たいこうがなるじん

太閤ヶ平陣

鳥取県鳥取市

別名 : 太閤ヶ平砦
旧国名 : 因幡

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①	大手虎口と土塁
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トク

15【秀長の因幡平定をたどる④】太閤ヶ平(豊臣秀吉陣跡) (2026/05/16 訪問)

秀長の陣跡からさらに歩き続ける事20分、ついに本陣山山頂(標高252m)の秀吉陣跡(太閤ヶ平)へ到着しました!(写真⑧)。

太閤ヶ平は、一辺50mの方形に高さ5mの土塁に囲まれ、さらに土塁→堀→土塁→堀と、二重の土塁と堀に二つの櫓という構造で築かれていたようです(写真⑥縄張図)。今はだいぶ風化しているので1~2mくらいしかないですが、当時はもっと高い5m程の土塁ともっと深い堀で、さらに土塁の上には塀が作られ、二つの櫓からは久松山まで監視できた、かなり強固な陣城であったようです(写真①②は虎口と土塁、写真③は土塁と堀、写真④は居館跡)。

秀吉は経家が、文武を備えかつ民をも思う立派な武将である事に気づいていました。よって降伏すれば、経家と城兵と民の命は全て保証すると、何度も手紙を書いて送ったそうです。しかし、さすが毛利の重臣である経家は断り、自分の命と引き換えに城兵と民の命は必ず救ってほしいと言い残し、切腹したそうです(享年34)。

木々の隙間からは、久松山(鳥取城)が見えました(写真⑦)。当時は木々などなかったので、もっとよく見えたと思います。久松山をぐるりと取り囲み、経家に手紙を送り続けた秀吉は、どんな思いでここからあの久松山を眺めていたのでしょうか? きっと経家を本当は、自分の家臣にしたかったのではないでしょうか・・・🤔。

太閤ヶ平で休憩・散策しながら30分過ごした後は、先人方の情報を参考に、東照宮を目指し舗装路を1時間20分かけて下りました。下りなので一見楽そうですが、下りのアスファルトの固い地面は疲れた足に結構きました(笑)。下りた先の東照宮で登山の無事に感謝し、休憩を兼ねてその前にある「鳥取市歴史博物館(やまびこ館)」を無料だったので見学しました。でも予想に反しここは必見です! 鳥取城の戦いの様子がジオラマや資料で詳しく解説されていて、また鳥取城の歴史や池田家の事なども詳しく展示解説されていました(写真⑨)。

最後に、博物館の前にあったバス停(くる梨赤コース)から、鳥取駅に戻りました。鳥取駅を9時に出発し、16時に鳥取駅に帰着。私は健脚でなくゆっくりペースで寄り道も多いので結局7時間もかかってしまいましたが、攻めきったぞ~!(=歩ききったぞ~!)と大満足の鳥取城攻めでした😊(コースは前回図⑧参照)。

鳥取駅から16:25発の智頭急行「特急スーパーいなば6号」岡山行に乗り、駅で有名なお土産「因幡の白うさぎ」を買って車内で食べました。さすがお土産全国NO1と書いてあった商品です。ほどよく甘い味がビールにもよく合い、疲れた体を癒してくれました😊(写真⑩)。

次は、秀吉・秀長が毛利本軍と対峙した「備中高松城」へ向かいます。
 

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トク

14【秀長の因幡平定をたどる③】太閤ヶ平(豊臣秀長陣跡) (2026/05/16 訪問)

上ノ城からの景色を満喫した後は、本陣山(太閤ヶ平)を目指しました。ここからは、軽いアップダウンが続く、よく整備された自然遊歩道を歩きます(写真①②)。

歩き始めて40分、落ちそうで落ちない倒木があり、その下をよく見ると畝状竪堀と土塁らしきものがあります(写真③④)。これが地図上にある「大防衛ライン」と思われます(地図⑧)。これはもし攻められた時の最終防御ラインであり、当時はおそらくこれは秀吉の陣と秀長の陣を密に結ぶ連絡通路も兼ねていたのではないかと推測しました。という事は、このあたりに秀長の陣があったはず🤔?

