新年の祝賀を申し上げたいのですが、今はとてもそのような状況にありません。一連の災害で亡くなられた方のご冥福と一刻も早い状況の改善を祈ります。地震が起きた元日、私はちょうど中国地方の城を攻略していました。
上関城や周辺の台場を攻略している最中に車内のTV(音声のみ)からアナウンサーの絶叫が聞こえてきました。ただ事ではないぞと思いスペースを見つけて駐車して家族に連絡を取りました。夕焼けにつられてか、どんどん人が集まってきます。自分の無事を家族に伝え先方の状況を確認しますが、同じ本州の海でも上関はこんなにも静かで美しいのです。
被災地の方々が心配ですが私にはどうすることも出来ないので旅をつづけました。
上関城は能島の村上義顕の子吉敏によって海関として築かれ、代々居城とされました。上関を通過する船や周囲を監視するのに適した海に突き出ている標高49mの丘陵上に築かれており、大きく北と南の郭に分けられ南の郭の方が高地にあります。南郭の背後には巨大な土塁があり、その向こう側は確認できません。能島海賊衆はこの城で上関を通過する船から通行料(帆別銭)を徴収していたのですが大内氏とモメて一度は上関から追い払われるのですが反撃をして奪い返したそうです。
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