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ニコ・ロビン

ニンニン( ・᷄ㅂ・᷅ )伊賀上野 (2018/07/05 訪問)

ニンニン( ・᷄ㅂ・᷅ )
伊賀上野は、築城名人藤堂高虎が築いた名城
当時は5重の大きな城の予定だけど、未完成だったらしい
でも今の天守は、カッコいいから良いなぁ
伊賀上野といえば、石垣!
日本一、二位の高さっていい

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BUCHI38

近江八幡城から思ったよりも遠い… イオさんありがとうございます。 (2022/10/23 訪問)

近江八幡城を終えて、北之庄城に行きました。北之庄城は六角氏が信長と敵対している際に観音寺城の支城として築いたお城です。
早速行こうとしましたが行き方が分からず城好きの友人(Y.K. 城びとに参加してます)と相談しました。いろいろ調べましたが結局分からず、城びとを見て投稿を見たときに、イオさんが北の丸から行かれたと書いてあったので、北の丸へ足を運びました。イオさんの投稿がなければ行けませんでした。ありがとうございます。北の丸から行こうとした時、初っ端から落ちそうになり、何度も何度も友人が「戻った方がいいんじゃない」と言っていましたが、結局30分くらい歩きました。そしたらやっと北之庄城の看板があったのでホッとしました。そこから登ったり、降りたりを繰り返していたら堀切を二つ見つけました。土橋のようなものも一つ見つけ、城の面影が感じられました。その後展望台から観音寺城と琵琶湖を望んだ後、力を振り絞って降りました。15分以上歩いたらやっとゴールが見えたのでよかったです。なかなか人もいなかったので不安ではありましたが、堀切が見れたので嬉しかったです。

評価
遺構★★
行きやすさ★
全体★★

攻城時間
1時間くらい

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BUGTI

立派な土塁が残る館跡 (2022/11/10 訪問)

住宅地の中でありながら、これだけの土塁が残っていたことがすばらしい。墓地として使われていたことも幸いだったと思われる。土地の高低差からも濠跡の痕跡が良くわかるし、整備は良いが現状のままでも十分と思える館跡だと思います。

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ryu

永山城探訪 (2022/09/24 訪問)

釈迦岳登山の帰路、訪城。本丸の石垣は熊本地震で被災後、復元されたらしい。

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BUGTI

益田氏の居城 (2022/11/10 訪問)

東西の二つの尾根に多数の曲輪があり、それに挟まれた谷には家臣屋敷があったとされているが、それを想像するとかなり大きな城だったことがわかる。二つの尾根の先まで行って帰るだけでも大変で、見学するには効率が悪い。藪に阻まれて尾根の先端部まで行くのは断念したが、必要なところにはロープが張られているなど最低限の整備がされているのはありがたい。

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ryu

都之城訪問 (2022/10/14 訪問)

志布志城から車で50分くらい。駐車場の西に「脇戸付櫓門」が建てられている。
本丸跡には城郭風建築の「都城歴史資料館」(表記番地)が建てられ、広場となっている。

時間が足りず、急ぎ足で櫓門から本丸まで歩く。

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ryu

志布志城探訪 (2022/10/14 訪問)

飫肥城より車で55分。まず、志布志市埋蔵文化財センターで内城跡復元模型と案内ビデオを見て、城内マップ等を入手し、志布志小横の観光駐車場に車を停める。
散策コースマップのおススメ散策コースに沿って歩く。大手口~矢倉場~空堀~中野九尾~大空堀~本丸(曲輪3上段)~曲輪3下段~大手口
本丸南側の2つの曲輪間の空堀は台風被害で通行止めとなっていた。

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イシテル

現存する唯一の砲台跡 (2022/11/10 訪問)

神戸市和田岬の三菱重工神戸造船所に残る唯一の現存砲台跡。
工場の正門で集合時間まで待っていると、スタッフの方がバスを乗付け砲台跡まで移動させて下さいました。
砲台外での写真撮影は一切禁止で外観撮影は出来ませんが、内部の撮影は可能です。
砲台跡の到着後は、スタッフさんのご説明を聞きながら見学をさせていただきました。
説明の中に「この砲台が完成して直ぐに明治維新となり、実際は大砲を置くこともなく、一度も使われなかった」とか。
また、「西宮砲台で試射したが、砲台内が煙で充満しその後は撃つことが出来なかった」との話もあり、使われなかったが、実際も使えなかったようです。
三菱重工神戸造船所のご厚意とスタッフの方々のご対応に感謝致します。

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ryu

飫肥城訪問 (2022/10/14 訪問)

