みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

しんちゃん

季節外れの雪に城域が白く染まった。 (2023/11/18 訪問)

上ノ平城は丘陵の先端部に築かれており、ある程度の高低差はあるものの東西約450m、南北約200mの城域に複数の郭がほぼ平行に配されています。平安時代に源為公によって築かれたとされていますが、戦国期にも機能していたようですが、発掘調査で焼失の跡が見つかり、敵に攻められて落城してしまったのかもしれません。主郭の西に二の郭が配され主郭が一段高くなっています。主郭の東側にも大きな郭があり、主郭との間に三の堀が縦断し、東側の郭の東西にも大規模な空堀が横切っています。先ほどの突然の吹雪で城域が白く染まっています。まだ11月半ばなのに季節感が無いですが、これはこれで趣がありますね。どうせすぐ溶けてしまうので落書きをしてしまいました。いい歳して思わず童心に帰ったみたいです。(いつもかなあ)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

くうくう

国仲低地帯に分布する中世城郭群のひとつ

ほぼ正方形に周りを堀がめぐる。その外に道があり一周歩いてみた。土塁は大部分失われているが、ハスの茂った水堀はよく残っている。内側は「城の内」と呼ばれ、中世の遺品も出土された。城に関係がありそうな観音堂もあった。
城成立は14世紀頃、城主に新穂有時や本間備前守が確認され中世城館としての往時が偲ばれるが、天正17年(1589)上杉景勝の佐渡侵攻により廃城となった。

+ 続きを読む

しんちゃん

いきなりの風と雪。とにかく遺構を見る。 (2023/11/18 訪問)

箕輪城は木曾氏の末裔箕輪氏によって室町時代に築かれたとされ、戦国期のおわりごろに福与城主藤澤頼親の養子左衛門尉重時が入りましたが、天正10年(1582)に滅亡したとあります。天正10年というと織田信長の信濃攻めのころですが、そういうことですか‥。城跡は養泰寺の西の小高い丘地に築かれていて、現状墓地になっています。西と南に高い土塁が残り、南を堀切で遮断しています。城跡に向かって歩いていると先方の空気が不穏です。どうも強風を伴って雪が降って来ているようです。なんか天気予報と違いますが、まるで小規模なブリザードのようです。ゲリラ雪と言ったところでしょうか。とにかく進むしかありません。強烈な風と雪に抗いながら遺構をしっかり見て回ります。まだ秋だったんじゃなかったっけ?

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

水戸城太郎

御城印が配布されています。 (2023/11/21 訪問)

茨城デスティネーションキャンペーンの一環として、茨城県央地域の9市町村が発行した御城印が「いばらき県央地域を巡るスタンプラリー」の踏破者に、期間限定(2024年3月31日まで)で無料配布されています。
詳細については,以下のホームページに掲載されています。
https://www.city.mito.lg.jp/page/57285.html

+ 続きを読む

しんちゃん

今も昔もせわしなく。本丸はどうなったかな。 (2021/05/01 訪問)

福島城は上杉景勝会津移封後にこの地に入った堀秀治によって築かれたとされています。上越市立古城小学校のあたりが本丸と見られ、石碑と案内板がありました。古城図を参考にすれば周囲に堀が配され、その周囲を二の丸が囲み家臣の屋敷があったようです。さらにその周囲を堀が囲い、三の丸と見られる広大な空間にも家臣の屋敷が配されていたようです。いつの時代の物かは不明ですが三の丸の南西にあたる場所が陣屋跡になっています。かつては西を関川が流れ、南を堀、東を保倉川が流れ城の守りとしていたようです。堀氏が改易された後、徳川家康の六男、松平忠輝が入りますが忠輝が高田城を築いて移ると廃城となったようです。かつて城の東側を流れていた保倉川は今では城跡の南側を流れていて、古城小学校も2022年3月で閉校になったようです。すぐ近くに資料館もあったのですが、今ではどうなってしまったやら。時代の流れを感じます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

毛利秀元が改修して入城。住宅地に現存石垣が残る。 (2019/12/31 訪問)

