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ろっし

お城探訪 (2023/11/25 訪問)

保育所横から登城しました。
20分前後ぐらいで本丸まで行けました。 

石垣は崩落が進んでいますが土塁、堀切などは良く残っていて見応えありな山城ですね。

軽装備でも登れますが、所々が落ち葉などで滑る箇所があったので注意が必要

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宗春

丹波・但馬・播磨の名城を攻めてきました その③龍野城【播磨】 (2023/11/24 訪問)

11/24(金)に休暇を取って4連休にし、友人と名古屋から車で攻城しました。

百名城でも続百名城でもありませんが、名前に【龍】が入っているので行こうと言う事になりました。2年連続最下位のチームを想っての願掛けみたいなモンです。あぁ悲しい。

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T-Shionoya

安祥城 三河の城に障子堀? (2023/08/26 訪問)

8月末に訪れた愛知県安城市の安祥城。

岡崎平野の中央部、矢作川西岸の碧海台地の縁の小さな舌状部に築かれた城。
三方の沼が天然の要害となった模様。

一説では1400年代前半に和田氏が築城したと伝わり、1400年代後半の松平信光の奪取後は、岡崎移転までの松平総領家の居城。
1500年代中期には織田と松平の争奪戦があり、小牧長久手の戦いで徳川方が改修したと考えられています。

現在は本丸跡が大乗寺、二の丸跡が八幡社、その周囲は歴史博物館などを備えた安祥城址公園に。

実際に訪問すると、遺構は少ないものの、2つの櫓跡や公園の小川と池が城郭の名残を残す城跡。
説明板によると、城郭北側虎口が桝形構造(曲輪D)である点が興味深いところ。
更に本丸南の堀が障子堀であったことに驚愕。
関東周辺のイメージが強い障子堀ですが、北は米沢城、西は大坂城や福岡県の小倉城で発見されていることを後日学習。
障子堀の知識が深まった私の城郭巡りの159城目でした。

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にのまる

最上義光歴史館/三の丸土塁 (2023/09/08 訪問)

霞城公園をじっくり楽しんだあとは二の丸東大手門から退場し、最上義光歴史館へ向かいました。
三度目なので100名城スタンプは押しませんが、つい習性で、入口にあった「城下町山形七福神」や「霞城公園来園記念」のスタンプをペタペタと。これも現地訪問のよき思い出です。
瀟洒な外観の歴史館は入館無料。最上義光・駒姫像に迎えられ、常設展示を見て第2展示室へ。古文書コーナーには若き頃の伊達政宗の書状。そして中央に鎮座する「三八間総覆輪筋兜」。義光が織田信長より拝領したと伝わる、弾痕も生々しい兜です。実物を見ることで慶長出羽合戦もよりリアルなものとして迫ってきます。

ここから駅に向かいながら(といっても通り道ではないのですが)、最後に築城当初から残っているという三の丸土塁に行ってみました。城内(三の丸)を歩いていると思えば、そしてこの先にお楽しみが待っていると思えば、町なかの移動も楽しいものです。
徐々に見えてきた緑の小山。最初に外側(町人地側)にまわってみました。長大な土塁を想像するに十分な高さがあります。周辺は寺社地でもあったようで、現在も稲荷神社に隣接しています。取り壊されなかった要因はそのあたりにあったのかなぁなど思いながら見上げました。
内側(武家地側)にまわってみるとより見やすく整備されており、解説板などを読みつつ暫しの間眺め、満たされた思いで探訪の締めとしました。

当初の見積もりを1時間オーバーする3時間の滞在となりましたが、今回で見尽くしたわけではなく、三の丸土塁は見学可能な場所がまだあるようですし、ほかにも駒姫の菩提寺の専称寺ほか、光禅寺、光明寺、宝光院など訪れてみたいところがあります。三の丸の外郭をレンタサイクルでまわって東北随一の広いお城を実感するのもやりがいがありそうです。今回歩いたところをもう一度なぞってみたいという気持ちもあります。

新幹線の駅に近いということで、これまではほかのお城に行った帰りに寄っていたのですが、そういう見方はもったいなかったと気づきました。
<おわり>

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火ノ島豊後守正宗

大多喜城 (2023/11/26 訪問)

続71城目
大多喜駅より徒歩20分程度で大多喜城に到着。
大多喜駅に行くまでは電車を乗り継ぎたいへん苦労しましたが、ここまで来ればこれ以上の苦労はありません。スタンプは駅前の観光施設でゲットできます。
時間があればゆっくりと城下町を散策してもよいと思います。

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火ノ島豊後守正宗

品川台場 (2023/11/25 訪問)

続70城目。
新橋よりゆりかもめに乗って20分程度でお台場海浜公園に到着。
公園内にマリンハウスという施設があるのでここでスタンプをゲットできます。
但し、インクがとても薄かったです。もう少し施設の管理者は責任を持っていただきたいと切に思いました。海浜公園をぐるっと回って砲台跡を見てきました。なかなかの歴史を感じました。

