北麓の亀山(きざん)公園駐車場を利用。水郷・日田の城址らしく、小高い城山の東南二方向を三隈川に守られている。見どころの大手門跡の枡形虎口は見事
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2026/02/28 14:01
20190413日隈城(大分県日田市) (2019/04/13 訪問)
北麓の亀山(きざん)公園駐車場を利用。水郷・日田の城址らしく、小高い城山の東南二方向を三隈川に守られている。見どころの大手門跡の枡形虎口は見事
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2025/06/30 20:16
三隈川に囲まれた毛利高政の城 (2025/05/15 訪問)
日隈城は三隈川(筑後川の上流)を天然の堀として比高50mに築かれた城です。JR日田駅から徒歩15分の所にあります。戦国時代の日田は豊後大友氏の所領でしたが、1594年大友義統が改易されると秀吉の直轄地となり、宮城豊盛が代官として入り築城を開始します(写真⑧)。その2年後1596年に「毛利高政」が入り、高政はここに五重の天守を持つ城を築いたとされています(豊西記より)。いったいどんな天守だったのでしょうか? 天守台の遺構や絵図も残ってないのが残念です。
そして1600年九州の関ケ原では、黒田如水の要請で東軍として出陣した加藤清正は、西軍として角牟礼城にいた毛利配下の軍勢を牽制しながら別府石垣原の決戦(黒田如水VS大友義統)に向いますが、何と間に合わず、今度は引き返し、この日隈城を攻めようとしましたが、守っていた城代が開城の説得に応じたため、結局は攻めなかったとされています。
翌1601年、家康の命で高政は佐伯へ転封となり、代わって日田へ入った小川光氏が新たに永山城を築城すると(前回投稿)、日隈城は一国一城令で廃城となったようです。
四方を流れの早い三隈川に囲まれ(写真①②)、山頂の主郭には現在は日隈神社が建っています(写真⑥)。そこには日隈城碑があり(写真⑦)、また南西麓には大手桝形虎口と当時の石垣がわずかに残り(写真③④⑤)、川の流れの音とともに、ここに城があった事を静かに伝えていました。
追記【坂本城】
私もイオさんと同じ、あさんの投稿で、坂本城が国の史跡に指定され、埋め戻されている石垣も、今後活用される事を知り安堵しております。大津市文化財保護課の皆様、山王不動産流通様、また携われた関係者の皆様の御努力に感謝申し上げるとともに、一光秀ファンとして今後どのように変わっていくのか楽しみにしております。
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2024/01/05 22:15
2022/06/22 06:47
202206遠征(対馬&五島&北部九州)7日目(最終日):日隈城 (2022/06/11 訪問)
朝早く起きて、ホテルの朝食前に散歩がてら日隈城を攻城しました。
宿泊先のホテルから徒歩15分ちょとで、亀山公園入口(33.315489、130.928105)に着き、日隈神社への階段に向かいます。
1594年(文禄3年)宮城豊盛(宮木長次郎)によって築かれたと云われています。
豊後の大友義統が改易となった後、豊臣秀吉の蔵入地となった豊後の日田郡と玖珠郡の管理を宮城豊盛が支配し、5,000石を賜り、築いたのが日隈城です。
1596年(慶長元年)毛利高政が20,000石の所領を賜って日隈城に入り、五重の天守を備えるなど城を改修しました。
関ヶ原合戦後、毛利高政は20,000石で佐伯に移りますが、引き続き蔵入地の管理を任され毛利隼人佐が代官として在地しました。
1639年(寛永16年)天領となった日田地区の代官所は月隈城へと移り廃城となりました。
日隈城は比高30m程の日隈山に築かれた、天然の三隈川を堀とした城で、山頂の主郭には日隈神社が鎮座しています。
かつては五重の天守があったと云われる日隈城ですが、現状では公園となっています。
遺構として確認できるのは大手枡形虎口の石垣くらいでしょうか。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=久留島陣屋(城びと未登録 大分県玖珠町)を目指す前に、一旦ホテルに帰り朝食を取ります。
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| 分類・構造 | 梯郭式平山城 |
|---|---|
| 天守構造 | 型式不明[5重6階/1596年築/破却(一国一城令)] |
| 築城主 | 宮城豊盛 |
| 築城年 | 文禄3年(1594) |
| 主な改修者 | 毛利高政 |
| 主な城主 | 毛利氏(藤原氏) |
| 廃城年 | 元和2年(1616) |
| 遺構 | 曲輪、石垣 |
| 再建造物 | 石碑 |
| 住所 | 大分県日田市隈2 |