佐々木氏を祖とする鏡氏の居城と云われるがはっきりしないようだ。主郭の西側には崩れかかった石垣がそれなりに残っていた。麓には元は鏡氏の屋敷だったという井上氏館があり、こちらも土塁や濠が残っている。ただし現在も子孫がお住まいなので見学は要注意。ほかにも源義経元服の地や、平宗盛が斬殺された平家終焉の地もあり、道の駅 竜王かがみの里を散策の拠点にすると便利です。
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2024/12/02 22:14
佐々木氏一族鏡氏の居城 (2024/12/01 訪問)
佐々木氏を祖とする鏡氏の居城と云われるがはっきりしないようだ。主郭の西側には崩れかかった石垣がそれなりに残っていた。麓には元は鏡氏の屋敷だったという井上氏館があり、こちらも土塁や濠が残っている。ただし現在も子孫がお住まいなので見学は要注意。ほかにも源義経元服の地や、平宗盛が斬殺された平家終焉の地もあり、道の駅 竜王かがみの里を散策の拠点にすると便利です。
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2024/12/02 21:25
開かずの城跡 (2023/11/25 訪問)
JR・東武 柏駅の東口から徒歩30分ほどです。
城跡は、東京都“文京区”柏学園の敷地で、柏学園は平成25年度で閉鎖され立ち入り禁止になっています。道路からフェンス越しに学園内を見ると、土塁と空堀の遺構があるのは確認できました。
もみじが紅葉しており、とてもきれいでしたが、フェンス越しなので、何とも消化不良…
今後どうなるのか分かりませんが、せっかくのお堀や土塁なので、できれば見学できるように整備してもらいたい限りです。
周辺には、東京都“中央区”の柏学園もあるので、訪問する際は、間違えないように注意してください!!
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2024/12/02 20:57
居館跡の遺構 (2024/11/09 訪問)
主郭から南へ尾根沿いに登って行くと扁平地があり、その先に謎の石積が続いています。どう見ても中世のものではないのですが、いったいこれはなんだろう? とりあえず尾根沿いに北に戻って南東にある居館跡を目指します。
この居館跡ですが、標高は主郭に近く、居館跡としてはかなりの高所にあります。相当の広さがあり、南北に幾段かに分かれており、東側に切岸はかなり急峻です。切岸に土塁は無く、逆に尾根側に土塁と堀が設けられています。尾根側から敵が攻めてきた時の備えかな? 変わった縄張りになっていますが、それだけ切岸の守りに自信があるということでしょうか。
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2024/12/02 20:37
2024/12/02 20:25
北の郭 (2024/11/09 訪問)
先日は南のピークの長い土塁を投稿しました。縄張りがわからないので城郭大系を見てみたら、旧説では城の土塁と有るが(筆者は)「鹿垣と判断する」と記載があります。鹿垣‥オイオイ‥夢の無いこと言わないでよ‥と思いましたが、鹿垣に堀が付くというのはあまり例が無いので、城の遺構である可能性も有るんじゃないかな?と思います。実際の所は城を築いた本人じゃないとわからないですね。
主要部は北の郭の可能性が高くなってきましたが、南側の広大なエリアも城域である可能性も捨てきれません。
北の郭はなかなかの広さがあり、北側の切岸は急峻で北東に1m角ぐらいの石がいくつも置かれています。石の用途は不明ですが東から南にかけて土塁で囲われ、外側には堀が配されています。
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2024/12/02 20:13
令和6年桜もみじと三階櫓台 (2024/11/14 訪問)
鳥取城を訪ねましたので山下の丸ビューポイントを中心に撮影しました、先に投稿した仲ノ御門復元工事中の見学探訪の前後で撮った写真です。丁度桜の葉が紅葉して彩りを添えていました。
車は鳥取県立博物館の駐車場を利用、トイレは北ノ御門跡丸の内側に在り。
博物館駐車場⇒丸の内下段⇒仲ノ御門復元工事東側より復元工事を見学、二の丸、天球丸の石垣群を見上げ見学⇒北ノ御門跡⇒内堀西端、三階櫓台に建つ三階櫓をARでスマホ確認⇒擬宝珠橋、仲ノ御門表門⇒仲ノ御門渡櫓門工事中見学⇒兵庫櫓台桜もみじを眺める⇒戻って北ノ御門跡、仁風閣を外から見学、復元西坂下門⇒鳥取県立博物館駐車場、と廻り桜もみじを愛でて石垣とのコラボ写真を撮り、三階櫓のAR画像をQRコード取り込みスマホ鑑賞、三階櫓の復元は計画では仲ノ御門復元、太鼓櫓門復元が完了して20年後ですが?当日も楽しく堪能しました。