宮崎空港よりレンタカーで移動。約40分で飫肥着。城下の小村寿太郎記念館、豫章館を見た後、大手門より城内に入る。飫肥城歴史資料館でスタンプを押し、展示資料を見学後、松尾の丸御殿、旧本丸と見てまわる。城内は翌日からの飫肥城下まつりの準備で、大手門前の照明の飾りつけや元禄6年(1693)に完成した本丸跡である飫肥小学校のグラウンドではイベント会場の設営があっていた。

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イシテル

残る石垣(破城)が歴史を語る山城 (2022/11/12 訪問)

隣県の鳥取県まで遠征しての城廻。
城址後のある山頂付近の駐車場で車を停め、100mほど歩くと馬場へ到着。
未舗装ですがここでの駐車も可能です(車道も未舗装)。
馬場を過ぎると直ぐに堀切が現れ、しばらく進むと本丸の石垣下に到着。
この石垣の下を回って、二の丸、三の丸と続き、二の丸から階段状にある本丸の石垣の間を上がります。
本丸に上がると若桜の山々が見渡せ、紅葉で染まる絶景が心に沁みました。
本丸、二の丸、三の丸では破城跡の崩れた石垣が残り、戦国から一国一城令で廃城となるまでの歴史を語っているようです。
崩された残る石垣に寂しさも見られますが何故か落ち着いた気持ちになり、とても歴史を感じる山城です。

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ぴーかる

中世総構え編 (2022/10/08 訪問)

【百名城62城目】
<駐車場他>城山陸上競技場の南側<35.253790, 139.145827>の駐車スペースを利用
<交通手段>車

<見所>小峯御鐘ノ台大堀切・三の丸外郭新堀・総構稲荷森
<感想>1泊2日ついに小田原攻めの旅3城目。中世の外郭遺構と近世城郭が並存する大城郭なので今回は2回に分けて投稿させていただきます。
 初日に石垣山城のあと夕刻の暗くなるまで時間が余ったので前倒しして大堀切・総構えを巡り、残りを2日目の早朝に北条氏政・氏照墓所・東曲輪などを巡りました。
 1日目:上記スペースに駐車して徒歩で巡りました。三味線堀→三の丸外郭土塁→小峯御鐘ノ台大堀切東堀→小峯御鐘ノ台大堀切中堀→小峯御鐘ノ台大堀切西堀→総構香林寺西土塁→総構稲荷森→総構山ノ神堀切・西堀→総構土塁遺構
 2日目:三の丸土塁遺構→北条氏政・氏照墓所→小田原駅前の北条早雲公像→八幡曲輪石碑(城山中学校が八幡曲輪か?)→八幡山古郭東曲輪→古城本丸跡は住宅地になっていて何もない。小田原高校を含む一帯が詰め城主郭部分と思われます。→小田原城の北西側小田原停車場線から右回りに周囲を巡りホテルに戻りチェックアウトして近世小田原城に突入しました。

 勘違いしていたのが総構えの堀や小峯御鐘ノ台大堀切は外郭のでっかい堀があるだけだと思っていましたが、大堀切の名だけあって堀切、土塁の内側に広い曲輪が広がっていました。1つの堀切に1つの城郭に相当する規模で圧倒され感動です。このスケールでは力攻めで落とせるわけないなと実際見てわかりました。つづく・・・

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サボテン

夕日に照らされて 一段と漆の色が生えます (2022/09/14 訪問)

念願の松本城へ行ってきました。天気が良く、ゆうひに照らされて 外壁がとても美しかったです。

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侍ホリタン

2022年秋、紅葉の名城を訪ねて② (2022/11/12 訪問)

姫路城のこの時期は桜の紅葉が最盛期を迎えます。

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橋吉

織田信興最期の地 (2022/10/30 訪問)

古木江城は、伊勢長島の一向宗の抑えとして永禄年間に織田信長の4番目の弟・織田彦七郎信興によって尾張国海西郡(現在の愛知県愛西市)に築かれました。

「道の駅立田ふれあいの里」に隣接する川を挟んですぐ西にある富岡神社は城の鎮守として置かれたと考えられています。
クルマ数台とめられるスペースはありますが、道が狭く舗装されていないので、クルマの運転に不慣れな方はもちろん、二輪車でもダート走行が不安な方は、道の駅に駐車して歩いて来られるのがよろしいかと思います。

鳥居横に史蹟碑と案内板が置かれています。
神社の北には蓮田があります。
このあたりは蓮根栽培が盛んなことに加えて、近年はその美しい花を観光資源として売り込んでいます。
当時、蓮田があったかどうか分かりませんが、存在していれば馬や兵の進行を足止めするのに一役かったと思います。

神社の周囲は、数段の石垣が囲んでいますが、近年土止めとして設けられたものであり、遺構はまったく見つかりませんでした。
それどころか城の範囲も不明だそうです。

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kaz

御城印目的の駆け足旅

今回で3回目か??

