みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

とばつびしゃもん

豊臣VS長宗我部激戦の城 (2023/07/16 訪問)

二度目の登城。登城口横にある県道沿いの駐車スペースに駐車し登城開始。
登城口に続日本100名城スタンプが設置されておりそこでポン。パンフレットも入手。
本丸まで約40分。その間、才蔵丸と明神丸の間の堀切や竪堀など遺構が見られる。明神丸からは徳島市内と眉山を望む。見どころの一つ本丸石垣は、なんとも武骨な感じが印象的。
前回はここでUターンしたところを先に進む。大きな堀切を通って小倉丸へ。さらに椎丸へ向かう途中、登城中にはぐれた仲間を探しているグループに遭遇。登城道から外れないように注意しつつ、水の手丸を経由し貯水池から水量の少ない陰滝へ。陰滝への下りは滑りやすく要注意。登城道を下り一宮神社のある登城口へ戻る。約2時間の攻城。

+ 続きを読む

虎の子

城への交通手段実践レポート (2020/10/23 訪問)

※新発田城、鶴ケ岡城とともに登城。
6:08東京、8:13,8:22新潟、8:46新発田 ※レンタサイクル(1.7km)
 新発田城(百名城スタンプ 新発田城表門、17時まで)
10:20新発田(JR)、10:54村上(レンタサイクル2km→雨のため歩25分に変更)
 村上城(続百名城スタンプ 村上城保存育英会:二之町7-3)
13:19村上(特急)、14:20,14:27鶴岡(市内循環バス)、14:34市役所前
 (徒歩3分)鶴ヶ岡城(続百名城スタンプ 庄内神社社務所、9時から)
(徒歩24分)16:30鶴岡エスモール(高速バス)、18:24山形駅前
 山形泊

※村上城は雨のため本丸まで登城できず、駅前でいくら丼を頂きました

+ 続きを読む

虎の子

城への交通手段実践レポート (2020/10/23 訪問)

※鶴ケ岡城、村上城とともに登城。
6:08東京、8:13,8:22新潟、8:46新発田 ※レンタサイクル(1.7km)
 新発田城(百名城スタンプ 新発田城表門、17時まで)
10:20新発田(JR)、10:54村上(レンタサイクル2km→雨のため歩25分に変更)
 村上城(続百名城スタンプ 村上城保存育英会:二之町7-3)
13:19村上(特急)、14:20,14:27鶴岡(市内循環バス)、14:34市役所前
 (徒歩3分)鶴ヶ岡城(続百名城スタンプ 庄内神社社務所、9時から)
(徒歩24分)16:30鶴岡エスモール(高速バス)、18:24山形駅前
 山形泊

+ 続きを読む

虎の子

城への交通手段実践レポート (2020/10/23 訪問)

※新発田城、村上城とともに登城。
6:08東京、8:13,8:22新潟、8:46新発田 ※レンタサイクル(1.7km)
 新発田城(百名城スタンプ 新発田城表門、17時まで)
10:20新発田(JR)、10:54村上(レンタサイクル2km→雨のため歩25分に変更)
 村上城(続百名城スタンプ 村上城保存育英会:二之町7-3)
13:19村上(特急)、14:20,14:27鶴岡(市内循環バス)、14:34市役所前
 (徒歩3分)鶴ヶ岡城(続百名城スタンプ 庄内神社社務所、9時から)
(徒歩24分)16:30鶴岡エスモール(高速バス)、18:24山形駅前
 山形泊

+ 続きを読む

虎の子

城への交通手段実践レポート (2020/10/24 訪問)

※米沢城、二本松城とともに登城。前日山形駅前泊。
8:00頃から
 山形城(百名城スタンプ 山形市郷土館、9時から)
9:33山形(JR)、10:21米沢,10:35米沢駅前(バス循環右回り)、10:46上杉神社前前
 米沢城(続百名城スタンプ 米沢観光コンベンション協会、9時から)
12:16上杉神社前(白布線バス)、12:29米沢駅前,13:08米沢、13:54,14:18福島14:40二本松
 (歩6分)二本松歴史資料館(百名城スタンプ R4.1に閉鎖されました)+二本松城散策
17:02二本松(JR)、17:25,17:37福島(新幹線)、18:06仙台
 仙台泊

※二本松歴史資料館はR4.1に閉鎖されています

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

虎の子

城への交通手段実践レポート (2020/10/24 訪問)

