戦いが終わりました、、、。
残念ながら達成しませんでした。
一緒に戦っていただいたみなさま、誠に誠にありがとうございました。
気持ちを整理したら、改めてお礼申し上げます。
一旦敗戦をお知らせ申し上げます。
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検索結果・・・「」を含む投稿
2024/06/05 18:13
白旗
戦いが終わりました、、、。
残念ながら達成しませんでした。
一緒に戦っていただいたみなさま、誠に誠にありがとうございました。
気持ちを整理したら、改めてお礼申し上げます。
一旦敗戦をお知らせ申し上げます。
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2024/06/05 17:57
かるた 買うたった けど大丈夫? (2024/02/23 訪問)
シロー★城びと編集部様‥‥
「日本100名城かるた」のクラウドファンディングのほうはどんな感じでしょうか?
最後の奇跡が起きることを願わずにはいられません。
でも‥集まらなかったららどうなるの? わたし‥次の続百名城も楽しみにしてるんだけど。だって百名城応募してないもん。
大丈夫ですよね?
箸尾城‥石碑と案内板がありました。かつては環濠集落の平城であったとのこと。城主の箸尾氏は筒井氏、越智氏、十一氏と共に大和四家と呼ばれた豪族だったそうです。
PS‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ドンマイ
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2024/06/05 14:20
城名:竜と龍をなんで変えてる? (2024/04/13 訪問)
【竜王山・城?】
<まえがき>城びとの竜王山城は竜王山の山頂にフラッグがあり、Googleマップの龍王山城は400m程南南西の場所にあります。フラッグの立て間違いなのか、こちらも城跡なのか分からなかったので、一応両方行きました。まず竜王山から。
<感想>車は西に通っている県道375号線の道路脇に停めれます。進入口は<34.917650, 133.905953>の三叉路から東手の山に入ります。遊歩道の板がありますが遊歩道には行かず、板の南の道路との並行地から入ります。山に入って緩斜面の東方向に登って(道はない)行くと右手に堀状地形と奥に削平地があります。削平地の上部にも竪堀状の堀があり、削平地から直角に曲がっているので人工的なものだとは思います。但し周囲が杉の植林地になっているので後世に手を加えたかもしれません。尾根上に出ると尾根上の長い削平地になっていて、東に進むと竜王山頂の三角点と木札があります。山頂の東奥は堀切も無く山状の地形でした。城跡ともいえるし、ただの山ともいえる何とも判別不能でした。
【龍王山城】
<駐車場他>駐車場はありませんが、<34.913024, 133.903862>から東方向の未舗装道を進んで籾山神社の南下に1台停めれます。
<交通手段>車
<感想>日帰り今シーズン山城攻め旅4城目。先達に、あさんが登城されています。城びとの城郭情報にも主な城主に岸氏秀と記載されているのでこちらがポイントかと思います。龍王山城の詳細は不明で岸備前守氏秀の供養塔が東麓に残されています。
城跡は籾山神社の裏手で緩地の奥を進むと主郭に行けます。ほぼ単郭方形に城跡で北と西を堀で囲んでいます。南に腰曲輪があります。西の堀の西側に2連の竈門跡のような石積み跡が残されています。北と南は主郭から緩斜面になっていて防御遺構はありません。東からの進入口も籾山神社から堀切も無く、防御遺構はありません。お城感はなく、山頂居館跡のような印象を受けました。満足度は2か所1つで。添付写真は最初の5枚が龍王山城跡、後半5枚が竜王山のものです。
<満足度>◆◆◇
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2024/06/05 13:48
大鐘家 静岡県牧之原市片浜 (2024/05/25 訪問)
柴田氏の家臣で丸岡城家老の大鐘藤八郎貞綱が慶長2年(1597)に遠州相良に移住、江戸初期には旗本三千石の格式を持ち江戸城の外郭に屋敷も構えていたようです。大鐘家は18世紀初めに大庄屋となり、この地に館を築いたとされています。約一万坪の敷地内には約一万本の紫陽花が植えられ、ちょうど今見ごろを迎えているころです。9月上旬~10月中旬には酔芙蓉が見ごろを迎え一年を通して楽しむことができます。売店では伊勢神宮の外宮にも奉納されている百葉茶が売られ、コラーゲンなどを添付し美容にも良いと評判の百葉茶102も女性を中心に人気を博しています。
ちなみに大鐘藤八郎貞綱は賤ヶ岳の合戦では、柴田家内部のいさかいから豊臣秀吉の側についています。
もひとつ言うと紫陽花の季節には拝観料がちょっとマシ(+)になります。しっかりしてますな。
シローさん、かるた購入したけど大丈夫ですか? ちょっとヤバいんじゃないですか?
