弥勒寺山城は標高67mの弥勒寺山の頂部に築かれていました。織田信長が石山本願寺を攻めた時に、顕如上人の要請に応え雑賀孫市は雑賀党とともに蜂起し、弥勒寺山を本陣とし、周囲の城塞と共に抵抗したそうです。孫市の父・佐太夫の籠る雑賀城もその一つとされています。
雑賀川の周辺に入念に罠をしかけ、戸惑っている織田軍を、後の「長篠の合戦」の織田の鉄砲隊の如く、雑賀衆の鉄砲隊が間断無く銃撃したそうです。しかし中津城が落とされ城将・権太夫が討ちとられ、雑賀孫市も以後 逆らわないことを条件に降伏・助命されます。
翌年の天正6年に信長が再度本願寺を攻撃すると、雑賀党は再び本願寺と共に戦ったそうです。
弥勒寺山城には遺構らしきものは無く、城址は公園となっていますが、一段高い場所があり、秋葉山古戦場の案内板や顕如上人桌錫所の碑が立っています。また雑賀城のように緑泥片岩の岩盤の上に主郭が築かれていたようです。
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