櫛崎城は関ヶ原の合戦の際に西軍の総大将であった毛利輝元に代わって南宮山に陣を構えた毛利秀元が改築した城です。戦国期は大内氏の家臣の城でしたが関ヶ原の合戦後に西軍に積極的に関与したとして毛利氏が減封された際に秀元が長府藩五万石の居城として入城しました。まもなく元和元年(1615)の一国一城令によって廃城となったため秀元は三の丸の位置にある豊浦高校のあたりに居館を構えて藩庁としたとあります。関見台公園には天守台と石垣が復元され、公園から住宅地にかけて石垣が現存しているようです。現存石垣には石碑が残り民間のものと見られる建物が建っているようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

いんげん丸虫

中尾砦 岐阜県恵那市 (2023/11/04 訪問)

標高350mの砦跡。
木曽川左岸の岩山にあります。
20 x 6m の主郭の西に竪堀として落ちる大きな堀切が
あります。
岩の多い自然地形を利用していますね。
看板や道はありません。

+ 続きを読む

チェブ

城びと未登録のお城攻め「出羽山砦」。 (2023/10/21 訪問)

栃木県の「榎本城」で出会った近藤 綱秀さん。
東京都八王子市の居城「浄泉寺城」の後、守る為に築いた「出羽山砦」に向かいました。
「出羽山砦」は、近藤 出羽守 綱秀さんの出羽守から名付けられたんでしょうね。

「出羽山砦」は「八王子城」の近くで、車で10分弱の距離です。近くに城山川が流れていて、たどると「八王子城」の『御守殿の滝』に繋がります。
現在『出羽山公園』となり、整備された里山な感じです。周りにスーパーや、ドラッグストア等々あり住宅街ですので、砦は安全な公園になってます。
写真①②は遺構っぽい所を探しましたが、分かりずらい構図になってしまいました。少しだけ高い所になってます。
所在地は、八王子市 城山手 1丁目です。

ここまで来たので、『八王子城』へ行くと、お祭りの準備中でした。
写真④は、「八王子城」の『御守殿の滝』に手を合わせ無念を思い、下を向きながら歩いていたら見つけました。

一生懸命に戦った先人たちの無念。
「八王子城」は落武者オバケが出ると有名です。
今なら、皆さんの悔しい気持ち、分かります。
「出羽山砦」、近藤 出羽守 綱秀さんの名前は、公園として受け継がれてました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

山口重政、さすがに骨がある (2023/04/15 訪問)

福岡県でも福井県でもなく、愛知県でも常滑市ではなく愛西市にある大野城。石碑一本の城だが小牧長久手の戦いではここで山口重政が羽柴方の滝川勢の攻撃を凌ぎ切った。常陸牛久1万石の祖となる人物はさすがに骨がある。

+ 続きを読む

カズサン

麓からの眺めと道の駅の資料 (2023/10/07 訪問)

 利神城を道の駅宿場町ひらふくの麓で山頂の郭を眺める事が出来ます、そして表には利神城の大型解説板が立てられ良く目に付きます、また室内では利神城の立体模型が展示されて、陣屋町平福のイラスト付きガイドマップ、佐用町「三城」利神城、上月城、佐用城(福原城)の縄張図付き解説パンフレットがA2四折りで入手する事も出来ます。
 利神城のミニ資料館的役割を果たしています。大変ありがたい。
 
 またQRコード付きで利神城ガイドツアー参加者募集中、料金1名弁当付き3000円と掲示されていました。写真添付しますが最新の情報を確認して対応ください。
 
 50数年前から浜松・鳥取を往復して何時か利神城に登ってみたいと思いながらいまだかって麓から眺めるだけに成っております、年を経てさらに難しい事です。

 
 国道2号線から国道373号線を走ると白旗城、赤松氏館、上月城、福原佐用城、利神城を見ながらの走行で走りながら感動ものです。平福の道の駅から無料区間の鳥取道に入り約70km程1時間弱で鳥取市内に着きます、大変便利になりました。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

車で登れる富田茶臼山城 (2023/10/07 訪問)