※米沢城、二本松城とともに登城。前日山形駅前泊。
8:00頃から
 山形城(百名城スタンプ 山形市郷土館、9時から)
9:33山形(JR)、10:21米沢,10:35米沢駅前(バス循環右回り)、10:46上杉神社前前
 米沢城(続百名城スタンプ 米沢観光コンベンション協会、9時から)
12:16上杉神社前(白布線バス)、12:29米沢駅前,13:08米沢、13:54,14:18福島14:40二本松
 (歩6分)二本松歴史資料館(百名城スタンプ R4.1に閉鎖されました)+二本松城散策
17:02二本松(JR)、17:25,17:37福島(新幹線)、18:06仙台
 仙台泊

※二本松歴史資料館はR4.1に閉鎖されています

+ 続きを読む

虎の子

城への交通手段実践レポート (2020/10/24 訪問)

※米沢城、二本松城とともに登城。前日山形駅前泊。
8:00頃から
 山形城(百名城スタンプ 山形市郷土館、9時から)
9:33山形(JR)、10:21米沢,10:35米沢駅前(バス循環右回り)、10:46上杉神社前前
 米沢城(続百名城スタンプ 米沢観光コンベンション協会、9時から)
12:16上杉神社前(白布線バス)、12:29米沢駅前,13:08米沢、13:54,14:18福島14:40二本松
 (歩6分)二本松歴史資料館(百名城スタンプ R4.1に閉鎖されました)+二本松城散策
17:02二本松(JR)、17:25,17:37福島(新幹線)、18:06仙台
 仙台泊

※二本松歴史資料館はR4.1に閉鎖されています

+ 続きを読む

朝田 辰兵衛

相棒,どうした❔ (2023/11/05 訪問)

ここしばらく,にのまるさんの気配がありませんが,大事ありませんでしょうか…?
心配が徒労に終わることを願っております。

さて,能登半島地震で,春日山城の天守台にヒビが入ったそうです。しかも,2ヶ所。応急措置がなされ,春先まで立入禁止とのことです。とりあえず,行ってみようと思いきや,今日から寒気が入り込んで,越後は大雪予想。しばらく続きそうです。ホントは現地の画像を遠目でも撮影してこようと思いましたが,雪が積もっていればヒビなどわかりません。とりあえず,文章でお伝えします。

由木城ですが,墓地裏山の一角に「下馬」という石碑が存在しました。ということは,城址碑や大石定久の銅像が建つ削平地は「下馬溜」だったのではないかと推察しました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

キンヤ

大きな畝状竪堀が圧巻の西丸 (2024/01/06 訪問)

東丸に続いて西丸を投稿させて頂きます。

東丸と西丸の間の鞍部から西へ登ります。
西丸の東側の段曲輪には、井戸跡やL字状の土塁があります。
山頂は千畳敷と呼ばれる広い曲輪です。一角に瓦などが集められていて、東丸にもいくつか瓦が落ちてましたが、こちらには多くの瓦がありました。
北西側の尾根に堀切がありますが、シダが生い茂り見辛いです。
千畳敷から南西下の急斜面を降りると、7条の竪堀が連続した見事な畝状竪堀があり根福寺城で1番の見所です。畝状のコブは、今まで見た中でも最も大きいかもしれず圧巻で、根来衆は凄いと思いました。
その東側には長い2条の連続竪堀があり、下に降ると途中で更に東側から1・2条が合流し、その下で交わって1条となり山麓まで長く続いてます。

千畳敷以外は整備されておらず見学し辛いですが、見応えある城でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

陣ヶ峯城 会津蜷河荘を管理していた城館跡 (2019/08/13 訪問)

国の史跡・陣ヶ峯城は福島県会津坂下町に築かれていました。国道49号線から県道336号線を北上し県道21号線と交差する北東に位置し、城域は東西110m、南北170mの広さがあり周囲を掘が二重に囲い一部に土塁が残っています。発掘調査により大型の建物跡や中国の白磁や高麗青磁が出土しているようです。城域内には川西公民館がありますが主要部は林になっています。
平安時代末期には当時の摂関家領・会津蜷河荘を管理する立場にあったとされています。伝承では越後の城助職によって築かれたとされていますが、助城と恵日寺衆徒の頭である乗丹坊が陣ヶ峯城を攻めたという異なった伝承も残っているようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

キンヤ

曲輪が連なり石積があり城郭寺院を思わされる東丸 (2024/01/06 訪問)

