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しんちゃん

神社の方が城址っぽい。 (2024/01/03 訪問)

枝ノ城は枝宮八幡神社の東約100mの位置に築かれていました。神社の宮司・森脇氏に関わる城とされています。丘陵の上に築かれ、背後を堀切で区切り、頂部を一辺20mの方形と15m×6mの三角形の郭に分けているようです。南方約10m下方の□40mの郭も城址になるようです。枝宮八幡神社には森脇氏の主筋にあたる吉川元春公の坐像が据えられています。
最初、どこにあるのかわからず地元の人に聞いてようやくわかりました。

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しんちゃん

かつては三方を沼に囲まれた要害の城であった (2024/01/02 訪問)

須々万沼城はかつては城の三方を沼に囲まれた要害の城であったようです。現在はケアハウスの敷地内になっていて、かつての要害のイメージは有りません。ケアハウスの南西側の道を行くと、お地蔵さんが並んでいる場所があり、そこに小さな城址碑がありました。おそらくケアハウスの北東側に丸太で組んだ模擬見張台(櫓)があったと思うのですが、老朽化のせいか撤去されたようです。
須々万沼城は室町時代に築かれたとされていますが詳細は不明です。弘治年間には大内氏に属していたようで、山崎興盛、江良賢宣らが籠城して攻め手の毛利軍と戦っています。弘治3年(1557年)に毛利軍の侵入を許し、城内にいたものは悉く惨殺され、山崎興盛・隆次父子は自害し、江良賢宣は城を出て降伏したそうです。保福寺の正門の前に説明版があるようですが見落としてます。

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しんちゃん

織田信長の弟・織田信治の居城 (2024/03/10 訪問)

野府城は現在の一宮市開明字城堀、圦西郭、圦東郭、雲閑寺郭地内にあり東西約300m、南北約200mの規模であったようです(現地案内板による)。織田信長の弟(織田信秀五男(七男とも))織田信治の居城だとされています。信治は元和元年(1570)9月19日に浅井・朝倉の軍が宇佐山城に迫ってきた際、救援に駆けつけ、翌20日に森可成らと共に近江坂本で討死したそうです。
一宮市立開明小学校は城址の一部を占めており、城址碑と説明版が立っています。ちょうど親子連れが校内で遊んでいたので便乗して写真を撮らせていただきました。

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atsufumi

スッキリ!!天守 南面眺望 (2024/04/01 訪問)

いつもと違う天守。南からの眺望がスッキリ!!

天守南にそびえ立つ松の木2本が伐採され、景観がスッキリ!!
天守がバッチリ見えるようになりました。

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カズサン

満開前の登城 (2024/04/01 訪問)

 今年も桜の時期に成って参りました、チョット早かったのですが翌日からの用事と雨予想で今日の晴れ間に出掛けてきました、浜松の開花は28日、29日で早めでしたが5部咲きの桜、蕾と咲き始め、咲き振りの良い桜の下では花見をなさっており、何時も早い二の丸北角土塁の桜は5部咲き、二の丸広場大河ドラマ館跡は表の衣装、表示は無くなり黒の建物が残ってるだけ、松潤家康夢の跡状態、何時もビューポイントとして撮ってる富士見櫓辺りからの天守閣、天守曲輪埋門南石垣上からの天守閣では桜の咲がまだまだで後2、3日は掛かりそうです。
 日本庭園の枝垂れ桜葉満開、染井吉野桜より1週間は早く咲き、タイミングを合わせて撮影するのが難点です。

 浜松城公園桜まつりは3月23日から4月7日、桜と日本庭園のライトアップが日没から21時まで、屋台など出店されています。
 
 

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🏯🐈おーちゃん

野良ネコさんが (2023/01/09 訪問)

いたでしゅ
人間にとっても慣れてましゅね
建物の中にはおーちゃんは入れないけど
広くて散策してるだけで楽しいでしゅねー
金鯱横丁にも寄り道でしゅー

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新ろくべえ

掛川城に行ってきました。 (2024/03/31 訪問)

