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ぴーかる

平野城 (2022/09/11 訪問)

【平野城】
<駐車場他>カーホームズ阪急御影駅前(コインP)
<交通手段>車

<感想>日帰り西摂津東播磨ちょこ城巡りの旅ラストの10城目。平野城は南北朝時代の1346年、赤松円心の家臣平野忠勝によって築城されました。観応の擾乱という足利尊氏と弟の直義の戦乱で平野城は敗れ平野忠勝は帰農し城もなくなってしまったようです。
 城跡は御影北小学校を中心に東にある深田池を東の堀にあてていたようです。遺構は特に残っておらず阪急御影駅前に御影石の説明板の城跡碑があります。駅前のローターリーから北側は急な坂になっていて比較的東西に真っすぐ伸びているので切岸に見えなくもない。小学校の方へは行かず、駅前と深田池を散策し終了した。

<満足度>◆◇◇

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加藤城乃助

北関東日帰り城巡り (2022/10/21 訪問)

北関東日帰り城巡りの続きです。館林城の後、佐野厄除け大師に厄除けのお札をお返しした後、足利氏館へ。堀と土塁が非常に綺麗な状態でした。中は足利氏の氏寺である鑁阿寺というお寺が建っています。山門や太鼓橋がとても立派でした。
この後は太田市に向かい、新田金山城に行きました。

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加藤城乃助

北関東日帰り城巡り (2022/10/21 訪問)

後厄が無事に終わりましたので、佐野厄除け大師に厄除けのお札をお返しがてら、北関東のお城3城に行って来ました。
まずは館林城に。三の丸南面駐車場に駐車して、第一資料館を見学。その後土橋門を見ました。かなり城域も広大だったようで、街中を巡るといろいろあるようでしたが、先の行程もあるので、つつじが岡公園のつつじ映像館で御城印を購入して、足利に向かいました。

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赤い城

高井城址公園 (2022/09/24 訪問)

高井城址公園になっていて少し離れたところに駐車場もあります。
守谷城の支城で相馬氏一族の高井氏の城です。
主郭の虎口が見どころ。
土塁が囲んでいます。
虎口の手前には空堀も残ります。
主郭の背後は民家になっていて空堀の名残と思える部分もありました。
主郭以外は民家や農耕地となっています。
私有地も多いので歩き回るのは注意も必要ですね。

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侍ホリタン

2022年春、桜の名城を訪ねて① (2022/04/02 訪問)

桜本数1000本、訪問時は城内にて桜祭り期間中でした。三の丸跡にてご当地グルメが安く提供されていました。本丸から見る桜の景色はまるで桜のじゅうたんの上に浮かんでいる様でした。

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カルビン

1日3回の訪問て(汗) (2018/08/12 訪問)

特別お気に入りという訳ではありませんが、久保田城には8年前と4年前のそれぞれ夏休みに訪問しており、今回は4年前に訪問した際の投稿になります。。。久保田城まだ投稿してなかったので書こうと思います。


前日の夕方に羽後亀田で脚長蜂に刺された影響を心配してましたが、特に影響は無かったので一安心して朝駆けを決行。
といってもこの後暑くなる前に脇本へ移動して脇本城を攻略する予定だったので、予定していた電車までの1時間弱の見学でしたが・・・

朝早すぎて御隅櫓と佐竹史料館は閉館してましたが、どちらも以前入っているので、とりあえず前回訪問した時のおさらいをザックリとして一旦移動。

その後脇本城→湊城→秋田城と回って秋田駅にお昼頃に戻ってきたので、今度は佐竹氏の菩提寺の天徳寺へ向かうバス待ちの間に再び久保田城を散策し、この時間で久保田城内にある2つの神社(八幡秋田神社・弥高神社)に参拝。

天徳寺からは秋田駅に戻るバスが90分待ちという誤算があり、炎天下の中ただ待つのが嫌だったので、勘を頼りに歩いて秋田駅に向かったところ目に入ってきたのが久保田城の御隅櫓・・・
凉を取るついでに1日3回目の久保田城散策となりました(^^;
ま、天徳寺で佐竹家廟所が外見しか見れなかった等の関係で時間が余り、帰りの新幹線の時間まで3時間もあったので時間調整には丁度良かったのですが。。。それでも予約時間の2時間前には駅に着いてました(流石に隅々までお城を見切ったわけで(汗))