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朝田 辰兵衛

散策時間は5分もいらないが… (2022/11/03 訪問)

散策時間は5分もいりませんが,景観に馴染みすぎており,遠景ではなかなかわからないと思います。遠くからだと,パネルが目立ちますので,しっかり記憶されたほうが宜しいかと思います。

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侍ホリタン

2022年秋、紅葉の名城を訪ねて① (2022/11/12 訪問)

昨年も同時期に訪問しましたが10日ほど早かったので紅葉はまだでした。本日は紅葉が見ごろで雲海も見れてラッキーでした。天守へは雲海展望台から遊歩道利用で約1.5キロ、約30分で到着できます。

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BUGTI

周布氏の居城 (2022/11/10 訪問)

館跡と思しき麓の聖徳寺の境内に案内板がありましたが、せっかくの案内がわかりにくい場所にあるのが残念です。墓地を上がって南の尾根伝いに頂上へ登ると堀切があります。頂上は主郭となっていて、その周りをぐるっと帯曲輪が囲っています。土塁のようなものや竪堀もあるのですが、お城特有の矢竹や藪に阻まれてなかなか近づけません。私有地でしょうから整備を望むのも無理というもの。見学できるだけでもありがたいことです。

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AJ

神の視点 (2019/11/30 訪問)

米子城(鳥取県米子市)。この時期、神様でごった返すのはお隣の島根県で、鳥取はむしろ水木先生のおかげで年中、妖怪でいっぱいのはず。それはそうなのですが、そんなゲゲゲワールドにあって神話の世界が垣間見えるのがこの城です。

標高90mに豪放な天守台が並立する珍しい史跡。元は毛利の城でしたが、関ヶ原後はその毛利への抑えとなったため、一国一城令後も破却されずに残ったレアな支城です。

そして、そこから一望できるのが「美保関〜弓ヶ浜〜大山」のライン。いわゆる「国引き神話」で描かれる出雲拡張計画の一部。ある神様が海の向こうから土地を引っ張り、本土に縫い合わせて島根半島をつくるという超越ストーリーですが、実際に大パノラマでこの地形を眺めていると、フィクションを信じたであろう古代人の心理を感じられなくもありません。

さて異形の天守台。左の小天守台は慶長の初めに吉川広家が築き、右の大天守台は関ヶ原を受けて毛利・吉川が移封されたのち、駿河から入った中村一忠によって増築されたそうです。小天守台の石垣は幕末に積み直されたため、打込接で隅部は算木積になっていますが、元は大天守台のような野面積だったと思われます。

また近年の調査では登り石垣(竪石垣)が見つかりましたね。これは秀吉の朝鮮出兵の名残でしょうか。広家は従軍してますから、倭城の普請で得た知見を持ち帰ったのだと思われます。多くの倭城同様、米子城も船着場を確保した平山城。遮断線であるのと同時に、麓の補給口と山上の本丸の一体化を図る目的で造られたようです。

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BUCHI38

石垣観察編 (本アカ、POYO58の続きです) (2022/10/23 訪問)

さて二の丸を出たら次は出丸へ。出丸には観音寺城のような大石垣がありました。この石垣は山麓からも見えたのですが、そこから撮るのを忘れてしまいました。出丸はどうやら下に石垣を築いているので櫓が建っていたのかなと思いましたが、実際のところどうか分かりません。礎石らしきものは少し見つけましたが。出丸の眺めはめちゃくちゃ最高です。出丸からは西の湖が見えます。おそらく京都も見えたと思いますが。その後、北の丸へ行きました。そしたらまたしも石垣、勾配の効いた石垣でした。ワクワクします。北の丸からは綺麗な琵琶湖が見えました。北の丸の景色も負けてない。その後、瑞龍寺に行き、スタンプを押しました。瑞龍寺周辺にも大きな石垣がありました。

恋の聖地で有名である八幡山ですが、標識は少ないもののはっきりと石垣が残っていたのでわかりやすかったです。高取城もそうだったのですが、やっぱり、豊臣秀次も城つくりの名人ではないのでしょうか?今回の城巡りを通して、秀次にも興味を持ちました。

さてこの次は北ノ庄城へと歩いて行きます。続く

評価
遺構★★★
建物-
行きやすさ★★
全体★★★

攻城時間
1時間30分くらい

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