天文期(1532〜1555年)に松浦肥前守が築城したとされ、その後、永禄期頃(1558年以降)に紀伊の根来衆が和泉へ進出する拠点として構築したとされます。
東西に峰があり、東丸と西丸に分かれた一城別郭のような大規模な山城です。

2回に分け、まずは東丸を投稿させて頂きます。

南側下に二つの堀切があります。
南東側尾根には二重堀切があり、特に城内側は大きくて鋭く見応えがありました。
山頂から北東以外の全方向に小さめの曲輪が連なり、西側の広めな曲輪に低い石積が二段あり、城郭寺院を思わされました。
でも、城跡でなければ、みかん畑の石積にも見えてしまいそうです。
東丸と西丸の間の鞍部は大門跡とされ、大きな堀切のようでもありました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

田屋城 (2023/12/02 訪問)

【田屋城】
<駐車場他>登城口前<35.462912, 136.024851>に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>切通しの大手道・曲輪土塁・竪堀・竪堀群・堀切・主郭枡形虎口
<感想>現地説明板によると戦国時代末に高島郡北部を支配していた海津衆のうち田屋氏は子の明政を江北の浅井亮政の娘と婚姻させ婿養子に出して浅井氏の高島郡進出に大きな役割をします。田屋城はこの田屋氏の城と考えられていて、織田信長の北陸進出を押さえる拠点ともなっていました。

 上記ポイントに田屋城の説明板があり、奥にゲートがありますので開けて入ります。中に東屋があったりして少し公園化されています。100m程進み右手山側に案内がありますので山道に入ります。25分程で城跡の大手虎口に着きますが、登城道の中程から城跡の旧大手道と合流するようで切通しのジグザグ折れのある登山道に入りますのでここから遺構を楽しむことができます。
 城跡は巨大な曲輪が5・6個あり各々が大土塁で囲んでいます。城跡の周囲の斜面には竪堀が巡らしていて、特に三の曲輪南西斜面の竪堀群が見応えがあります。主郭は一際高い土塁で囲み、内枡形虎口が良好に残っています。主郭北側背後は巨大堀切になっており、巨大すぎて堀切東側は竪堀を3条に分けて谷に落としています。主郭北側搦手は現地縄張り図では捨て曲輪となっていますが、全然捨て曲輪ではなく、土塁囲みではないものの、尾根をかなり削った広い尾根曲輪になっています。縄張り図では白塗りになっていますが、駒返しという深い切通しの場所もしっかりと遺構が残っています。そこから更に北側は登りになっていて尾根に沿った切通し兼竪堀になっていました。そこで折り返しました。
 江南に見られるような広い高土塁の曲輪が5・6個程もあるような城跡は江北では珍しいと思います。しかも江南の丘城ではなく山城なので相当な面積山頂部を削っていると思います。竪堀群、堀切も明瞭に残り、記憶に残るダイナミックな城跡でした。私が訪れた時点で投稿者がお二方しかいない隠れた名城跡、百・続百名城に負けてない城跡、お勧めです。

<満足度>◆◆◆

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

慶長出羽合戦・長谷堂城の戦い (2019/08/13 訪問)

長谷堂城は比高120mの独立した丘陵上に築かれていて米沢盆地と山形盆地を結ぶ要衝にあります。戦国期は伊達氏の攻撃に耐え関ヶ原の合戦の際には直江兼続率いる2万を超える上杉軍の攻撃に耐えました。最上氏にとっては山形城に次ぐ重要な城で直江兼続の猛攻に耐え抜いたことが長谷堂城の評価を決定付けたと思います。
周囲を水堀で囲み(推定)主郭の周囲に郭や腰郭を無数に配しています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

日光東照宮 眠り猫は眠っているのか? (2019/11/02 訪問)

国宝・陽明門を抜けると国宝・唐門の奥に本殿が鎮座しています。この唐門も陽明門ほどの派手さは有りませんが緻密な彫刻でびっしりと飾られた無二の建造物と言えるでしょう。本殿に参拝した後は東回廊潜り門を抜けて家康公の墓所に向かいますが、この門に飾られているのが有名な眠り猫です。裏側に竹に雀の彫刻があるのに眠っていることから平和を意味するという説もありますが、この猫さん良く見るとファイティングポーズを取っているんですね‥眠っていない! 別に雀を油断させるために眠っているふりをしているというわけでもなく、これが江戸時代の武士の生きる様だと教えているようにも見えます。無駄な争いをせず修練を積み、その力は幕府を守るために正しく使えと言いたいのだと思います。東照大権現になった家康様には恐れるものはありませんが、家康様のお手を煩わせないためにも悪意のある怨霊が近づいてきたら即座に飛びかかって追い払うのでしょう。
かつて名古屋城本丸御殿に飾られていた虎の屏風は一見、眠っているように見えて実は薄目を開けているようにも見えました。前足は両方ともしっかり爪を出していました。いつでも力を奮えるように準備はしているが、平和を維持するために眠っているふりをしているのだと思います。ただ現在の技術で再現された屏風の虎の目は完全に寝ているようにも見えます。虎って爪を出して寝るんですかね?

