【羽衣石城】
<駐車場他>羽衣石城駐車場20数台分あり。
<交通手段>車
<見所>曲輪・石垣・巨石群・眺望
<感想>日帰り羽衣伝説の旅1城目。羽衣石城は1366年に南条貞宗によって築城されたとされます。戦国時代には尼子氏によって落城し尼子領となりますが、尼子氏が毛利氏によって滅ぼされた後は南条氏が復帰します。時の城主、南条元続は羽柴秀吉の鳥取城攻めの際には羽柴方に味方します。1582年に吉川元春配下の武将山田重直の手により落城しますが、1584年に織田・毛利の講和により再び南条氏が復領します。南条元続の子の元忠は関ケ原で西軍に味方し城は廃城となったようです。
上記駐車場から400mの道と500mの道の2つのルートがあり、先達の方々と同じように400m側から登って500m側から下山しました。どちらも遊歩道階段が付けられているので登り易く、400m側の方に見れる遺構が多く残っているのでこの順で進むのがお勧めです。登り始めてすぐに方形の石積み遺構が現れます。櫓台か門跡と思われます。このような石積み跡は中腹まで所々に見られます。八幡社の曲輪、発掘途中の曲輪群、石垣の多く残る曲輪、お茶の水井戸(池かも)、巨石群のある曲輪、羽衣石を見て楽しみながら登り山頂主要部に到ります。主郭主要部は南北に長く主郭北側下段に展望台、主郭に模擬天守(中には入れない)、主郭南下段に2郭3郭があります。周囲を帯曲輪で巻いています。南西隅に巨石で塞いだ虎口遺構があります。下山したルートの方には巨石の塁壁、谷に段曲輪があり石垣が僅かに残っていますが、未整備で沢を挟んで遠くからしか眺めることしか出来ません。山頂手前に礫石が相当落ちているので何かの遺構が崩れてしまっているのを想像させます。主郭主要部が整備され模擬天守があるので重機をこちら側から入れているような感じでした。また、登山道途中にあれだけあった石垣遺構が主郭主要部には全くなかったのは不思議だと思いました。
<満足度>◆◆◆
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