日隈城は三隈川(筑後川の上流)を天然の堀として比高50mに築かれた城です。JR日田駅から徒歩15分の所にあります。戦国時代の日田は豊後大友氏の所領でしたが、1594年大友義統が改易されると秀吉の直轄地となり、宮城豊盛が代官として入り築城を開始します(写真⑧)。その2年後1596年に「毛利高政」が入り、高政はここに五重の天守を持つ城を築いたとされています(豊西記より)。いったいどんな天守だったのでしょうか? 天守台の遺構や絵図も残ってないのが残念です。
そして1600年九州の関ケ原では、黒田如水の要請で東軍として出陣した加藤清正は、西軍として角牟礼城にいた毛利配下の軍勢を牽制しながら別府石垣原の決戦(黒田如水VS大友義統)に向いますが、何と間に合わず、今度は引き返し、この日隈城を攻めようとしましたが、守っていた城代が開城の説得に応じたため、結局は攻めなかったとされています。
翌1601年、家康の命で高政は佐伯へ転封となり、代わって日田へ入った小川光氏が新たに永山城を築城すると(前回投稿)、日隈城は一国一城令で廃城となったようです。
四方を流れの早い三隈川に囲まれ(写真①②)、山頂の主郭には現在は日隈神社が建っています(写真⑥)。そこには日隈城碑があり(写真⑦)、また南西麓には大手桝形虎口と当時の石垣がわずかに残り(写真③④⑤)、川の流れの音とともに、ここに城があった事を静かに伝えていました。
追記【坂本城】
私もイオさんと同じ、あさんの投稿で、坂本城が国の史跡に指定され、埋め戻されている石垣も、今後活用される事を知り安堵しております。大津市文化財保護課の皆様、山王不動産流通様、また携われた関係者の皆様の御努力に感謝申し上げるとともに、一光秀ファンとして今後どのように変わっていくのか楽しみにしております。
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