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火ノ島豊後守正宗

江戸城 (2023/11/25 訪問)

正70城目。
徳川家康の居城「江戸城」にやってきました。
はっきり言ってデカすぎました。一通り見ていったら足がパンパンになります。
スタンプは日本武道館近くの第三駐車場の受付でゲットしました。
他にいくらでも施設があるのに何故にこんなところに・・・っと思いました。
アクセスについては問題ないでしょうがスタンプ場所を探すのがちょっときつかったかなっと思いました。

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姫街道

秋の鳥羽山城 (2023/11/26 訪問)

春は桜の名所。秋は紅葉の名所。織豊時代の迎賓館の雰囲気が今も残る名城だ。小字が「本城山」。展望台から社山城が本当によく見える。古くから重要拠点であったと考えている。
さて、久しぶりに「鉢巻石垣」と「腰巻石垣」を堪能した。
天竜川から眺めたら、それはそれは壮大な景色だったと思う。

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いんげん丸虫

北大門城 茨城県常陸太田市 (2023/11/11 訪問)

南大門城の北の尾根にあります。400m位しか離れていないかな。
非常に良く遺構が残っています。大きな堀切や角度のある切岸など
見応えあります。
専用の駐車場もあり、南大門城から国見山山頂そして北大門城と巡れる
コースが整備されてます。
看板が適度に設置されていて、草も刈られていて、地元の方に大切に
されている城郭だと感じました。見学会も開催されてるようですね。
尾根先にある大門城はキツイ登りも無く整備されているので、山城が
苦手な方にもお薦めできます。

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姫街道

二俣城の秋 (2023/11/26 訪問)

紅葉と銀杏の木が城内に点在し、石垣に紅葉が良く似合って綺麗だ。
今日は、西の丸IIの一号竪堀と二号竪堀を中心に観てまわった。戦国期の山城の遺構だろう。特に、一号竪堀は竹藪になってはいるが、壮大な竪堀。何としても後世に残したい。
西の丸や南の丸は、一部石垣もあるが、織豊時代色が薄く戦国期の雰囲気が強く残っている。

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小城小次郎

一向一揆を睨みながら、一向一揆に飲み込まれた (2023/04/13 訪問)

城跡にある神社境内には土盛りがあるけれどもこれを土塁と言う人がいないので遺構ではないのだろう。長島一向一揆衆を睨んだお城だったが信長包囲網で信長が動けない中一揆勢に囲まれ信長の実弟・信興は城と運命を共にした。

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シェル

備前堀を散策し、吉田城へ (2023/09/29 訪問)

水戸駅南口から徒歩約40分です。
城跡は、常照寺というお寺になっています。
お寺の東側が入口になっていて、そこに駐車場があります。
駐車場からすぐの山門の脇に城址碑があります。
山門を潜ったさきの参道は、門の方から日が照って、とても良い雰囲気でした!!
遺構としては、境内の本堂奥の南西側に空堀が残っています。(かなり藪っていました。)
水戸駅からの道中には、江戸時代に水戸藩初代藩主 徳川頼房が伊奈備前守忠次に命じて築かせた用水堀の備前堀があります。
備前堀にかかる銷魂橋のたもとには、江戸街道(水戸街道)の起点の石碑、その東にある道明橋には、伊奈忠次の像があります。

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ヒロケン

守護・土岐氏の拠点 (2023/11/18 訪問)

小島城は標高450m程の小島山の麓に築かれ、西は急斜面、東は岩壁、南は崖で天然の要害となっており、80以上の曲輪を配し、城の最も高い地点に物見櫓、その下三段の平地に本丸があったとされています。遺構は曲輪、石垣、竪堀が残っています。

小島城の築城年代、創築者等不明となっているそうですが、一時は守護土岐氏の拠点として美濃国の中心的な城として隆盛を誇っていたと云われています。
1390年の土岐康行の乱で、京極高秀ら室町幕府軍に攻められ落城。その後、廃城となっています。

小島城には、「ぴーかるさん」と「とある煩悩の登城目録さん」の投稿を拝見し、いつか行こうと「行ってみたい」城としていました。
現在の小島城は、東山公園として城跡に観世音菩薩像などもあります。4~5台程停められる駐車場もあります。また、城跡を少し車で登ったところに、「岐阜のマチュピチュ・天空の茶畑」という茶畑が一面に広がっている集落があり、合わせて行かれることをお勧めします。

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三浦の晃ちゃん

民家の中と公園 (2023/11/26 訪問)

勝海舟の設計で、伊予松山藩が構築したそうです。石垣が残っています。図面によると3か所で、石垣が見られるそうですが、そのうち2か所に行きました。一つは、星野町公園になっています。もう1か所は、JR貨物の線路脇で、民家の側にあります。

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いんげん丸虫

南大門城 (おおかど)茨城県常陸太田市 (2023/11/11 訪問)

