りゅうせんじじょう

龍泉寺城

大阪府富田林市

別名 : 嶽山城、岳山城、東条城
旧国名 : 河内

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石碑と説明板
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イオ

三度目の正直…ならず (2024/11/23 訪問)

龍泉寺城は嶽山城とも呼ばれ、南北朝期に楠木正成が楠木七城のひとつとして築いた城で、室町中期には畠山義就が籠って嶽山城の戦いの舞台となり、その後も畠山氏の内紛の際に活用されましたが、戦国前期には廃城となったようです。

嶽山の頂部が城跡とされますが、地表面に城郭遺構は無く発掘調査でも検出せず、ホテル裏手のテニスコート脇の藪を抜けたところに石碑と説明板が立てられているのみです。

嶽山の南東中腹には城名のもとになった龍泉寺があり、往時は根小屋的に活用されていたものと思われます。城としてはあまり見るところがないので龍泉寺を見学してみましたが、推古天皇の命により蘇我馬子が創建したと伝わる古刹で、鎌倉期には23の坊院を擁し隆盛を誇るも、城に組み入れられたため南北朝期から戦国期の戦乱に巻き込まれて伽藍の大半を失い、現在は国重文の八脚門と国名勝の庭園がかつての威容を伝えるのみ…とのことで、確かにちょっと寂れた雰囲気がありました。

ところで、実は龍泉寺城は3度目の登城で(またかよ…)、2年前に最初に登城した時は、テニスに興じる人たちの不審者を見るような視線に耐え切れずテニスコート脇の藪に突入できませんでした。せめてニッポン城めぐりのリア攻め記録だけでも…とポチしてみると、テニスコートの奥ではなく北西方向に位置情報が設定されています(城びとの位置情報も同様です)。北西方向に何があるんだ? と思って行ってみると、バンガローが建ち並ぶキャンプ場の奥に広大な嶽山展望所が開けていました。嶽山に立て籠もった畠山軍が練兵場としたと伝わる千畳敷跡でしょうか。展望所の名の通り大阪平野を一望できる場所でもありました。千畳敷(たぶん)は思わぬ収穫でしたが、やはり石碑と説明板を確認しないままでは…ということで再訪を決定。

再訪したのは昨年1月、前回の反省を踏まえてテニスコートの脇でなく西側から山中を突っ切るようにして石碑と説明板に到達。それだけでは物足りないので龍泉寺も散策して、さあ投稿! と思ったら、仁王山城と同じく初回登城時の写真が全て消えていました…。展望所(千畳敷)の写真も撮り直したいし、どうせ近くの仁王山城にも行くんだから、とこちらも3度目の登城を決意。

3度目のこの日はテニス客はいなかったのでテニスコート脇から藪を突破して石碑と説明板を再確認し、本題の展望所に向かったところ、キャンプ場に差し掛かったところに立入禁止の表示が…。2年前はこんなのあったっけ? と思って周囲を見回すと、展望所へと続く道もロープで閉ざされています。…あぁ、なんてこったい。このためだけに来たというのに。立入禁止では再訪しても仕方ないので展望所の写真抜きで投稿しますが、龍泉寺城は三度目の正直ならずでした。
 

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しんちゃん

石碑見てない‥ (2024/02/24 訪問)

龍泉寺城は別名「嶽山城」といい元弘2年(1332)に楠木正成によって築城された楠木七城の一つとされています。畠山氏の家督争いの際には畠山義就が籠城しています。かんぽの宿の北側に石碑が有るようですが、情報が足りておらず見損ねています。
歴史的に意義のある城だとは思いますが遺構らしいものは見当たりませんでした。ログハウスのあるあたりからの眺望はなかなか良かったです。ちょっと消化不良気味ですね。

せっかくですので奈良県大和郡山市の慈光院に移築されている大阪・茨木城の楼門を載せておきます。

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嶽山合戦 (2024/05/09 訪問)

 南北朝時代に楠木正成によって築かれた城ですが、室町時代中期には足利義政に家督を奪われた畠山義就が籠り、応仁の乱の前哨戦嶽山合戦の舞台となりました。
 亀の井ホテル富田林の裏にあるテニスコート横の小径が登城路です。石碑と説明板がありました。昭和58年から行われた発掘調査で遺構は発見されていないとの情報もあったので山の中の散策はしていません。

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ぴーかる

嶽山城 (2023/01/29 訪問)

【龍泉寺城】
<駐車場他>専用駐車場はなし。
<交通手段>車

<感想>嶽山城(Google地図の表記で記述します)は楠木七城の一つで鎌倉時代末期に楠木正成によって築城され、佐備氏が守将として配備されました。北朝方に奪われ奪い返したり、また奪われ以降は河内守護の畠山氏の支城となります。1460年、室町時代に幕府の反逆者として追われた畠山義就が城に2年籠城しました(嶽山城の戦い)。1508年、畠山義英が細川氏と合戦になり嶽山城に籠城、落城したのち廃城となったようです。
 城跡の場所が比定地で明確な場所が分からないそうです。亀の井ホテル富田林のテニスコートの向かって左手奥に城跡碑と説明板があります。城跡碑の北側奥は藪化して進入できませんでした。

<満足度>◆◇◇

<追記>赤い城さん千葉県制覇、にのまるさん神奈川県制覇おめでとうございます。私も大阪制覇がんばるます。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 楠木正成
築城年 元弘2年(1332)
主な城主 楠木氏、佐備氏、畠山氏
遺構 曲輪、居館跡、削平地
住所 大阪府富田林市龍泉