田んぼや畑が広がる道をドライブすると、ポッコリと「小原城」が現れます。
鳥居の斜め前に路駐をして、「小原城」攻め開始です。
鳥居近くに説明板がありました。
里見氏が小原の地を得、1502年に里見 義俊さんが大改修したそうです。
鳥居の奥まで進むと土塁があり、虎口のように切れてました。2本の木が、いい演出をしてくれているので、虎口跡に見えるのかもしれません。
一旦戻り、向かって右手に『本丸水堀跡』の説明板を見つけました。『環境整備上やむなく埋め戻してしまった』
と、ありました。
深さは分かりませんが広さはありました。
こんな立派な堀を作った里見 義俊さん、気になります。
調べてみると、1170年に亡くなってます。
説明板には1502年に改修とあったので、誰?義俊さん何人いるの?と再度「小原城」を検索。
1336年に里見 義俊さんが奥州より、小原の地に入り築いた説もありました。
3人の義俊さんが「小原城」を少しづつ改修した、で決着します。
『環境整備上やむなく埋め戻してしまった』水堀。
冊等がないので、豪雨で危ないのかもと、勝手に推測。
九州や北陸の線状降水帯に伴う豪雨により、被災された皆様へお見舞い申し上げます。
私は遺構も大切ですが、埋め戻した事も歴史の一刻として良しとします。
その代わり私の頭の中の「小原城」、3人の義俊さんたちが水堀を深くする計画を立ててますので。
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