クラブツーリズムの奥平講師案内で行った
+ 続きを読む
✕
人が「いいね」しています。
2026/10/31 15:50
2024/01/15 20:10
熊川城 (2023/12/02 訪問)
【熊川城】
<駐車場他>熊川陣屋跡駐車場無料数十台分あり。
<交通手段>車
<見所>連段郭・堀切・櫓台・武者走り
<感想>熊川城の築城年代は定かではありませんが、足利幕府の家臣沼田氏によって築城されたとされます。沼田氏は上野国の沼田の出でこの地に入部して室町時代にこの地を賜り足利幕府の奉公衆となったようです。細川藤孝の正妻である沼田麝香は熊川城主沼田光兼の娘だそうです。熊川城は丹羽長秀が若狭国を治めていた時に廃城となったようで、熊川の地は豊臣秀吉の時代に宿場町として整備されます。江戸時代に小浜藩主京極高次が陣屋を設置します。現在も鯖街道の宿場町が残る伝建地区に指定されています。
駐車場となっている陣屋跡は現在砂利敷の広い空き地みたいになっており遺構は残っていないようです。背後に熊川城があり戦国時代もそこに麓居館、城が詰め城だったであろうことがよく分かります。登城道は非常に良く整備されて簡単に登れます。陣屋跡奥にある獣よけの扉を開けて入ります。少し登って展望台となっている出曲輪、白石神社本殿の裏側にブラタモリで放送していた、ずれた断層が見られる水路があり見ました。白石神社上部に五条の畝状竪堀がありますがかなり薄くなっており表面観察では3条程しか分かりません。そこから連段郭が始まります。上部に行くほど曲輪が大きくなっていき見応えあります。主要部の東側下段から武者走りがあり主郭南東側尾根曲輪に繋がっています。主郭南東側と西側尾根は2重堀切で仕切っています。主郭虎口付近には石が多くあるので石積みだったかもしれません。主郭西側奥に小さな土盛りの櫓台があります。登城道は整備されていますが、主郭南東尾根2重堀切や主郭櫓台奥の搦手を攻めるのにはストックがあったほうがよいでしょう。小さい城跡ながらまあまあ楽しめました。
<満足度>◆◆◇
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2022/10/20 21:14
熊川宿 (2022/10/20 訪問)
若狭街道の宿場町で熊川城のすぐ下にあります。町並みは重要伝統的建造物群保存地区に選定され、当時の風情を残しています。織田信長が朝倉を攻めたとき、徳川家康は得法寺に泊まったとされています。その時に腰かけた松が「家康腰掛の松」として残っていますが、松くい虫の被害により根元だけ山門の横にあります。
昼飯に街道にあった「ひのきや」さんの「からみ大根 おろしそば」をいただきました。かやくごはんが付いていました。
+ 続きを読む
♥ いいね
15人が「いいね」しています。
2022/10/20 20:58
鯖街道 (2022/10/20 訪問)
若狭と京都を結ぶ「鯖街道」のメインルートである若狭街道を見下ろす場所にあります。元亀元年(1570年)織田信長が越前朝倉氏を攻めたとき一夜を過ごしたと伝わっています。
また細川藤孝の妻は、この若狭国熊川城主沼田光兼の娘麝香(細川マリア)で細川忠興の母親ということです。
主郭までの登城路は整備されていて歩きやすい。白石神社と熊川陣屋址から登るルートがありますが、間もなく合流します。登り始めると、すぐに五条の畝堀があります。段曲輪を見ながら主郭まで15分くらいでしょうか。主郭背後の三重堀までは容易に行くことができますが、南西にある二重掘に行く道が整備されていないため少し苦労しました。空堀、竪堀が浅くなっていますが、コンパクトで比較的散策しやすい城址です。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
| 分類・構造 | 山城 |
|---|---|
| 築城主 | 沼田統兼 |
| 築城年 | 永禄年間(1558〜1570) |
| 主な城主 | 沼田氏 |
| 遺構 | 曲輪、堀切、竪堀、櫓台 |
| 再建造物 | 説明板 |
| 住所 | 福井県三方上中郡若狭町熊川 |