名張城は筒井定次の重臣・松倉勝重によって天正13年(1585)に築かれたとされています。その後一国一城令により廃城になりますが、丹羽長秀の三男で藤堂家の養子となった藤堂高吉が寛永13年(1636)伊賀名張に移封され名張藤堂家の祖となりました。
本家藤堂高次と分家藤堂高吉の関係は決して良好とはいえず、江戸期に本家からの独立の動きが有ったとされ、本家からの圧力は江戸期を通じて有ったようです。宝永7年(1710)名張の大火によって屋敷は全焼し、新たに一回り大きな屋敷の建造が行われました。かつては大名屋敷並の大きさを誇っていたようで東の名張小学校は二の丸跡とされ寿栄神社には太鼓門が移築されています。
かつての名張城跡は藤堂高吉の建てた最初の屋敷跡とともに、藤堂邸の下に眠っています。
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