【端谷城】
<駐車場他>城跡案内板のある<34.725827, 135.051719>の駐車スペースを利用
<交通手段>車
<見所>堀切・曲輪
<感想>現地説明板によると端谷城が築かれた詳細な時期は不明ですが城主の衣笠氏は鎌倉時代中期には櫨谷の荘園を治めていたと考えられます。室町時代には赤松氏に属し功により衣笠氏の姓を得たと伝えられます。戦国時代には別所氏に属し、秀吉の三木城攻めの時の城主衣笠範景は別所氏方に加担したために三木城落城後とともに端谷城も落城廃城となりました。衣笠景延(範景の弟?)も端谷城主であり小寺氏から黒田氏の与力となって黒田二十四騎の一人です。
城跡は南の櫨谷川を正面の堀かわりとして、三の丸跡が満福寺、満福寺の階段の中段から右手にあるお地蔵様の横脇(添付写真)の小道から奥に進むと三の丸~二の丸を隔てる大堀切、二の丸から城跡に入れます。二の丸の北西部に位置する西の檀と呼ばれる曲輪群から主郭を回り込むように右手方向に進む(ストック要)と主郭背後の大堀切の堀底に入り込めます。見応えあります。主郭は連郭に対して横長で左手奥が高く、物見櫓台の跡があります。小さいけども遺構がくっきりと残るいい城跡でした。
<満足度>◆◆◇
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