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甚右衛門

高梨氏館から転戦 (2024/05/18 訪問)

臥龍公園の中にある古城跡。須坂動物園側から登場したが、遺構もさることながら、途中のあずまや付近からの北信五岳は絶景です。反対側には歴代須坂藩主の霊廟もあります。大体30〜40分程度で攻略。

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甚右衛門

飯山城から転戦 (2024/05/18 訪問)

飯山城から中野陣屋経由で転戦。堀や館の遺構だけじゃなく庭園の遺構も残っていますので、建物が無くても貴重な史跡。そばに見える鴨ケ嶽城か須田城かと悩んだ末に須田城に向かいました。

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しんちゃん

主郭の周辺には危険な仕掛けがいっぱい。 (2024/01/03 訪問)

寺原城でまだ投稿していない遺構の写真が残っていました。主郭の北側には大きな堀があって、その中に謎の巨石が散乱しているのですが、枡形のようにも見えるのですね。破城の際に意図的に配置したのかはわかりませんが、これらの巨石は主郭に積み上げるには大きすぎるので、元からこの周辺にあった可能性もあります。堀の周囲にはたくさんの石が散らばっており、これらは主郭の石垣だったものと思われます。主郭の西側には石垣が下に続いていて、堀を越えてきた敵にここから横矢がかかる仕組みだったようです。石垣のあたりから、敷石が主郭の方に真っ直ぐ向かって続いています。かなり急でここから登るのは危なそうです。侵入してきた敵は大量の横矢を受け、たまらずここから登ろうとして、上から落石をうけてやられてしまったのではないでしょうか。
主郭の南側に回り込むと消えかかった主郭への道がありました。だいぶ難儀しますが、敷石の場所よりはマシな気がします。ひょっとして敷石の道は敵を引き込むためのフェイクなのでしょうか?
主郭の周辺の切岸はどこも険しいので、敵に向かって石を落とすには最適の構造になっています。

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しんちゃん

今田城の山麓の居館跡 (2024/01/03 訪問)

今田氏館は今田氏の山城である今田城の山麓にある居館跡で、石垣が良好に残っています。今田氏が衰退した後は吉川氏の支城として使われました。現在は畑の石積みとなっており県の史跡に指定されています。

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しんちゃん

雪舟の庭 山口市常栄寺 (2024/01/02 訪問)

常栄寺は山口県山口市宮野下にある臨済宗の寺院です。前身は大内氏が大内政弘別邸跡に建立した妙喜寺で、境内には大内政弘公のお母さんのお墓が有ります。政弘公の依頼で雪舟が造営した庭が「雪舟庭」として本堂の裏に残され国の史跡および名勝に指定されています。
後に毛利隆元夫人の尾崎局を弔う妙寿寺となり、幕末に長州藩の本拠が山口に移った際に、毛利元就ゆかりの常栄寺が妙寿寺に移され、最終的に常栄寺になりましたが、雪舟庭は維持され続けて今に至ります。

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たか

天気が悪く手前まででまた今度 (2024/04/26 訪問)

タイトル通りです。
あいにくの空模様で足元も悪いので本格的に探索するのはまた次回にということで手前の入来小学校までいきました。
今度はしっかりと用意をして登城するぞ。

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たか

GWに30,000歩歩いてお城巡り(その4) (2024/05/06 訪問)

本日最後の登城は根木内城。
根木内歴史公園という事で整備されていて素晴らしい。
初心者のわたしは説明板をしっかりと読んで「ふむふむ」「へー」と勉強。
土橋の説明では感嘆が漏れてしまいます(笑)
築城する際にはいろんなことを考えていたんだなあと純粋になれた一日でした(完)

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たか

GWに30,000歩歩いてお城巡り(その3) (2024/05/06 訪問)

流山線の小金城趾駅で小金城と根木内城のご城印を購入。
馬屋敷緑地なんて書いてあるから当然ここはそうだよななんて独り言を言いながら歩いて大谷口歴史公園へ。
小金城へ行くとしっかりと説明板があり、初心者の私はしっかりと読んで勉強。
千葉県有数の巨大城郭という事で航空写真に地形を記入されていたものをじっくりと観察。
非常に大きくて感動。そして帰宅後にWEBで歴史を調べて堪能。
いやーやはりお城巡りは楽しい。