こういう遠征では時間が余る事が多い為、帰りの新幹線の時間を前倒しするんですが、この時は丁度お盆休みで予約いっぱいで時間変更が効かず、1日4回目の久保田城見学になりそうでした。。。(流石に暑いし歩き疲れたので駅で休んでましたがw)


何か久しぶりにブログのような記事になってしまいました・・・スイマセンorz

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カズサン

高岡城と瑞龍寺 (2003/08/21 訪問)

 高岡城は高山右近の縄張で前田利長の築城で名が通って居ます、富山八尾に在住してる叔父を兄弟夫婦で訪ねて八尾の風盆前に客数が少ない前夜祭を見学、叔父たちとの久しぶりの懇親を終えて翌日、二度目高岡城、初回瑞龍寺に寄りました。
 19年前の平成15年8月下旬サブのデジカメに残っていた写真を投稿します。
 まだまだその当時濠と樹林の密集ばかり目に付き遺構などに目が向かなかった時期なのでしょうか?
 数年前には二人の叔父も他界しました。

 ※朝田辰兵衛さんへ
 直峰城の情報有難うございます、上越市の天気予報を9月末頃から確認し、土曜日曜を入れて晴れてる時期を狙っているのですが中々都合の良いタイミングにヒットしません、今度はだんだん寒くなり雪を心配しなくては?と伸び伸びに成って来ました。
 来春4月末5月初旬も狙い目にしてタイミングを待ってみます。
 
 

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ガチャピン

二回目

5年ぶりの登城です

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赤い城

葉山マリーナを見下ろす (2022/09/23 訪問)

葉山マリーナの駐車場を利用、日陰茶屋の駐車場脇から登ります。
チェブさんの投稿にあるようにサザンの鎌倉物語に出てくるあの日陰茶屋です。
行ってみたいけど敷居は高い。
で、鐙摺城は小高い丘にあり、郭を低くなった土塁が囲んでいます。
眼下に葉山マリーナを見下ろし、晴れていたら眺めも良さそうです。
日陰茶屋は無理なので旭屋さんの葉山コロッケを購入。
桑田さんもお気に入りの美味しいコロッケです。

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熊川宿 (2022/10/20 訪問)

 若狭街道の宿場町で熊川城のすぐ下にあります。町並みは重要伝統的建造物群保存地区に選定され、当時の風情を残しています。織田信長が朝倉を攻めたとき、徳川家康は得法寺に泊まったとされています。その時に腰かけた松が「家康腰掛の松」として残っていますが、松くい虫の被害により根元だけ山門の横にあります。

 昼飯に街道にあった「ひのきや」さんの「からみ大根 おろしそば」をいただきました。かやくごはんが付いていました。

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鯖街道 (2022/10/20 訪問)

 若狭と京都を結ぶ「鯖街道」のメインルートである若狭街道を見下ろす場所にあります。元亀元年(1570年)織田信長が越前朝倉氏を攻めたとき一夜を過ごしたと伝わっています。
また細川藤孝の妻は、この若狭国熊川城主沼田光兼の娘麝香(細川マリア)で細川忠興の母親ということです。
 主郭までの登城路は整備されていて歩きやすい。白石神社と熊川陣屋址から登るルートがありますが、間もなく合流します。登り始めると、すぐに五条の畝堀があります。段曲輪を見ながら主郭まで15分くらいでしょうか。主郭背後の三重堀までは容易に行くことができますが、南西にある二重掘に行く道が整備されていないため少し苦労しました。空堀、竪堀が浅くなっていますが、コンパクトで比較的散策しやすい城址です。

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POYO58

天守台・本丸 第一編 (2022/08/30 訪問)