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2024/06/05 13:23
イカス山城天国 (2014/01/24 訪問)
日帰り遠州山城ハシゴ旅、高根城だけどりこぼしちゃったんだな。この城だけ外れた所にあるんですわ‥‥‥ガサゴソ‥‥‥
高根城には応永21年(1414)奥山金吾正らが伊良親王を守護して奥山に仮宮を設け、城を築いたという伝承があります。伝承の真偽はさておいて、戦国期奥山氏は永禄年間(1558~70)後半、今川氏の勢いが衰えると今川・武田・徳川のいずれにつくかで揉めに揉め、内部分裂で城は落城したそうです。その後武田氏によって改修を受けますが、武田氏滅亡後、徳川によってさらに改修を受けている可能性は有りますね。
いいかんじに山城が再建されている貴重な城で、本曲輪には土塀、門、井楼櫓、蔵、主殿がひとしきり再現されています。各郭の間を堀切で区切ってあって、南側には二重堀切が有り見所がたくさんあります。
中部には愛知の足助城(有料)や長野の荒砥城(有料)など再現された山城が多いですが、なんといってもここはタダなんですね。
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2024/06/05 10:14
達成率70%に届きました! 残り7時間で30%!!
商品化をめざしてクラウドファンディング中の「日本100名城かるた」、
おかげさまで、達成率70%にいきました!!
残り時間7時間!!
本日18時までです。
最後の追い上げ、どうぞみなさまお力をお貸しください!
https://www.makuake.com/project/oshiro_karuta/
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2024/06/05 08:05
立願の撫猪 (2024/04/13 訪問)
詳細は不明ながら、平安末期の内大臣・平重盛の居館と伝わります。
最寄駅は阪神・武庫川駅(徒歩約8分)ですが、この日は阪急レンタサイクルで富松城から転戦しました。岡太神社あたりが城跡とされますが遺構は消滅しており、境内に「小松内大臣 平重盛之城趾」石碑と「伝小松内府平重盛卿供養塔」が建てられているくらいです。手水舎の脇の井戸は往時からのもの…だったらいいなぁ。境内東辺には尼崎藩領の境界標も建てられていました(小松城とは無関係ですが)。
ところで、先達方の投稿で岡太神社の狛犬が猪であることは承知していましたが、境内の説明板によれば、恵美須大神に高潮や洪水等の災害の静止(シシ)を祈願することから猪(シシ)が大神の使いとされるんだとか。境内には天満宮の撫牛ならぬ「立願の撫猪」が奉献されているので、猪像を撫でて私も祈願してきました。「これからも猪に遭遇することなく山城めぐりができますように…」
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2024/06/05 06:04
大増城 茨城県石岡市 (2024/05/11 訪問)
城びと未登録の城です。
民家の方に声をかけて登っていくとかつては耕作地であった段になった削平地に。
この辺りにも遺構があったのでしょう。
しかも藪化していました。
まずは南に向けて進んでいきます。
尾根道を進んで行くと大きな竪堀、常陸の城のもう一つの見どころです。
常陸は南側は掘った城が多いですが北部に行くと少し登ることも多く、堀切や竪堀も見ることができます。
ここにも素敵な竪堀がありました。
尾根の南端まで行き竪堀を見学後主郭方面に戻ります。
主郭の回りには横堀、藪になっていますが進むとここもendは竪堀。
ここから主郭には直登で。
かつて主郭には祠があったとのことで石積もありますが城の遺構ではありません。
北関東にはまだ見ぬ名城(一般ウケはしない?)がたくさんありそうです。