鳥取帰省の度に鳥取城には寄り季節の変化、年々の変化を見学観察し眺めて居ります、今回は母の17回忌法要に合わせ、浜松を6時に出発し鳥取道一部工事不通の個所は有りましたが11時過ぎに到着しました。
急ぎ足で見学撮影、仲ノ御門復元工事は先に投稿済、丸の内上段に在る仁風閣は昨年12月末より約5年間の修復工事で休館に成っています。
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2024/12/02 20:04
西の曲輪もありますよ。 (2024/12/01 訪問)
豪族 大石氏の居城だった「柏の城」は志木第三小学校の正門横に碑と説明板があります。
前回「柏の城」攻めの時に、写真を写すのが大変でした。まず、学校前の道は狭く路駐できません。近くに駐車場はありません。前回はサッカー、今回は野球の練習をしていて保護者の方々に不審がられてしまいそうです。
なので、「柏の城」の碑はチラッと見て移動しました。
小学校に隣接する『長勝院跡』が「柏の城」の西曲輪なんだそうです。
小学校の左手にあります。写真①の説明板の奥に小学校が写ってますので近いです。
駐車場がありますが、見学者の為の駐車場ではないので写真を写して早めの退陣です。
駐車場の中央に『ハタザクラ』がありました。
樹齢400年以上です。
『柏の城』から小学校や住宅街に変化してきた歴史を、ずっと見てきたのでしょうね。
また近くに来たら寄ってみよう。覚えててくださいね、と、400年の歴史に、私も刻んでいただきたい「柏の城」攻めでした。
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2024/12/02 09:44
玖珠城(2/2):麓の豊後森機関庫 (2024/11/25 訪問)
玖珠城の続きです。麓の豊後森駅には、旧豊後森機関庫があり、SLとその機関庫が保存展示されていました。転車台などは今ではあまり残っていない、貴重な遺産なのではないかと思います。機関庫には割れた窓ガラスと弾痕跡がありました。これは太平洋戦争中に、米軍機の機銃掃射によってできたものらしく、その時3名の職員が亡くなったそうです。当時の記憶を風化させないためにも、そのままの状態で保存されているとの事です。
はずかしい話ですが、私が大分市に住んでいた小学生の頃(昭和40年代)、日豊本線は電化され電車が走っていましたが、久大本線はまだ蒸気機関車が走っていました。父に連れられて何度か乗った記憶があります。特に湯布院から豊後森まではトンネルが多く、当時の列車には冷房なんて無いので窓を開けて走るのですが、トンネルを抜けると顔が黒くススだらけになっていたのを憶えています(笑)。ここに立っていると、とても懐かしく感じました(古い話ですいません)。
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2024/12/02 09:35
玖珠城(1/2):絶景!伐株山に築かれた山城 (2024/11/25 訪問)
角牟礼城から見えた玖珠盆地の反対側にある玖珠城を訪れました。いや~すばらしい絶景です!(写真①③)。 山頂では、なだらかな地形と270°広がる大パノラマの景色が広がっていました。ピクニックにもよさそうで、一番下にはブランコもありました。またここはパラグライダーの聖地としても有名です。草もきれいに刈られていました(写真④⑤)。でもこの日は平日で風も強かったせいか、飛んでいる人はいませんでした。雄大な玖珠盆地を飛ぶのはさぞかし気持ちがいいだろうな~とは思いますが、私には絶対無理だなとも思いました(笑)。先ほど登った角牟礼城も、第1土塁の所から見えました(写真②)。
玖珠城は685mの伐株山の頂上にあり、室町時代より城というより高勝寺という山岳寺院が築かれていたようです(写真⑧⑨)。1586年島津軍の北上にともない、角牟礼城の戦いの前哨戦となった場所です。大友方で玖珠郡衆の中島氏・魚返氏などが立て籠もったようですが、山田氏の裏切りに会い落城したようです。
第1から第7までの7つの土塁があり、特に第1土塁(写真②)の西側斜面には畝状竪堀群も見られました(写真⑥⑦)。これはすごい角度です! 落ちないよう足が震えながら覗き込んで写真を撮りました。 ここで矢や鉄砲を撃ちかけられたら、真っ逆さま! 数十メートルいや数百メートル落ちてしまいそうです(😱~)。横堀や堀切もあったようですが、その付近は草が生い茂っていて確認できませんでした(写真⑩:縄張図)。
次は、山に登る途中におもしろい場所を見つけたので、そこへ行ってみたいと思います。
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2024/12/02 07:12
2024/12/02 07:02
上杉謙信の猛攻に耐えた城 (2024/11/19 訪問)
京成臼井駅からは徒歩15分、駐車場もあります。
この日は師戸城から徒歩で転戦しました。
駐車場に登城口があります。
スズメバチ注意となっていますがこの時季ならもう大丈夫ですね。
登ったところに主郭と二郭を繋ぐ土橋があり、深い堀もあります。
二郭は広く公園のようになっています。
主郭も広さはあります。
南側の切岸が鋭く、難攻不落であったことが想像できました。
二郭の裏手に説明板と碑が立っていました。
こちらの二郭を囲む堀も深いのですがかなりの藪。
街歩きスタイルだったので流石に降りるのは止めておきました。
上杉謙信に攻められた他にも攻防戦が幾度か繰り返された城です。
ここも久しぶりの登城でしたが改めて見る価値はあったと思いました。
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2024/12/02 00:19
地域交流センター (2024/12/01 訪問)
もともと何もないところに建てた、完全な模擬天守閣ですが、立派な建物です。途中まで、エレベーターがあり、最上階は、展望台になっています。内部は、図書館などがあります。
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2024/12/01 22:12
大納言塚 奈良県大和郡山市北郡山町248-4 (2024/11/10 訪問)
大納言塚は天正19年(1591)郡山城内で亡くなった豊臣秀長の墓所です。近くには大納言塚会館もあるのですが、周辺の道は狭く歩いて訪問したほうが良いでしょう。豊臣家が健在なうちは菩提寺である大光院が墓所を管理していましたが、豊臣氏が滅んだ後、大光院は京都に移され墓所は荒廃しました。今ある五輪塔は安永6年(1777)春岳院の僧である栄隆と訓祥らが郡山町中の協力を得て整備したとされています。墓前には「お願いの砂箱」が置かれ、自分の名前と願い事を言いながら三回砂を通すと願い事が叶うと案内板には書かれています。
後ろの写真は道の駅で食べた「にゅうめん」です。暖かいそうめんといった感じですが、なかなかいけますよ。
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2024/12/01 21:33
南のピークを南北に長い土塁と堀が仕切る。 (2024/11/09 訪問)
城域に入って最初の郭の北側に虎口があり、その先に進むと北側にも大きな郭があります。正面に立派な虎口を備え、周囲を堀と土塁が囲んでいます。堀は東から北側へ折れ、その先の沢に続いています。この郭、切岸も険しく、なかなか防御力も高そうです。
私は主要部は南側にあるピークの周辺に有るのでは?と思っていたので、まずは東に迂回し、そのまま南に進みます。最初に入った郭の北側から東側にも土塁と堀切が続いていて、その外側を迂回するように南に進みます。
南のピークに近づくと東寄りに土塁と堀が南北に続いていて東西を仕切っています。かなり長い土塁で、なかなか面白い縄張りです。堀の内側、外側いずれが主要部になるのか、それとも北にあった郭が主要部になるのか? マイナーではありますが、興味深い城です。
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2024/12/01 19:36
左沢は難読地名&駅名です… (2024/10/26 訪問)
JR左沢線の終着駅が左沢駅。初見で「あてらざわ」と読める人はいるのかな…?
三の丸を起点に蛇行尾根を散策。八幡平という曲輪を経由して,八幡座という主郭を目指します。
三の丸には碑とパネルとトイレがあり,蛇行する最上川の絶景を眺望できます。晴れている日を選択しましょう。
主郭の八幡座の一段下にはゴホンマルという曲輪があり,主郭西側の曲輪はかつて宗教施設が存在したそうです。
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2024/12/01 16:47
古代の城 後日談 (2024/11/10 訪問)
古代の城の続きです。個人的にはこちらの方が好きですね。中世の方はいささかありきたりなので‥。
古代の倉庫址が6号まで確認されていて、2号と3号の倉庫址は礎石がしっかり残っています(再現?)。3号の方は見晴らし台にもなっているようで周囲を見渡すことが出来ます。ここから先のルートは個人の判断に拠りますね。中世の高山城へのルートは裏ワザを含めていくつかあるようです。
後日談になりますが、朝護孫子寺で購入した小さい張子の虎ですが、先住みやげの赤べこたちと最初はバチバチやってたのですが、いつの間にか和解したようです。タンクモードへの合体技も習得したようで、我が家の守護神としての活躍を期待しています。留守はまかせたぜ!