高取城の見るべきものはやっぱりちょーー高い天守台、せっかくここまで突破できても誰も行けない不可能な罠がもう仕掛けてあります。やっと天守に着いた〜と一休みしてしまえば新櫓から攻撃を受けます。そこから逃げようと天守の方へ急ぐと目の前にはデーーっかい天守が、もうここまで来たら落城寸前だろう、と思ったらあまい。なかなか向こうには行けません。こんな天守台はおそらく誰にも登れまい。

天守台は野面積みで中世を感じます。角の部分はきれいな算木積みになっています。この角から写真を撮るのがおすすめ。

ここまでと思ったら大間違い、タイトルにも第一編と書いてあるので第二編もあります。では早速天守の中へ入ってみよう!
続く

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トク

【島津VS大友:最終決戦の城巡り】 (第4回)岡城合戦(その2)-滑瀬橋 (2022/09/21 訪問)

「岡城合戦(その1)」からの続き、第2戦です。

島津義弘は岡城に近づく事すらできなかったため、岡城攻撃はいったん後回しとします。そして家臣の稲富新介に4,000の兵を監視役として残し、自らの本隊は歳久と共に岡城への補給路を断つため、回りの諸城を落としながら玖珠・由布方面への平定に向かいます。そして今後の秀吉軍が南下した場合に備えての軍議を行うため、義弘は家久の所にまで向かいました。

手薄になった島津軍を見た志賀親次は、「稲富新介も見ているだけでは退屈であろう、ちょっと誘い出してみるか?」とここである策に出ます。何と城兵1,500は城を捨てて、わざと城から逃げ出すふりをしました。 これに稲富新介は「これは願ってもないチャンス! 城兵がいなくなった今なら簡単に城を奪い取る事ができるではないか」とまた滑瀬橋から川を渡ります(見事に罠にかかりました)。そこでまた隠れていた志賀軍鉄砲隊が一斉射撃! あわてて戻ろうとしたその時、逃げ出しているふりをしていた志賀軍は反転。稲富新助の軍は挟み撃ちにあい、大損害を出してしまいました。

私はちょっと遊び心で、その様子を写真に重ね合わせたイラストで作ってみました。こんな感じで戦は行われていたのではないでしょうか?(写真)。

家久との軍議の最中にこの失態を聞いた島津義弘は大激怒! 急ぎ歳久6,000の兵を片ケ瀬へ戻らせます。そしてこの戦いはついに第3戦へ続きます。
 

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朝田 辰兵衛

東尋坊のバーターで。 (2022/10/10 訪問)

福井県で有名どころの観光地といえば,まずは東尋坊。雨なのに物好きな観光客は多くいました。私もその中のひとりです。
アクセスは,芦原温泉駅から路線バス。東尋坊で降車。途中の丸岡藩砲台は,梶浦が最寄りバス停です。とくに迷うこともないと思います。刻印石と石碑は注意しながら散策してください。
ラスト2枚が東尋坊の写真となります。

カズサンさんへ。
妙高山,今シーズン初冠雪を記録しました。直峰城,宜しいかと思います。たぶん,紅葉が始まっていると推察します。11月下旬から12月初旬ごろは,紅葉と雪のコラボが見られる日もあるかも…。こればかりは運だと思ってください。

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にのまる

関ヶ原陣跡巡り(西軍~ゴール) (2022/09/25 訪問)

「関ヶ原陣跡ウォーキング2022」制覇コース踏破の記録の後半です。

⑫常盤御前の墓前
松尾山頂上から下山を始めて1時間後に到着。休憩所でお茶などいただけました。近くの常盤地蔵にも寄りました。関ヶ原合戦とは関係ありませんが、全成・義円・義経の母で鎌倉殿に縁のある場所に寄れてよかったです。

⑬大谷吉継陣跡(眺望地)
壬申の乱の激戦を今に伝える黒血川を越えた山の中。松尾山眺望地です。大谷吉継、かっこいいです。

⑭大谷吉継の墓
スタンプのチェックポイントではないけれどはずせない場所でした。大谷吉継、かっこいいです(2回目)。

⑮平塚為広の碑
大谷吉継陣跡の山を下りてすぐの場所。
辞世の句「名のために 捨つる命は惜しからじ 終に留まらぬ浮世と思えば」

⑯宇喜多秀家陣跡
制限時間まで40分を切り、浸っている余裕がなくなってきました💦
今、「宇喜多の楽土」(木下昌輝著・文春文庫)を通勤電車の中で読んでいます。おもしろいです📖

