建武3年、奥州より里見七郎源義俊がここに土着したのが小原城の始まりのようです。250年余を経て、城主が病没し、子の里見権左衛門は15歳と若く、佐竹軍に攻められ小原城は落城したそうです。本丸一帯は御城稲荷神社として残り、土塁の一部と水堀跡が残っていたようです。水堀跡は平成3年に埋められてしまったようです。そういえば5年前に土塁周辺にあった社も無くなっています。同じ城をたびたび訪れると、小さな変化が起きていることに気が付きます。諸行無常ですね。
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2025/01/19 19:54
時代ごとに少しずつ姿を変えていく (2024/12/31 訪問)
建武3年、奥州より里見七郎源義俊がここに土着したのが小原城の始まりのようです。250年余を経て、城主が病没し、子の里見権左衛門は15歳と若く、佐竹軍に攻められ小原城は落城したそうです。本丸一帯は御城稲荷神社として残り、土塁の一部と水堀跡が残っていたようです。水堀跡は平成3年に埋められてしまったようです。そういえば5年前に土塁周辺にあった社も無くなっています。同じ城をたびたび訪れると、小さな変化が起きていることに気が付きます。諸行無常ですね。
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2024/07/02 10:41
本丸水堀跡はグラウンドゴルフ場へ変身 (2024/06/07 訪問)
加倉井館を終えて南西に約6km程、多良埼城主目的常陸未踏の城探訪5城目小原城を初探訪。
駐車場:特に無し、小原城本丸跡沿い県道193号線の東側の側道が広く路駐(36°21'41"N 140°19'24"E h=40m)
参考資料:城郭放浪記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。
小原城本丸跡は東側が県道に面して、御城稲荷神社鳥居、傍に小原城本丸跡の案内板、標柱、指示板が纏まって据えられてる、本丸の周囲は水堀が有った様ですが、平成3年環境整備上やむなく埋立られて、現在集落の方々のグラウンドゴルフ場に成っています、北角の土塁が高く聳えその他四方は低く曲輪高さの微高地。内部には御城稲荷神社の祠、社務所兼集会所?当日は会合されていました。
余湖図コレクションさんの俯瞰図を見ると、北の小原神社口、北西の2郭土塁、3郭土塁の残存、水堀の残存など在るようですが本丸跡のみで探訪終了。
案内板によると。
小原城は、宍戸城の北東部にあってこれを抑える重要な拠点であった。築城年代は明らかでないが、里見氏が永享元年(1429年)小原に領地を得、里見七郎義俊が文亀2年(1502年)現在の館を中心に小原城(館)を形成し、周囲の坂場・和尚塚・橋場(木戸場)には、見張場を置いたと伝えられる。
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2024/01/12 07:05
分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 里見家基 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 里見氏 |
廃城年 | 天正19年(1591) |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
指定文化財 | 市文化財(小原城本丸跡) |
住所 | 茨城県笠間市小原 |