若狭街道の宿場町で熊川城のすぐ下にあります。町並みは重要伝統的建造物群保存地区に選定され、当時の風情を残しています。織田信長が朝倉を攻めたとき、徳川家康は得法寺に泊まったとされています。その時に腰かけた松が「家康腰掛の松」として残っていますが、松くい虫の被害により根元だけ山門の横にあります。
昼飯に街道にあった「ひのきや」さんの「からみ大根 おろしそば」をいただきました。かやくごはんが付いていました。
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2022/10/20 21:14
熊川宿 (2022/10/20 訪問)
若狭街道の宿場町で熊川城のすぐ下にあります。町並みは重要伝統的建造物群保存地区に選定され、当時の風情を残しています。織田信長が朝倉を攻めたとき、徳川家康は得法寺に泊まったとされています。その時に腰かけた松が「家康腰掛の松」として残っていますが、松くい虫の被害により根元だけ山門の横にあります。
昼飯に街道にあった「ひのきや」さんの「からみ大根 おろしそば」をいただきました。かやくごはんが付いていました。
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2022/10/20 20:58
鯖街道 (2022/10/20 訪問)
若狭と京都を結ぶ「鯖街道」のメインルートである若狭街道を見下ろす場所にあります。元亀元年(1570年)織田信長が越前朝倉氏を攻めたとき一夜を過ごしたと伝わっています。
また細川藤孝の妻は、この若狭国熊川城主沼田光兼の娘麝香(細川マリア)で細川忠興の母親ということです。
主郭までの登城路は整備されていて歩きやすい。白石神社と熊川陣屋址から登るルートがありますが、間もなく合流します。登り始めると、すぐに五条の畝堀があります。段曲輪を見ながら主郭まで15分くらいでしょうか。主郭背後の三重堀までは容易に行くことができますが、南西にある二重掘に行く道が整備されていないため少し苦労しました。空堀、竪堀が浅くなっていますが、コンパクトで比較的散策しやすい城址です。
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2021/12/11 12:59
2021/11/15 21:30
分類・構造 | 山城 |
---|---|
築城主 | 沼田統兼 |
築城年 | 永禄年間(1558〜1570) |
主な城主 | 沼田氏 |
遺構 | 曲輪、堀切、竪堀、櫓台 |
再建造物 | 説明板 |
住所 | 福井県三方上中郡若狭町熊川 |