国見山の山頂に国見要害、尾根に南大門城、北大門城があります。
南大門城は円形の単曲輪で小規模な城郭ですが周囲に横堀が巡り、
土塁、土橋などの遺構が残ります。
登り口から数分で着きます。駐車場もあり、城内も整備されてます。

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チェブ

熊とヒルとスズメバチ。 (2023/10/30 訪問)

城びとの皆さんが絶賛する「松井田城」。
ちょっと入口まで行って来ました。
本日、脱線します。

素晴らしいのは承知しているけど、装備不十分なので、別日と考えてました。

高速道を降り「後閑城」に向かっていると、「松井田城」の案内板を数回 見ました。幟もはためいていて「松井田城」に誘われます。
と、言うことで ちょっと「松井田城」に寄り道しました。
駐車場もあり、小さな小屋に案内があります。杖も用意してくれてました。
が、アルミ缶がぶら下がっていて『熊と出くわす前に叩いて下さい』との事。よーく見ると結構な数がぶら下がってます。80mほど侵入しただけで土塁や堀が確認できました。
熊が怖くて、引き上げました。小屋には、熊の他にヒルやスズメバチへの注意が書いてありました。
もう、駄目です。

本来の目的城に向かう途中、何やらの説明板が見えます。
路駐し、見に行くと万葉集でした。少し行くと、もう1枚。
以前、城びとの企画で100名城のカルタの詠みを、五・七・五で考えました。どなたの句が選らばれたか楽しみですね。
次回、続100名城カルタでは、万葉集風に五・七・五・七・七とすれば、お城への思いがもっと入れられます。
またもや、石碑だと路駐。今度は明治時代の詩人、磯貝 雲峰さんの碑です。
ほー、詩かー。
【城×短歌】
スズメバチ~、熊に怯えて、逃げ出せば~、再戦 誓う、松井田の城~。
駄目だこりゃ。

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ぴーかる

虫川城 (2023/11/04 訪問)

【虫川城】
<駐車場他>白川神社駐車場を利用しました。
<交通手段>車

<見所>曲輪・切岸
<感想>1泊2日上越の城攻め旅2日目、3城目。この旅より自身の山城攻め解禁で今シーズンも事故に気を付けながら頑張ります。今年は熊の出没も相次いでいるので少し心配です。皆様もお気を付けください。
 現地案内板によると虫川城は城主、城歴は不明であるが南北朝時代には杢田主膳の居城であったといわれています。
 上記駐車場に駐車し虫川の大杉を見学、霊的なパワーを頂きました。城跡入口は北方向の道を進み福祉センター大杉の里の奥に進むと案内版がありますので登城口はすぐに分かります。登城口からすぐに小さい根小屋跡の削平地、そのすぐ先に広い二の丸跡、横に長い腰曲輪と看板のある曲輪には城門跡、地震で埋まってしまった井戸跡があります。その腰曲輪から主要部方向の切岸は高さがあり見応えがあります。主郭下段の曲輪には土塁が残り、城跡の雰囲気が良く残っています。山頂の主郭は小さい削平地ではありますが、櫓台がしっかりと残っています。

<満足度>◆◆◇

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POYO58

南千畳、南二の丸編 (2023/11/03 訪問)

南方向へ向かうとよりマチュピチュ感を感じることができます。二の丸や本丸からはまるで天空の島のような石垣郡を見ることができます。もう9時過ぎでしたが、まだ少し霧が背後にかかっていました。
で、竹田城に行って初めて知ったのが石垣についてなのですが、実は竹田城の石垣は野面積みではなく牛蒡積みだったんですね!知りませんでした。おそらく牛蒡積みの石垣は彦根城とこの竹田城でしか見れないのではないかと思います。で、牛蒡積みとはっきりわかる特徴というのが石垣から草が生えてこないことなんです!長方形に近い石を差し込むようにして積んであるのでなかなか植物が生えないそうです。おかげで私たちが間近で石垣を見れますね!
8年前に訪れたときはまだ小学生でここで妹と鬼ごっこをしていたそうです(親によると)。こんなにもすごいお城を鬼ごっこで満喫した自分に反省しました…

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くうくう

土佐20万石大名になった山内一豊出生地

平城で遺構はないが、黒田小学校北東角に小公園として冠木門、説明板、石碑、像などモニュメントがある。山内一豊が生まれた(天文14年(1545))城として有名。近くに駐車場はなく意外と訪城しにくい。

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くうくう

2004年3月まで個人所有だった国宝天守

天文6年(1537)織田信長叔父織田信康が築城。1600年前後に整備進められる。今のようになったのは元和3年(1617)に成瀬正成が入城してからで、尾張藩付家老成瀬家が代々継承した。高さ88m木曽川沿いの丘陵に建つ。平山城、国宝現存天守は望楼型独立天守(三重四階)で高さ24m、別名白帝城。国宝5城で最も古いという天守は最上階にある華頭窓、外壁に柱や桁がむき出しになっている真壁造、瓦に留蓋としてのっている桃瓦など、見所は多い。

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