がんしょうじ

願証寺

三重県桑名市


旧国名 : 伊勢

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姫街道

一向一揆勢を想う (2024/01/07 訪問)

遺構は長良川に水没しており、移設した現在地を訪れた。長島一向一揆殉教之石碑が本堂正面にあり、お寺の造りも雰囲気がある。

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きよまさ

長島一向一揆

長島一向一揆450回忌法要

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しんしんちゃん

多くの一揆勢も無残に散る。何のために戦ったのか。信仰か既得権益か。 (2023/06/24 訪問)

願証寺は本願寺の蓮如の6男蓮淳により香取庄中郷杉江の地(現状川の底)に築かれ
本願寺(山科か大阪)から動けない蓮淳に代わって次男の実恵が入りました。
後の時代、本願寺顕如と織田信長の対立が決定的になり長島一向一揆と信長軍が激突します。
双方多くの犠牲を出しますが、最終的に中江・屋長島に残存した一揆勢2万は四方から
火をかけられ全滅し、願証寺の一門も2当時2歳だった顕恵をのこし全滅します。
信長の死後天正13年織田信雄に許され願証寺は復活します。清洲から名古屋に移され
慶長年間(1596~1615)に准恵により桑名に願証寺が再建されました。
いまの願証寺は准恵により江戸時代初期に再建されたものということですね。
古来より武士同士の勢力争い、既得権益の奪い合いというものはあったのですが
坊主の世界でも同じようなものがあって、戦国の時代に本願寺派と
織田信長が戦うことになったのは必然と言えるでしょう。
女子供老人を含む2万人が殺されたのは気の毒ですが、最もけしからんのは
農民の信仰心を逆手にとって戦国大名にけしかけた本願寺の高僧たちではないでしょうか。
戦国の武将も農民を徴収して足軽に使っているのですが、坊主が大名と同じ
ことをするというのは、やはり末法の世としか思えないのです。



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ぴーかる

願証寺 (2023/05/03 訪問)

【願証寺】
<駐車場他>願證寺駐車場またはやすらぎパーク駐車場
<交通手段>車

<感想>日帰り木曾三川ちょこ城南下の旅9城目。城びとポイントの願証寺は明治時代の木曽三川分流工事によって長良川に水没しているため先達の方達と同じく、長島城跡近くにある願證寺の山門前まで訪れました。
 願証寺は少なくとも1492年までに本願寺蓮如の6男蓮淳によって創建されています。1570年頃から本願寺顕如は信長と敵対することを表明してここから約4年間信長VS長島一向一揆の戦いが起こります。1574年に長島城の落城とともに願証寺僧侶と妻たちも次々に討死や入水自殺したそうです。願証寺は木曾三川の中州のデルタ地帯、砂州にあったそうです。

<満足度>◆◇◇

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城郭情報

分類・構造 城郭寺院
天守構造 なし
築城主 蓮淳
築城年 天文年間(1532〜1555)
主な城主 一向一揆勢
遺構 消滅
再建造物 石碑
住所 三重県桑名市長島町又木
問い合わせ先 桑名市埋蔵文化財整理所
問い合わせ先電話番号 0594-24-2597