⑰小西行長陣跡
幟旗が励ましてくれました。信仰を守り通した武将です。

⑱開戦地
小西行長陣跡前に開戦地の石碑がありました。

⑲島津義弘陣跡
スタンプ受付のお姉さんが「あと少し―!」と励ましてくれました。うれしかったです🥹

⑳決戦地
石碑の周囲に両軍の幟旗!青空に映えます!!

㉑笹尾山:石田三成陣跡
普段なら駆け上がれる小山が異常にきつかったです。写真を撮ることも忘れてしまっていました🙀

<ゴール受付>
タイムアップ3分前に滑り込みました。感無量😭


【感想】
最後はへろへろで、ゴール受付で撮った写真が謎すぎ🤔
でも途中はすごく楽しかったので、来年も参加したいです(・∀・)/

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首里城公園

復興への想いをつなぐ「令和4年度首里城復興祭」 開催のお知らせ

首里城公園では、令和4年10月29日(土)~11月3日(木・祝)の6日間、首里城公園内にて「首里城復興祭」を開催します。
凛々しく美しい国王・王妃による儀式を再現した古式行列をはじめ、現代版組踊の創設者平田大一氏が監修する琉球芸能公演や首里城正殿復元の工事現場を見学する首里城復興見学特別ツアー、首里城復興記念ステージなど様々なプログラムをご用意しております。
また、11/3(木・祝)は沖縄県主催の首里城復興イベント「木遣(きやり)行列」も同時開催されます。
皆様のご来園をスタッフ一同、心よりお待ちしております。


■首里城復興祭
開催期間:令和4年10月29日(土)~11月3日(木・祝)
時  間:9時00分 ~ 17時30分
料  金:無料 ※有料区域は要入場料
内  容:
① 国王・王妃出御
② 首里城復興特別見学ツアー
③ 琉球王朝祭り首里「古式行列」(主催:首里振興会)
④ 国王・王妃御轎(うちゅう)乗車体験
⑤ 首里城復興記念ステージ
⑥ 琉球王朝絵巻行列 映像上映
⑦ 琉球芸能公演
   「平田大一監修 ~現代版組踊が挑む『新・伝統芸能』~」
   「甦る首里城を守る会祈念公演~想いを繋ぐ~」
⑧ 琉球の泡盛の絆 in 銭蔵 
⑨ こども御開門式
⑩ 木遣行列・正殿起工式 映像LIVE配信
⑪ 正殿ぬりえ体験
⑫ ペーパークラフト体験
⑬ 三線体験会
⑭ 首里城美術工芸品パネル展
⑮ 首里城復興AR謎解きラリー
⑯ 木遣イベント

詳しくは首里城公園HPからご確認ください。



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トク

【島津VS大友:最終決戦の城巡り】 (第3回)岡城合戦(その1)-片ケ瀬城・滑瀬橋 (2022/09/21 訪問)

「(第2回)岡城②」からの続きです。
ここからは、志賀親次と島津軍の3度の合戦の地を歩きます。まずは第1戦から。

まず島津義弘は片ケ瀬城(戸次城)に本陣を構えます(写真①)。そして島津軍はその下の白滝川に掛る滑瀬橋(ぬめりせばし)から攻め込もうとします。私も滑瀬橋に立ち、ここから岡城を見上げて見ました。その写真②を御覧下さい(いや~これは高い!)。岡城は、南を白滝川、西を玉来川、北を稲葉川に囲まれ、高さ80mの断崖が城の周りを囲むようにそびえたつ天然要害の地、また当時は現在のように木が生い茂ってなく岩肌が見えていたのでよけいに高く見えていたと思います。当時はここに木橋がかかり、唯一大手門(現在の搦手門)につながっていた道があったそうです。今はコンクリートの小さな橋になっていました(写真③)。その横に現在は国道の滑瀬橋があります(写真④)。

