やぎじょう

八木城

広島県広島市


旧国名 : 安芸

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①主郭
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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征25日目:八木城 (2026/06/04 訪問)

恵下山城から車で5分くらいで、皆川樋門付近空スペース(34.483560、132.505330)に着きました。
そこから、登城口への進入ポイント(34.482962、132.503185)に向かいました。

1221年(後承久3年)の承久の乱で、戦功を立てた香川経景は安芸国八木を与えられ、その子香川景光が安芸国に移住して八木城を築城したと言われています。
景光のあと、安景、清景、行景、遠景、景春、景信、師景、方景、吉景、行景(行景には妻子無く舎弟元景が家督相続)、元景、光景まで13代の居城となりました。
香川氏は安芸国守護銀山城主武田氏に従っていました。
1517年(永正14年)有田中井手の戦いにおいて、安芸武田氏当主武田元繁やその傘下の熊谷氏当主熊谷元直が、毛利元就と宮庄経友率いる毛利吉川連合軍に敗北し討死しました。
時の香川氏当主香川行景は主の仇を討てないのは無念とし、敗残の兵を纏め己斐師道とともに突撃し討死しました。
元繁の死後の安芸武田氏は内部の混乱が続き、重臣同士の争いが頻発するようになります。
八木城もその混乱に巻き込まれ、同じく武田氏重臣であった品川左京亮の攻撃を受けています。
武田氏滅亡後、行景の弟元景は毛利氏に従い、厳島合戦では仁保島城に籠って陶方の軍勢を撃退しています。
毛利元就に従い、八木城はその居城として栄えましたが、1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの敗北の結果、毛利氏の防長移封に従って萩に移り、八木城は廃城となりました。

主郭は平坦地があるのみで何もありません。
雨が降っている為、香川氏の祖鎌倉権五郎景政を祀る社がある2郭には行っていません。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=佐東銀山城に向かいました。

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しんちゃん

二郭に向かう道はなかなか恐い。 (2023/12/31 訪問)

年末一ノ槍-2 八木城の投稿です。
八木城は太田川の北側にあり、高瀬大橋を渡った先の東側の丘陵上に築かれています。東西の二峯の上に郭があり、東側が主郭で西の祠がある郭が二郭のようです。周辺に駐車場は無く車は置いて来るしかありません。また二郭に向かう道は車では通行出来ません。
二郭に向かう尾根の北側はコンクリートでがっちりと補強されていて落ちたら大変なことになります。ガードレールがありますが、高所恐怖症の人にはかなりキツそうですね。
城主は香川氏で承久の乱の功績で八木村の地頭として移ってきたそうです。香川氏は戦国期には武田氏に従っていましたが武田氏が内部分裂で滅ぶと毛利氏→吉川元春と仕え後に岩国に移っていったそうです。ちなみに二郭にある祠には香川氏の祖・鎌倉権五郎景政を祀ってあるそうです。

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
築城主 香川景光
築城年 貞応元年(1222)
主な城主 香川氏
廃城年 慶長5年(1600)
遺構 曲輪、横堀(空堀)、竪堀
住所 広島県広島市安佐南区八木5
問い合わせ先 広島県教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 082-513-5021