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2024/06/04 23:46
101【関ケ原の26人】(26)井伊直政 (井伊谷城③-直政と龍潭寺) (2024/02/14 訪問)
(26人目)井伊直政の続き③です。
井伊谷城の麓にある「龍潭寺」を訪れてきました(写真①②)。訪れたのは2月ですが、ちょうど「しだれ梅」がきれいに咲いていました(写真③)。
境内には井伊家にまつわる資料や木像などがあり、直虎や直政に関する展示もなされていました(木像写真④⑤)。井伊家歴代の霊殿や墓所もありました(写真⑥⑦)。墓は左手前から、直政・直親の妻(直政の母ひよ)・直親(直政の父)・直虎(直政の叔母で養母)だそうです。
また江戸時代に造られたという立派な庭園もありました。「小堀遠州」の作だそうです。どうりで立派な庭園だと思いました。江戸時代に入り、彦根藩2代藩主で直政の次男「直孝」が遠州に懇願し造らせたそうです。説明が静かに流れてきたので、座って聞きながら庭園を眺め、ふと気づくと30分も見入ってしまいました。なぜか妙に落ち着く庭園です。この座って正面から眺められる書院(写真⑧)は、幕末に訪れた大老「井伊直弼」をもてなすために建てられたものだそうです。そして右のこの角度(写真⑨)から見て遠近感を楽しむのがオススメだそうです。その遠近の先(左上)には井伊家霊殿につながっています。全体的に鶴が羽を広げた形を枯山水で表現し、その中に亀が大海に向かう姿を見立てた岩があるそうです。さあその岩はどこか・・・みなさん分かりますか?🤔 ペリー来航など動乱の最中に訪れた井伊直弼は、ここで井伊家の先祖を拝みながらこの庭園を眺め、いったいどんな事を考えていたのでしょうか?
私はこの庭園を眺めながら虎松(直政)の事を考えてみました。13才で井伊谷に戻り、直虎の養子となった虎松は、ここで南渓和尚や直虎の下で修業に励みます。そしてついに虎松は、自分から井伊家を再興したいと願い出たのでした。それはなぜだったのでしょうか? でもそれは直虎にとってはさぞかし嬉しかった事でしょうね。
そして14才になった虎松は、その願いを果たすべく、井伊谷を出て、家康に会うため浜松へ向かいます。
次は、虎松(直政)と家康が初めて出会った鷹狩の地を訪れます。
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2024/06/04 23:05
蟹江城合戦 (2024/03/10 訪問)
蟹江城合戦は天正12年(1584)の小牧・長久手の合戦に連なる豊臣方と徳川方の戦いです。織田信雄の重臣で蟹江城主・佐久間信栄(正勝)に留守を任された前田与十郎(長定)は豊臣方の武将・滝川一益に内応します。やがて蟹江城には大野城攻略に失敗した滝川一益も籠りますが、徳川家康・織田信雄の大軍に包囲されてしまいます。半月の籠城戦の末、与十郎は勝ち目が無いと見た一益によって和睦のために殺されたとも、徳川方の追っ手によって殺されたとも伝わり、いずれにしろ事の発端となった人物は粛清されてしまったようです。
合戦が長引けば清洲城の家康と豊臣秀吉の大軍が再度激突する可能性が有りましたが、事態に早急に対処できたことで、秀吉方の攻勢に待ったをかけることに成功し、家康公にとっては重要な合戦になったようです。
現在は住宅地の中に本丸井戸の跡が残り、城址碑が立っています。
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2024/06/04 20:10
東曲輪周辺の遺構も見事だが、なんといっても天然の崖の急峻さ (2024/06/01 訪問)
犬居城は徳川家康配下から武田信玄についた天野氏の城です。徳川から見れば裏切り者になるわけですが、地理的にも政治的にもやむを得ないのかもしれません。辺境の豪族はいつも大変です。
