なかむらじょう

中村城

栃木県真岡市


旧国名 : 下野

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チェブ

かやの木は残った? (2024/04/13 訪問)

中村 朝宗さんが築いた「中村城」。
中村 朝宗さんは、源 頼朝さんの奥州討伐に従い戦功を挙げた方です。恩賞に伊達郡を貰います。つまりは、伊達家の初代に当たる方です。
ん?茨城県の「伊佐城」でも伊達家の祖の方がいらっしゃったような、、、。
写真⑦の説明板によると、朝宗さんの息子さんが伊佐領を塀領したようです。

遍照寺周辺が「中村城」です。
遍照寺に駐車場があるようですが、土塁に平行に路駐しました。そこから歩くと土塁は二重になっているのが確認できます。
この二重土塁を内側から見ようと、お社の後ろあたりをうろうろしました。
少し歩くと『中村城主 藤原 日向 入道 玄角終焉の地』の石碑がありました。この方は14代目です。
玄角さんと共に「中村城」は廃城しました。

「中村城」をWikipediaで調べたら、NHK大河ドラマ『樅の木は残った』のモデルになった古木がある。とありました。
『樅の木は残った』は仙台藩の伊達騒動を描いてます。
中村家が、伊達郡に赴く際に植樹したんだとか。
因みに、遍照寺の古木は、樅ではなくカヤです。
少し前に『樅の木は残った』の総集編を観たばかりだったのでビックリしました。ドラマ内で映った古木が、こちらのカヤだったのかもしれません。

でも一番ビックリしたのは、カヤの古木の写真を写していない事だった「中村城」攻めでした。

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todo94

献血前の攻城 (2023/12/10 訪問)

久下田城からの転戦です。茨城県から栃木県に入りました。遍照寺がその故地で空堀がめぐり、寺の東側にはしっかりと土塁も残っていました。遍照寺は中村城主だけでなく、関東管領や古賀公方などの祈願所にもなっているようですね。このあとは、栃木県血液センターでの献血の予約を入れてあったので、午前中の城攻めはここまで。

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しんしんちゃん

城域が鎌倉時代のままなら、かなりの広さを持っている。 (2023/05/03 訪問)

中村城は遍照寺を中心に築かれており、周囲を土塁と堀で囲まれた
単郭の城郭で、鎌倉時代に築かれた居館型城郭としては、
かなりの大きさを持っています。私見ですが城域が鎌倉時代のままだとしたら
足利市の足利氏館に次ぐ規模の大きさがあるのではないかと思います。
中村城は鎌倉時代初期、摂関家領中村荘を支配した藤原(中村)朝宗が築いたと
されています。中村氏は後に宇都宮氏の家臣となり、
天文13年(1544)下館城主、水谷出羽守正村に攻められ、城主
中村日向入道玄角は討死、その子小太郎時長は城に火をかけ、米沢に
逃れ伊達政村の家臣になったとされています。

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じゅんじん

お寺 (2020/02/29 訪問)

周囲に堀が巡っていました。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 中村朝宗
築城年 鎌倉時代
主な城主 中村氏
廃城年 天文13年(1544)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 県史跡(中村城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 栃木県真岡市中