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たか

GWに30,000歩歩いてお城巡り(その2) (2024/05/06 訪問)

花輪城の次は前ヶ崎城。
流山鉄道の平和台駅でご城印を購入し、いざ出陣。
ラーメンショップで腹ごしらえをして登城。
土塁も残っていて満足。
しばし物思いにふけって休憩。

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たか

GWに30,000歩歩いてお城巡り(その1) (2024/05/06 訪問)

家族がお出かけして一人になったので朝から流山近郊のお城巡りを実施。
まずは花輪城。
流山鉄道の流山駅でまずはご城印を購入。
それから約2km北上して到着。
階段を上ってここかーって独り言を言ってたら隣の墓地に来ていた方に驚かれてしまった(笑)

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たか

生まれ故郷に帰省した際に (2024/05/16 訪問)

お城巡り初心者でいま楽しくて仕方がありません。
皆さんの投稿を参考にして行ってみました。
こんなところにもお城があったんですね。
なんだかぼーっと想像しながら見ていました。

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たか

故郷のお城 (2024/03/12 訪問)

出身地である北九州市の一番有名なお城。
いつでも行けると思い子供のころの遠足以来の登城。
中に入っていろんな展示物をしっかり見学。
ご城印も買ってスタンプも押してとても満足でした。

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AJ

ひこにゃんとチャカポン (2016/05/20 訪問)

300俵の捨て扶持を与えられ、一族の世嗣ぎに万が一の事態が起きた場合の予備的存在でしかなかったと言われる井伊直弼。その青年期はあまり知られていないかもしれません。

茶道、和歌、謡曲などにのめり込み、付いたあだ名は「チャカポン」(ポンは鼓の擬音)。彦根城(滋賀県彦根市)近くの屋敷を「埋木舎」(うもれぎのや。埋もれて花を付ける見込みがないとの意味だそうで)と呼ぶなど、自虐も冴えています。どこか鬱屈とした教養人、そんな印象でしょうか。

ところが、世子が立て続けに亡くなり、まさかが現実になると、あっという間に幕府要人に。ここからはおなじみの展開。将軍継嗣や外国との通商条約調印の問題をめぐって反対派を弾圧し、桜田門外に倒れた大老。一方、開かれた国家と貿易促進は現代にも通じる考えで、当時から先取りしていたと評価する向きもあるようです。

そんなチャカポンが1963年、のちに大河ドラマと呼ばれるようになる大型時代劇の記念すべき第1作の主役を張ります。「花の生涯」(原作者は舟橋聖一)。彦根駅前、こぢんまりした町の書店の郷土コーナーにしっかり並んでいました。

肝心の彦根城ですが、とにかくその意匠は見ていて飽きません。破風はもちろん、これでもかというほどの華頭窓を多用(計18は最多?)。それでいて窮屈さを感じさせない独特のオーラを放つ国宝天守。関係者の皆さん、世界遺産登録目指して頑張ってください。

関ヶ原の前哨戦で京極高次が守りきった大津城(滋賀県大津市。最近では直木賞受賞作「塞王の盾」で詳しく描かれました)の天守を、家康が「武運めでたい」などと言って移築したのだとか。伝承では一部櫓も佐和山城(彦根市)からのリユースとのことでエコな側面も?

作事面に目が行きがちですが、普請もなかなか。山麓に堀を巡らす一方、尾根筋を堀切で分断。しかも素掘りでなく石垣化しています。防御力強化の縄張りは大坂に対する「西の抑え」ならではでしょうか。

佐和山藩(彦根藩)初代藩主はご存知、「井伊の赤鬼」こと井伊直政。そして直政の次男・直孝ゆかりの白猫が元祖ご当地キャラ「ひこにゃん」のモデル(*諸説ありますが、両者の出会いは現在の東京・世田谷)。決してゆるくないゆるキャラも多い昨今、その所作は貫禄が漂うぐらいゆるかったです。

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甚右衛門

千曲川西岸攻略第五城 (2024/05/18 訪問)

