やましたじょう

山下城

兵庫県川西市

別名 : 龍尾城、一庫城、塩川城、獅子山城、多田城
旧国名 : 摂津

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①入山禁止
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)13日目:山下城 (2024/10/04 訪問)

山下駅から徒歩10分ちょっとで、登り口付近(34.898470、135.4085480)に着きました。

山下城は塩川氏の居城で、1541年(天文10年)に籠城する塩川国満らが、三好長慶の軍勢を撃退した「一庫城の戦い」の舞台です。
塩川国満が城主の1584年(天正12年)には、豊臣秀吉による九州征伐の先鋒として出陣した能勢頼次の留守を狙い攻撃したため秀吉の怒りを買い、国満は自刃することとなり、そのまま廃城となりました。
現在城址は古城山には登山道が整備されており、土塁や堀切などの遺構を確認することができるそうです。

登山口から少し登ると『松茸山 入山禁止10月1日〜11月15日 山下古城山管理委員会』という表示とロープがあり、入れませんでした。
松茸のシーズンで入山禁止はわかっていましたが、登り口付近まで行って攻城としました。
時間があったので、川西市郷土館に行ってみましたが開いてませんでした。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=小浜城を目指す為、山下駅から電車で売布神社駅に向かいました。

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李牧

塩川氏のお城2 (2024/01/14 訪問)

トリビア情報です。
山下城に向かう国道173号線の途上、一の鳥居近辺にとって付けたような城郭があります。
ちょっと胡散臭いなと前から思っていたのですが、(城郭そのものは観光用)
どうやらこれは大阪青山短期大学の歴史文学博物館であり、
この大学の創設者が山下城主である塩川氏の末裔であると川西郷土館の館長さんから教えていただきました。
そういった縁もあり、博物館の玄関前には塩川氏と鷹を抱く織田信長公、横でかしずく森蘭丸の銅像が立っています。
ぜひ城見物の帰りに立ち寄ってみてください。
(残念ながら2024年現在博物館は改修工事中ですが、、、)
ちなみに塩川氏の娘が信長の長男信忠に嫁ぎ生まれた子が、
清須会議で秀吉が担ぎ上げた、かの有名な三法師といわれています。(諸説あり)

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塩川氏の城 (2024/01/11 訪問)

 古城山の山頂部から派生する2本の尾根に曲輪を配置し、背後を2重の堀切で守られた城です。東側の尾根に登城路が設けられています。西側の尾根にも階段状の曲輪が展開していることは主郭近くから見るとわかりました。主郭背後の堀切と竪堀は良好に残っています。自分的には一番の見どころだと思います。さらに尾根を歩いていると浅くなっていますが、堀切とおもわれる地形を見ることができます。
 主郭等に設置してある機器から出る獣除けの音は気になりますね。
向山に出城があります。尾根を介して行こうとしたのですが、途中藪になっている所があり、丁寧に道を探せばあったかもしれませんが断念しました。

能勢電鉄山下駅から徒歩10分くらいで登城口に着きます。

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ぴーかる

山下城 (2021/11/28 訪問)

【山下城】
<駐車場他>駐車場はなし。川西市郷土館(入館料有料)駐車場が利便よし。
<交通手段>車

<見所>石垣跡・曲輪・大堀切
<感想>山下城はかつて書物に一蔵城・獅子山城とも書かれてありました。築城年代は定かではなく、平安時代・南北朝時代・戦国時代と3説ほどあるがいづれも塩川氏の築城によるもので、その塩川氏も出自が定かではないが代々多田院の有力御家人の筆頭として多田庄・能勢郡一帯に勢力を持っていました。戦国時代には塩川国満が北にいる能勢頼次と領土争いを行い、1584年能勢頼次が秀吉の九州征伐軍の遠征中に能勢氏の城(地黄城は陣屋なので丸山城か?)に勝手に戦をしかけ落城させた。帰国後秀吉は激怒し、池田輝政に討伐を命じ山下城は包囲落城した。塩川国満は切腹してその時城は廃城となりました。国満の首が大手門前にさらされたことから現在も大手門跡に首供養地蔵があります。
 登城口は<34.898480, 135.408523>のポイントでかつての大手門跡です。山に入るとすぐ畑になった段曲輪が両サイドにありますが改変したものか判別は難しいところ。まっすぐ奥に進むと神社手前にかつて石垣のあった一文字土居の遺構があります。その先に𠮷秀大神の神社があります。ここから右に折れ斜面を登ると愛宕神社のある曲輪に出ます(主郭から7段目の曲輪だそうです)。ここから川西市山下町が一望できます。次に三日月状の腰曲輪がありその上が主郭から3段目の大きい曲輪があります。ここから主郭まで害獣よけの超音波の出る装置が設置されていてやたら耳障りです。
 主郭は南北にやや長い長方形で東側に大土居、北側にも一段低い土居があった感じがします。北東隅に櫓台跡があり土居と櫓台はすべて石垣造りであった模様。櫓台外側にも回り込んでみましたら石垣跡が残っていました。主郭南側以外の3方はすべて切岸になっており、櫓台のある北東先に大堀切と堀切の2重堀切があります。堀切の先から東に向かって尾根道になっていて、ずっと先に単郭の曲輪があるそうですが行きませんでした。そこを合わせて二山一城と言われているそうです。
 主郭の石垣はかなり崩落してはいるが主郭内に大石が転がっていたりしてかなりの面積が石垣造りになっていたように感じました。予想より見応えのある城跡でした。

<満足度>◆◆◇

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 塩川氏
築城年 天文11年(1542)以前
主な城主 塩川氏
廃城年 天正12年(1584)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、堀切、竪堀、井戸跡
住所 兵庫県川西市山下、一庫