。良好な石垣が残っています。

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しんちゃん

北条早雲(伊勢新九郎)ゆかりの城 (2019/05/12 訪問)

写真が古くて申し訳ないのですが韮山城の投稿です。天ヶ岳砦のある山の北西の丘陵上に築かれていて、東に城池、西に館跡の韮山高校が有ります。最高所を主郭に北に二の丸・権現曲輪・三の丸と続き権現郭の周辺は深い堀で隔てられています。
南東に尾根沿いに天ヶ岳砦につながっていて、天ヶ岳砦の西側にも土手和田砦・和田島砦が配されています。
韮山城は戦国期北条氏と深い繋がりがあって、延徳3年(1491)伊勢新九郎長氏(宗瑞)が堀越公方足利茶々丸を滅ぼし伊豆を平定した際に築かれ生涯の居城としたとあります。天正18年(1590)の小田原征伐に際には北条氏規が3600の兵でこもり4万4千の豊臣軍相手に頑強に抵抗したそうです。これに手を焼いた豊臣方は朝比奈泰勝を使者として説得にかかり6月24日に開城、氏規は後に河内国内に6900石余を与えられ子の氏盛の時代に1万1千石の大名に復帰したそうです。

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しんちゃん

東武ワールドスクウェア 日本編 (2019/11/02 訪問)

栃木県日光市・東武ワールドスクウェア 日本の建築物を集めてみました。東大寺や法隆寺などの古代建築を扱ったコーナーはピラミッドやヴェルサイユ宮殿などと比べると少し地味な印象を受けました。そんなに小さい建物でもないのですが、あちらさんが大きすぎるのではないかと思います。スカイツリーやエンパイヤステートビルなど数十メートルの大きさになりますからね。
個人的には別エリアを設けて現存天守や百名城などを1/12スケールくらいで再現してもらえるとうれしいですね。あくまで個人的要望ですけど。

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しんちゃん

博物館明治村 (2019/12/08 訪問)

博物館明治村は愛知県犬山市にある野外博物館・テーマパークです。敷地面積は約百万平方mでかなりの広さを誇っています。京都市電の車両がテーマパーク内を縦断しており鉄道好きでも楽しめます。
重要文化財の旧西郷従道住宅や旧三重県庁舎など多数の歴史的建造物(明治時代以降の)が移築され、聖ヨハネ教会堂や聖ザビエル天主堂などの宗教的建造物も豊富です。(宗教的な理由からか寺社仏閣は逆に少ない)
最大の目玉は帝国ホテルから部分的に移築されたフランク・ロイド・ライト設計の玄関・ロビー部分です。マリリン・モンロー/ジョー・ディマジオ夫妻やアルバート・アインシュタインなどの著名人も宿泊した帝国ホテルはライト氏の最高傑作だと思います。(個人的感想)できればダンスホール部分まで移築してほしかったのですが‥魚の頭みたいな格好になってしまいましたが、一日では足りないほどのボリュームを持った壮大なテーマパークに仕上がっています。

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しんちゃん

埼玉古墳群・石田三成陣 (2019/08/10 訪問)

埼玉(さきたま)古墳群は埼玉県幸田氏埼玉にある9基の大型古墳群からなる国の史跡です。そのなかの一つ丸墓山古墳は小田原征伐の際に石田三成が忍城攻めの陣を張ったと伝承があります。古墳好きにとっても城郭好きにとっても良い所です。
古墳の上からは良く周囲を見渡せ、遠くに忍城の三階櫓を見ることが出来ます。

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小城小次郎

タダモノではない感はある (2023/04/22 訪問)

堂々たる石碑はタダモノではない感が漂っているが現地には何もない。しかし畠山氏有力被官の遊佐氏に始まり椎名氏や佐々氏などの重鎮が守りを固め上杉氏や前田氏によって都度落とされてきたその歴史はやっぱりタダモノではない。

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刑部

連郭式山城 (2023/11/04 訪問)

麓に駐車場とトイレがあります、そこから舗装された上り坂をしばらく登ると城址入り口に迷わず着きます。
余り聞かない城址と侮り主郭部へ
町の人が大勢で城址を整備してました凄い!
縄張りがほぼそのまま現存しており、中世山城と戦国時代の山城らしく遺構が良好に保存されています。想像以上に立派で見応えありました!

