みかづきじんや

三日月陣屋

兵庫県佐用郡

別名 : 乃井野陣屋、三日月藩乃井野陣屋
旧国名 : 播磨

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森長俊 (2024/01/06 訪問)

 森長俊が築いた陣屋です。物見櫓が今に残る陣屋唯一の建造物とのことで、中御門、長屋等を含めて復元整備されています。三日月駅へ行く途中に移築された表門や武家屋敷群を観ることができます。

 JR姫新線三日月駅から陣屋まで徒歩約15分でした。

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カズサン

復元5年後盆帰省にチョイ寄り (2008/08/16 訪問)

 三日月藩乃井野陣屋館が平成15年(2003年)発掘調査の後、元の位置に物見櫓、長屋が修復戻され、中御門、通用門、中御門木橋、通用門木橋が復元され、陣屋館跡が整備保全されました。
 復元から5年経った14年前の平成20年(2008年)故郷に盆で帰った後、鳥取道、国道373号線経由佐用町の三日月藩乃井野陣屋を探訪しました。
 車は陣屋内側の駐車場に駐める。

 維新後小学校に移築されてた現存物見櫓が元の位置に戻され、水堀も整備され、護岸の石垣も綺麗に整備され、中御門、通用門、各木橋など復元され、往時の佇まいが戻って来ました、山間の中にひっそりと建ってる姿が美しい、時間と曜日のせいか見学者は少ない。
 御殿跡はまだ未調査の様ですが山手に数段の屋敷跡か曲輪跡?が有る様です、其れなりに草刈りはされてる様子。
 
 津山森藩は無嗣断絶し、分家の森氏が2万石で赤穂城へ、分家の分家森長俊が元禄10年(1697年)1万5千石で三日月藩乃井野陣屋に移る、以後森家9代治政し明治を迎える。

 

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ぴーかる

三日月陣屋 (2022/02/23 訪問)

【三日月陣屋】
<駐車場他>復元表門北側駐車場あり。
<交通手段>車

<見所>曲輪・石垣・復元門・現存櫓
<感想>三日月陣屋は別名 乃井野陣屋ともいいます。初代三日月藩の藩主森長俊は津山藩主森長継の5男であり津山新田藩15000石を与えられるが1697年津山藩森衆利の代に津山藩が改易されると森長俊は石高そのままで播磨三日月藩15000石で転封され陣屋を築きます。以降9代森家が藩主として明治維新まで続きます。
 陣屋跡正面の表門は現存の物見櫓と復元門2門を含めた見応えある長屋門で石垣・堀もきれいに復元されている。物見櫓は維新後移築され再度元の場所に戻され修復復元され、復元門と一体化させて綺麗に長屋門として復元しています。また中に入ることが出来ます。長屋内には鬼瓦・復元工事の様子の資料が展示されています。表門の北側の御殿跡の曲輪壁にはわずかに石垣が残っています。陣屋跡の西側にある建物は広業館といい、1795年に建てられた藩校の一部を移築改築したもので維新後も学校として利用されていたそうです。広業館の横に陣屋の庭園跡もあります。
 迫力ある長屋門で復元に力を注いだことが窺えます。いい城跡です。

<満足度>◆◆◇

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やなぎぶそん

陣屋門は圧巻 (2021/12/30 訪問)

見事に復元されており陣屋門と堀だけでもとても見応えがあります。また、三日月といえば山中鹿之介を思い浮かべますが、地名の由来は、悪さをした豪族たちを罰するため、水に浸けの刑にした場所であることからきているそうです。

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城郭情報

分類・構造 陣屋
天守構造 なし
築城主 森長俊
築城年 元禄10年(1697)
主な城主 森氏
廃城年 明治4年(1871)
遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)、移築物見櫓
再建造物 復元長屋、復元櫓門、復元門、説明板
住所 兵庫県佐用郡佐用町乃井野966
問い合わせ先 佐用町教育委員会
問い合わせ先電話番号 0790-82-2424