【蓮沼城】
<駐車場他>近くのゴミステーションの所が良いかと。ちょうど回収日で近隣の方々が車でどんどん持ってこられてたので、公民館前に停めました。
<交通手段>車
<感想>1泊2日富山ちょこ城巡り1000㎞旅2城目。お城の詳細は現地説明版の添付写真をご覧ください。
朝の7時過ぎでゴミ出ししている地元の方々とかぶってしまってタイミング悪かった。遺構は残っていないようです。城跡碑横のつつじが綺麗に咲いてました。
<満足度>◆◇◇
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2026/05/24 15:51
2024/05/06 11:41
自然石基壇に石碑と解説板 (2024/04/20 訪問)
木舟城を終えて北陸路14番目南西に約6.3km程の蓮池城を初登城。
駐車場:無し、自然石基壇の南横に路駐。
参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。
自然石を使用した基壇に松、ツツジが植栽されて自然石の蓮沼城銘記の石碑、蓮沼城跡解説板、城主遊佐加賀守藤原長滋の連歌「たひ人の しつまる月に かねなりて」句碑が立っている。
解説板によると、城域規模は東西26間(46.8m)、南北36間(64.8m)で周囲に幅5間(9.0m)の堀が有ったとの事。蓮沼城は室町中期越中守護の畠山氏の家臣である守護代遊佐氏の居城であった。遊佐氏一族は文事を好み都より連歌師がしばしば蓮沼城に立寄り句会が開かれた様子、代表作が句碑の刻まれてる。天正13年(1585年)佐々成政の家臣が守備していた蓮沼城を前田利家が攻略した。(解説板抜粋)
短時間の探訪にて次に安養寺城(安養寺御坊)を目指す。
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2024/01/12 19:36
タダモノではない感はある (2023/04/22 訪問)
堂々たる石碑はタダモノではない感が漂っているが現地には何もない。しかし畠山氏有力被官の遊佐氏に始まり椎名氏や佐々氏などの重鎮が守りを固め上杉氏や前田氏によって都度落とされてきたその歴史はやっぱりタダモノではない。
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2023/09/09 21:32
主郭は案外小さい。周囲にも城域が広がっていたのかも。 (2021/11/19 訪問)
蓮沼城の跡地には現在石碑が立てられています。
周囲は田畑や宅地になっており、かつての城跡をうかがわせる
遺構らしきものは見当たりません。
城域は東西26間、南北36間、堀の幅は5間と記録が残ります。
1間=1.82mとすると、およそ東西47m、南北65mということに
なります。堀の幅は9mくらいですか。城域はそれほどでもないのですが
堀の幅は結構ありますね。宝暦14年(1764)の書状申帳によるものなので
かつては周囲に郭などの遺構があったのではないでしょうか。
蓮沼城は永享年間(1429~1441)遊佐氏が築いたのが始まりとされます。
遊佐氏が一向一揆の圧力に屈して亡命し、その後は一向一揆の勢力下に置かれたものと
考えられますが、一向一揆と敵対す康る石黒氏の支配下にあった時期もあるようです。
永禄12年(1569)以降、椎名康胤が入城したとされますが、天正4年(1569)上杉謙信に
攻められ落城し、康胤は敗死したとされます。
謙信死後は佐々成政の支配下に置かれますが、前田利家に攻められ落城したようです。
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| 分類・構造 | 平城 |
|---|---|
| 築城主 | 遊佐徳盛? |
| 築城年 | 永享年間(1429〜1441)前期 |
| 主な城主 | 遊佐氏、一向一揆勢、石黒氏、佐々氏 |
| 廃城年 | 天正13年(1585) |
| 遺構 | 消滅 |
| 再建造物 | 碑、説明板 |
| 住所 | 富山県小矢部市蓮沼他(地図は石碑の場所を示す) |
| 問い合わせ先 | 富山県埋蔵文化財センター |
| 問い合わせ先電話番号 | 076-434-2814 |