太閤ヶ平陣から鳥取城に向かって歩いて行くと、たくさんの羽柴方の陣所があります。最初に遭遇するのが羽柴秀長の陣。よく働く弟です。陣所には土塁などの遺構がありますが、写真だけ見るとどれがどの陣の遺構か良く解らない。メモを残しておくべきだった。
鳥取城まで近づいてから引き返し、鳥取城は翌日麓の城から登りました。太閤ヶ平陣から登っても良かったんだけどね~。
+ 続きを読む
✕
人が「いいね」しています。
2025/09/21 01:49
2025/06/10 07:06
ゴールデンウイーク後半・因幡の城めぐり⑧ (2025/05/05 訪問)
2014以来の再訪となる太閤ヶ平。11年前もゴールデンウイークの攻城でした。山上ノ丸二ノ丸から十神砦を経て太閤ヶ平まで30分足らずの所要でした。初めて太閤ヶ平の土塁を拝んだ時より、素晴らしい土塁、空堀に感じてしまいました。山城の経験値があがった賜物と考えたいと思います。ここでもラッキーなことに「本陣山」のプレートを持つ紫ピクミンの山デコを手に入れることができました。苗を引っこ抜くことができたのは、家に帰ってからだったので、おつかいには何日も要してしまいましたけれども。帰路には展望所に立ち寄ってみましたが、久松山から北に伸びる山塊の先に前日に登った丸山城を望むことができました。
+ 続きを読む
♥ いいね
14人が「いいね」しています。
2024/06/16 17:07
2024/01/17 21:01
写真が余ったのでもう一稿。 (2019/05/02 訪問)
太閤ヶ平陣の写真が余っていたのでもう一稿。太閤ヶ平陣は鳥取城一城を落とすのにはあまりにも規模が大きいので毛利攻めの本拠地の一つとして転用する目的で築かれたのではないかと現地の案内板には書かれています。規模はだいぶ違いますが秀吉が三木城を攻めるときに築いた本陣にも構造が少し似ていますね。なんにせよ防御より攻めを重視した攻撃の為の城と言った雰囲気が良く出ていると思います。基本的に織田信長も武田信玄も上杉謙信も自分たちの領土で戦をするなんてことは全く考えていないと思うんですね。
戦国を代表する大名たちの本城が未完成だったり守りが甘かったりすることは結構あって、その真逆にいるのが北条氏だと思います。
+ 続きを読む
♥ いいね
13人が「いいね」しています。
分類・構造 | 山城 |
---|---|
築城主 | 豊臣(羽柴)秀吉 |
築城年 | 天正9年(1581) |
主な城主 | 豊臣(羽柴)氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、竪堀、横堀(空堀) |
指定文化財 | 国史跡(鳥取城跡附太閤ヶ平) |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 鳥取県鳥取市帝釈山 |
問い合わせ先 | 鳥取県教育委員会事務局文化財課 |
問い合わせ先電話番号 | 0857-26-7525 |