りゅうせんじじょう

龍泉寺城

大阪府富田林市

別名 : 嶽山城、岳山城、東条城
旧国名 : 河内

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しんちゃん

石碑見てない‥ (2024/02/24 訪問)

龍泉寺城は別名「嶽山城」といい元弘2年(1332)に楠木正成によって築城された楠木七城の一つとされています。畠山氏の家督争いの際には畠山義就が籠城しています。かんぽの宿の北側に石碑が有るようですが、情報が足りておらず見損ねています。
歴史的に意義のある城だとは思いますが遺構らしいものは見当たりませんでした。ログハウスのあるあたりからの眺望はなかなか良かったです。ちょっと消化不良気味ですね。

せっかくですので奈良県大和郡山市の慈光院に移築されている大阪・茨木城の楼門を載せておきます。

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嶽山合戦 (2024/05/09 訪問)

 南北朝時代に楠木正成によって築かれた城ですが、室町時代中期には足利義政に家督を奪われた畠山義就が籠り、応仁の乱の前哨戦嶽山合戦の舞台となりました。
 亀の井ホテル富田林の裏にあるテニスコート横の小径が登城路です。石碑と説明板がありました。昭和58年から行われた発掘調査で遺構は発見されていないとの情報もあったので山の中の散策はしていません。

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ぴーかる

嶽山城 (2023/01/29 訪問)

【龍泉寺城】
<駐車場他>専用駐車場はなし。
<交通手段>車

<感想>嶽山城(Google地図の表記で記述します)は楠木七城の一つで鎌倉時代末期に楠木正成によって築城され、佐備氏が守将として配備されました。北朝方に奪われ奪い返したり、また奪われ以降は河内守護の畠山氏の支城となります。1460年、室町時代に幕府の反逆者として追われた畠山義就が城に2年籠城しました(嶽山城の戦い)。1508年、畠山義英が細川氏と合戦になり嶽山城に籠城、落城したのち廃城となったようです。
 城跡の場所が比定地で明確な場所が分からないそうです。亀の井ホテル富田林のテニスコートの向かって左手奥に城跡碑と説明板があります。城跡碑の北側奥は藪化して進入できませんでした。

<満足度>◆◇◇

<追記>赤い城さん千葉県制覇、にのまるさん神奈川県制覇おめでとうございます。私も大阪制覇がんばるます。

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奥河内の楠公、畠山氏所縁の城を巡る (2020/11/23 訪問)

烏帽子形城、仁王山城から、河内長野駅にとって返し、金胎寺城へ。さらに、山体の東に回り込んで、龍泉寺城(嶽山城)へ。
山頂に簡保の宿があり、テニスコートがまさに頂にある。東斜面には、みかん畑が拡がっており、金剛山や葛城山も近くに見える。金剛山尾根にある赤坂城も見えている(はず)。東には平地を隔てて烏帽子形城があり、この辺りの城を一望できる要所。
車道をひたすら登り、テニスコートに着くと、「工事中で、城跡には入れません」と😞
西側へ降り、初芝高校脇を経て、滝谷不動駅へ。石川を渡る橋に、石川川床にアケボノ象の足跡が発見されたことの紹介があった。「金剛山が今ほど高くなかった頃」と。一日、よう歩きました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 楠木正成
築城年 元弘2年(1332)
主な城主 楠木氏、佐備氏、畠山氏
遺構 曲輪、居館跡、削平地
住所 大阪府富田林市龍泉