龍泉寺城は嶽山城とも呼ばれ、南北朝期に楠木正成が楠木七城のひとつとして築いた城で、室町中期には畠山義就が籠って嶽山城の戦いの舞台となり、その後も畠山氏の内紛の際に活用されましたが、戦国前期には廃城となったようです。
嶽山の頂部が城跡とされますが、地表面に城郭遺構は無く発掘調査でも検出せず、ホテル裏手のテニスコート脇の藪を抜けたところに石碑と説明板が立てられているのみです。
嶽山の南東中腹には城名のもとになった龍泉寺があり、往時は根小屋的に活用されていたものと思われます。城としてはあまり見るところがないので龍泉寺を見学してみましたが、推古天皇の命により蘇我馬子が創建したと伝わる古刹で、鎌倉期には23の坊院を擁し隆盛を誇るも、城に組み入れられたため南北朝期から戦国期の戦乱に巻き込まれて伽藍の大半を失い、現在は国重文の八脚門と国名勝の庭園がかつての威容を伝えるのみ…とのことで、確かにちょっと寂れた雰囲気がありました。
ところで、実は龍泉寺城は3度目の登城で(またかよ…)、2年前に最初に登城した時は、テニスに興じる人たちの不審者を見るような視線に耐え切れずテニスコート脇の藪に突入できませんでした。せめてニッポン城めぐりのリア攻め記録だけでも…とポチしてみると、テニスコートの奥ではなく北西方向に位置情報が設定されています(城びとの位置情報も同様です)。北西方向に何があるんだ? と思って行ってみると、バンガローが建ち並ぶキャンプ場の奥に広大な嶽山展望所が開けていました。嶽山に立て籠もった畠山軍が練兵場としたと伝わる千畳敷跡でしょうか。展望所の名の通り大阪平野を一望できる場所でもありました。千畳敷(たぶん)は思わぬ収穫でしたが、やはり石碑と説明板を確認しないままでは…ということで再訪を決定。
再訪したのは昨年1月、前回の反省を踏まえてテニスコートの脇でなく西側から山中を突っ切るようにして石碑と説明板に到達。それだけでは物足りないので龍泉寺も散策して、さあ投稿! と思ったら、仁王山城と同じく初回登城時の写真が全て消えていました…。展望所(千畳敷)の写真も撮り直したいし、どうせ近くの仁王山城にも行くんだから、とこちらも3度目の登城を決意。
3度目のこの日はテニス客はいなかったのでテニスコート脇から藪を突破して石碑と説明板を再確認し、本題の展望所に向かったところ、キャンプ場に差し掛かったところに立入禁止の表示が…。2年前はこんなのあったっけ? と思って周囲を見回すと、展望所へと続く道もロープで閉ざされています。…あぁ、なんてこったい。このためだけに来たというのに。立入禁止では再訪しても仕方ないので展望所の写真抜きで投稿しますが、龍泉寺城は三度目の正直ならずでした。
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