みかづきじんや

三日月陣屋

兵庫県佐用郡

別名 : 乃井野陣屋、三日月藩乃井野陣屋
旧国名 : 播磨

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①三日月陣屋
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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征13日目:三日月陣屋 (2026/05/23 訪問)

三日月駅から徒歩10分弱で、表門・移築城門(34.989309、134.433840)に到着しました。
そこから、三日月陣屋館前(34.990779、134.431459)に向かい、物見櫓(現存)/中御門(復興)/通用門(復興)を確認した後で、広業館(移築)列祖神社(34.991074、134.430195)に向かい、三日月藩御家中寄進石鳥居と三日月藩九代藩主森俊滋奉納石灯籠を確認しました。
ちなみに本日は土曜日なので、三日月陣屋館(10:00~16:00)は開いていました。

三日月藩森氏は1676年(延宝4年)津山藩主森長武が弟長俊に、美作国勝山郡内に15,000石を分与したことに始まります。
三日月藩森氏は長俊の後、長記・俊春・俊韶・快温・長義・長篤・長国・俊滋と九代続いて明治に至ります。
快温も嗣子なく新見藩主関長誠の二男長義を養子に迎え、長義もまた赤穂藩主森忠賛の五男長篤を養子に迎えています。
三日月陣屋は津山藩森家の改易に伴って、その分家である森長俊がこの地に新規立藩し、1697年(元禄10年)に築いた陣屋です。
以降明治までの174年間、森氏によって治められましたが、廃藩置県により陣屋は解体されました。

表門、物見櫓を含む中御門や旧藩校広業館などの遺構を見て回れます。
三日月陣屋には前面に石垣と堀による仕切が残されています。
三日月陣屋館内に陳列されている瓦や鎧、発掘物などを見学しました。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=福原城を攻城する為、三日月駅からJR姫新線を利用して佐用駅に向かいました。

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橋吉

三日月藩乃井野陣屋 (2025/09/17 訪問)

姫路城からクルマで約1時間、三日月藩乃井野陣屋へやってきました。
閑静な山里に突然立派な建築物が出現します。
実はこれ3つの移築・復元した建物を連結させたものです。
現存する江戸時代の建築遺構の物見櫓に復元された通用門,復元された中御門(長屋門)が並んでいます。
内部は展示室になっているようですが、
平日は開館してないみたいです。
駐車場はすぐ向かいに数台、裏手にかなり大きなものが用意されていました。

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しんちゃん

お手打ち御免! 三日月そば (2025/04/20 訪問)

「手打ちにいたす!(ええっ!?)」お昼は近くの「味わいの里三日月」でいただくことにしました。
なんでここでの投稿になったのかといえば、陣屋に置いてあったパンフレットが陣屋と「三日月そば」の二種類しかなかったからです。
他に何か無いのかここ・・? 行ってみると、けっこうな田舎なのに、どこから集まって来たんだろうと思うほど、人も車も来ています。
手打ちそばの実演もやっていますね。少し値は張るけど、本格的な手打ちそばを頂くことが出来ました。鴨肉も独特の弾力があって美味しかったです。
ここでしっかり体力をつけて、白旗城に挑戦です。リピートになるのですが、以前登城した時の写真が消滅してしまったので、満を持しての再挑戦です。けっこうきつかった記憶が有るけど、最近体の調子が良いのでいけるんじゃないかな。

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しんちゃん

物見櫓は案外居心地が良い。 (2025/04/20 訪問)

三日月陣屋は森忠政が開いた津山藩森家が元禄10年(1697)に改易になった後、分家の森長俊がここ、播磨三日月に移されたのが始まりとされています。その後、森家九代174年の間、三日月藩の政務の中心として、また藩主の住居として機能してきました。
陣屋の門、長屋が復元されていますが、物見櫓と呼ばれる二階建ての建物は現存のものとされています。眺めはなかなか良く、畳も敷いてあってなかなか快適です。ここでは藩主が武芸の観覧を行ったり、家老・用人・役人らを集めて酒や食事などが振る舞われたようです。
近くの列祖神社には、旧藩校の廣業館が移築されており、明治には小学校として使用されていたようです。

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城郭情報

分類・構造 陣屋
天守構造 なし
築城主 森長俊
築城年 元禄10年(1697)
主な城主 森氏
廃城年 明治4年(1871)
遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)、移築物見櫓
再建造物 復元長屋、復元櫓門、復元門、説明板
住所 兵庫県佐用郡佐用町乃井野966
問い合わせ先 佐用町教育委員会
問い合わせ先電話番号 0790-82-2424