この城は、今川義元の祖父である今川義忠が、室町時代中期に家臣朝比奈泰煕に築かせた城です。
その後は、朝比奈氏が代々城代をつとめ、城を子角山から現在の龍頭山に移しました。
しかし、今川義元が桶狭間の戦いで討ち死にすると、今川領は武田及び德川の侵攻によって領土を切り取られ、
ついに、1568年に当主氏真は駿府館を捨て、掛川に籠城。数ヶ月に渡る籠城戦の末、1569年2月に開城した。
掛川城には、石川数正の叔父、石川家成が城代として入城。武田軍との激しい攻防戦の中でも落ちることなく、
德川の城として、石川家が城代をつとめ続けたが、1590年豊臣秀吉により関東へ移封となると、
秀吉の命で山内一豊が五万石で掛川に入城。天守を築き、近世城郭へ変えた。
1600年、関ヶ原の戦いにて山内一豊は東軍につき、その功績により土佐・高知城22万石に移封され、
松平→安藤→松平→朝倉→青山→松平→本田→松平→北条→井伊→松平→小笠原→太田→(德川)と
譜代大名によって治められた。
1854年安政東海地震により天守、二の丸御殿などの建物が倒壊、
天守は再建されなかったが、二の丸御殿(重要文化財)は1861年に再建した。
その後、1994年。日本初の木造で天守が復元された。(白河小峰城とも)
1995年には、元の位置から50m離れたところに大手門も復元された。

【城情報】
・形式       ❙平山城
・築城年      ❙1469年~1487年頃
・廃城年      ❙1871年
・築城者      ❙朝比奈泰煕
・最後の城主    ❙太田備中守資美(德川家達)
・廃城理由     ❙大政奉還のため(廃藩置県のため)
・主な城主     ❙朝比奈→石川→山内→松平→安藤→松平→朝倉→青山→松平→
          ❙本田→松平→北条→井伊→松平→小笠原→太田→(德川)
・遺構       ❙ 石垣、掘、土塁
・主な建築物    ❙天守、二の丸御殿、大手門
・説明看板、石碑  ❙両方有り
・駐車場、トイレ  ❙両方有り
・天守       ❙有り
・保存状態(自身判断) ❙遺構が良く残り、当時の姿が色濃く残っている
・城レベル     ❙4(詳しくは新ろくべえのプロフィールへ)
・備考       ❙最後の城主太田氏は太田道灌の家系
          ❙駐車場が満のところが多い

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todo94

京阪の城めぐり③ (2024/02/24 訪問)

物集女城からの転戦です。例慶公園に標柱が建っています。(推定)の記載付きです。公園内には願徳寺宝菩提院跡の説明板もありますが、その中に寺戸城に関する記述はありません。

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にのまる

調布飛行場(の隣の公園)に移設の石積みを見に行きました。

今月いっぱい開催の『京王×西武×JR鉄道めぐりスタンプの旅』を制覇しようと京王線の一日乗車券を購入した際、せっかく乗り放題なのだからスタンプ設置駅以外にも寄り道しようと思い、
① 調布飛行場に移設のお台場の石垣
② 府中競馬場に移設の江戸城の石垣
を行程に絡めて見に行くことにしました。
いずれも“いつでも行ける=なかなか行かない”で、延び延びになっていたところです。

①の調布飛行場は調布市・三鷹市・府中市にまたがっていて、お台場の石垣があるのは飛行場と「武蔵野の森公園」のふるさとの丘との間の通路です。
飛田給駅から徒歩30分くらいでした。(西武線「多磨」駅の方が近いです。)

きれいに積み直された石垣は、説明板によると東京都港区にある汐留遺跡の屋敷跡と第一台場から出た石を有効利用しているとのことです。品川台場は第三・第六台場以外は残されておらず、第一台場も埋め立てられてしまっているので、こんなに離れたところで出会えたのは驚きでした。
説明板には「神奈川県足柄群真鶴町を産地とする安山岩系の新小松石と呼ばれているものです。」ともあります。
そこで思い出したのが真鶴の「しとどの窟」(源頼朝が身を隠したといわれる窟)にあった「品川台場礎石の碑」です。真鶴の名石が台場の礎となったことを後世に伝えるため、また採石にあたった方々の労苦を偲んで、台場埋め立ての際に真鶴の地に運ばれたものでした。

今回の移築石巡りは(一日乗車券の元をとろう!)というセコさMAXからの思いつきでしたが、『品川台場は12基計画され、完成したのは6基、未完成が2基、未着工が4基』と本で読んだ知識(数字)だけを記憶して理解した気になり、築造に携わったたくさんの人たちがいたことに思いが及んでいなかったことに気づかされました。
残された石が語る歴史に耳を傾け、思いを石に託した人々のことを知ろうとすることも大切だと思いました。

近くにある警察学校の石垣も何だかすごくてこれももしかして?いや、憶測で語ってはいけないなと思いながら帰ったのが2週間ほど前のことです。
その後、武蔵の森公園内に見逃していた石積みがあったことを知ったので、本日改めて行ってきました。
公園入口(正門)近くの小高い丘のあたりに積んであり「台場石」のプレートには「発掘調査にあたった港区立郷土館の好意により、ここに運ばれて第二の活躍の場を得ました。」と刻まれています。
やむなく消えてしまう遺構も多いなか、温かい人たちの手で大切に守られてきた石たちがこれから先も「ここにあったのか!!」と石垣好きの人たちを驚かせ、感動させてくれますように!

