わかつきかんごう

若槻環濠

奈良県大和郡山市

別名 : 若槻平城、若槻塁
旧国名 : 大和

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①若槻環濠標柱
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)9日目:若槻環濠 (2024/09/30 訪問)

番条環濠(城びと未登録 奈良県大和郡山市)から徒歩15分くらいで、南端の標柱(34.633781、135.799812)に着き、その後、天満神社付近(34.633782、135.798823)で天満神社を確認しました。

若槻環濠は1466年(文正元年)以前から築かれた環濠集落のようです。
鎌倉時代には散村であった集落が1466年(文正元年)頃に集村して環濠が形成されはじめ、1595年(文禄4年)には東西に長い環濠となったそうです。

若槻環濠は天満神社を南西端とする環濠集落で、 集落の中央北側の道路に案内板があります。
環濠は細長い水路となってしまっている部分が大半ですが、天満神社付近は良く残っており、一部土塁もありました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=稗田環濠へは、ここから徒歩で向かいました。

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しんちゃん

今でも残る環濠集落 (2024/02/23 訪問)

若槻環濠は今でも残る環濠集落で天満神社や西融寺を含む周囲に水路や堀が巡らされています。文正元年(1466)ごろには東端の庄屋屋敷と西端の宮地を繋いで東西に細長い環濠が形成されていたようです。現在の環濠の範囲は東西およそ200m、南北およそ70mになるそうです。車で来られる方は、周辺の道は狭いので置きやすい場所に車を置いて、あとは歩いていくしかなさそうです。

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天満神社 (2022/06/23 訪問)

木の標識は見つけましたが、案内板には諸事情により行けませんでした。

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にのまる

観音堂の土塁 (2022/01/02 訪問)

稗田環濠から歩ける距離です。
集落内の行き止まりの看板に此の地に受け継がれ大切にされてきた歴史や伝統を感じました。
観音堂の土塁は外側にまわってみるとよく残っていることがわかりました。

この後大和郡山城まで歩きながら、(お城抜きでもいいから)平城京を感じる旅をしてみたいなあと思いました。

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城郭情報

分類・構造 環濠集落
天守構造 なし
築城主 若槻氏、吉岡氏、番条氏
築城年 鎌倉時代
主な城主 若槻氏、吉岡氏、番条氏
遺構 横堀(水堀)
指定文化財 市史跡(若槻環濠及び集落)
再建造物
住所 奈良県大和郡山市若槻町
問い合わせ先 大和郡山市役所(代表)
問い合わせ先電話番号 0743-53-1151