そのすぐ先に、50m先展望台の標識を見つけたので行ってみました(写真⑤⑥)。展望台から開けた景色があり、その先には丸山城が見えました。しかし久松山(鳥取城)は見えません。でも目の前にある場所まで行けばよく見えそうです。という事は・・・🤔? このあたりも陣の一部かとは思いますが、どうやら目の前の場所が、秀長が久松山(鳥取城)を眺めていた場所だという事になります(写真⑦)。おそらく直線距離で100mくらいなのですが、しかしそこに行ける道はなく、無理して掻き分けて入れば行けるのかもしれませんが、雑木や枯葉も多いのですべって滑落などしてはと思い、大事をとって断念しました(でも後で後悔😩整備してほしいなあ~)。秀長はあそこからどんな思いで、吉川経家が籠る久松山を眺めていたのでしょうか?

またそこからは、毛利方の雁金山城や丸山城に果敢に攻め込み、敵が海から川を利用して兵糧を運び込むのを阻止する、宮部継潤の姿も秀長には見えていたと思います。「でかした継潤!」秀長はあの陣から思わずそう叫んでいたのではないでしょうか?

ではこのままもう少し歩き、本陣山の山頂(秀吉陣跡=太閤ヶ平)を目指します。
 

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征11日目:太閤ヶ原陣 (2026/05/21 訪問)

鳥取駅停から徒歩25分弱で、樗谿公園入口(35.498316、134.242127)に着きました。

1581年(天正9年)に羽柴秀吉の軍勢が吉川経家らが籠城する鳥取城を包囲して、いわゆる「鳥取の飢え殺し」と呼ばれる兵糧攻めを行った際に、秀吉が本陣を敷いたのがこの太閤ヶ平(たいこうがなる)です。
1580年(天正8年)羽柴秀吉は但馬・因幡へ侵攻を開始。但馬の山名祐豊らを降し、秀吉自ら1万の軍勢を率いて因幡へと進軍し鳥取城を包囲します。
城主山名豊国は、鹿野城に置かれた毛利方の因幡国衆の人質を押さえられ秀吉に降伏しました。
毛利方も山名豊国に不満を持つ家老中村春続・森下道誉ら調略し豊国を追放させ鳥取城を奪回しました。中村・森下氏は吉川元春に山名氏に代わる守将の派遣を要請します。
1581年(天正9年)吉川元春は一族の福光城主吉川経安の嫡男経家を鳥取城へ城督として派遣すると、羽柴秀吉は2万の大軍を率いて再度鳥取城を包囲して兵糧攻めを行います。
100日に及ぶ籠城戦で兵糧の尽きた毛利方は開城し、守将吉川経家は久松山山麓の真教寺にて自刃して果てました。

雨が降る中、太閤ヶ原陣まで3.7Kmを歩く気力が残っておらず登城口付近で断念しました。
太閤ヶ原陣は登城口付近で撤退しましたが一応、鳥取県のお城は全て攻城となります。
攻城時間は10分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
本日の宿泊先に向かう為、樗谿公園やまびこ館前バス停から鳥取県鳥取市くる梨赤コースバスを利用して鳥取駅に向かい、ホテルで荷物を引き取った後、JR因美線で津山駅に向かいました。
歩行歩数=26625歩、歩行距離=18.6Kmです。

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シャンシャン

岡山・鳥取の城巡り⑧ (2026/03/29 訪問)

鳥取城山上ノ丸から山道を歩いて太閤ヶ平へ。
山上ノ丸に登るのにかなり体力を使って、太閤ヶ平まで行くかどうか迷ったけどやっぱり来て大正解!!
高く盛られた土塁や空堀、2つの虎口などがしっかり残っていて見どころ満載。空堀の中も歩くことができて楽しい。
下り道もちゃんと道が整備されていて歩きやすい。ゴールは国指定重要文化財の鳥取東照宮。こちらも森の中に佇む本殿は厳かな雰囲気が醸し出されている。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 豊臣(羽柴)秀吉
築城年 天正9年(1581)
主な城主 豊臣(羽柴)氏
遺構 曲輪、土塁、竪堀、横堀(空堀)
指定文化財 国史跡(鳥取城跡附太閤ヶ平)
再建造物 石碑、説明板
住所 鳥取県鳥取市帝釈山
問い合わせ先 鳥取県教育委員会事務局文化財課
問い合わせ先電話番号 0857-26-7525