箱柳城は麓の方に石垣の城があるんだけど、久しぶりに行ったら勢いで山の上の方に行ってしまいました。地形図を見ると城址の雰囲気があるんですね。石仏遊歩道が通じているんだけど、登れるところから登ります。途中に竪堀と見張り台のような岩がありました。
麓の居館に対して、山上は詰めの城になっているようで、限定的ですが石垣や堀切のようなものがあります。なんと矢穴石まであるんですね。どうやら詰の城&石切場でもあるようです(推測)。ここで石を切り出してせっせと麓に運んで行ったんじゃないでしょうか。城址を生かして、仏像やらエビスさんやらを祀って有るようです。上は案外広いんですよ。
箱柳城は室町時代正長年中(1428~29)に中根平右衛門盛清が築き、中根肥後守忠良は、城を拠点に道根六郷(箱柳・小呂・田口・板田・岩谷・中畑の六村)を支配したとのことです。忠良の次男、平左衛門正照は徳川家康の家臣として二俣城の城主となり、三方ケ原の合戦で壮絶な討死を遂げたと石碑の裏側に刻まれています。
+ 続きを読む