志賀親次はこの木橋を破壊し島津軍の侵入を阻止しようとします。すると島津軍はこの断崖絶壁を登って攻めるはまず無理と悟り、相手は少数-こちらは大軍、ならば川を渡り一気に正面大手門から攻め込めばすぐに決着はつくのではないかと島津義弘は考え、直接この川を渡り始めました。

しかし、この橋のそばをよく見ていただきたいと思います。川底は1枚岩やギザギザの岩になっています。現在はすぐ上流にダムがあるため水量が少なく石肌が半分以上見えていますが、当時はダムなどないのでもっと水量があり、川底が見えないくらい腰のあたりまで水があったようです。島津軍はその状態で川を渡ろうとしました。ところが、この石は阿蘇の火山溶岩でできた石で1枚岩は濡れると苔むしてとてもよく滑ります、更に当時は常に水の中だったので、苔が生い茂りなおさらぬめぬめするくらいに滑ったようです(だから「ぬめりせ」という地名です)。ギザギザのとがった岩の部分もつまずいたりはさまったりして足をとられます。当時は川底が見えないのでそれらがある事が全くわかりません。その状態で川を渡り、滑ったり足をとられたりして、なかなか前に進めず立ち往生する島津軍を見た志賀親次は、「これは好機!」一斉に城より討って出て鉄砲で撃ちかけました。すると島津軍はもう大混乱! 多くの死傷者を出し、この川は簡単には渡れぬと悟った島津義弘は片ケ瀬へいったん退却しました。これで第1戦は志賀軍の大勝利に終わります。しかしこれだけで戦いは終わりません。

次は、第2戦へ続きます。
 

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カズサン

西出丸周辺にて (2004/06/19 訪問)

 鹿児島出張の土曜休日にレンタカーを九州道飛ばして何回目かの熊本城に登城しました、前日は一山越えた人吉城復元櫓見学を済ませた翌日です。時は18年前の平成16年6月中旬飯田丸五階櫓が復元工事中の頃です。
 まだフィルムカメラが主体でサブのデジカメに登城後半撮影が一段落した頃の残っていた写真を投稿します。

 西出丸周辺が大半で、西出丸前の大きく広い空堀、西出丸西面の長い石塁と長塀、北端に復元戌亥櫓、南端に復元未申櫓が再建されて素晴らしい眺めです、此処だけで一城の規模は有ります、復元西大手門、復元元太鼓櫓、復元南大手門と西出丸が復元整備されて居り、奉行丸は工事中か?立ち入り出来ませんでした。
 西出丸加藤神社側からの宇土櫓続多聞櫓二階櫓の連結式の天守閣の様な眺めは反りのある高石垣を伴って素晴らしい眺めで見所の一つです、また大天守閣小天守閣宇土櫓を入れたアングルはこれまた素晴らしい、二の丸からの西出丸石垣・長土塀越しの熊本城には天守閣が三つ在ると言われて居る、大天守閣小天守閣宇土櫓の揃い踏みを眺めるのが至福の一服で絶景です、少ない写真しか残って居ませんでしたが、今見て18年前の熊本城を甦らせます。
 
 平成28年4月熊本大地震の12年前熊本城の復元計画が順次進んで居る頃で、飯田丸五階櫓、櫨方門周辺の枡形、馬具櫓、続土塀、飯田丸百間櫓、平左衛門丸土塀などの復元計画が机上に上がり完成を楽しみに寄れる時に寄っていた時期でした。
 一日も早い復旧復元を願って居ます。
 
 

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ガチャピン

国吉城祭り (2022/10/09 訪問)

やってました

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小城小次郎

日本城郭界の突然変異 (2022/05/28 訪問)

長大な石塁線や銃眼風の石窓を持つ石積櫓など、ここでしか見ることのできない装備が満載で「日本城郭界の突然変異」とでも呼ぶべき存在。もしかして野仲鎮兼が黒田氏に屈するまで野仲氏23代を共に過ごしたお城なのかもしれない。

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