山城としては小規模ですが、なかなか技巧的な縄張りを備えています。現在の登城道がそのまま古来からの登城道を踏襲しているようで、東に大きくカーブする部分で本丸直下の急激な崖を目にすることになります。とても直登できるとも思えず、これでは直接、主要部を攻撃することはできないでしょう。城址の東端に出丸があって北に虎口がついているのですが、東側から大きく回り込んで、突き当たった先で道が90度南に曲がって虎口への土橋を登っていきます。木々が生い茂っていてわかりにくいのですが、おそらくここに到着するまでの間にずっと横矢がかかっていて、生きてたどり着けるものは少ないと思います。天然の崖が南側の敵を防いでくれるので、東側の防御を特に固めているようです。そこから先は細長い曲輪を通って、展望台のある狭い曲輪に到達します。この周辺が主要部になると思いますが、展望台は櫓台だったのではないでしょうか?
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2024/06/04 19:59
2024/06/04 19:56
ノツカマフチャシ (2024/05/11 訪問)
全国の城郭配置図を見た時に北の方にチャシという名称を知りました。環濠集落とか陣屋とか城郭の裾野が広すぎて当時は気にも留めていませんでした。何より鹿児島から一番遠い場所にあるので尚更そうでしょう。そういえば一番近い南の方にグスクってのもありますね。
チャシとは柵とかの意味があり祭祀や砦の言葉を表しているそうです。なんとも便利で都合が良く大雑把な名称なんだと思いつつグーグルマップにマーカー作業。ですがどうしても場所が出てきません。アホな話ですがそれまで数年間「シャチ」と認識していたのです。その程度の知識で数みたらそのうち分かるだろうの程度で出かけました。
幾つも存在している根室半島チャシの中でノツカマフチャシは小ぶりですが良く遺構を見ることが出来ます。おそらく祭祀用のチャシだと思われます。特徴は写真1の様に円形で囲まれた濠の端部が海や川の崖まで続き掘り切っていること。盛土(いわゆる土塁)をはっきりと確認出来るのはこちらのチャシが一番でした。
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2024/06/04 19:01
記念艦・三笠 横須賀市三笠公園 (2014/01/29 訪問)
神奈川県横須賀市の三笠公園に保存されている記念艦三笠は世界三大記念艦と呼ばれており、現存する唯一の前弩級戦艦と呼ばれています。弩級とは1906年に登場したドレッドノート級のことをいい、それ以前に建造された古い戦艦であります。
全長は131.7mとそれほど大きくはないのですが、主砲・40口径30.5cm連装砲×2、副砲・40口径15.2cm単装砲×14となかなかの重武装ぶり。三笠の戦歴でもっとも有名なのが「皇国の興廃この一戦に在り」の日本海海戦です。ロシアのバルチック艦隊を対馬海峡で迎え撃ったときに連合艦隊司令長官・東郷平八郎の取った戦法が、かの有名な東郷ターンです。
敵が北上してくるので日本艦隊は南に進む。このまま船の側面を合わせて撃ち合いに持ち込むのかと思いきや、敵に横っ面を見せて進路を東に向ける。敵は縦列、こちらは横列になり敵に対して圧倒的に有利になるわけです。艦体を横に向けることで火力を集中出来、逆に敵は縦列なので前の艦が邪魔になって、こちらをうまく攻撃できないわけです。戦闘は射撃訓練のごとく一方的だったようです。
日本の駆逐艦と水雷艇が村上海賊の小早のごとく、残存艦を攻撃。日本側の死者は117人に対し、ロシア側は5000名の死者を出し、6100名が捕虜になりました。戦争は悲惨です。でもこの時代は、軍隊同士のみで戦っていたから、まだお互い様で済んだんですね。
記念館三笠には戦争が大量破壊兵器を使った凄惨な殺戮劇に移る前の漢のロマンが残っています。
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2024/06/04 18:59
にらみ続ける伊達家の人々。 (2024/05/04 訪問)
悔しい思いをした「前川本城」から「川崎城」に転戦しました。