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刑部

牧野城 (2023/11/04 訪問)

お天気が良く訪問しやすい日よりでした。
結構、家族で来てましたね。
ここの遺構は丸馬出しのオンパレードで、ワクワクしながら歩いてました。空堀はかなり深く残ってます。土の城が好きな人は楽します!

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AJ

七尾城被害状況(※写真は被災前) (2019/08/21 訪問)

まずは被災された方々の生活が1日も早く再建されることを切に願います。その上で、またいつかあの絶景を眺められる日が戻ってくるよう、微力ながら応援したいと思います。

被害状況〈北國新聞記事〉→ https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/1285926

以下、過去投稿の再掲です(*写真は2019年8月撮影)

【戦国最強決定戦 -序-】

1年に及ぶ包囲戦の末にようやく七尾城(石川県七尾市)を落とした上杉謙信は、本丸のある山頂からの絶景に感動して漢詩を詠んだそうです。軍神と謳われた男の、一風変わった喜びの表現だったのでしょうか。裏を返せば、この城攻めがいかに難しかったかを物語っているのかもしれません。

石動山系に位置する城山の7つの尾根に築かれた能登畠山氏の大要塞。格式高い三管領家の分家にふさわしく、当時は三の丸手前の曲輪で衣服を整えることが求められたとか。各曲輪は大小の堀切で遮断され独立性が高く、至る所に大がかりな石垣が積み上げられています。注目すべきは本丸前面。2mほどの野面積の石垣を階段状に積み上げることで、当時はまだ未発達だった高石垣の代わりとしたようです。本丸最高部は標高300m。謙信が眺めたであろう七尾湾を一望できます。

アクセスには市内循環バスが便利。JR七尾駅から15分ほどで山麓の資料館まで行けます。また、駅構内にはレンタルサイクルもあります。

さて、この城攻めに際し、一度は兵を引くことを余儀なくされた謙信。その後、力攻めは諦め、彼にとっては珍しく、調略で仕留めたそうです。能登を押さえることで、越中から加賀に侵攻していた上杉勢は後顧の憂いなく越前の織田方と対峙。武田信玄はすでにこの世を去っており、ここに戦国最強決定戦の舞台が整ったのです。

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todo94

御城稲荷神社 (2023/12/09 訪問)

御城稲荷神社が本丸にあたり市の史跡に指定されています。神社の裏手にちょこっと土塁が残っています。神社北東の水濠跡も確認できました。離れた場所にまだ土塁が残っているようなのでいつか確認してみたいと思います。

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イオ

陣跡めぐり(伝織田信長陣~×伝佐久間信盛陣) (2023/11/04 訪問)

(続き)

伝堀秀政陣から大曲輪を経て伝織田信長陣へ。伝織田信長陣は南北に続く主尾根に設けられた5つの曲輪からなり、最高所が主郭です。主郭の南東部には長桝形虎口が開口し、虎口の先に石碑と説明板が立てられています。長桝形虎口に掲示された推定復元図を参考に南東麓に下りて行くと、帯曲輪があり土塁が遺っていました。

帯曲輪から東にのびる支尾根には伝佐久間信盛陣があったようなので行ってみましたが、藪に沈んでいて下りて行く道が見当たらず、さらに道中に熊か猪か大きな獣のフンを見かけたためやむなく撤退…。

伝織田信長陣の主郭まで引き返して北麓に下りて行くと、西側に大きな竪堀が落ち込んでいました。竪堀の先には信長馬場と呼ばれる細長い曲輪が北にのび、伝木下秀吉陣に至ります(続く)。
 

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しんちゃん

宝寿台。 (2019/08/12 訪問)

霊山城の周囲には幾つもの出城がありますが東の出城にある巨岩・宝寿台の上からは周囲を良く見渡すことが出来ます。梯子がかけてあって上まで登れますが高所恐怖症の人には少し厳しいかもしれません。霊山城自体が玄武岩質の絶壁に囲まれた天然の要塞になっています。

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