鳥取城とセットで攻略したかった太閤ヶ平へ行ってきました。
鳥取城の後ろの山を1時間前後登れば着きますが、頂上にいきなり出現する石垣と、鳥取砂丘や大山など周辺を一望出来る景色に圧倒されます。
見下ろして包囲された鳥取城は勝ち目無い事がよくわかります。
最低限山歩きする装備があった方がいいと思います。あと、途中クマ出没注意の看板があるのが緊張感あります。
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2024/06/16 17:07
2024/01/17 21:01
写真が余ったのでもう一稿。 (2019/05/02 訪問)
太閤ヶ平陣の写真が余っていたのでもう一稿。太閤ヶ平陣は鳥取城一城を落とすのにはあまりにも規模が大きいので毛利攻めの本拠地の一つとして転用する目的で築かれたのではないかと現地の案内板には書かれています。規模はだいぶ違いますが秀吉が三木城を攻めるときに築いた本陣にも構造が少し似ていますね。なんにせよ防御より攻めを重視した攻撃の為の城と言った雰囲気が良く出ていると思います。基本的に織田信長も武田信玄も上杉謙信も自分たちの領土で戦をするなんてことは全く考えていないと思うんですね。
戦国を代表する大名たちの本城が未完成だったり守りが甘かったりすることは結構あって、その真逆にいるのが北条氏だと思います。
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2024/01/16 22:51
巨大な山城と化した御本陣山の中心部。 (2019/05/02 訪問)
太閤ヶ平陣は羽柴秀吉が鳥取城を攻めた時の本陣が置かれた場所です。東側一帯に中継所が設けられていて、東照宮より舗装された道が続いています(徒歩ですが)。開発の手が伸びてきてはいますが国の史跡に登録されており、よくぞ遺構を壊さずに残しておいてくれたと思います。
本陣の置かれた帝釈山(御本陣山)から鳥取城の築かれている久松山まで遊歩道が続いていますが、周囲にこれでもかとばかりに陣城が築かれています。まるで御本陣山そのものが巨大な山城のようであります。本陣周辺にも土塁や空堀が非常に良好に残っていて東と南に虎口が設けられ土橋がかかっています。枡形など複雑な防御の構えは有りませんが、それが必要ないほど本陣の周囲の守りは固いのだと思います。
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分類・構造 | 山城 |
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築城主 | 豊臣(羽柴)秀吉 |
築城年 | 天正9年(1581) |
主な城主 | 豊臣(羽柴)氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、竪堀、横堀(空堀) |
指定文化財 | 国史跡(鳥取城跡附太閤ヶ平) |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 鳥取県鳥取市帝釈山 |
問い合わせ先 | 鳥取県教育委員会事務局文化財課 |
問い合わせ先電話番号 | 0857-26-7525 |