南北朝期に山名義理が大野守護所北側の城ケ峰に築いた城で、戦国末期まで大野城の支城として機能したようです。
南麓の県道から住宅地を抜けて「舗装はされているけど、このまま進んで大丈夫か?」と不安になるような細い山道を進み、「市民の森」への分岐の道路脇に路駐して登城開始。市民の森を抜けてさらに西へ笹藪をかき分けながら登った先に主郭と思しき削平地が開けていますが、こちらも笹とススキに覆われていて何が何やら…。城びと先達によれば、ほとんど読めない説明板がこの辺にあるはずだけど…と探していると、鳥獣保護区の表示が立てかけられた木のそばに半ば落葉に埋もれていました。そのせいでなお一層読めなくなっていますが、城であることが表示されているものはこの説明板の他にはないので、落葉を払って木に立てかけておきました。主郭から西に進むと藪は多少ましになり、南辺に土塁が続いているのが見られます。土塁に折れを設けた箇所もあり、南斜面には竪堀を幾条か落としていて、ようやく城らしい遺構が見られました。明徳の乱では尾根沿いに日方城を含む4つの支城が築かれたようですが、どこまでが日方城かよくわからないので、主郭西側の曲輪っぽいところで探索を終了しました。
この日は市民の森で草刈りが行われていましたし、ぴーかるさんの写真を見るに日方城も時には綺麗に刈られているようですが、笹やススキが伸び盛る早さにはなかなか追いつけていないようです。
+ 続きを読む