替佐城から更に北進。ここが目的地だったが予想よりも早く到着。市を上げて整備復元事業に取り組んでいるのが、よく分かる城。今は南中門と井戸だけだけど、将来の門や二重櫓の復元した姿を予想するのが楽しみ。ここから東岸の中野市方面に転進しました。

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甚右衛門

千曲川西岸攻略第四城 (2024/05/18 訪問)

内堀館から更に北進。案内板があるので入口は分かりやすい。駐車場があるので良いが、すれ違いがちょっと厳しいのと、途中の左折するところの角度がキツく登りは切り返すことになった。駐車場からは5分位で攻城出来ます。本丸や二ノ丸の曲輪や堀切が残っており、眺望もなかなかです。

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10Q-Nobu

シラスの迷宮 (2024/05/20 訪問)

シラス台地が削られた知覧城。
中に入ってみると四方を壁に囲まれた様な圧迫感があり、まず攻め入りたいとは思いません。城と言うより迷路に迷い込んだ感じ。
内部の道は整備されてますが、やはり崩れ易くなっているので登山の装備と心持ちが必要です。
城の周辺も激しい高低差のある地形なので、車で行く事が推奨されます。

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甚右衛門

千曲川西岸攻略三城目 (2024/05/18 訪問)

手子塚城から転戦。上今井駅からは近いが、車の場合付近の道路が狭いので、走行と路駐には注意が必要です。個人宅なので中は見学不可ですが、本陣の周囲の遺構は比較的残っていますので一見の価値ありと思います。

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イオ

現在まで続く荘官屋敷 (2024/03/31 訪問)

春日大社の荘園を管理する目代として下向した今西氏が室町中期に構えた屋敷で、山崎の戦いで明智方についたことにより目代の地位を失った後も、現在に至るまで今西氏の屋敷として存続しています。

阪急宝塚線・服部天神駅から登城(徒歩約10分)。屋敷内は非公開のため、表門にあたる長屋門と南辺と西辺に内堀跡が見られるくらいですが、屋敷内には江戸中期築の主屋と北西隅の土壇に南郷春日神社が建ち、西辺の堀沿いには土塁状の築山があるようです。内堀の外周には一辺約200mの外堀が設けられ、長屋門の南東約130mの南郷の家では発掘調査で東辺の外堀が検出しています。南郷の家の前に外堀の説明板が立てられているほか、エントランスには今西氏屋敷と発掘調査の資料が展示されていました。また、南西約200mの松林寺には今西氏墓所があるようですが未確認です。

なお、春日大社南郷目代今西氏屋敷総合調査報告書が公開されていますので(https://sitereports.nabunken.go.jp/4571)、興味のある方はどうぞ。
 

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甚右衛門

千曲川西岸攻略二城目 (2024/05/18 訪問)

長沼城から転戦。国道からすぐだが、道が細いので路駐に注意。神社の境内が城趾で背後に千曲川。北側に堀切らしき遺構が確認できる。攻城は5分程度。

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赤い城

切通の登城路がいい感じ (2024/05/02 訪問)

伊東48城の1つで続100名城。
スタンプは佐土原いろは館に置いてあります。
いろは館から道路を渡り二の丸御殿の鶴松館ヘ。
この日は平日だったので閉まっていました。
裏手に回り、大手口から登ります。
少し進むといきなり切通になった大手道、なかなか良いです!
岩盤が鋭く削られています。
ただし雨上がりだったので足元はベチャベチャ、滑らないように気をつけて進んでいきます。

大手道はまだ途中通行禁止になっていますが迂回路が設けられていて本丸まで行くことができます。
ただ南の丸は通行禁止で入れません。

本丸は広く、標柱が立っています。
下草が伸びていてノアザミに蝶が舞い、初夏を感じながら天守台跡に進みます。
島津氏唯一の天守があったことでも知られる佐土原城、石積が少し残っています。

帰りは中の道で下山、こちらの見どころは岩盤を削った虎口ですね。
崖面には門を建てたほぞ穴が残っています。

災害の影響ですべてを見るに至りませんでしたが実態は不明な点も多い城、追加情報が楽しみです。

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