 車で登れるとの情報で今回の備中備前未踏の城廻り7城目富田茶臼山城を車で初登城、茶臼山公園として整備されています。

 駐車場:頂上の茶臼山公園駐車場
 参考資料:城郭放浪記さん、グーグルマップ、城びと

 黒田家の故郷、備前福岡城跡を終えて国道2号線沿いから林道にて登れる富田茶臼山を目指し、頂上の駐車場に駐める。
 フェンスを開閉して茶臼山公園へ、よく整備されていて芝生の広場に成っている、遺構らしきものは良く分からない、頂上からの景色は絶景です、片上湾越しに東対岸に聳える富田松山城の山容が直線で1km程で見る事が出来る、しかし茶臼山公園の樹木が茂り見通しは良くない、茶臼山から富田松山城を眺めるのが今回の目的の一つ。
 富田松山城へは私の脚力では無理があり、せめてここで眺めようと言うのが私の願いでした。まあぁOKか?

 ここで今回の備中備前未踏の城廻り終了、今回は間の中学卒業60年の合同同級会を挟んで、丹波、但馬、因幡、出雲、備後、安芸北部、備中備前南部の6日間で未踏城郭25城、再訪6城でした。
 ここからR2、R373,佐用経由鳥取道で鳥取の実家へ帰ります。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

AJ

忠臣蔵経済効果?

切腹最中。和菓子に縁起でもない名前と思いきや、これが「お詫びの手土産」として脚光を浴びてからもう随分経ちました。相変わらずの人気だそうで。忠臣蔵は経済効果も抜群と思われます。

江戸城松の廊下で吉良上野介に斬りつけた浅野内匠頭は平河門(不浄門)から愛宕下(現在の東京都港区新橋4丁目)にあった陸奥一関藩・田村右京大夫建顕邸へ護送。即日、切腹を命じられたそうです。この田村邸跡に建つ老舗和菓子店でお買い求めいただけます。近くには内匠頭終焉の地の石碑も。

たしか、同店は赤穂市の観光親善大使に認定されていたはず。当然といえば当然でしょうか。他にも1本ずつに“48士“の誰かが描かれた箱に入った「義士ようかん」や最中とようかんの詰め合わせ「討ち入りセット」が人気です。

さて、場所は変わって東京都中央区明石町。築地外国人居留地跡として整備されていますが、もう少し遡ると江戸鉄砲洲と呼ばれた辺り。この一角にあった赤穂藩上屋敷で1667年、浅野長矩は産声を上げます。約3万平米の広大な敷地だったそうですが、これを1701年の事件で公収され、お家は断絶となりました。

今なお討ち入りが好意的に受け止められる一方、長矩は短慮で家を傾けた御仁との評価が付きまといます。なんの暗示か、邸跡の石碑は隣の木の根に押し上げられて傾くという始末。少し気の毒。経済効果がもたらす恩恵で修復するという案があってもいいような気がしますが、、。

+ 続きを読む

くうくう

金銀山のある佐渡を江戸幕府が直轄した

天領佐渡を治めるために相川に佐渡奉行所が置かれた。奉行所は行政と司法を行う機能に加え、金銀山の管理と金銀を精製する寄勝場もあり、また奉行の住まいも併設され、この部分が御陣屋と呼ばれていた。
相川は火事の多いところで、奉行所は火事による焼失と再建を5回している。安政6年(1859年)に再建された奉行所を2000年に一部復元。今それを見学できる。

+ 続きを読む

HKISD

赤穂城跡検索 (2023/11/17 訪問)

赤穂城は守りを中心に築城したと聞いたが本当に攻めにくい城跡だと感じた。
どこも整備されていて非常に歩きやすかった。
天主台に上って山を見たら赤があった。なんだか嬉しかった。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

chiroru

豊かな自然と歴史 (2023/11/18 訪問)

和田倉休憩所で100名城のスタンプを押印して、気持ちも足も大手門の方に向かいます。
富士見櫓と桔梗門と巽櫓をセットでカメラに納め桔梗堀の石垣を眺めながら、ついに大手門で入城。
わくわくが止まりません。

同心番所→百人番所→大番所→中雀門跡までとにかく広いし大きい。中雀門跡では火災で黒ずんだ石垣の痕跡を見る。

多様な樹木や草花が配置し見るものを飽きさせない素晴らしい庭園にもなっています。

富士見櫓の近くの土塁にもわくわくしました。警備頑丈。
松の廊下跡(石碑の前の道路の幅が廊下の幅だとか)→富士見多聞→天守台へ。
隙間ないきれいな天守台の石垣、ここにも火災の痕跡あり。
天守台からは北桔橋門や北の丸も確認できました。北桔橋門は門の造りもさることながら、それを囲む石垣は目を見張るものが
ありました。
たくさん歩いたし楽しいし充実しているから、あっという間に時間が経っていました。

徳川家康ゆかりの浅草寺へも足を延ばし晩ご飯は天麩羅!