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2024/12/01 16:44
ぜひ天気の良い日に (2024/11/26 訪問)
中国地方が低気圧の影響で荒天の日に登城 三の丸番所でパンフ貰いスタンプ押して出発 まだ雨は降ってなかった 三の丸(工事中)から枡形へ 本当に見事な四角形!!感動 ポツポツ雨に降られながらも内膳丸等の曲輪や登り石垣見等ながら本丸へ登ります 天守台が見えた時には1人で声出して喜んでました 周りに誰も居なかったのでゆっくり写真撮りつつ堪能 天守台の上へ その時いきなり天気急変 大雨と強風 天守台の端に居たので本当怖かった💦 慌てて東屋へ避難 雨風治ったタイミングで天守台の上をウロウロ 忘れ石撮ってたらまた急変 慌てて避難の繰り返し 天気の合間見つつ何とか周りました 本当に美しい石垣 天気の良い時にまた行きたいな
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2024/12/01 16:37
久しぶりに立ち寄ってみました (2024/11/19 訪問)
東京出張から帰陣し中1日おいて再度東京へ。
今回は有給消化で遊びです。
ジェットスターで成田へ、相方が都内で所用があるので空き時間で行けそうなのは・・・と。
京成に乗るので師戸城と臼井城に登城することにしました。
まずは師戸城、京成臼井駅から徒歩で40分ちょっと。
印旛沼公園として整備されています。
久しぶりに私の三大栄養素のひとつ、堀底道です。
讃岐では土橋や堀切は補給できますが堀底道がなかなか採れない。
栄養補給できました
主郭からは印旛沼を望みます。
元は臼井城の支城で師戸氏の居城でしたが戦国時代には原氏が入りました。
秀吉の小田原攻めで家康によって落城させられました。
整備された公園ですが遺構も良好で気軽に攻めるには良い城かと思います。
写真は前回のアングルとあまり変わりありませんがよろしければどうぞ。
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2024/12/01 15:26
堀切と土橋の遺構が多く残り、切岸は険しい。 (2024/11/09 訪問)
三の郭の先に堀切が有り土橋がかかっています。この城は尾根上に堀切と土橋の組み合わせが結構多く配置されており、いずれも遺構や形状が良く残っています。切岸は急で土塁などは残っていないようです。よほど切岸の守りに自信があるのか、南の中腹部にのこる居館も同様に切岸の側には土塁が有りませんでした。二の郭の先に土盛り(石垣)があって、その先が主郭になります。奥の石積みの上は櫓台と見られますが、石垣はいつの時代のものか解りません(おそらく後世)。櫓台の上には城址碑がありました。
主郭の背後は堀切で仕切られ、その先の尾根にも堀切があり土橋がかかっています。その先を南西に降りていくと居館跡になりますが、勘違いして南の尾根をまっすぐ進みました。とはいえ、そのあたりも城址には違いないと思うのですが。
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2024/12/01 13:39
素屋根は撤去されたかと仲ノ御門渡櫓復元工事を訪ねる (2024/11/14 訪問)
母の17回忌法要に合わせて鳥取帰省、昨年の10月にも仲ノ御門渡櫓・土塀の復元工事を見学してるのですが、1年も経ったので渡櫓の棟上げ、復元工事も相当進んで居る事だろうし、ひょっとして素屋根が外されて屋根だけでも見る事が出来るのではと期待しながら鳥取城へ帰省度の登城。
期待は外れて1年前と同じ仲ノ御門渡櫓・土塀の復元工事は素屋根と仮設足場に覆われて復元工事の最中、予定通り令和7年3月が完成予定日、来年の春が待たれます。
内堀の復元擬宝珠橋を渡り復元されてる表門を潜ると、復元仲ノ御門渡櫓枡形周りの復元図と工事注意事項の看板、QRコードが付記されていてスマホをで読み取ると仲ノ御門渡櫓枡形周りのCG動画を見るとこが出来ました。
また進むと1回5人以内で復元工事中の渡櫓、土塀を仮設足場に登ってみる事が出来ると!、安全ヘルメットをかぶり透かしシート腰に見学。見学前には見学者の住所と記名して届出箱に入れて開始です、家内は内堀で待たせて一人でワクワクしながら見学。
来年の桜の頃が楽しみです!
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