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

日光東照宮 城塞造りの東照大権現 (2019/11/02 訪問)

日光東照宮は栃木県日光市に鎮座する徳川家康を祭神とする神社です。と言えば簡単ですが実際は神社のスケールを越えています。まるで極楽のような煌びやかとヘタな城郭など及びもつかない守備力を持っています。(あくまで私見です)周囲の寺社仏閣が郭の役割を果たし神仏の守護もあります。東照宮自体も表門を越えた先は千人枡形と呼ばれ五重塔が建っています。その先は左に折れ陽明門はその先を右に折れますが、その空間も巨大な枡形と言って良いでしょう。(私見)陽明門を越えた先にようやく本殿が現れるのですが家康公の廟はさらに高所にあります。本殿が標高661.7m、家康公の廟は標高701.7mにあります。
しかし東照大権現となった家康公にこれほどの守りは必要でしょうか?格式や畏れ多さを演出しているとも言えますが、ある人物の意向が影響しているような気がします。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

シャンシャン

猫城主に年始のご挨拶 (2024/01/06 訪問)

2024年の初攻城は猫城主のさんじゅーろーがいる備中松山城へ。
よくぞこんな山の上に、立派な石垣や小振りながらも天守や櫓を造ったものだと感心する。
やっぱり木造の現存天守はいいよね。
さんじゅーろーは寒さのせいか、受付の布団からなかなか出てきてくれずちと残念(^^;

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

シャンシャン

城のような寺 (2024/01/06 訪問)

松連寺、この立派な石垣は寺ではなくまさしく城!
備中松山城の城下町にあり、武家諸法度により城を自由に増築することができない時代に、支城の役割を担うために建てられたらしい。
近くの頼久寺、武家屋敷など備中松山城に行く前に合わせて訪れるのがオススメ。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

屋敷跡やら城門やら銅像やら (2019/08/14 訪問)

与板城の麓には城主直江兼続公の屋敷跡があり案内板が建っています。与板歴史民俗資料館(兼続お船ミュージアム)には地域の歴史や直江兼続公に関する展示も充実し、直江兼続公の銅像もありました。与板城(陣屋のほう)は戊辰戦争で焼けてしまいましたが恩行寺に切手門、西本願寺別院に大手門が移築されています。与板城も本与板城と合わせて三つあるんですね。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

虎の子

城への交通手段実践レポート (2020/10/25 訪問)

仙台城、多賀城とともに登場。前日仙台駅付近泊
9:00仙台駅前西口16番(るーぷーる仙台)、9:23仙台城跡
 仙台城跡(青葉城跡)(百名城スタンプ 仙台城見聞館,17時まで)
10:08仙台城跡(るーぷーる仙台)、10:13,10:22青葉山、10:31,10:39仙台(JR)、10:52国府多賀城
 (徒歩15分)多賀城跡(百名城スタンプ 多賀城跡管理事務所)
12:11国府多賀城、12:27,12:30仙台、13:14白石
 (徒歩15分)白石城跡(続百名城スタンプ 天守閣)
14:19白石、14:55,15:04福島、16:36東京

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

千人溜が特徴的な直江氏の居城 (2019/08/14 訪問)

少し写真が古いのだけど与板城の投稿です。八坂神社から続く遊歩道を登っていくと本丸に到達し、そこから二の丸・三の丸と続き間は空堀で区切られています、主要部の先には大空堀を経て千人溜と呼ばれる大扁平地があります。比較的コンパクトにまとめられた良い山城に大勢の兵を駐留できるスペースが付いている珍しい山城です。
飯沼氏が没落した後、直江氏が与板に入り実綱(景綱)・信綱・養子の兼続(養子だったんですね)と三代続き上杉景勝の会津移封に伴い廃城になったということです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ373