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ゴエチュウ

春の金亀城 (2024/04/10 訪問)

桜満開でした

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にのまる

常盤橋屋外ミュージアム (2024/04/02 訪問)

昨年の「どうする家康展」に合わせて購入した三井記念美術館の年パスの期限が迫っていたので駆け込みで「三井家のおひなさま」展を見に行きがてらお散歩してきました。

最初に美術館近くの貨幣博物館へ。
7月に発行される新日本銀行券のデザインや偽造防止の技術について勉強してきました。
すぐ近くの常盤橋公園には新一万円券の渋沢栄一像があります。
枡形石垣が保存されている常盤橋門跡は東日本大震災の被害の修復が終了した2年前に訪れて以来でしたが、2年前にフェンスで覆われていたところに『常盤橋屋外ミュージアム』ができていていました。
築石、敷石、輪石、隅石、根石……。たくさんの石に丁寧でわかりやすい解説。
透明フェンスにへばりついて暫し<常盤橋>と<常磐橋>の石材鑑賞タイムを過ごしました。こんな風になっていることを全く知らなかったので素晴らしいものに出会えてとてもうれしかったのですが、同時に定期パトロールの大切さを痛感しました。

続いて江戸城大手門に歩いて向かいました。
乾通り一般公開も終了し、桜もまだ満開ではなかったので空いているかと思ったのですが……甘かったです。大手門橋の真ん中あたりまで入苑待ち(手荷物検査)の行列ができているのが遠目にもわかったので諦めました。

しかしこれでは江戸城要素が若干不足気味。
なので有楽町の国際フォーラムに太田道灌像と天守模型を見に行きました。
かっこよかったです!
満たされましたヽ(^o^)丿


CF、しばらくドキドキが続きそうです。(匂わせコメント、バレましたか^^;)

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しんちゃん

JOH・JOH・JOH~♪ (2024/04/06 訪問)

上条城は鎌倉時代の武将で今井兼平の孫・小坂光善によって築かれたとされています。室町時代に子孫の林重之が戻ってきて林姓に改めたそうです。林家は豊臣秀吉により廃城になった後も、15代に渡って庄屋を務め明治時代を迎えたそうです。
現在本丸の中心部は駐車場になっており、周囲に土塁が残ります。石垣を備えた天守台も築かれていたようです。駐車場の脇には林家屋敷跡の石碑が有るのですが雑木が生い茂って読めません。正直に感想を述べますと「なんてこったい」です。

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宗春

沖縄県の日本百名城・続日本百名城イッキ攻略 その①今帰仁城 (2024/04/10 訪問)

名古屋在住の友人と那覇空港で待ち合わせして、レンタカーで沖縄県の日本百名城・続日本百名城イッキに攻略してきました。
最初は今帰仁城。

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牛若丸

石浜神社になっています (2024/03/24 訪問)

石浜神社になっていて隣に城趾公園があります。

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牛若丸

普通の公園 (2024/03/24 訪問)

国道を挟んだ形で残っています。
普通の公園なのでパッと見はそれと気づかないです。
国道を挟む形で残っています。

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ノボル

立派な石垣でした (2024/04/10 訪問)

次は紅葉の時期に伺います

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しんちゃん

汁かけ飯・北条氏政のフェバリットフード (2024/04/10 訪問)

汁かけ飯は小田原北条四代の北条氏政さんの大好物です。湯づけと同じく冷や飯に汁ものをかけて食べるらしいのですが、この汁ものとは何ぞや?と思って調べてみたら味噌汁や醬油で味付けした汁でいいようです。じゃあ味噌汁にしようかな。
北条氏政さんと汁かけ飯といえばご飯に二度汁をかけて、「毎日食べているのに汁の量も測れないのか‥」と父親の氏康さんを落胆させたエピソードが有名ですが、ふと思うところがあって試してみました。冷たいご飯に汁をある程度かけてなじませます。うん、冷たいご飯が暖かい汁で「ふうわり」とほぐされて、ご飯のおいしさと汁の味わいが絶妙!何口か味わった後は汁を全部投入です!うん、見た目は猫まんまだけど、これは絶対うまいやつだ。箸がとまらん!古来より武士たちに愛されている味です。
なるほど、かける汁の量によって味わいが違ってくるんだ。ひょっとして氏政さんは味変を楽しんでいたのかな~?
汁かけ飯の巨匠と呼ばせてください!(またバカなことを‥)
氏政さんは北条氏の滅亡の原因を作った人物として後世の評価はあまり良くないですが、家族想いで北条氏最大の版図を得た人物でもあります。目をつけられた相手が悪すぎたのだと思いますね。