次の日に放送された「どうする家康」の紀行では旧江戸城や浅草寺が紹介されてさらに嬉しくなり思い出甦る。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

くうくう

幕末の異国船の襲来に備えた海防施設

佐渡に60ヶ所の台場が築かれたという。今では姿を留めるものはないが、ここは小規模ながら直線延長約45mその馬蹄型の土塁の形がよく残っている。大筒4挺を据えたらしい。すぐ前には日本海の荒波が見える。平成14年に県史跡に指定された。

+ 続きを読む

歴史案内活動【11月23日(木祝)10:00~12:30】 (2023/11/23 訪問)

こんにちは。躑躅ヶ崎歴史案内隊のEこと上田絵馬之助です。

暦は断りもなく11月、ハロウィンが過ぎて街はクリスマスの気配、
甲府の木々も色を染めてゆく今日このごろ。
Eは訳あってただいま沖縄暮らしなので、微妙な季節感は想像で埋めるしかないのですが
長年甲府で活動している経験則で、晩秋の武田神社を思い浮かべてます。

そんな11月、当隊による武田神社歴史案内活動を行います。

日時:11月23日(木祝)10:00頃~12:30頃
場所:武田神社(史跡武田氏館跡・山梨県甲府市)
ガイド:局長・大塚與左衛門、弥三郎景政

❖境内に眠る戦国の史跡を、個性豊かな甲冑ガイドがご案内。
❖時間、コースはご都合・興味にあわせて自由に設定可能。
❖宝物殿、ミュージアムの展示施設も案内可能。
❖ガイドは無料(展示施設の入館料等は別途負担ください)。
❖雨天中止の場合あり(Twitter(現✗:@KoufuSamurais)で告知します)。

11月の武田神社は樹々の葉の赤や黄で彩られ、七五三を祝う親子連れでにぎわいます。
また、境内ばかりでなく、神社の北側では味噌曲輪の発掘が進められ、
稲荷曲輪の周辺では伐採によって曲輪の姿がくっきりと現れ、
図面に描かれる曲輪群の姿を目の当たりにできます。
秋の一日を境内散策でお楽しみください。

+ 続きを読む

POYO58

三の丸、二の丸、本丸編 (2023/11/03 訪問)

北千畳の後は三の丸へと歩き、写真を撮りまくりました。二の丸まで行くと南千畳がめっちゃくちゃ綺麗に見えます。城自体からもマチュピチュを味わうことができます。ガイドさんの話によると、竹田城というのはご存知の通り、秀吉の家臣の赤松氏によって築かれました。家康に改易された後、廃城となったものの建物は残り、明治維新で破壊されず、昭和時代まで残ったのにも関わらず、老朽が原因で破壊されたそうです。なんとも勿体無い!とにかく戦国時代のお城なのに枡形虎口が多いことにびっくりしました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

いんげん丸虫

椋実城 (むくのみ)(欒峰城らんぽう)岐阜県恵那市 (2023/11/04 訪問)

標高519mの山城です。
瓢箪型の主郭を中心とした5つの支尾根に堀切、
曲輪があります。細かな遺構のつくりは戦国期に
活用された城郭であると想像できます。
看板があり、その付近に路駐可能です。

+ 続きを読む

朝田 辰兵衛

どこでもドア? (2023/10/08 訪問)

この日のラスト。日没前に行けそうだったので,JR福光駅にて途中下車。栖霞園の入口は施錠されておりました。しかし,両ワキから楽々入れそう。すると,このドアはいったい何?
「どこでもドア?」
ま,いちおう分別のある大人なので,門の奥への進入は踏みとどまりましたが,興味津々です。

+ 続きを読む

ページ371