ひかたじょう

日方城

和歌山県海南市

別名 : 日方山城、岡田城、壇城
旧国名 : 紀伊

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①朽ちた説明板(うっすらと見える城の文字
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昌官忠

(東海&関西)遠征14日目:日方城 (2025/05/28 訪問)

日方バス停から徒歩30分弱で、市民の森分岐点(34.164936、135.220082)に着きました。
ここから、市民の森方向に進みました。

詳細は不明のようで、山名氏の大野城の支城と云われています。

最初、道を間違い下山方向に進んでいましたが、間違いに気づき市民の森まで戻りました。
グーグルマップの方向を頼りに深い草の中を西に進みました。
少し進むと平坦地に着き、朽ちた説明板を発見。うっすらと見える城の文字で日方城跡を確信。
さらに進むと草に埋もれたベンチを見つけました。
草が深く、主郭も傾斜していて城跡としての残存度合いは低い。
攻城時間は40分くらい(最初、道を間違えた時間含む)でした。次の攻城先=藤並城を目指す為、海南駅前バス停からバスで下津野バス停に向かいました。

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ぴーかる

日方城 (2024/03/02 訪問)

【日方城】
<駐車場他>駐車場はなし。市民の森まで車で行け、停めれなくはないがきちんとした駐車場はない。手前の分岐<34.165153,135.220083>に2台程度停めれるので、ここから歩くほうがいい。
<交通手段>車

<感想>日帰り和歌山山城攻め3城目。日方城の城郭情報は少ない(現地説明板が錆びて読めぬ)のでよく分からないが、築城主:山名氏、築城年:南北朝時代となっていることから、紀伊国守護に任ぜらた山名義理が大野城に本拠を移した前後に支城として築城したと考えます。
 市民の森から傾斜面を数百m登ると虎口的な薄い段、正面に切岸が見えます。曲輪進入口左手斜面には竪堀のような跡、進入口右手の土塁は明瞭に残っています。進入口から入った曲輪は副郭のようで平坦地になっています。その曲輪に錆びて読めない説明板が木に立てかけてあります。そこから西へ緩傾斜に登っていき山頂になっています。なんせ、城跡の南半分しか藪が伐採されていなく、北半分は背丈以上の笹薮となっていて様子がよく分かりません。緩傾斜の南側斜面と曲輪の切岸は明瞭で山頂手前には横堀とみられる遺構もあります。山頂部分が少ししか整備されていなくて、広い主郭が北方向に広がっていそうなのですが‥‥‥。

<満足度>◆◇◇

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todo94

蜘蛛の巣まみれに (2019/10/13 訪問)

市民の森として整備されているといいたいところですが、草刈りもあまりされてる気配がなく、訪れる人もあまりいないと見えて蜘蛛の巣だらけで難渋しました。支柱が朽ち果てて倒れていた説明板を発見したのでここで間違いはないかと思いますが、説明板の文字もとても読みにくいものでした。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 山名氏
築城年 南北朝時代
主な城主 遊佐氏、山名氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、竪堀
再建造物 説明板
住所 和歌山県海南市日方