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肉球

一回りしました (2024/03/27 訪問)

何度か訪れていますか今回は推定縄張り図を片手に一回りしてみました。
住宅に埋め尽くされている所が殆どですが
内堀、外堀、切岸など現在でも確認しやすいお城です。

大手門跡付近の駐車場に車を停め時計と反対周りに外堀跡とトボトボと。
結城氏の墓所付近の畦道は城域南東にあった福厳寺口跡
北上すると二の丸切岸〜大日堂跡があります。
本丸南東にあった大谷瀬口は大日堂跡を結ぶ出入り口。
住宅街を歩くと内堀や三の丸切岸も確認できます。
城域北西部には西ノ宮口跡にあたる橋がありここの辺りが搦手門跡のようです。

城址の西方1キロ付近に建つ弘経寺には大手門が移築されていますが
一度倒壊しているようでどのような再建がされたかは不明です。が
このお寺は結城秀康が娘の供養のため建立したようで裏手はお城のようでした

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しんちゃん

守山崩れ (2024/04/06 訪問)

守山城は宝勝寺一帯に築かれていたとされています。宝勝寺が主郭と思われ、南は切岸のようになっており、北側に堀切が残っています。城域は東西約58m、南北約52mとされています。天文年間(1532~55)松平清康が尾張攻略のために居住しますが天文4年に家臣の安倍弥七郎に殺され、松平勢は総崩れとなり岡崎に引き上げたとあります。いわゆる「守山崩れ」ですね。

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イオ

桜桃爛漫 (2024/04/06 訪問)

今年の城の日は、所用で大阪に行くついでに大坂城で桜見物を。昨秋に紅葉見物で訪れた際に、東外堀沿いの桜並木の紅葉が(遠景では)綺麗だったので、いつか桜の時季にも来てみたいな、と思っていましたが、思いがけず早く叶えることができました。

例年より開花が遅れたことで、ちょうど城の日に満開を迎え、東外堀の南端からは両岸に続く桜並木が見渡せます。東外堀沿いに北に進むと、巽櫓台から艮櫓台、さらに高石垣の上にも桜が続き、桜越しに天守の姿も覗いています。天候も穏やかで、公園側の桜並木の下では多くの人々がシートを広げてお花見に興じていました。ああ、なんて心和む春の一日…。

東外堀沿いの桜を満喫したところで、今度は北外堀沿いの大阪城桃園へ。桃の見ごろはもう過ぎているかと思いきや、早咲きから遅咲きまで様々な品種が植えられていて、華やかな色彩の桃と桜の競演を堪能させてもらいました。こちらも大いにおすすめです。

そして伏見櫓台を経て、乾櫓を眺めながら帰途につきました。次は乾櫓特別公開に来るぞ、と念じつつ…。
 

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todo94

京阪の城めぐり⑫ (2024/02/25 訪問)

ここも三津寺砦と同様、2023年2月に訪れた際には工事中でした。坐摩神社、知らなければいかすり神社とは読めませんよね。旧社地の行宮とのことで神功皇后鎮座石がありました。雨中、無理はしたくなかったので今回の京阪の城めぐりはこれにて終了。大阪駅の大丸で贅沢な寿司の昼食をいただいた後、予約を入れておいた曾根崎献血ルームに早めに向かいました。

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カズサン

桜装う浜松城2024 (2024/04/07 訪問)

 今年も桜満開の浜松城を訪れる事が出来ました、早めに家を出て北側の浜松城公園駐車場の開き時間に合わせて出かけましたが8時半前には既に駐車場手前で渋滞発生、8時半と思っていたのですが8時に駐車場は開場でした入ったときは9割方の満車状態。
 早速桜と天守閣の見えるポイントを廻って撮影開始、北側駐車場の眺め、中央広場、天守曲輪のポイント、富士見櫓跡からの眺め、本丸からの、南広場から、今回鳥居曲輪の在った出丸跡(現浜松中央図書館)の駐車場から眺め、当日は日曜日で市役所が閉まっていて屋上に登れずでしたので翌日曇り小雨でしたがスマホで屋上フェンス越しに撮影しトリミング写真を投稿します。
 7日の登城日は大勢の花見客で大変な賑わい桜まつりも7日まで屋台も出て盛況でした。
 当日天気は良く他の遠州の城郭を廻りたく1時間半ほど撤収。
 満開の浜松城を堪能致しました、二の丸の大河ドラマ館跡が寂しそうでした。
 

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しんちゃん

展望台に模擬天守。市民の憩いの場。 (2024/04/06 訪問)

新居城は南北朝時代に当地の土豪、永野良春によって築かれたとされています。比高はおよそ40m、東西約280m、南北約140mの城域をもち、一部土塁が残っているようです。主郭と見られる部分にスカイワードあさひという公共施設があり展望室やレストラン、展示場などを備えています。南側には堀切と見られる箇所があり、橋がかかっています。その先に天守風の休憩施設があり食事を取ることも出来るようです。
ちょうどこの日は、さくらまつりの最中で多くの家族連れでにぎわっていました。

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「日本100名城かるた」が4/11のBSよしもとの番組で紹介されます!

みなさま
こんばんは!!速報です!

「日本100名城かるた」が、、、なんとテレビデビューします!!
4月11日(木)放送のBSよしもと「キクテレミルラジ265」の今話題のトレンドニュースを取り上げるコーナーでご紹介いただけるとのこと!!

昨日メールをいただいて、とんとん拍子で決まりました~!!
時間は、16時35分頃~17時30分頃だそう。
見逃し配信もあります!

生放送なので、進行の関係で紹介されない可能性もあるそうなので・・・
どうぞ、皆さま、城びと編集部と一緒に祈ってください!
「放送されますように!!!」

番組公式サイト→ https://bsy.co.jp/programs/by0000018914

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しんちゃん

湯づけ・戦国のパワーフード 織田信長編 (2024/04/09 訪問)

ご飯に水やお湯をかけて食す風習は平安時代のころからあったようです。当時は保温機能の付いた炊飯器などないので、米はたいがい冷めていたのでお湯をかけて暖かい米を食す湯づけが好まれたようです。戦国武将たちにも好まれ、特に冬場は重宝したようです。
織田信長が桶狭間の合戦に赴く前に湯漬けを食べ、「敦盛」を舞ったというのは有名な話です。さすがに米にお湯だけでは味気ないので少し塩をたしていますが、非常なシンプルな味で、それ故に奥が深いです。湯づけを食すにも作法があって、食している間は、汁は吸わずに最後にすすうらしいです。
シンプルな味ですが合戦に赴く諸将たちにとっては最後の食事になるかもしれず、それ故に格別な味わいであっただろうと考えます。ある意味究極のグルメですね。
さすがに晩御飯がこれだけでは体が持たないので、サラダやヨーグルト(日切れ)で補完しています。気を引き締めるために月一くらいで湯づけの日を設けたいと考えています。

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しんちゃん

桜と石。 (2024/04/06 訪問)

名古屋城はこの時期、桜もきれいだし、岩の種類も豊富でいくら写真を撮っても、撮りきれません。日本三大名城として大阪城、江戸城(熊本城)に並ぶ格式を誇っているだけのことはありますね。ここ二日の間、桜散しの雨も降っていて風も強く、名古屋城の桜もそろそろ見ごろを過ぎているころと思います。少し名残惜しいですが、また来年の桜を楽しみにして、大事無く過ごしたいと思います。
名古屋城は天下普請で短期間で完成しており、総延長8.2km、面積5万平方mにおよぶ石垣には様々な石材が使用されています。以前、和歌山城に使われている和泉砂岩の話をさせていただきましたが、名古屋城も二の丸の石垣などに河戸石と呼ばれる砂岩を多く使用しています。ジュラ紀の地層から採取されるようなのですが、見た目に堅そうで石垣としての役割を十分果たしているようです。見た目にボロボロで見るからに心配な和泉砂岩と違って、「砂岩ですが何か?」とでもいいたげな頑強さです。う~ん、かわいくない。やはり私は和泉砂岩を「推し」です。
名古屋城の石垣は幡豆石と呼ばれる花崗閃緑岩を多く使用していますが、東鉄門跡付近には熊野石と呼ばれる石が使用され、名古屋城で一番大きな石である清正石は山陽帯花崗岩が使用されているそうです。正直、予備知識がないとなかなか見分けがつかないですね。

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ぴーかる

天女の羽衣 (2024/02/17 訪問)

【羽衣石城】
<駐車場他>羽衣石城駐車場20数台分あり。
<交通手段>車

<見所>曲輪・石垣・巨石群・眺望
<感想>日帰り羽衣伝説の旅1城目。羽衣石城は1366年に南条貞宗によって築城されたとされます。戦国時代には尼子氏によって落城し尼子領となりますが、尼子氏が毛利氏によって滅ぼされた後は南条氏が復帰します。時の城主、南条元続は羽柴秀吉の鳥取城攻めの際には羽柴方に味方します。1582年に吉川元春配下の武将山田重直の手により落城しますが、1584年に織田・毛利の講和により再び南条氏が復領します。南条元続の子の元忠は関ケ原で西軍に味方し城は廃城となったようです。
 上記駐車場から400mの道と500mの道の2つのルートがあり、先達の方々と同じように400m側から登って500m側から下山しました。どちらも遊歩道階段が付けられているので登り易く、400m側の方に見れる遺構が多く残っているのでこの順で進むのがお勧めです。登り始めてすぐに方形の石積み遺構が現れます。櫓台か門跡と思われます。このような石積み跡は中腹まで所々に見られます。八幡社の曲輪、発掘途中の曲輪群、石垣の多く残る曲輪、お茶の水井戸(池かも)、巨石群のある曲輪、羽衣石を見て楽しみながら登り山頂主要部に到ります。主郭主要部は南北に長く主郭北側下段に展望台、主郭に模擬天守(中には入れない)、主郭南下段に2郭3郭があります。周囲を帯曲輪で巻いています。南西隅に巨石で塞いだ虎口遺構があります。下山したルートの方には巨石の塁壁、谷に段曲輪があり石垣が僅かに残っていますが、未整備で沢を挟んで遠くからしか眺めることしか出来ません。山頂手前に礫石が相当落ちているので何かの遺構が崩れてしまっているのを想像させます。主郭主要部が整備され模擬天守があるので重機をこちら側から入れているような感じでした。また、登山道途中にあれだけあった石垣遺構が主郭主要部には全くなかったのは不思議だと思いました。

<満足度>◆◆◆

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肉球

山川氏館  茨城県結城市 (2024/03/27 訪問)

結城氏一族山川氏の館跡です。
鎌倉時代に築かれ山川綾戸城を築くまでの250年程の間
山川氏の本拠地だったようです。
枡形の館跡には堀跡と土塁が残り内側は東持寺というお寺になっています。

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肉球

山川綾戸城 茨城県結城市 (2024/03/27 訪問)

平将門が砦を築いたいう説もあるようですが
結城氏一族の山川氏によって築かれたようです。
結城氏と一緒に山川氏も越前へ移ったのち
江戸時代初期に水野氏が近世城郭として整備したようです。が
すぐに駿河田中城へ転封し廃城。
僅かな土塁と水野家の墓所が万松寺廃寺跡に残るくらいで
ほとんどが宅地と農耕地になっています。
土塁が残るのは南北にのびる舌状台地なので
東と西の湿地が堀跡かと勝手に想像して
画像を掲載しました。

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