説明板は色あせ・塗料はがれで、縄張図・文字が判別しづらい。築城した阿久沢氏累代の墓がある正円寺は、天正18年以降、廃城になった後に移っているとのこと。
お寺の北側に堀跡・土塁があるらしいが、お参りするだけで犬に吠えられ続けるので遠慮した。お寺の東に、その続きと思われる堀切がある。本丸北側はかなり埋まった堀だが幅は広く、南下には二の丸との堀の底から続く帯郭があり、本丸との高低差がすごい。二の丸の東にも台地を分断する堀が見られ、自然地形かも知れないが竪堀状に南に落ちている。
+ 続きを読む