「川崎城」は、またの名を「前川城」「川崎要害」といいます。
「前川本城」の砂金氏が「前川城」を築城しました。
新しいお城を「前川城」。前のお城は『本』を付けて「前川本城」なんだそうです。
築城は1608年。
1615年の一国一城令で「川崎要害」とし、お城ではない事を幕府にアピール。
「川崎城」は『城山公園』が本丸跡のようです。
お隣に小学校があります。
説明板の写真を写し、ぐるっと公園内を歩きましたが、高い所にある位しか分かりませんでした。
再度、説明板に戻り読めば、『最上氏に対し最前線にある』と、あり『単純化されたのは江戸時代初期の築城という事情による』と締めくくってあります。
最上氏に対して「前川城」を築城したのに、一国一城令で 強硬に 改修工事ができなくなってしまったのでは?
「前川本城」から悔しい思いをして来たのは、私だけではなかった「川崎城」攻めでした。
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2024/06/04 17:23
八年振り二度目の登城・本丸建物跡編-6/6 (2024/05/20 訪問)
本丸内部は8年前と同じです、発掘調査されて東門と両脇の建物跡、本丸御殿広間跡が礎石など配置して建物跡の地表表示されて各案内解説盤が設置されて大変分かり易く案内されています。
長々と投稿ご覧頂きありがとうございました、三之丸の北と南側の土塁・二重堀・中土塁の復元整備を拝見して大変感激しました、よくここまで復元頂いたと感謝です、8年振り950km程走破の再登城は成功でした。
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2024/06/04 17:00
2024/06/04 15:25
サポーター200人、100万円超えました!達成まで残り33%!残り時間わずか!!!
最近、かるたの投稿ばかりで申し訳ございません。
おかげさまで、「日本100名城かるた」商品化プロジェクトのサポーターが200人になりました!
応援購入総額も100万円超!
誠にありがとうございます。
プロジェクト達成まで、残り33%、約49万円!
プロジェクト終了は6月5日(水)18:00!!
応援購入はこちらから!⇒ https://www.makuake.com/project/oshiro_karuta/
最後まであきらめません。
周囲の方に、かるたを宣伝していただけましたら幸いです。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
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2024/06/04 14:18
2024/06/04 13:54
八年振り二度目の登城・三之丸東側編-3/6 (2024/05/20 訪問)
三之丸は国道7号線バイパスで東西に分断されていますが南側の外堀より国道下を東西連絡路トンネルが通ており東西交流が楽になっています、三之丸東側は西近くに五箇村堰が南北に流れて居り東西通路より木橋を渡って三之丸復元エリアに入ります、北側には外堀に向かって中土塁、二重堀、土塁と西側より国道、堰の分断は有りますが繋がって復元されて居り素晴らしい景観を整備されています。
北土塁に仮設工事の足場の様な展望デッキが施設されて居り北側復元景観、東側三之丸を展望俯瞰する事が出来ます。
三之丸東側外堀東外には駐車場、休息施設、トイレ、旧石戸谷住宅が復元移築されて堀越城跡ガイダンス施設に成っています、ガイダンス施設には厩を整備し各種解説説明板、堀越城模型が展示されています。パンフレットをゲットしました。
堀越城の南から東に前川が流れて外濠の役目を果たし、前川は北東で平川と合流し岩木川へと更に合流し十三湖、十三湊から日本海へ繋がって居ります。
二之丸編に続きます。
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