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🏯🐈おーちゃん

ペットに (2024/01/27 訪問)

厳しいお城でしゅ
敷地に入らせてもらえない感じでしゅねー
仕方ないので城下町食べ歩きでしゅ

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🏯🐈おーちゃん

門の中には (2023/11/19 訪問)

入れなかったでしゅよ

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小城小次郎

季節を選んで行きましょう (2023/06/17 訪問)

広島ではなく鳥取の日野町にある鏡山城は伊勢から移った関一政によって新たに築かれた近世城郭。破城痕も生々しい石垣が迫力満点、魅力満載・・・のはずだが季節を間違えると城域に入る道すらもわからなくなるようだ。。

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ぴーかる

龍造寺隆信の生誕地 (2024/02/11 訪問)

【水ヶ江城】
<駐車場他>駐車場はなし。佐賀城本丸歴史館駐車場
<交通手段>車

<感想>1泊2日久留米・佐賀の旅4城目。水ヶ江城は文明年間(1469~1487年)に、龍造寺康家(龍造寺隆信の4代前)によって築城されたとされます。当初は館程度のものであったが、次の代の家兼によって濠を廻らし城塞化したそうです。佐賀城を築城するとともに廃城となったようです。
 佐賀城の環濠を巡っている途中に立ち寄りました。現地に遺構は残っておらず、公園内に龍造寺隆信の生誕地碑があるのみです。

<満足度>◆◇◇

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朝田 辰兵衛

飛山城散策2/2(雪) (2024/02/23 訪問)

宇都宮市内は雨で寒かったです。「雨男健在だな…」と思っていたら,飛山城は雪でした。「雪かよ…」と苦笑しました。
仙台の知人が語っていた言葉を思い出しました。「栃木は南東北。福島県をえぐってる。宇都宮から北は東北地方だべ」と。
栃木の人々からは反発があるかと思いますが,北関東より東北地方の部類に入って玄関口的アピールなら,魅力度ランキング上昇しそうだと感じました。「地図の下ばかり見てないで,上を見ろ」と。
ランキング飛ぶぞ~🐤

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🏯🐈おーちゃん

駐車場がせまいけど (2024/01/06 訪問)

大垣城への帰りに寄り道でしゅ
やっぱり中には入れないでしゅが
瓢箪から出る出世の泉を飲ませてもらったでしゅよ
出世できましゅかね?

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朝田 辰兵衛

飛山城散策1/2(ライトライン) (2024/02/23 訪問)

小川城より転戦。上毛高原駅より高崎駅まで上越新幹線。高崎駅から両毛線で横スラして小山駅。小山駅から北上して宇都宮駅。
宇都宮駅東口に降り立ったら長蛇の列が…。そろそろサービス開始時のほとぼりが冷めたかな,と思っていたのですが…。
交通系IC決済の場合は,先頭車両に並ばなくても良いです。現金決済の方のみ,整理券を取って先頭車両へ。
車両の内部はまだ新車の匂いがプンプンしていました。「なんとか旬に間に合ったな…」と安堵しました。

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🏯🐈おーちゃん

ロープウェイでご機嫌でしゅね (2023/10/28 訪問)

スーパー晴れできもちー
天守には入り口まで近づけたので満足でしゅ。
展望台からの眺めはサイコーでした(下僕)

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🏯🐈おーちゃん

お客さんが他に居なくて (2023/07/16 訪問)

受付のおじさんの計らいもあって自由に見学出来たでしゅ💛

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🏯🐈おーちゃん

風が気持ちよく景色も (2023/09/23 訪問)

下僕は汗だくになってたでしゅ
ベンチは多くあって何回も休憩したでしゅ
もちろん中には入れなかったでしゅが

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🏯🐈おーちゃん

水琴窟が涼やかだけど暑かった・・・ (2023/07/23 訪問)

ご近所さんなのでフラッと出かけたでしゅが暑くてぐでーってなったでしゅ
下僕のパパしゃんは蚊に喰われてたでしゅよ

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