とやじょう

鳥屋城

和歌山県有田郡

別名 : 外屋城、外山城、石垣城
旧国名 : 紀伊

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東の曲輪群・主郭北辺の土塁
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イオ

まっすぐ連なる曲輪 (2026/03/01 訪問)

南北朝期に南朝方の湯浅宗基が鳥屋山頂部に築いたとされますが、守護・山名義理に攻め落とされて山名氏の城となっています。室町中期には守護となった畠山氏の城として広城の支城となり、広城が湯川氏らに攻め落とされると鳥屋城が畠山氏の拠点となりました。その後、羽柴秀吉の紀州攻めで落城し廃城となったようです。

西麓の鳥屋城山公園のトイレ前の駐車スペースから登城開始。鳥屋城は鳥屋山頂から東西にのびる尾根に東西2つの曲輪群を構えた造りで、公園を抜けて整備されたハイキングコースを進むこと30分弱で西の曲輪群に到達。しかし、城内に案内表示等はほぼ無く、縄張図を見ても西の曲輪群のどこに着いたのかよくわからなかったため、そのまま東に進んで東の曲輪群からめぐることにしました。

東の曲輪群は山頂部を主郭とし、尾根沿いに多くの小曲輪を連ねています。主郭の北辺には土塁をめぐらせ、曲輪群の南面と北面に竪堀を落とし、南面には高さはないものの長くのびる石垣が、北面にも小規模ながら苔むした石垣が見られました。東端で折り返して、両曲輪群の間の鞍部を過ぎて西の曲輪群へ。

西の曲輪群も尾根沿いに多くの曲輪を連ねていますが、東の曲輪群より尾根に幅があり、南面にいくつかの帯曲輪が設けられています(ハイキングコースがたどり着くのもこの帯曲輪のあたり)。曲輪群の東端では南面に竪堀を落とし、石垣を設けています。石垣の上の東端の曲輪は、北辺に尾根を削り残した土塁がめぐり、土塁南面に石垣が見られますが、城郭遺構ではなくこの地にあった社の石垣かもしれません。尾根沿いに西に進むと堀切で尾根筋を断ち切っていました。堀切の西側には岩盤が露出した櫓台状の曲輪があり、その西側に北辺に土塁を伴った西の曲輪群の主郭が続いています。主郭の西側に展望台の案内表示があったので行ってみると、眼下を流れる有田川が彼方の紀伊水道まで流れているのが見られました。さらに尾根を西に下り、いくつかの曲輪を確認して鳥屋城をひとめぐり。

支尾根もなくひたすらまっすぐに続く尾根に曲輪を連ねたシンプルな縄張の城ですが、竪堀や堀切、土塁だけでなく、石垣も随所に見られて意外に見応えのある城でした。
 

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小城小次郎

西の城まででも結構高かった (2024/11/04 訪問)

16世紀の初め頃から天正13年まで紀州守護の畠山氏が拠っていたお城とされ、羽柴秀吉による紀州攻めの際には畠山式部大輔なる人物がここで討死している。西の城まで行ければいいやと思って登ったがそこまででも結構高かったw

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ぴーかる

鳥屋城 (2024/03/02 訪問)

【鳥屋城】
<駐車場他>鳥屋城山公園公衆トイレ前に3台程駐車できる。<34.063573,135.260068>から狭いが西へ入る。
<交通手段>車

<見所>石垣・堀切・眺望
<感想>日帰り和歌山山城攻め4城目。現地説明板によると鳥屋城の築城年代は明らかではないが、1379年に山名義理が南朝征伐のために石垣城(鳥屋城の別名)を攻めたとあり、南北朝時代には南朝方の城であったことがうかがわれます。室町時代には紀伊国守護の畠山氏が入国し畠山氏や城代の神保氏が治めました。1585年に秀吉の紀州攻めに際して神保氏が内通して城は落城したとあります。
 鳥屋城山公園に城跡碑・説明板・展望台・遊具があります。公園から山頂の城跡まで1300mの登山ですがハイキングコースになっているので苦はなく登れます。登城距離は長いのにもかかわらず現在は登城途中に表面観察できる遺構は特には見られず、いきなり山頂部の城跡に着きます。城跡は東西に長い細尾根を削平しています。登った所の左手が段になって虎口・門跡のようにも見えます。その先の西端に広めの曲輪、尾根の南側全体に帯曲輪(帯曲輪が曲輪で尾根を背後の土塁としている見方もできる)を通しています。城跡の中心部の尾根に堀切を設けていて、堀切から東側の曲輪にはかつて後世に社(現在は倒壊している)があった曲輪壁に石垣、その下の帯曲輪に石列、帯曲輪の斜面に石垣が残されています。ここら一帯が東端になり、その東側は切岸・堀切跡になっています。
 東端の石垣・石列の残る一帯が主要部のようですが比較的に細めの尾根上の削平地で戦国期以降によくみられる広い主郭をもつ城跡ではない。南北朝時代以前に詰め城として築城されて以降、地形の改修を行わず廃城となったのだとしたら、古い縄張り遺構がみれて見所はあった。

<満足度>◆◆◇

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キンヤ

和歌山県の山城で珍しい県指定史跡 (2009/12/12 訪問)

城びとで投稿がお一方のみでしたので、ずいぶん前に行った時のもので恐縮ですが投稿させて頂きます。

金屋中学校の裏側に登山道の案内があり、階段を上ると直に城の説明板があります。
登山道はよく整備されていて30分位歩くと主郭の下に着きます。
そこから東側へ進むと祠へ登る通路があり、祠の背後に土塁と石垣がありますが、ここの石垣は後世のものかと思います。
その土塁の北側は急斜面となっていて天然の要害です。
祠の南側下に石垣があり、こんな山上に石垣があって嬉しかったです。
この先の東側の曲輪に向かおうとしましたが、道の真中に生々しい猪か何かの境域に入るなと言わんばかりの大量のフンがあり危険を感じたので、これ以上進むことを断念しました。
戻って主郭に登ると、割と狭い平坦地で所々に岩がありました。
更に西側の曲輪に向かったのですが、かなりの藪でしたので途中で引き返しました。
でも東西に伸びた尾根筋の山城ということは分かりました。
城からの眺望はとても良かったです。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 湯浅宗基
築城年 南北朝時代
主な城主 湯浅氏、畠山氏、神保氏
廃城年 天正13年(1585)
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀(空堀)
指定文化財 県史跡(鳥屋城址)
住所 和歌山県有田郡有田川町中井原
問い合わせ先 有田川町商工観光課
問い合わせ先電話番号 0737-52-2111